白を知りて、黒を守る ― 老子とアンガーマネジメント、人生の午後の自己受容
こんにちは。
Framing|花子です。
めっきり寒くなってきましたね。
ヒートテックにニットを重ねて、
これから出勤です。
コートも、そろそろかな?

本日は、老子に学ぶ、
ゆらぎの自己受容についてお話しします。
本日も
よかったら、おつきあいくださいね☕
☯ 白を知りて、黒を守る
仕事や家庭で、
うまくいかない日ってありますよね。
言葉が強くなってしまったり、
できると思っていたのにできなかったり、
もっと準備していればできたのではないか…
と後悔したり。
正しくあろうとするほど、自分が苦しくなる。
そんな日は、
私はよく老子の言葉を思い出します。
「強さを知りながら、やさしさを守りなさい。
光を知りながら、闇を抱きしめなさい。
栄誉を知りながら、恥を受け入れなさい。」
老子は、対立する二つを切り離すのではなく、
両方を抱いてこそ
「道」に近づくのだと説きました。
光を知ってなお闇を抱ける人、
栄を知ってなお恥を受け入れられる人。
その人こそが、
ほんとうの意味でやわらかく、強い。
白ばかりを追うと息が詰まる。
黒を抱いて初めて、人はやさしくなれます。
理想と現実のギャップ、
その間で人は苦しみますよね。
そして、その中で生まれる感情は、怒りです。
💼 怒りという“経営資源”
アンガーマネジメントを学んでいたころ、
文字通り「怒りの経営」だと思いました。
怒りとは、
人生という会社のエネルギー源なのです。
それを自分が抱いたり、
あるいは誰かからぶつけられたりしたとき、
怒りのエネルギーを、
どこに流すかを選ぶ。
その選択が、人生を左右します。
たとえば、
相手に誠意をもって伝えるエネルギーに
変えるのか、
陰で愚痴を言って発散するのか、
「負けないぞ!」と自分を高める力に
昇華するのか。
走ってもいいし、絵を描いてもいい。
お風呂で泣いてもいい。
怒りは、動かせば循環する。
止めてしまうと、淀(よど)むのです。

人や自分にぶつける以外で利用できないか?
そんなふうに考えると
少し選択の余地がでてきます。
🎭 変装する怒り
「怒りは変装がうまい。」
本当は、悲しいとか、寂しいとか、
わかってほしかっただけなのに。
それがうまく言葉にならなくて、
“怒る”という形で出てしまう。
だから、怒ったあとに自分を責めるより、
「何に傷ついていたんだろう?」と
小さく自分に聞いてみること。
それもまた、経営のひとつかもしれません。
そして、怒りはもう一段、別の変装もします。
実際はイライラの原因は仕事のことなのに、
なぜか子どもに当たってしまう──。
怒りって、身近なものや人に
流れていきやすいという法則があると
習いました。
たしかにそんな気がします。

🌊 止めず、流す
老子はこうも言っています。
「上善は水の如し。水は万物を潤して争わず、
人の避ける低きところに身を置く。
それが“道”に近い生き方である。」
水はぶつからず、ただ流れる。
怒りも悲しみも、流れの中で形を変えていく。
抑えようとせず、ぶつからずに流していけば、
やがて清らかに戻っていきます。
だから、怒りを恥じなくていい。
それは心が自分を守るために出す信号です。
「もう無理」「ここまで」と教えてくれる、
やさしいアラームなのです。
怒りを感じないようにすること。
それは、誰にでもある自然な防衛反応だけれど、
ほんとうは少し危ういことでもある気がします。
見ないようにしても、感情は静かにそこにいて、
形を変えてあらわれることがある。
だから私は、
感じることをやめないでいたいと思うのです。
うまく流せない日があっても、
それもまた、生きているということだから。
🌗 黒を抱く午後に
正論で自分を締めつけてしまうとき、
正しさが人を傷つけることがあります。
そんなとき、
「逆もまた真なり」と思える瞬間、
人は少し自由になります。
「人が大事」もいいけれど、
「自分だって大事」。
その揺らぎを許せることが、
きっと、やさしさのはじまり。
そして、
人を大切にしたいと願う1日があってもいい。
そんな揺れ動く自分を許して
歩いていきたいですね。
こんなことを書くってことは、
私もきっと、黒を抱いている最中…。
でも、それを言葉にできた日は、
少しだけ光のほうへ動けた日かもしれませんね。
本日も、
「怒りと自己受容」というテーマを通して、
老子の思想に学んだ気づきを、
こうしてnoteに書き留めておきます。
🌿 本日の一句🌿
黒の中 やさしい白が 息をする
黒(弱さ)の中にも、
ちゃんと白(やさしさや強さ)は生きている。
今日も、やさしい白が見つかりますように。
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