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〜工場の「空気の悪さ」は、誰のせいか?〜いちの真面目な感想文。続編

昨日の記事の続き。


──「今だけ、金だけ、自分だけ」の国で働くということ(自分の現場から)

福田裕さんの記事を拝見し、改めて自分が今置かれている状況と重ね併せてみました。

序章:「工場の空気が悪い」の正体を見にいく。


「工場の雰囲気が悪い」「人間関係が最悪」
「二度と働きたくない」


こういう声って、ネット上にも現場にも、
ありすぎるくらい転がっています。

でもその原因を「合わない上司」「性格の問題」「メンタルの弱さ」だけに押し込めてしまうと、**一番まずい“構造”**が見えなくなる。


今回取り上げた本文(工場と戦後日本の構造を語った記事)は、その「工場の空気の悪さ」を、

個人ではなく 戦後日本の経済構造 として切り取っている点が、とても印象的でした。


> 「今だけ、金だけ、自分だけ」


このOSがインストールされた社会で、

派遣切りも、ライン上の相互監視も、

そして秋葉原・マツダの事件も、
一本の線でつながってくる。


この記事は、そのことをかなり直球で突いています。

そして私は、それを読みながら、
A事業所やB事業所をはじめとした、
製造派遣での自分の経験を、どうしても重ねずにはいられませんでした。


1. 指示系統が壊れている職場は、それだけで「人を壊し始める」


私が働いていたA事業所では、まず土台となる「指示系統」からおかしかった。


本来、総指揮をとるべきは
派遣先であるA事業所の正社員。


しかし現場で実質的に指揮をとっていたのは、
派遣元・A派遣会社の女性リーダーD子(+B恵)。

その二人の言うことが


派遣先正社員の意向なのか

派遣元リーダー個人の判断なのか

明確にされていなかった。
(自分達の意見であるのが丸わかりなのに『社員さんの意向』と言い切っている場面も多々ありました。)

結果として、現場にいた私たちは、
常にこんな状態に置かれていました。

・誰の指示が最優先なのか、毎回わからない。

・昨日OKだったことが、今日はNGになる。

・その理由も基準も、説明されない。

・注意も指導もA事業所正社員⇒A派遣会社のリーダーを通して伝わる。

これは、単なる「怖い先輩がいる」とか
「性格のキツいリーダーがいる」というレベルの話ではなく、

構造的に“責任の所在が曖昧なシステム”が走っていた、ということです。


この記事が指摘する


> 「代わりはいくらでもいる」

「他人の失敗は自分の損になる」


という空気は、まさにこうした曖昧な指示系統の中で、日常レベルのストレスとして積み上がっていきました。


2. 管理職は現場を見ず、「一方的な報告」だけで人を判断していた


派遣元A派遣会社側の責任者である狸次長は、現場には常駐していませんでした。

そのため、彼の判断はほとんどすべて、

・リーダーD子(+B恵)からの一方的な報告

・現場検証のない、片側だけの情報


これだけを根拠に下されていました。


つまり、

・実際の現場(ライン)の空気

・当事者同士のやり取り

・指示がどのように伝わったのか


といった「一次情報」はほとんど拾われないまま、


> リーダーがこう言っているから、そういうことなんだろう

という“省エネ判断”だけで、

人事評価や配置、
さらには退職の方向性まで決まっていく土壌ができていた、ということです。


この記事の言葉を借りるなら、ここには


・「今だけ」楽な判断をしたい管理職

・「自分だけ」の保身に走る中間層


という構図が、くっきりと見えていました。


3. その結果としての「突発退職ラッシュ」と、“蹴落とし合い”の現場


この構造の中で、「個人がメンタル不調になっていった過程」は、非常に具体的です。


例:駒田さんの場合


・三者面談で、人格を否定されるような発言があったと本人から聞いた。

・その後、退勤後に1時間の“出待ち”をされたエピソードも駒田さん本人から聞いた。


最終的に、駒田さんは突発退職。


例:原さんの場合


別の新人社員2名の三者面談で

「駒田さんを6月中に辞めさせる」という発言があったと、間接的に知らされる。


その話を聞いて、深く心を痛めていた。


のちに、原さんも突発退職。


その原さんが、あるとき私にぽつりと言った言葉があります。


> 「現場が、蹴落とし合いのようになっている。見ていて痛々しい。」


この一言に、あのラインの空気のすべてが凝縮されている気がしました。

※三者面談の場で、『◯◯さんと一緒に仕事したくない』というダメ出しが横行していたようだ。


⇒これを知ったとき『レベル低っ!』って感じた。テメーら中学生か。


・誰かのミスは、自分の仕事量や評価に直結する

・だから「助ける」より先に「自分の身を守る」が優先される

・そして、誰かが潰れても「仕方ない」で流れていく


私が把握しているだけで、

同じ年に5名の突発退職が発生しています。


ここまで揃うと、さすがに

> 「たまたまメンタルの弱い人が多かった」


とか


> 「本人の努力不足」


では片付けられません。


この記事が指摘するように、

「人と人との断絶」「助け合いの喪失」が
システムとして組み込まれていたと見る方が自然です。


4. 私自身のケース:個人情報の扱い方にまでにじみ出る“人の軽さ”


この構造の中で、私自身にも明確な
「不適切な扱い」が起きました。


三者面談の場で、履歴書の個人情報が

業務に関係のない文脈で開示された。

その上で、事実と異なる発言までされる。


この件はさすがに見過ごせず、
私は本社総務へ報告。

その結果、


・狸次長から正式な謝罪文

・再発防止策の提出


までは行きつきました。


しかし、構造そのものは変わりませんでした。


・指示系統の曖昧さは放置

・一方的な報告だけで判断が下される構図も継続


・現場の「空気」は、何一つ温かくならない

・謝罪文は出ても、OSはアップデートされない。

この記事の言葉をなぞるなら、これはまさに


> 「今だけ、金だけ、自分だけ」

という思想が、

「人間の尊厳」よりも優先され続けた結果だと思います。


5. そして私は、うつ病の診断を受けた(マツダが“遠いニュース”ではなかったこと)


この環境の中で働き続けた結果、

私は主治医から、うつ病の診断を受けました。


診断書にはこう書かれています。


2025年8月中旬日から就労不能


2025年11月中旬日時点の診断では

令和8年1月末まで自宅療養が必要



主治医からは、

> 職場環境のストレスが大きく影響している

という説明も受けています。


この記事に登場する

秋葉原の事件の加藤智大

マツダの期間工・正社員たち


と自分を同一視するつもりはありません。


ただ一つだけ、彼らの背景にある

> 「誰にも必要とされていない」

「誰も味方がいない」


という感覚の一部には、正直、
共鳴してしまう部分があります。


そして、私にとってマツダの事件は、

もともと「テレビの向こう側の出来事」ではありませんでした。


・昔、マツダの近くに暮らしていたことがあり、

・お客さんの中にも、マツダで働いている人が何人かいました。

・殺傷事件のニュースを見たとき、

彼らが巻き込まれていないか本気で心配しました。

⇒後から「その日は休みだった」と聞き、胸をなでおろしたのですが。


あの瞬間、マツダの事件は、

「どこかの工場で起きた悲劇」ではなく、

> もし曜日やシフトが一つズレていたら、

自分が知っている誰かだったかもしれない。


そういう種類の出来事として、
私の中に刻まれました。


だからこそ今、A事業所で自分自身が追い詰められ、

うつ病の診断を受けるに至ったこの経験を、


> 完全に“別の世界の話”として切り離すことができない

と感じています。


・構造が人を壊す現場

・蹴落とし合いと監視の空気

・「代わりはいくらでもいる」と言われる働き方


その延長線上のどこかに、

秋葉原も、マツダも、そして今の自分もいる。


そう思うからこそ、

私はこの出来事を「なかったこと」にせず、

労基に持っていく資料として残し、

同時に note にも書き残そうと決めました。

6. 労基に持って行く「台本」は、社会への告発であり、ささやかな希望でもある


私は今、ここまで書いてきた事実を整理し、

労働基準監督署に対して、
次のように話す準備をしています。


 「個人的な感情ではなく、

客観的に確認できる事実と、

複数の関係者の証言に基づいて説明いたします。」


これは、単に「自分のつらさをわかってほしい」だけではありません。


・同じような構造の中で、
これからも誰かが壊れていくことを止めたい。

・せめて「見て見ぬふり」はやめてほしい。

・「これは構造の問題だ」と、公的な機関の言葉で確認してほしい


そのための、一つのアクションです。


この記事が提示する


> 働くとは、何のためか。

誰のためか。

そして、誰と生きるのか。


という問いに対して、

私なりに出した一つの答えが、


・壊れた構造を「なかったこと」にしない

・事実を整理し、行政に持ち込む


⇒そのプロセスを、誰かの“道しるべ”として残す

という行動なのだと思います。


終章:秋葉原・マツダ・A事業所――
「構造の物語」に私もいる。


・秋葉原の交差点

・マツダ工場の正門

・そして、A事業所のライン


場所も、年月も、登場人物も違う。

それでもそこには共通して、


> 「人を部品として扱う社会」


が、静かに、人を追い詰めていく構造がありました。


そしてたぶん、その物語のどこかの端っこに、

私も、あなたも、すでに立っている。


だからこそ、私は今日も、


・事実をメモに落とし

・労基に説明するための台本を整え

・それをこうしてnoteの記事として残す


という、小さな小さな「反撃」を続けています。


これはきっと、誰かの未来のための、


> 「今だけ・金だけ・自分だけ」から

「人と、人として、生きる」への

OSアップデートのメモ

になると信じて。


おわりに:あなたの現場は、今どちら側に近いですか?


あなたの職場の「空気」は、どちら側に近いですか?


・蹴落とし合いと監視の現場

・それとも、助け合いと尊重の現場


そしてあなた自身は、周りの人を「部品」として見てしまっていませんか?


よかったら、あなたの現場の空気も、
コメントで教えてください。

ここから、別々の現場の物語を、
少しずつ、つなげていけたらと思います。

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