【note連続投稿】もう何日連続かは覚えていない人が書いた記事
私は、noteの365日連続毎日更新を目指している。
目指している、と書くと、なんだか志の高い人間みたいである。
朝日を浴びながらコーヒーを飲み、手帳に今日の目標を書き込み、丁寧な暮らしの延長線上で「毎日、自分の言葉を残していきたい」などと言い出しそうな雰囲気がある。
だが、実際はまったく違う。
きっかけは、実に馬鹿馬鹿しい。
どれくらい馬鹿馬鹿しいかというと、もしデロリアンが手元にあったら、私は未来を変えるためではなく、過去の自分の肩をつかんで、
「お前、本当にそれで365日やるつもりなのか?」
と問いただしに行きたいくらいである。
さて、毎日投稿をしていると、自分の中で勝手に聞かれている気がする質問がある。
「そんなに毎日書いていて、ネタ切れしないんですか?」
これに関しては、答えははっきりしている。
逆である。
ネタがないのではない。
ネタがありすぎるのである。
画像を見てほしい。
上の方に、小さな文字がある。

これは私のnoteの下書きフォルダなのだが…。

61記事。
ろくじゅういち。
なんだこれは?
自分でも意味がわからない。
毎日投稿をしているのに、なぜ下書きが61本もあるのか。
普通、毎日書いていたら下書きは減っていくのではないか。
畑で毎日大根を抜いているのに、なぜか奥からさらに大根が増えてくるようなものである。
では、なぜそれだけネタがあるのに記事が溜まっていくのか。
答えは簡単である。
時間がない。
仕事が忙しすぎて、noteを書く時間が取れない。
いや、書いてはいる。書いてはいるのだが、「ちゃんと書く時間」が足りない。
これが悔しい。
「ああ、ここはもっと面白くできる」
「この説明、もう少しわかりやすくできる」
「この誤字、未来の自分が見つけて頭を抱える」
そう思いながら投稿ボタンを押す。
自分で作った料理を、まだ少し味が染みていないかもしれないと思いながら町内会に持っていくような気持ちである。
そんなわけで、今日はあらゆる締切の皺寄せが一斉に押し寄せてきた結果、急いでこの記事を書いている。
もはや、何のために毎日投稿をしているのかは、とっくに見失っている。
ただ、それでも良いことがないわけではない。
毎日、何かを記事にするというのは、どうやら日々の出来事を勝手に編集する訓練でもあるらしい。
仕事で上がってくる資料や、考えなければいけない案件を前にしたとき、以前よりも「ここは使える」「ここはまだ弱い」「ここを軸にすれば形になる」という判断が速くなった気がする。
頭の中の小さな編集部が、ずっと働いているのだ。
しかもこの編集部、たまに暴走する。
スーパーで買ったミョウガを見ても「これは一本書けるな」と言い出すし、旅先で道に迷っても「よし、失敗した。記事になる」と考えダメージを減らしている。
人として正しいのかはわからない。
だが、書き手としては少し強くなっている気がする。
それに、覚えておきたい日々の素敵なことを書ける場所がある、というのは本当にありがたい。
失敗しても、「まあ、noteに書けばいいや」と思えることがある。
そう考えると、毎日投稿というのは、単なる苦行ではないのかもしれない。
早く一年が過ぎてほしいような。
でも、過ぎてしまったら少し寂しいような。
そんな、よくわからない気持ちで、今日もまた投稿ボタンを押している。
そして下書きは、たぶん明日も減らない、のである。
記事:まるのすけ
いいなと思ったら応援しよう!
応援いただければ幸いに存じます。チップは有り難く頂戴し取材費にさせて頂きます。感謝。