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魚の頭を、包丁でストンと落とせるようになった ― 半年前は、触ることもできなかったのに

魚の頭を、包丁でストンと落とせるようになった。

そう書くと大したことのない話に聞こえるけど、ほんの少し前まで、僕は生きていた魚に触ることすらできなかった。ぬめり、目、エラ、内臓。スーパーで切り身しか見てこなかった人間にとって、原型のある魚は「食材」というより、なんていうか、もう少し生々しい何かだった。

10年、釣りっぱなしだった



父との船釣りは、もう10年くらいの付き合いになる。

朝早くから船に揺られて、向こうに見える山の稜線を眺めながら、ライフジャケットを着た父が黙々と仕掛けを直している。シマノのクーラーボックスに腰かけて、水面の反射光が眩しすぎて目を細める、そういう時間。

ただ、僕の役割はそこまでだった。

竿を出して、魚を釣り上げて、クーラーボックスに入れる。そこから先は、全部父に任せていた。家に帰って、バットの上に並んだ魚たちを、僕は遠目に見るだけ。父が黙々と鱗を引き、頭を落とし、内臓を出す横で、お茶を飲んだり、なんとなく台所に立ったり、ほどよく逃げていた。

理由はふたつあった。

ひとつは、単純に気持ち悪かったこと。ぬめっとした感触、目玉、内臓のにおい。包丁を握る手が止まる、というより、そもそも握る前のところで足が止まっていた。

もうひとつは、なんとなく「かわいそうだな」という気持ち。さっきまで生きていたものを、自分の手でバラバラにする、その作業に踏み込めなかった。釣るのはいいのに捌くのは嫌、というのは矛盾しているけど、でも当時の自分はそう感じていた。

10年、これを繰り返してきた。父はたぶん、何度も「やってみるか?」と思ったことがあったんじゃないかと思う。でも口には出さなかった。僕も、自分から包丁を取りに行くことはなかった。

京都に、寿司を握りに行った日

4月のある日曜、新幹線で京都まで日帰りで行ってきた。寿司の握り体験ワークショップに行くため。

詳しいことは別の記事に書いた。


でもあの日、自分の手が魚に触れて、それを食べ物の形にしていく感覚が、初めて自分の中に入ってきた。

何かが切り替わった瞬間が、たぶんあった。

帰ってきてから、変わったこと


京都から戻って、また父との釣りに行った日。

このときは違った。釣り上げた魚を、自分から包丁の前に持っていった。10年間ずっと避けてきた場所に、自分の足で立った。

一匹目はぐちゃぐちゃだった。二匹目もそんなに上手くない。でも、三匹目くらいから、なんとなく「あ、こうやればいいのか」が手に伝わってくる。父が横で一言だけアドバイスをくれる、それだけで形になってくる。

「かわいそう」も「気持ち悪い」も、いつの間にか消えていた。代わりにあったのは、「これを美味しく食べるために、ちゃんとやる」という、わりと淡々とした感情だった。

そのあとしばらくして、事務所のお客さんがアジを持ってきてくれたことがあった。ジップロックに四匹、ぎゅうぎゅうに詰まったアジ。


少し前の自分なら、たぶんありがたく受け取って、そっと冷蔵庫に入れたまま戸惑っていたと思う。あるいは、誰かに「これ、どうしたらいい?」と聞いていたかもしれない。

でも、その日の僕は普通に台所に立って、普通に鱗を引いて、普通に頭を落として、普通に内臓を出した。塩焼きの一歩手前まで、自分の手だけで持っていけた。

その瞬間、ふと気づいた。「あ、これ、できるようになってる」と。

階段は、ちゃんと続いている


寿司を握るところまではまだ全然できない。シャリの温度も、ネタの厚みも、握りの圧も、全部わからない。でも、不思議と「いつか握れるようになるんだろうな」という感 覚が芽生えていた。

なぜかというと、半年前の自分は魚に触ることすらできなかったからだ。それが今は頭を落とせる。内臓を出せる。塩焼き手前まで持っていける。だったら、寿司を握れるようになる日も、たぶん同じ仕組みでやってくる。

順番でいうと、
1.触れない、2.触れる、3.さばける(下処理)
4.焼ける(調理)、5.刺身が引ける、6.握れる
みたいな並び。

僕はいま3と4の間の段階にいる。次は、たぶん5。

でも最近、もうひとつ視界に入ってきたものがある。
階段の上の方を覗き込んでしまった、という感じ。
それについては、また別の機会に書く。

隠さなくていい


この文章を書きながら思ったのは、「気持ち悪くて、かわいそうで、10年間ずっと父任せだった」という過去を、別に隠さなくていいんだな、ということ。

できるようになった人ほど、最初の自分のヘタクソさを見せたがらない。それはわかる。でも、本当に誰かの背中を押すのは、たぶん完成形じゃなくて「最初は触ることすらできなかった」というあの瞬間のほうだ。

僕はまだ寿司を握れない。刺身もきれいには引けない。でも、頭は落とせるし、内臓は出せる。それが今の自分で、それで十分だと思っている。

次の一歩は、また勝手にやってくる。




魚に触れなかった僕が、京都で寿司を握った日のことは👇

その寿司を”武器”として持ったら、いくら回収できるのか。


「やる気が出たから動く」じゃない話は。

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