お神輿は1000年前から ─ 夜のお神輿は、ディズニーのパレードになれる
最初に断っておくと、この話、途中までお神輿をけっこう下げます。でも最後まで読んでほしい。
友達と歩いてたら、お神輿に出くわした。それで思ったんだけど、
お神輿って、何も生まないですよね。
担いでも、商品が出来るわけじゃない。お金が増えるわけでもない。むしろ前日に準備して、当日は重いのを担いで、肩を痛めて、汗だくになって、疲れる。完全に持ち出しなんですよ。生産性で言ったら、たぶんマイナス。
それで、いちばんよくわからなかったことがある。
担いでる人って、よく考えたら何も生産してないんですよ。重いのを持ち上げて、わっしょいって大声出して、汗だくになって。それも何も残らない。
なのに、その担いでる人に向かって、うちわで「お疲れさま」って扇ぐ人がいる。
ここがよくわからなかった。
たとえば、ラーメン屋さんがラーメンを作る。お客さんが「ありがとう」って言う。これはわかる。一杯のラーメンっていう成果に、感謝が向いてる。
建設現場の人が、ビルを建てる。汗を拭いて、誰かが水を持ってくる。これもわかる。建物っていう成果に、労いが向いてる。労うって、ふつう、何かを生み出した人に向かうものなんですよ。
でもお神輿は、何も生み出してない。なのに、ラーメン屋さんや現場の人とまったく同じ作法で、「お疲れさま」って扇がれてる。
行動だけ見たら、ほとんど一緒。汗を拭いて、水を渡して、うちわで扇いで、ありがとうって言う。何も生まれてないのに。
この、生産してないものに労いが向いてる感じが、すごく不思議だった。でも、たぶんこれが大事なんですよね。
成果に対してじゃなくて、一緒に汗をかいたことそのものに、労いが向いてる。何を生んだかじゃなくて、同じ時間を、同じしんどさを、共有したっていう事実に。
ぼくは最近、毎日AIを使ってる。仕事も、考えごとも、かなりの部分をAIと一緒にやってる。便利だし、速いし、ひとりで完結する。
効率はどんどん上がるのに、人とのつながりだけは、効率化したぶん薄くなっていく感じがある。お神輿は、その逆だった。何も生まないけど、人間関係だけは生む。
で、ここからが本題で、ちょっと未来の話をしたい。
お神輿って、これからどうなっていくと思いますか。ぼくは、だんだん「担ぐもの」から「見るもの」に変わっていくんじゃないかと思ってる。
よく考えたら、お神輿って担いでる人より見てる人のほうが多い。そして、たぶん見てるほうが楽しい。担ぐのは重いし、肩は痛いし、汗だくになる。でも見るのは、ただきれいで、楽しい。
この「やる人より、見る人のほうが楽しい」って構図、どこかで見たことあるなと思ったんですよ。
ディズニーランドのパレードだ。
この前、昼のショーパレードを見た。シュガーラッシュがテーマの、ポップでにぎやかなやつ。スイーツがいっぱい出てくる感じの。あれを見てて、ふと思った。
これ、お神輿じゃないか、って。
キャラクターが乗り物に乗って、練り歩いて、沿道のみんなが集まって見て、手を振って、盛り上がる。やってる側も楽しいけど、見てる側はもっと楽しい。お神輿とパレード、やってることほぼ同じなんですよ。
しかもこれ、さっきの労いの話とつながってる。パレードも、よく考えたら何も生産してない。キャラが乗った台が通り過ぎるだけで、ラーメンも建物も残らない。なのにみんな夢中になって、終わったあとに「楽しかったね」って言い合う。お神輿の「お疲れさま」と、たぶん同じものなんですよ。
AIと一日じゅう作業しても、終わったあとに誰とも「楽しかったね」とは言わないんですよ。便利で、速くて、全部片付く。でも、その一言だけが、出てこない。
だとしたら、お神輿が「お金を払ってでも見に行くもの」に変わっていっても、別におかしくない。2000年代に「面倒くさい」だったお神輿が、これからは「チケット買ってでも見たい」に反転していく。じゅうぶんありえると思う。
で、ここからが提案なんですけど。
キャラクターを乗せたお神輿が、あってもいいんじゃないですか。
パレードがアリなら、神輿にキャラを乗せて練り歩くのも、本質的には同じことのはず。伝統だから無理、って言われそうだけど、もともとお神輿って、神様を乗せて練り歩くものですよね。乗せるものが変わるだけ、とも言える。
しかもこれ、夜にやったら最高だと思うんですよ。
昼のパレードがシュガーラッシュみたいな「わっしょい」の世界だとしたら、夜は静かに見惚れる世界になる。
お神輿をきれいに電飾して、ライトをつけて、夜の街を練り歩く。沿道のみんなが集まって、「きれいだね」って見惚れる。エレクトリカルパレードの、お神輿版。
足元は、ちょっと危ないかもしれない。暗いし、担ぎながらだし。でも、その危なさがあるからこそ、緊張感が出て、特別になる気がするんですよ。安全に整備しきったら、逆につまらない。面倒くさいから人間関係が生まれるのと同じで、ちょっと危ないから一体感が生まれる。
ここまで書いて気づいたんだけど、
これ、もう日本にあった。
青森のねぶた祭り。光る巨大な山車を、夜に練り歩いて、みんなで見る。秋田の竿燈も、夜に提灯を灯してやる。日本の祭りって、昼に担ぐお神輿と、夜に灯すものと、両方ずっとあったんですよね。
で、ここまで考えて、もうひとつ気づいたことがある。
お神輿って、めちゃくちゃ昔からありますよね。ねぶたも、京都の山鉾も、何百年、たどれば千年以上の歴史がある。
一方で、エレクトリカルパレードが始まったのは1972年。アメリカのディズニーランドで。日本に来たのは1985年です。
……さては、アメリカ人、お神輿パクったな。
いや9割冗談です。
光るものを乗せて、夜に練り歩いて、沿道のみんなで見て、高揚する。この様式、日本には千年以上前からあったんですよ。アメリカが1972年に「発明」したことになってるけど、日本人はとっくにやってた。
で、思ったんです。
日本人がディズニーのパレードにあんなに熱狂するのは、なんでなんだろう、って。
たぶん、初めて出会う新しい娯楽だから、じゃない。もともと体に染み込んでた「練り歩きを、みんなで見る快楽」が、呼び覚まされてるだけなんじゃないか。
お神輿で、ねぶたで、山鉾で、何百年もかけて刷り込まれてきたものが、エレクトリカルパレードを見た瞬間に「あ、これ知ってる」って騒ぎ出す。
DNAが、騒いでる。
そう考えると、キャラを乗せた夜のお神輿って、新しいことをやってるようでいて、いちばん日本人の根っこに刺さるものなのかもしれない。
何も生まないお神輿に、キャラを乗せて、夜に光らせて、みんなで見る。
それで人間関係が生まれるなら、わりと最高なんじゃないかと思う。
今年はもう少しお祭り行ってみよっかな〜
この記事の前編。ディズニーで実際にパレードを見て、「立体」と「予習」に気づいた日の話。
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