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《葬送のフリーレン》アニメ2期予習 第71話「討伐依頼」


神技のレヴォルテ編について

第8巻71話からいわゆる《神技のレヴォルテ編》が始まります。

この中編ではゲナウとメトーデが再登場します。一級魔法使い試験編では良いイメージの無かったゲナウですが、ここで一気に好感度が上がります。

また、久しぶりにシュタルクの大立ち回りも見られます。マンガでは本当に久しぶりです。(アニメでは「剣の魔族」で活躍が見られるようですね)

戦闘シーンはかなり丁寧です。

シュタルクの戦闘シーンは、以前の対リーニエ戦を思い出させる内容になっています。

フェルンの戦闘シーンは黄金郷編の戦闘シーンを先取りする要素があります。フェルンの必殺技(?)である「魔力探知範囲外からの超遠距離射撃」のお披露目が行われるのですが、そこ至る経過まで同じなのです。(仲間が敵の魔法を解析・解除 → 一瞬の隙をついてフェルンがゾルトラーク)

細かい所では「報い」(第73話)というワードも黄金郷編の先取りです。

また、魔力とは?魔力探知とは?を理解する手掛かりになる記述がいくつか見られるのでストーリーを抜きにして情報を読み取って考察するのも楽しいと思います。

では、第71話「討伐依頼」を見ていきます。

ゲナウ

「まだ幼い息子がいるんです」と命乞いをする魔族に対してこれです。

フリーレンと同じですね(第11巻100話)

ソリテールに言わせれば、ゲナウは「化け物」です。「人の形をして、人の言葉を話す存在が許しを請うているのに、その言葉に耳を傾けること無く殺し続けてきた」のですから。ゲナウの精神は「人類のものとはかけ離れて」います。

いきなり《神技のレヴォルテ編》のラストバトルに飛びますが…

そして、ゲナウの心が「化け物」であることをやめて人に戻ったときに、最大のピンチが訪れます。(第74話)

ですから、人が人としての精神を保ったまま魔族と戦い続けることはできません。魔族と戦うのなら、人は自ら魔族と同じ「化け物」にならざるを得ないのです。

ここには「魔族は人食いの化け物だから、人は魔族と戦わなければならない。けれども、人が魔族と戦うなら、人は魔族と同じ化け物にならざるを得ない」という構造(からくり)が示されています。

ここで示されている人と魔族の対立構造からいかにして抜け出す(止揚する)のかが、《葬送のフリーレン》の大テーマの一つだと私は考えています。(フランメは魔王を殺すのは「平和な時代の魔法使い」だと言っていますね)

ゲナウはゼーリエから「そのままでいろ(優しい魔法使いは長生きできないから嫌な奴のままでいろ)」と言われていますが…(第74話)

メトーデに対して「私のようにはなるな」と言っているのです。(第72話)

普通であれば「死にたくなければ私のように嫌な奴になれ」と言うところでしょう。

戦い続けることによって自分が化け物になっていく(人間性を失っていく)ことにゲナウは気付いているのではないでしょうか。

ゲナウは「まるで悲しくないんだ。故郷が滅びたのに何も感じない」と言っています。(第73話)

そのことをゲナウは「人だって殺してきたし、大勢見捨ててきた」ことの「報い」なのかもしれないと考えています。

ここはフランメの「私達だけでいい」を思い出します。(第3巻21話)

ゲナウは戦い続けることの弊害を認識して、明確に表明している数少ない人物の一人だと思います。

ゲナウの理解では一級魔法使いとは「戦いの道」を選んだ魔法使いです。

どうしたら一級魔法使いとして魔族と戦い続けながら優しい魔法使い(いい奴)でいることができるのか、ゲナウはわからないのです。(というか、誰も知らないでしょう。その答えを見つけるのが《葬送のフリーレン》のテーマでしょうから)

メトーデ

これは私の印象なのですが、メトーデは一級魔法使い試験編の時と比べて、かなり美人に描かれている気がします。どうでしょう?私の気のせいでしょうか?(もともと美人として描かれてはいましたが)

黒を基調とした一級魔法使いの制服(?)が似合っている?それだけではない気がするんですよね。

顔の描写を比べてみるのですが、明確に「ここが違う」という指摘ができません。

メトーデとフリーレン、フェルンを比べると唇が省略されずに描写される場面が多い印象はあります。

ゲナウとメトーデはかなり重要なキャラクターで、再登場は確実でしょう。別れ方でわかります。(第76話)

人と魔族の境界

第7巻64話「剣の魔族」でもあった、魔族はなぜ人を殺すのか、なぜ人を食べるのか、の問題提起です。

ちょっとした考察をこちらに書いています。

先程のゲナウに関する考察で触れた「人と魔族の対立構造」の話と合わせて考えてみると明白ですが、《葬送のフリーレン》では、「魔族とは?」を問うことで「人とは?」を問いかけています。「魔族とは?」を考えることは、つまり魔族と人の境界線について考えることで、それは「人とは?」を考えることと同じだからです。

私は人を殺して食べたいとは思いませんし、思えません。本当に人しか食べるものがなくなった極限状態でなら人を殺して食べたいと思うのかもしれませんが、他に食べ物があるなら人を殺して食べたいとは思いません。ということはおそらく、人は人と同じ姿をして同じ言葉を使う存在を殺して食べたいとは思わないのです。

人と同じ姿をして同じ言葉を使うにも関わらず人を殺して食べる魔族の存在は「人とは」という人概念を壊しにきているんですね。

とりとめがありませんが、そこが鍵になっている気がしています。

戦士の強さの相場観

ノルム騎士団の駐留部隊の隊長です。「長年、村を守り続けてきた英傑」で、「シュタルクより遥かに強い」そうです。

読者の感覚としてはシュタルクも相当な実力の持ち主だと思うのですが、戦士に関してはこのあたりの相場観が良くわかりません。

まあ、魔法使いの方も帝国編に入ると一級魔法使いと肩を並べる魔法使いがたくさん登場するのですが…。