見出し画像

20年前のメイプルストーリーの友達が、南アフリカからキリンを送ってくる


前回、クラスターというメタバースに初めて入ってみた話を書きました。中学時代に夢中だったメイプルストーリーを思い出した、という記事です。

書き終わったあとも、頭の中でぐるぐる考え続けていたことがありました。あの記事を書きながら、もう一人、思い出していた人がいたからです。

南アフリカから、キリンが届く


中学の頃、放課後にメイプルストーリーを一緒にやっていた友達がいます。
その人、最近、南アフリカに行っているんです。南アフリカ出身の女性と結婚して、今、相手のご家族に挨拶しに行っている。たまに連絡してくると、「今日サファリでキリン見たよ」って画像が送られてくる。地球の反対側から、いきなりキリン。

それだけじゃなくて、こんなLINEも来ます。
「輸出ビジネス始めるかも」
「どんなの輸出すんの?」
「コーヒー」
午前2時に、文脈ゼロで南アフリカからのコーヒー輸出構想が飛んでくる。普通だったら「え、なんで南アフリカ?」「ビジネスって何?」と確認したくなるところですが、僕も僕で、「いいねいいね、やったれ」「じゃあ俺も来年あたり南アフリカ行きたいな」と即答している。
20年来の友達ってこういうもので、説明なしで一発で乗っかれるんですよね。


この友達、よく考えると、僕の人生で一番長く続いている友人なんです。

中学卒業して、それぞれ別の高校に行って、大学に行って、社会人になって、引っ越して、結婚もしていて、結婚相手の出身国まで南アフリカ。共通点は、もう中学時代の数年しかありません。

それなのに、なぜか今でも繋がっている。
これってちょっと不思議なことだと思いませんか?

「同じ場所」と「同じ世界」は、違う


リアルで毎日顔を合わせていた当時のクラスメイトとは、ほとんど連絡を取っていません。職場で一緒に働いていた人とも、転職するとだんだん疎遠になります。

同じ場所で長い時間を過ごした人ほど、環境が変わると一緒に消えていく。たぶん多くの人が経験していることだと思います。

でも、メイプルで繋がっていた友達だけは、環境を超えて残っている。

なんでだろう、と考えてみました。

たぶんこれは「同じ場所に居た時間」じゃなくて、「同じ世界に居た時間」が、友情の濃度を作っているんだと思います。

中学のクラスは、そこに居ることが半ば義務でした。学校という場所が先にあって、配置された人と関係を持つ。会社もそうです。仕事という場所が先にあって、割り振られた人と一緒に動く。

場所が前提で、人が後から来る関係性


でもメイプルは、そうじゃなかった。

学校が終わって家に帰って、誰に何を言われるでもなく、自分の意思でゲームを起動して、自分の意思でキャラを操作して、自分の意思でその人とパーティを組んでいた。

僕たちが繋がっていたのは、教室という場所じゃなくて、「メイプルというひとつの世界に、同じ時期に夢中になっていた」という事実

これは環境を変えない。引っ越しても、転職しても、結婚しても、国を越えても、僕も彼も「あの世界に居た人」のままなんです。

中学では、絶対に知り合えなかった人生


そして、もう一つ面白いことに気づきました。

彼の人生は、中学の頃の僕たちにはまったく想像できなかった方向に進んでいる、ということです。

南アフリカ出身の女性と結婚するなんて、当時の僕たちは絶対に予想していませんでした。中学のクラスや、地元のコミュニティだけで生きていたら、彼がそういう人生を歩むところを、僕は一生知らなかったかもしれません。

リアルの人間関係って、どうしても同じ路線に偏るんです。同じ学校、同じ職場、同じ地元。話す内容も、似たような人生の悩みになりやすい。

でも、メイプルで繋がっていたあの友達からは、いきなりサバンナのキリンが届く。

不思議な距離感だな、と思うんです。物理的にはものすごく遠くて、文脈もよく分からない。でも、だからこそ、お互いの人生を「自分の延長線上の話」じゃなくて「全然違う世界の話」として聞ける。

近すぎず、遠すぎず。よく分からない距離感だからこそ、20年経っても楽しくいられるのかもしれません。

そしてもう一つ理由があるとしたら、ネットで繋がった人同士って、そもそも「変化を好む性質」が似ているのかもしれません。新しい世界に飛び込んでみる、自分のスタイルを更新してみる、相手が変わっていくことも面白がれる。

僕自身、わりと変化が好きな方です。20年来の友達がいつもどこか遠くで何かに飛び込んでいて、それを面白がって聞ける、というのは、たぶん偶然じゃない。似た性質の人同士が、ネットという場所で見つかっただけ。そういう気がしています。

クラスターで、20年前の感覚に再会した


クラスターに入ってみて、まさにこの感覚を思い出しました。

風船で集まっている人たちって、別に職場の同僚でも、近所の人でもない。住んでいる場所も、年齢も、職業も、ほとんど知らない。

でも、「この空間に、好きで居る」という共通点だけはある。

これって、20年前のメイプルと全く同じ構造なんですよね。だからメタバースの空間で、20年来の友達のことを自然に思い出したんだと思います。

そして同時に、ある気づきが来ました。

「用がないのに集まれる場所」って、大人になると本当に少ないということ。

大人の時間から、「用のない時間」が消えていく


仕事の打ち合わせは、用がある。
営業の食事会は、用がある。
家族の集まりも、それなりに用がある。

でも、メイプル時代の「特に何をするでもなく街でたむろしている」「ただログインしてその場に居る」みたいな時間って、大人になってからほとんどなくなりました。

なぜかというと、大人になればなるほど、時間に「目的」を載せるようになるからです。

有意義に使わなきゃ、何かを得なきゃ、勉強しなきゃ、稼がなきゃ。

「ただ居るだけの時間」が、許されなくなっていく。


でも、不思議なことに、長く続く友情って、皮肉にも、そういう「用のない時間」から育つんです。

何を話したか覚えてないけど、なぜか一緒に居て楽しかった時間。あの蓄積が、20年経っても繋がっている関係を作っている。

逆に言うと、大人になってから新しく深い友達を作るのが難しいのって、たぶんこれが理由なんですよね。場所と時間を共有しても、そこには大体「目的」が載っているから。

用のない時間は、20年後の種になる


メタバースが面白いのは、ここに「用のない時間」を、もう一回作ろうとしているところです。

クラスターで風船持って集まっている時間に、目的はない。経済的な利益もない、社会的な義務もない。ただ、その世界に同時に居るというだけ。

めちゃくちゃ贅沢なことだと思うんですよね。

20年前にメイプルで一緒に居た友達が、今、南アフリカから僕にキリンの画像を送ってきている。
そう考えると、今クラスターで一緒に居る人たちが、20年後にどこかの国の誰かと繋がっている種を、今この瞬間に蒔いているのかもしれません。

「ただ居るだけの時間」は、何の生産性もないように見えて、実は人生で一番長く残るものを作っている。

そんな視点を、メタバースで思い出させてもらいました。


そしてあの友達には、今度返信するときに「クラスターっていうメタバース、入ってみたよ」って書こうと思っています。

メイプル以来、20年ぶりに、また同じ世界に二人で居られるかもしれないので。


関連記事

いいなと思ったら応援しよう!

ナラティビストのしょうへい チップは、書き続けるパワーになります。 本当に届いた時だけ、気軽に。

この記事が参加している募集