📖読書の秋|幸福は、外へあらわれてこそ本物―三木清の言葉から考えるnoteライフ3か月
こんにちは。
Framing|花子です。
本日も読みに来てくださり、
ありがとうございます。
読書の秋ということで、
読書で出会った偉人の言葉を
花子翻訳でお届けします。
そして、
最後にあなたへの感謝を添えて。
「機嫌がいいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福は常に外側に現れる。
謳わぬ詩人というものは真の詩人でないごとく、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないだろう。
幸福は表現的なものである。鳥の歌うがごとくおのずから外に現れて、他の人を幸福にするものが真の幸福である。」
三木先生は、
「本当の幸福って、
外に出てきてこそ本物なんだよ」
と言います。
しかもそれは、
がんばって“見せよう”とするものじゃなくて、
鳥が歌うみたいに
自然とにじみ出てくるものなんだそうです。
たしかに、
「あ、この人幸せそうだな」って思うときって…
別にその人が「私、幸せです!」って
言ってる時ばかりじゃないですよね。
声がふわっとやさしかったり、
表情があたたかかったり、
動作がどこかていねいだったり。
そういう“ふるまい”から、
じんわりと伝わってくるものです。
つまり、
幸福って
胸の奥に大事にしまっておくものじゃなくて、
世界にしみ出していくもの。
そして、それが誰かの心を
ほんの少しでもあたためたとき、
はじめて“本物”になるのかもしれません。
「内面さえ幸せならそれでいい」と
思う考え方もあるけれど、
それは“詩を書かない詩人”
みたいなもの。
詩は声になって、
人に届いてこそ“詩”になる。
幸福も、外にあらわれてこそ
“生きた幸福”になる
私はこの言葉から、
そんなメッセージを受け取りました。
「ありがとう」と口にしてみることや、
いつもより少しだけ丁寧にしてみること。
そんな小さな行動の中にも、
幸福の種がひそんでいるのかもしれません。
そして、この記事を書いている今、
ふと思います。
私は、幸せなのかしら?
noteを書いているとき
カタカタとキーボードを打ちながら、
心の中は静かです。
🌿 そしてここで、ちょっとしたご報告。
このnoteは、
9月27日で満3か月を迎えました。

データ載せます。
でも、3か月の区切りで
データ提供はこれが最後にします。
ここまで続けてこられたのは、
決して私ひとりの力じゃありません。
「好きで書いてる」と言っても、
もし何の反応もなかったら、
きっと途中で心が折れていたと思うんです。
いつも読みに来てくださるみなさんの存在が、
静かに背中を押してくれました。
「表現することが幸せ」
「何か伝えたいことがある」
「noteで叶えたいことがある」
そんな人たちの表現に囲まれていたから
私は今日まで続けてこられたのだと思います。
三木先生の言葉を借りるなら、
私はこの3か月、
みなさんからあふれ出た幸せを、
おすそ分けしていただいていたようにも思えます。
迷走した時期もありましたが、
書く時間そのものがうれしくて、
いただいた言葉が力になって、
心があたたかくなる瞬間がたくさんありました。
本当にありがとうございます。
そして、
これからもどうぞよろしくお願いします。
🌸 本日の一句 🌸
しあわせは
わたしをめぐり
きみに咲く
三木清の「人生論ノート」感想文は
こちらにも👇
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