イケメンのこの俺がおじさんなんかに恋をするはずがない 第3話
電車に揺られながら、隼人はスマートフォンを操作して写真投稿サイトであるスターライトグラフのアプリを開く。
数日前、昆虫撮影用のアカウントを作り、以前に撮ったテントウムシの写真をアップロードしてみたのだ。
様子を見てみると、いいねが三件ついている。
「おお……」
猫の画像とかエモい風景などは数万件いいねがついているのもあるので三件は少ない方だったが、それでもいいねが付くのはうれしかった。フォロワーはまだゼロである。
けんじのアカウントを見てみると、千人近くのフォロワーがいる。海外からのフォロワーが主で、昆虫撮影を趣味にする者ばかりだった。
車窓の風景は、緑や畑が多くなってくる。池袋駅から西武池袋線の急行に乗って約三十分。埼玉県所沢市にある小手指駅に降り立つ。
「しかし今度はなんで所沢まで来なきゃならないんだ……」
けんじとの待ち合わせ時間には間に合った。しかし遠い。行くだけで疲れてしまう。電車の中に長時間拘束されるのは、隼人にとっては苦痛だった。
「サラリーマンの通勤とか電車で一時間も二時間も乗ってなきゃいけないとかマジかよ。地獄だな……」
移動で時間は取られたくない。基本的に、隼人は待つのが嫌いだった。とはいえ、けんじとの待ち合わせはいつも早く来てしまうのだが。
近くのコンビニで弁当を購入する。今日は弁当持参らしく、午前中から所沢市に来ている。
しばらく待っているとけんじがやってきた。首から下げているのは愛用のニコンのデジタル一眼レフだったが、今度はレンズが長くなっていた。
「マクロレンズじゃないんですか」
「うん、今日は中望遠」
カメラに取り付けていたのは、シグマ製の中望遠マクロレンズだった。中距離からマクロの距離まで広い範囲をカバーできるレンズである。やや重くてかさばりはするものの、取り回しは悪くなく持ち運びにはそれほど苦労しない。
「高い木にいるやつも撮れればなと思って今日はこれにしたよ」
けんじはニコニコしながらひげをなでて、それから歩き出した。
「じゃ、ここからバス乗るから」
「まだ移動するんですか!?」
バスで二十分近く移動しそこに到着する。
「じゃ、ここから少し歩くから」
「歩くんですかっ!?」
梅雨入り前のまだ過ごしやすい気候ではあるが、隼人の全身は汗ばみ、体力を徐々にむしばんでいった。目的地までの移動だけで。
そうしてようやく到着した。さいたま緑の森博物館という緑地である。博物館らしいところはなく、広い敷地の自然公園のようなものだった。自然そのものが展示物ということらしい。虫にとっても鳥にとっても棲みやすそうな場所である。
「広いから一日かけて回れるね!」
けんじ、わくわくだった。
子どものような表情にほっこりしながら隼人は頷く。なるほど、一日がかりだから弁当持参だったのか。望むところだ。
「今日は僕、どうしてもゲットしたいんだ。シデムシかオトシブミ」
「なるほど」
また知らない虫の名前が出てきた。
「この場所にいるんですか?」
「わからないけど、いるんじゃないかなぁ」
入り口近くの案内所から地図付きのパンフレットを入手する。いくつかのルートで回れるらしく、湿地を回るコースで歩いてみることにした。
木々に囲まれた道を歩いていく。軽く雨が降った後らしく、地面は少し湿っている。ハエやアブが時折通り過ぎる。トンボの湿地というのがあるが、時期なのかトンボは飛んでいない。
ただ、五月も終わりごろになると様々な虫たちを見ることができる。
道を通っていくとオレンジ色の翅に黒い斑点がついた蝶が木の葉に止まっているところが見られた。
「ツマグロヒョウモンだね」
けんじが言った。
「撮ってみる?」
「はい」
隼人は物音を立てないようにゆっくり近づいていき、シャッターを切る。撮った瞬間危機を察知したのかツマグロヒョウモンが飛び立って行ってしまった。
一瞬の出来事。やや距離があるものの、しかし一枚だけその姿を収めることができた。
「蝶は素早くてすぐ飛んで行ってしまうから、うまく撮るのが難しいんだ。よく撮れたね」
けんじが言って微笑した。
「へへ……」
褒められた隼人は嬉しそうに頭をかく。
そういえば人に褒められたのも本当に久しぶりだった。
「あ、だから中望遠のレンズが使えるんですね」
「そうなんだよ。これならある程度の距離でもズームで撮れるから便利なんだ」
やや湿気がある。それが木々の緑の匂いと混じって、そよ風に乗って隼人の鼻をくすぐる。
少し蚊が多い。虫よけスプレーでもつけてくればよかっただろうか。蚊などは寄り付かなくなりそうだが、しかしそれ以外の虫も逃げていったら困る。
しばらくして広場のような高台に出ると、隼人たちは少し早い昼食をとった。
「そのシデムシとオトシブミってのは何なんです?」
隼人はいまいちけんじの目標がよくわからなかった。シデムシもオトシブミも聞いたことがない名前である。
「どっちも面白い虫だよ」
けんじは答えた。
オトシブミは一センチほどの体長の甲虫である。交尾の後、葉に産卵するのだが、その際に葉を噛みきり折りたたんで卵を守るためのゆりかごを作る。孵った後の食料にもなるその幼虫のためのゆりかごが、秘めた思いを文に綴り好きな人のよく通る場所や家の前に落としていく「落文(おとしぶみ)」に似ていることからオトシブミと名付けられた。似たようなゆりかごを作る種にチョッキリという虫もいる。
隼人はスマートフォンでオトシブミと落文のことを調べながら感心した。昔は手紙を落としていくという文化があったらしい。現代ではメッセージは落としようがなく、落とされるとしたら詐欺のダイレクトメールくらいだ。
「木の枝にいるかもしれないオトシブミを撮りたくてそのレンズつけてきたんですか」
「うん。……これ、公式ウェブサイトに載ってる写真」
けんじからスマホの画面を見せてもらうと、たしかにエゴノキの葉が折りたたまれてゆりかごのようになっている。エゴツルクビオトシブミと呼ばれる種だった。
このエゴノキとかいうのを探せば見つけられるだろうか。隼人は思いながらコンビニの弁当を食べ終える。
「シデムシは動物の死骸を食べて、死骸の上に卵を産む。死に引き寄せられて現れるから『死出虫』っていうんだ」
「なんか、かっこいいですね」
なんとなく死神のようなイメージが頭をよぎって、隼人は答えた。
「あっ」
けんじがふいに立ち上がりカメラを構える。
「いたよ、シデムシ」
「えっ、本当ですか?」
木の陰のようになっている場所に、ミミズが死んでいる。そのミミズにかぶりついている三センチ程度の黒い甲虫がいた。
「あれがシデムシなんですか?」
なんだかイメージと違う。
「意外と大きいよね」
それはよくわからないが、シデムシの話を聞いていて小動物や鳥の死骸に群がっているのを勝手に想像していた。
「ミミズも食べるんですね」
「食糧としてはダンゴムシとかも食べるよ」
なんというか、死神のようなスマートなイメージはどこにもなく、黒い甲虫がただミミズを食べているだけだった。
「目標の一つをゲットできたよ」
シャッターを切りながらけんじは笑った。
「帰ってからゆっくり確認するけど、たぶんオオヒラタシデムシだね」
「なるほど」
夢中でミミズを食んでいたので、隼人も同じようにオオヒラタシデムシを撮影する。
その後散策を再開した隼人たちだったが、体力も削られている。すべてのコースを回らずに帰ることにする。
歩きながら、隼人は先ほど撮影したシデムシを確認する。
しかし蝶やテントウムシに比べると、なんというか、映えない。スターライトグラフは基本的にきれいな写真やキラキラした写真が好まれがちだ。
隼人は撮影のプレビューを見ながらうなった。まあ、せっかく撮ったのだから家に帰ったら試しにアップロードしてみるか。
「デジタルはフィルムカメラと違ってすぐ確認できるから便利だよね」
「ですね」
もっとも、隼人はフィルムのカメラはあまり使った記憶がなかった。小さいころにインスタントカメラを少し使ったくらいだろうか。
「フィルムカメラはあれはあれで味があっていいんだけどね。フィルムは現代だとCDに焼いてもらえたりするし」
立ち止ってけんじの撮ったシデムシも見せてもらうが、さすがにうまい。きれいに焦点が合っているのもあるが、なんというか、迫力のようなものが感じられた。
「あっ、なんか、アングルが面白いですね」
隼人は迫力の正体に気づいて言った。
隼人の撮ったものは上からただ撮影しただけだが、けんじの撮ったものは正面から顔がドアップで写っていたり、死んだミミズをあえて中心にしてみたりしていた。
「光の具合でも変わるけど、いろいろなアングルで撮ってみると面白いよね」
けんじが言うと、隼人は頷きながら胸を打たれた。
これだから近頃のおじさんは……!
隼人にとって、けんじの行動にはたくさんの気づきがあった。趣味一つでもたくさんの楽しみ方を知っている。彼なりの楽しみ方を極めている。隼人にはそれが羨ましかった。
道を進んでいくと、複数の羽音が耳に入ってくる。
「なんか」
「うん、わかるよ」
蜂が立てるような大きく不穏な羽音である。隼人たちは立ち止った。音の出所は、すぐに分かった。
「あれ、エゴノキじゃないですか?」
「本当だね」
ネットでみたものと同じような姿だ。探していたエゴノキは道の進路上の脇にあった。
……のだが、道の脇から伸びたエゴノキの白い花に、巨大な蜂が大量に群がっていたのだった。
「うおお……」
道のわきから垂れている枝に咲くたくさんの白い花に誘われて、大量のずんぐりとした黒い蜂が集っていた。
枝は隼人たちの進路上の道に垂れており、通れなくはないだろうが蜂のすぐ脇を抜けなければならなかった。
一定の距離まで行って、立ち止った。無視できない羽音の大合唱が、これ以上近づくのを躊躇させる。こんな状態でオトシブミをゆっくり探して撮影するのは困難だろう。
「クマバチだから刺さないよ」
隼人がおののいていると、けんじが言った。
「刺さない蜂もいるんですか」
「うん」
クマバチは、知識としてあるが普段はそうそう見ない。隼人は二の足を踏んだ。
刺さないとわかっていてもあれだけ大量にいると恐ろしい。それに、クマバチ以外も来ているようで、べつの蜂の姿も花の陰に隠れて見え隠れしている。
「でもこんないることあります?」
今まで蜂を見たことはあったが、さすがにこれほどの数が木の花に群がっているのは見たことがなかった。
「うーん、僕もあまり見たことはないけど」
けんじは子どものように目を輝かせて言った。
「面白そうだから撮ろう、クマバチ」
隼人は耳を疑ったが、カメラを構え蜂に向かってずんずん進んでいくけんじを見てすぐに引き留めた。
「ちょっと待ってください。どう見てもこれ以上近づけないでしょ」
「刺さないよ」
「いや、怖くないですか。クマバチ以外の種類の蜂も見えたし。何があるのかわかりませんよ」
「まあ怖くないと言ったら嘘になるけれど」
「そうでしょう。回り道しません?」
「でもね、どんなものにもリスクはつきものだ。そこにあるリスクを許容できるなら、その報酬はすべからく取りに行くべきだろう」
構わず行こうとするけんじを隼人は羽交い絞めにして止めた。
「言っている意味がわかりませんって!」
「離してくれ隼人君! 僕はどうしてもクマバチを撮りたいんだ! あそこなら下からのアングルでいい感じのが撮れそうな気がする! 大丈夫、ほら、中望遠だから」
「それだってある程度近づかないとだめでしょうが!」
隼人はけんじの言っていることがいまいち理解できなかったが、どうやらアングルにこだわりすぎると身の危険につながるらしい。
結局隼人が通過を拒否しその道は回り道することになった。恐いものは恐いのだ。
「じゃ、『ルカ』さんによろしくね」
別れ際にけんじが言った。
「あ、はい」
返事をしてから、隼人は少しうつむいた。やはり「ルカ」か。
結局けんじが自分と会ってくれているのは、存在しない「ルカ」というアカウントでつながっているからだという現実を隼人は再認識する。
撮影の友達がほしいとはいっても、結局は女子大生と付き合えるかもしれないからだ。隼人と会ってくれるのは「ルカ」に会いたいという下心に裏打ちされている。
小手指まで行って数日経った日曜日である。隼人は桃乃の家でスマホを操作しながら表情を曇らせる。
そこまで好きか、女子大生が。「ルカ」が女子大生でなければ、そこまで執心していないだろう。
久しぶりに「ルカ」のアカウントを開いてみると、またフォロワーが増えている。アップロードした写真に、「これどこかから持ってきて勝手に使ってるんですか?」とコメントがされていた。
そういえば適当なアカウントから写真を盗用したことを思い出して舌打ちする。さすがにわかるやつはわかるか。まあいい。無視だ無視。
次に自分の虫撮影用のアカウントを開いてみる。相変わらずフォロワーはつかないし「いいね」もほとんどつかない。最初に撮ったテントウムシより、小手指で偶然撮影できたツマグロヒョウモンより、昼食後に接写したミミズを食べるオオヒラタシデムシの方がわずかにいいねが多かった。五いいねでほかの写真より一つほどいいねが多い。
「いや、なんでシデムシの方が蝶やテントウムシよりいいねが多いんだよ。ミミズ食ってんだぞ。テントウムシの方がかわいいだろ、クソが」
ひとしきり不満を漏らすと、けんじのアカウントも見てみる。やはり撮影技術が高い。いいねも多くついている。経験が違うのだろうが、それでも自分の写真と比べてしまう。
やはりカメラもレンズもいいものを使っているのだろう。隼人のカメラも悪いものではないし、同じカメラで素敵な写真を撮っている人たちはサイト内外にもたくさん見られる。
……が、写真のクオリティは技術で補えることを隼人はあまり理解していない。けんじとのカメラや写真を比べて、やはりいいカメラがあればいい写真が撮れるのだろうと考える。
しかしいいカメラは値段が高い。本体やレンズがそれぞれ数十万、カメラに取り付けられるオプションも様々だ。沼である。いいものをそろえたいとなるとそれだけで破産しそうだ。趣味の世界は、潜ろうと思えばいくらでも深く潜れる。
通販サイトでレンズの値段を見ていた隼人は、いったん画面から目を離した。
これ以上見るのは不毛だろう。金がない。
「けんじさんの愛も金で買えりゃいいんだけどな……」
無理だろう。自分が女子大生にならない限りは。なんだ? 女装でもして「ルカ」としてけんじの前に現れてみればいいのか? 秒でばれそうだ。
このまま友達で進んでいくのも、なんとなく嫌だ。悶々と考えていくうち、いっそ自分の思いを伝えてみようかと隼人は思い始めていた。クマバチの一件ではないが、それなりのリターンを得るには相応のリスクを覚悟しないといけない。
連絡しようかと再びスマホに目を移すと、けんじからショートメッセージが来た。
「ちょっとフラッシュ買いに行きたいんだけど、もし暇だったら一緒にいかないかい?」
二つ返事で了承した。あちらから誘ってきてくれるとは、ちょうどよかった。
「今日は空いてる? 日曜日だし行きやすいかなと思うんだけど」
今日。急だった。もちろん日曜どころか何曜日でも空いているが。
時間を相談して午後からに決め、隼人はさっそく支度を始める。
告白をしよう。どう転んでも、次会う時に自分の気持ちの整理をつけてみせる。
「うおおおお!」
気合を入れていると、
「何してんの?」
トイレから出て来た桃乃が部屋に入って来た。
一人で叫んでいた隼人を見て、桃乃が眉根を寄せた。
「隼人、ついに頭が……?」
「おかしくなってないわ。やめろ」
心配そうにしておでこに手を当てて熱を見る桃乃に隼人は言った。
「なんか最近家にいるね」
桃乃は嬉しそうに晩御飯の支度を始める。
「そうか? 昼は出かけてるけど」
「深夜に帰ってきたり朝帰りしたりしてないじゃん」
「まあ、そうだな」
隼人はあいまいにうなずいてから、首を傾げた。そんなに朝帰りしていただろうか。あまり自覚がない。
「……そうか、昼に別の女と会ってるんだ。一瞬でも隼人がまともになったと思った私が間違ってたよ」
ややあって桃乃がふくれっ面で結論付けた。隼人はすぐに否定する。
「会ってない」
「ふーん」
「会ってないから」
「今日は?」
「……午後から出かける」
「ふーん」
「男の友達と会うだけだから」
「ふーん」
不満げな桃乃をあやしてから、隼人は時間までベッドに行って寝たふりをした。
しかし日曜なので大学は休みである。桃乃も今日はパパ活はしないらしく、家にいるらしい。そんな中に隼人が一人で出かけるのは、桃乃にとってはやはり何かあるのではないかと勘繰ってしまうのも無理はなかった。
「ついてくるとか言わないよな?」
「言わないよ。大丈夫」
時間になると、隼人は支度をして家を出る。
「じゃあ、行って来る」
「いってらっしゃい」
いや、浮気と言われればそうだろう。桃乃にとってはそれが女だろうと男だろうと、浮気は浮気だ。やや後ろめたさを感じつつ、隼人は待ち合わせ場所へと向かった。
第4話
