ガディール・フンムの出来事について考えましょう
この記事の目的は、ムスリム同士の溝を深めることではなく、相互理解を深めることにあります。
ガディール・フンムの出来事に関する知識や議論が、少しでも多くの日本のムスリムの方々、またイスラームに関心を持つ方々に届くことを願い、この記事を執筆しました。
預言者様がガディール・フンムにておっしゃった言葉
アラビア語原文:
مَنْ كُنْتُ مَوْلَاهُ فَهَذَا عَلِيٌّ مَوْلَاهُ
اللَّهُمَّ وَالِ مَنْ وَالاهُ وَعَادِ مَنْ عَادَاهُ
وَانْصُرْ مَنْ نَصَرَهُ وَاخْذُلْ مَنْ خَذَلَهُ
日本語訳:
「私がその者の主人(主導者・守護者)であるならば、アリーもその者の主人である。
神よ、彼(アリー)を愛する者を愛し、彼に敵対する者に敵対してください。」
ペルシャ語訳:
هر که من مولا و فرمانروای اویم، علی مولای او است. خدایا دوست بدار آن کس که او را دوست دارد، و دشمن دار آن کس که او را دشمن دارد.
(預言者様がガディール・フンムで語られた説教の一部)
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解釈の相違と本記事の視点
ガディール・フンムの出来事は、シーア派・スンニ派の双方の文献に記録されており、多くのムスリムがこの出来事の存在自体を信じています。しかし、「マウラー(مولا)」という語の解釈に違いがあります。
シーア派の解釈:
マウラーを「リーダー」「主人」「主導者」「守護者」と解釈します。
スンニ派の解釈:
マウラーを「信頼できる友」と捉える傾向があります。
では、どちらの解釈が正しいのでしょうか?
それを知るには、他のハディースや史実をたどる必要がありますが、本記事では別の視点からガディール・フンムの意味を考えてみたいと思います。
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「信頼できる友」としての解釈でも…
仮にスンニ派の主張通り、マウラーを「信頼できる友」と解釈しましょう。
クルアーンには次のようにあります。
إِنْ هُوَ إِلَّا وَحْيٌ يُوحَى
(スーラ・アン=ナジュム 53:4)
「彼(預言者)の言葉は、啓示されたものでしかない。」
つまり、預言者様の言葉は私欲や感情ではなく、アッラーから啓示された言葉であるということです。
したがって、
預言者様の言葉 = アッラーの言葉
という理論に基づけば、アリーを「信頼できる友」と見なすことは、アッラーが我々ムスリムたちに求めておられることになります。
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歴史を振り返ると…
ガディール・フンムの場に立ち会ったサハーバ(教友)たちは、預言者様の言葉に従い、アリー様を「信頼できる友」として尊重するべきでした。
しかし、歴史を振り返ると、多くのサハーバやアンサールが預言者様の死後、カリフの地位をめぐってイマーム・アリー様に敵対したことが明らかになります。
例えば、7−8世紀のスンニ派学者ハミド・ビン・ムフリドのキターブルアムワールによれば:

初代カリフ・アブー・バクルは臨終の際、アリー様とファーティマ様の家を襲撃したことを後悔していたと記されています。
これは、スンニ派において預言者様に最も近しい存在とされるアブー・バクルが、預言者様亡き後、権力のために預言者様の言葉(すなわちアッラーの言葉)を無視し、イマーム・アリー様の権利を奪って敵対したということを示しています。
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読者の皆様へ
すべてのムスリムの皆様に、少しだけでも考えてみていただきたいのです。
仮に「マウラー」という言葉を「信頼できる友」と解釈するならば、
本当に我々はイマーム・アリー様を信頼できる友として見ているでしょうか?
現代はインターネットを通じて、歴史的文献やハディースを容易に調べることができます。
だからこそ、今こそ真実のスンナ(預言者様とアフルルバイトの道)を、共に探し求めていきましょう。
وَمَنَّ اللهُ تَوفِيقٌ
(成功はアッラーのみによる)
ムハンマド イマーミー
