娘の話を始める前に | 書く私、描く私 (1)
私が絵を描くのは、誰の影響なのか……正直わからない。
でも、私が文章を書くのは、間違いなく祖父の影響だ。
祖父の家に行くと、私が小学生の頃は、よく机の上に原稿用紙が置いてあった。
祖父は作家ではなかった。
リビングの本棚の中には、その原稿用紙を綴じ、凹凸のあるダマスク柄の壁紙を貼った台紙で製本し、毛筆でタイトルが書かれた「本」が何冊もあった。
海外旅行記や、家族のこと。私たち孫のこと。
青いインクの万年筆で書かれたページの合間に、ところどころ内容にまつわる写真が貼ってあった。
机の上の原稿用紙は、そのうちワープロになった。
そして、どういう経緯か、祖父はいつの間にかコミュニティタウン誌に文章を書く人になっていた。
狸が主人公だったりして、生きていく上での教訓を面白おかしく伝える、「とんち昔話」のようなものを、数年間連載していた。
教訓はあるけど、その結論は読者に委ねる書き方だった。
私は祖父に、文章を書くのが好きだと言った覚えはなかったが、祖父は何か気づいていたのだろうか。
記事がある程度たまったら、掲載部分のコピーを直筆の手紙と共に、母ではなく、妹でもなく、私宛に郵送してくれていた。
私はそれを、最初は読んでいたものの、中学高校と学生生活に追われるうちに、次第に手に取らなくなっていった。
祖父の文章は、いつもそこにあるものになり、意識して向き合う対象ではなくなっていた。
そういう日常が続くのが当たり前だと思い込んでいて、それがとても貴重で贅沢な贈り物だということに気づいていなかった。
私が大学に入って1年ほどで、祖父のガンが見つかった。
「ガン様よ」で始まるガンと戦う俳句を読んだり、病室で毎日自画像を描いたり、前向きに生きていた祖父だったが、年齢や体力の面から、手術はできない位置だと言われて意気消沈し、ホスピスに移動してからは、あっという間だった。
祖父の文章はもう二度と増えることはない。
その事実を前にして、私はようやく「書く」という行為そのものを意識するようになった気がする。
祖父がいつも文章を書いていた、という事実は、確実に今の私の核を作っている大きな要素だ。
そして、祖父の文章の書き方を、事細かに覚えているわけではないけれど、私が誰かのことを書くときの距離感は、たぶん無意識にそこから習っているのだと感じる。
祖父が亡くなってからもう何十年も経つけれど、文章と向き合うごとに、いつも祖父を思い出す。
娘は当然、祖父に会ったことはないけれど、会わせられていたら、祖父はとても喜んでくれたと思うし、きっと可愛がってくれたとも思う。
祖父はもうこの世にはいない、
けれど文章を通じてなら、どこかで繋がっている、そう思うことがある。
誰かを救う話ではないけれど、今回私が、娘とのここまでを記録に残そうと思ったのは、文章にすることで、祖父に娘のことを伝えたいと思ったからなのかもしれない。
祖父の文章も、私の書く理由も、決して強く主張するものではないけれど、消えずに、静かに光を放っているのだと思う。
娘との記録を思い起こすうちに、ふと立ち止まって、そんなことを考えるようになった。
おじいちゃん。見てる?
私はまだ、こうやって私なりに書き続けているよ。
