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【小説】黒猫はあの子のために一億貯める #5 (文学フリマ大阪)

黒猫のクロは、飼い主・直花のために一億を貯めようと、毎晩懸命に働いていた。

あらすじ

#5


 朝が顔を出し始めた頃。

 窓辺警備の仕事中、ベランダに黒い影がよぎった。
 それは一匹のこげ茶の猫だった。口に猫じゃらしを咥えたまま、仕切り板の隙間からするりと滑り込んでくる。
 ここは二階だから、野良猫が気まぐれに迷い込むこともないはずだ。
 キャットタワーから降りて窓越しに耳を向けると、こげ茶の猫はこっちをろくに見ずに「ウーミャーイーツでーす」と低い声で言って、猫じゃらしを置いてさっと出ていった。

 ウーミャーイーツって、これかぁ……。

 でも、おれは注文した記憶はない。
 頭を捻っていると、ニャインがころころと、鈴が転がるみたいに鳴った。
「届いたか? 俺からの猫じゃらし」
 サブちゃんだった。どこかの草むらの中からだ。
「悪いよ、おれ代金支払う」
「いいんだ。俺の奢りだ。天然の猫じゃらしなんて、しばらく見てないだろう」
 そう言われて、おれは濡れた鼻を窓にくっつけ、目を凝らした。
 ぴんと張った茎の先に、黄色い粒がお行儀良く並んでいる。見事な産毛だ。見ているだけでくすぐったくなる。それが四本も。
「ありがとう」
「おう」
 サブちゃんは照れ隠しするみたいに、前脚で首元をガシガシと掻いた。ニャイン越しに、サビ色の毛がたんぽぽの綿毛みたいに飛び散るのが見える。
「……今、話してもいいか」
「窓辺警備の仕事しながらでいい?」
「ああ、構わない」

 おれはキャットタワーの最上段へとんとんとん、と登った。頂上でくるりと回り、座りのいい角度を探して腰を落ち着ける。窓の外に視線を残しながら、おれはニャインに入り直した。
「うん。いいよ」
「……俺、茶美に会いに行こうとおもって」
「そうなんだ」
「茶美は、俺にお腹を舐めさせてくれると思うか?」
「えっ?」
 サブちゃんの言葉に、尻尾の先がびくりと跳ねた。お腹を舐め合うのは家族だけ。だからお腹を出してお互いに相手に舐めさせるのは、プロポーズになる。
「茶美は俺と番ってくれるだろうか」
「……どうしておれに聞くの?」
 サブちゃんは困ったようにヒゲを揺らした。
「そ、それはだな」
 もごもごと呻いた後、意を決したみたいに口を開いた。
「お互いネットでしか会ってないし、生活パターンも全然違う。収入の不安とか、価値観の違いとか、あるかもしれない。それに最近は、番うばかりが幸せじゃない、って考え方もある。いろいろ考え出すと、俺はその……わかんなくなってきてな」
 サブちゃんが、こんなに喋るのをはじめて聞いた。
「……考えてみてくれ」
 それだけ言うと、サブちゃんは明後日の方を睨みつけて座り込んだ。

 どう考えればいいんだろう。
 今まで考えたことのない話で、見当もつかない。
 窓辺警備の時も考えているのは、もっぱら直花やお金のことばかりだし。
 とりあえず、二人の様子を想像してみる。
 サブちゃんと茶美が鼻をちょんとつけて、こんにちはの挨拶をする。サブちゃんのがっしりしたかたちと、茶美のまんまるとしたかたち。いい感じだ。
 それで、その後は……。
 ……友達同士のそういう様子を想像するのは、なんだかやけにくすぐったい。
 でも、二人が並んで歩いているのを想像すると、悪くなかった。

「いいと思う」
 おれは言った。
「本当にそう思うか」
「うん」
「どうしてそう思った」
「えっ……だってお互い猫だから、大丈夫だろうって」
「……なんか大雑把だな」
「そうかな……」
 息を吐いて、おれは耳を伏せた。
 ただ、サブちゃんは大雑把という言葉が妙に気に入ったらしい。
 何度も「大雑把、大雑把」とぶつぶつ呟きながら、歩き出した。
 そのまま背の高い夏草の茂みを、ざくざくと掻き分けていく。
「……俺は野良だから、運が悪いと明日は死んでるかもしれない」
 おれは黙って頷いた。
「だから、大雑把にやってみるのが、いいかもしれん」
 言いながら、サブちゃんは何度も深く頷いていた。
「うん。うまくいくといいね」
「お前もな、クロ」
「おれ?」
「一億の話だ」
 サブちゃんは草むらを抜けて、川べりに出た。
 川の対岸にはビルがでこぼこと並んでいる。そのすぐ上で、生まれたての朝が得意げな顔で浮かんでいた。
 ニャイン越しに、サブちゃんの深呼吸が聞こえた。
 つられておれも、窓ガラス越しの朝に深呼吸した。
 離れていても、一緒に朝を眺められるのがなんだか嬉しくて、不思議に胸の奥が暖かくなった。
「おれは、直花のお腹の袋をとってあげたいんだ」
 おれは、そっと打ち明けた。
「お前の飼い主の、細い女だな。いつもパソコンしてる」
「うん」
「それで、一億か」
「……うん」
 はじめて口にしたその重みに、肉球がかすかに震えていた。
「おれは、直花を愛してるから」
「……三千万の魔法で、直花さんを猫にするんじゃだめなのか?」
「おれは今の直花を、愛してるから」
「……そうなんだな」
 サブちゃんは、それ以上は聞かなかった。
 ただ耳をじっと傾けて、ニャイン越しにおれの目をじっと見つめていた。目を背けるのは情けない気がして、おれは必死で見つめ返した。
 サブちゃんの背中越しに、川べりの風景が見える。
 朝の小さな粒が川面に無数に散らばって、きらきらしていた。川を見るのも久しぶりだった。
「……お前なら、本当に一億、貯めちまう気がする」
「うん。本当に、貯めるよ」
「俺も、負けてられないな」
 サブちゃんがそう言うと、前脚をぐっと伸ばして、爪でやわらかい土を掻いた。
「それで、その袋をとった後、どうするんだ」
「とった後?」
「袋をとって、その後」
「……」
 考えたことがなかった。
 袋を取ったら、おれも直花のお腹を舐めて、プロポーズする。それだけを考えていた。
「まぁ、俺も番ったらどうするか、考えてないがな」
 そう言って笑った後、「俺は大雑把だからな」とだけ言って、ニャインが切れた。


 おれはベッドの膨らみをちらりと見た。
 直花は、あの夜からもう何日も、布団の中に籠もっている。
 たまに起き上がっては、トイレに行って、水を飲んで、それだけ。気がついた時に、おれの茶碗にカリカリを盛って、そのまま布団に潜り込んでしまう。
 魚泉なら、くだらない話で気を紛らわしたりできるんだろう。だけどおれは、窓辺警備をしてお金を貯めるしか、能がない。
 毎日、仕事をするだけだ。
 それで一億貯めて、おれが直花のお腹の袋を取る。


 おれは、眠る直花を起こさないよう、前脚でゆっくりと窓を押し開いた。鍵はかかっていない。だからおれは、その気になればいつでも外に出ることができる。
 窓の隙間から少しだけ首を出す。
 摘みたての猫じゃらしの青々しい匂いが、胸いっぱいに広がった。

(つづきは8月15日あたりに更新します)


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