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SNSは個人のメディアではない――朝倉での経験から、いま「対話」を問い直す

朝倉市での市民活動を通じて、SNSと向き合う時間が増えました。
行政への要望、事実の共有、誤解の修正。
現場では、できるだけ冷静に、丁寧に言葉を選んで発信してきたつもりです。

しかし、その中で強く感じる違和感がありました。
事実を淡々と伝えた投稿ほど誤解され、
感情の強い言葉ほど一気に拡散されていく。

なぜ、こうなるのだろうか。
個人の姿勢や性格の問題ではなく、
SNSという場そのものに原因があるのではないか。
そう考えるようになりました。


SNSは本来、コミュニケーションツールです

SNSは、もともとコミュニケーションツールです。
自分一人で完結するものではなく、
相手がいて、初めて成立する場所です。

それにもかかわらず、いつの間にか
「自分の意見を発信するメディア」
「自分の正しさを示す場」
として使われることが増えているように感じます。

その結果として、
冷静な言葉ほど誤解され、
強い言葉ほど拡散される

そんな状況が生まれているのではないでしょうか。


SNSには「編集」という工程がありません

新聞やテレビなどのマスメディアには、編集という工程があります。
事実確認を行い、表現を整え、文脈を補足する。
言葉は一度、他者の目を通ってから世に出ます。

一方でSNSには、その工程がありません。
考えの途中、感情が揺れた瞬間の言葉が、
ほぼそのまま公開されます。

本来SNSは、
「完成された意見を発表する場所」ではなく、
「考えながら話す場所」だったはずです。

しかし今は、未完成の言葉が完成品のように扱われ、
過剰な意味や意図を背負わされてしまう場面が増えています。


なぜSNSを「自分のメディア」と勘違いしてしまうのか

理由は、決して難しいものではありません。

  • フォロワー数が影響力のように見える

  • いいねやリポストが評価に感じられる

  • 拡散されることが正しさの証明に見える

こうした仕組みが重なり、
「誰かと話す」よりも
「多くの人に見せる」ことが目的になってしまう。

会話ではなく放送。
対話ではなく演説。

その瞬間、言葉は
通じ合うためのものではなく、
勝つためのものに変わってしまいます。


冷静な言葉ほど誤解される理由

冷静な言葉には、余白があります。
断定せず、相手に考える余地を残します。

しかしSNSでは、その余白が
「曖昧」「どっちつかず」「逃げている」
と受け取られがちです。

朝倉の問題でも、
事実と現状を分けて説明しようとすると、
「立場をはっきりさせるべきだ」
と言われることがありました。

本当は誠実な姿勢であるはずなのに、
強く言い切らないというだけで、
疑われてしまう。

冷静な言葉ほど、
読み手の思考を必要とするため、
SNSという場では伝わりにくいのだと思います。


強い言葉ほど拡散される構造

強い言葉は、分かりやすいです。
怒り、断定、敵味方の構図。

考えなくても、
すぐに理解した気になれる言葉は、
共有もしやすい。

SNSのアルゴリズムもまた、
説明より感情を、
対話より対立を拾いやすい。

その結果、
強い言葉ほど拡散され、
静かな言葉ほど埋もれていく。

これは誰かが悪いという話ではなく、
SNSという場の構造の問題だと思います。


SNSの仕組みを理解するということ

例えば、グループ内であっても、
同じ人たちが同じ内容の投稿を何度も回し続けると、
SNS上ではスパムと判断されることがあります。

その結果、
本来届けたい人に届かなくなったり、
お互いの投稿が表示されにくくなったりすることも起きます。

だからこそ、
身内だけで回す前提ではなく、
より広く関心や共感を持ってもらえる内容として、どう伝えるか
を考える必要があります。

そうでなければ、
善意で応援しているつもりが、
知らず知らずのうちに
お互いの足を引っ張り合う形になりかねません。

市民活動を始めた当初、応援してくれる人たち同士で同じ投稿を回し続けてしまい、結果的に本来届けたかった層に届かなくなったことがありました。

これは誰かを指摘したいわけではありません。
SNSを使う以上、
ルールや仕組み、システムを理解しておく必要がある
という、ごく当たり前の話だと思っています。


それでも、SNSは対話の場であってほしい

SNSは、あくまでコミュニケーションツールです。
ただの個人のメディアではありません。

だから私は、発信するときに、
いつも自分に問いかけるようにしています。

これは、
資料として読んでもらいたい内容なのか。
それとも、
自分の経験として共感してもらいたい話なのか。

今、この投稿を見てくれている人は、
どんな情報や言葉を求めているのか。

SNSでの発信は、
その答えを探し続ける一つの旅なのだと思っています。


市民活動と政治参加につなげて考える

朝倉で市民活動に関わる中で、
私ははっきりと感じるようになりました。

市民活動や政治参加は、
声の大きさを競う場ではありません。
正しさを押し付け合う場でもありません。

本来は、
「違う立場の人と、どう話すか」
「意見が分かれたときに、どう折り合いをつけるか」
を学び、実践する場のはずです。

その意味で、SNSは
市民活動や政治参加の入り口として、
とても重要な役割を持っています。


おわりに

冷静な言葉が届きにくい時代だからこそ、
あえて冷静でいようとする人が必要なのだと思います。

拡散されなくても構いません。
誤解されることがあってもいい。

それでも、
誰かとちゃんと話すための言葉を、
手放さずにいたい。

市民活動も、政治参加も、
結局は人と人との対話の積み重ねです。

こんな時代だからこそ、
私たちはもう一度、
SNSとは何なのか、
言葉とは何のためにあるのか

問い直す時期に来ているのではないでしょうか。

※ここに書いている内容は、正解を示すものではなく、あくまで私自身の経験と考えです。
読んで感じたことがあれば、それぞれの立場で受け取ってもらえたらと思います。



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