見出し画像

メタバースで、もう一人の自分を試したくなった ── 試験が終わったらVTuberになります

第1弾、第2弾と、メタバースで気づいたことを書いてきました。

第1弾は、身体の話。外側の身体は脱げて、内側の身体は脱げない。


第2弾は、人間関係の話。同じ世界に居た時間が、20年残る。

そして3つ目は、自分自身の話を書いて、このシリーズを締めようと思います。

メタバースに、無かったものについて、クラスターに入って気づいたことがあります。リアルの世界には当たり前にあって、メタバースには無かったものが、いくつかあるんです。

比較がない場所で、麻雀・ポーカーをやりたくなった


メタバースには、レベル上げも対戦もありません。

中学の頃にやっていたメイプルストーリーには、レベル上げも、装備の差も、強い人と弱い人の差もありました。今、世の中にある遊びの多くも、勝ち負けや、上手い下手や、お金の多寡で人を比較する構造になっています。

でも、クラスターで風船を持って集まっているあの空間には、それが無いんです。

ただ集まっていて、特に何を競うでもなく、ただ一緒に居るだけ。

それを体験して、不思議な感覚に気づきました。

「比較しない遊び」って、こんなに気持ちよかったんだ、ということです。

そういえば、最近やってみたいなと思っていることがあって。麻雀とポーカーです。

なんで惹かれるんだろう、と考えてみたら、たぶんこういうことなんですよね。

麻雀もポーカーも、勝ち負けはあります。でも、お金の蓄積で勝つわけじゃない。お金で強さを買えるわけでもない。その場の判断と、運と、心理の読み合い。

つまり、「勝ち負けはあるけど、資本主義的じゃない遊び」なんです。

リアルの社会は、年収・役職・資産・フォロワー数、あらゆるところで「数字で比較する」ゲームになっています。それが悪いとは思いません。でも、それ”ばかり”だと、たぶんちょっと疲れる。


メタバースが教えてくれたのは、比較から完全に降りる場所。そして麻雀・ポーカーは、比較するけど、資本主義からは降りる場所

降り方、いろいろあるんだなと思いました。

…と書きつつ、僕、麻雀のルールがまだ全然分かっていないので、まずそこからなんですけどね。

ラベルがない場所で、深い話ができる


もう一つ、メタバースで降りた圧力があります。ラベルです。

リアルだと、僕は「29歳の税理士事務所員」というラベルが先に来ます。年齢、性別、職業。話す前に、相手の頭の中で「こういう人」と一回分類される。

これは社会で生きていく上で必要な情報伝達なんですけど、同時に、そこから外れた話がしにくくなる構造でもあります。

税理士事務所員の僕が「メタバースの話」を熱量を持ってしても、相手は「税理士なのに?」というフィルターを一回通してから受け取る。これは仕方ないことで、誰も悪くないんです。

でも、メタバースには、それが無かった。

アバターだから、年齢も性別も職業も、最初は分からない。「ラベル」じゃなくて、「好き」と「感性」で繋がれる。
そこで初めて感じたことがあります。

ラベルが外れると、対面より深い話ができるかもしれない、と。

肩書きが見えると、人は無意識に防衛します。失敗できない、外れたことを言えない、立場に合った話をしないと。でも、ラベルが外れた瞬間、その防衛が一段下がる。「素のまま」を出しやすくなる。

外見というレイヤーから、降りる


ここまで考えていて、もう一つ、自分の中から立ち上がってきたことがあります。

これは社会から貼られるラベルとは少し違う、自分で進んで身につけている方の話です。

僕は普段、服装をかなり「無難に」選んでいます。スーツで仕事に行って、休日もとりたてて変わった服は着ません。本当はビビッドカラーも気になるし、サッカーが好きだからユニフォームを着て歩きたい気持ちもある。でも、着ない。

なぜかというと、歩いているだけで批判されるリスクがあるからです。

発想や考え方は、どれだけ過激でも皮肉でも、喋らなければ誰にも何も言われない。でも服装は、ただ存在しているだけで人の目に晒される。

現実世界って、現実だと、外見で気を遣う分、中の自由は守れるってことなのかも。

でも、メタバースには、それすら無かった。

アバターを着替えるという話じゃないんです。そもそも「外見というレイヤーそのものから離脱できる」。フィジカルという概念自体が無くなって、そこに残るのは内面、もっと言えば命の部分だけ。

メタバースって結局、命だけが居る場所なんじゃないか。

そんなふうに思っています。

VTuberになります


だから、こう思いました。

自分も、その存在形態を試してみたい、と。

タイトルにすると唐突ですが、VTuberって面白そうだな、と思っています。
やるかどうかは、まだ決めきれてない。でも試してみたい気持ちが、確実にある。
税理士事務所員のわたし、じゃなくて、アバターで存在するわたし。

半分は「試してみたい」という好奇心です。でも、もう半分は、AI時代の自分の存在形態を選び直したいという、もう少し真剣な気持ちでもあります。

これからの時代、僕たちはAIと共に生きていきます。会わずに繋がる関係も、会って繋がる関係もある。その中で、「自分はどの形態で、世界と関わるか」を、自分で選べる時代になっていく気がしています。

第1弾で書いた「外側の身体は脱げて、内側の身体は脱げない」を、自分自身に適用してみる、ということです。

外側のラベルも、外見も脱いで、内側の感性で繋がる場所に、自分も行ってみたい。

ひとつの自分で、全部は表現しきれない

最後に、思っていることがあります。

人生って、たぶん、ひとつの存在形態で全部を表現するには、情報量が多すぎるんです。

リアルの場で見せられる自分。
文章で見せられる自分。
ツールで見せられる自分。
そして、アバターで見せられる自分。

それぞれの場所で、違う自分が出る。それは矛盾じゃなくて、全部、本当の自分です。

家業の税理士業は、これまで通り、軸として大事に続けていきます。お客さんと向き合って、判断の基準を整える仕事は、僕の生涯の柱です。

そのうえで、別の場所に、もう一人の自分を出してみる。

それが、メタバースが教えてくれた、これからの生き方なのかなと思っています。

試験が終わったら


このメタバース3部作は、税理士試験の勉強の合間に書いた記事でした。

8月の試験が終わったら、その辺をもう少し本気で考えてみようと思っています。
やるか、やらないか。やるならどういう形でやるか。

やってみて違ったら、また方向を変えるかもしれません。でも、やる前に決めつけて動かないより、やってみてから考えたい。動いてから、わかることが多すぎるので。

誘ってくれた方、あの空間に居てくれた方々、3部作を読んでくれたみなさん、ありがとうございました。

別の存在形態で、また会いましょう。

ちなみに、「もう一人の自分」を、メタバースじゃなくて現実の包丁で試しに行った話もあります。税務スタッフの僕とは別の、寿司を握る僕の話。


いいなと思ったら応援しよう!

ナラティビストのしょうへい チップは、書き続けるパワーになります。 本当に届いた時だけ、気軽に。