ふゆゆきそう は どくではない はなでした | 書く私、描く私 (2)
私が初めて文章を書いたという記録があるのは、幼稚園の頃のことだ。
私自身は、書いたことも、内容すらも覚えていなかった。
母が、その時私が書いたメモ帳数枚をホッチキスで留めて、残してくれていた。
それを、小学六年生の頃、課題で自分の生い立ちを振り返る冊子を作る時に出してきてもらって見た。
だから、今こうして自覚できているというだけの話だ。
文章と言っても、今みたいなエッセイではなく、創作のお話。
しかも幼稚園生だから短くて、内容もたいしてない。
残念ながら、そのメモ冊子は、私が持っていたような気もするし、未だ実家にある気もするし、所在がはっきりしない。
もう数十年その内容を見ていないので、一語一句紹介することはできない。
ただ、タイトルは覚えている。
「ふゆゆきそうのはなし」だ。
小6の時に、母に聞いた話によると、
幼稚園から帰ってきた私は、慌てて鞄を下ろし、うがい手洗いだけ済ませると、制服も着替えずに、
「なんか書くものちょうだい」
そう言って、バーッと一気に書き上げたのだそうだ。
メモ帳数枚に、ひらがなだけで書いたお話。
定番の「あるところに…」から始まり、
「一年中雪が降っている山がありました。そこは一面銀世界でした。」
のような、絵本で覚えたような描写もあった。
「そこには、ふゆゆきそう という、白くて綺麗な花が咲いていました。」
そして、当時の母親が不思議に思ったのが、お話の最後に描かれていた文章だった。
「ふゆゆきそうは、どくではないはなでした。」
なぜ毒ではない花だと書いたのか。
母は当時の私に尋ねたけれど、私はうまく答えられなかったらしい。
小学生の頃、自分の生い立ちを書くことになって、改めて思い出し、説明したのではないか、と母は言う。
私が思い出したのはこういう思考だ。
その日、幼稚園で紙芝居だったか絵本だったかは忘れてしまったけれど、「花さき山」という話を読み聞かせしてもらった。
花さき山の絵は、あの有名な切り絵作家の滝平次郎さんによるものだ。
お話の内容はさておき、幼稚園生の私はたぶん、あの切り絵の独特な色合いと雰囲気を少し怖いと感じた(のだと思う)。
それに加えて、「花さき山」に出てくるお花は、どことなく彼岸花に似た形だった。
主人公の女の子が咲かせた花は、まさに赤い色で、幼い私には、それが彼岸花に見えた。
「彼岸花は毒があるから触っちゃダメだよ」と言われて育った私は、その赤い花にネガティブな印象を持ってしまった。
そう。
だから、あの日の私は、幼稚園で読んでもらったお話の世界観の中で、何か得体のしれない怖さを感じてしまい、そこに、毒のある彼岸花を結び付けたのだと思う。
そして、心の中に広がっていくその感覚から逃げるように、正反対の、白くて毒のない花「ふゆゆきそう」を、急いで創り上げたかったのだろう。
今、こうして当時のことを振り返ってみると、私が文章を書くときの原点がそこにはあるような気がしてくる。
幼稚園生だったにしても、夏休みの「えにっき」という形で、自分が体験したこと、思ったことを書くということは、もう知っていたと思う。
絵本を読んでもらったけれど、なんだか怖かった。
赤いお花は毒のある彼岸花のように見えた。
その感覚を文字にしたり、母に伝えたりするだけでも、心の中に広がる何かは、少し和らいだのではないだろうか。
でも私は、それをお話を作るという形で昇華した。
直接自分の感情をぶつけるのではなく、はっきりと言い切るわけでもなく、全く別のものを持ってくることで打ち消した。
まっすぐなようで、まっすぐではないアウトプット。
自分のことではあるけれど、当時の私は、今の私から見れば、別人のようにも思える。
客観的に見ることができる、そんな感覚だ。
だから、娘のことを記録するときも、淡々と起こったことを書いているようで、心の中に広がる、言葉にならない何かを昇華させようとしているのかもしれない。
書くという行為は、本当に面白い。
書きながら、どんどんと思考があふれ出してくる。
だから、やめられない。
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ちなみに。
トップ画について。
「ふゆゆきそう」の簡単な絵も、そのメモ冊子の最後に描いてあった気がするのだけれど、一番近い脳内イメージのものをCanvaの素材で見つけたので、それを、昔、娘と作った小トトロの雪だるまの写真の上に散りばめてみた。
小トトロ雪だるまには目がなかったので、お馴染みクマさんの目を。
元写真はみんなのフォトギャラリーに登録済。
