記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

《葬送のフリーレン》魔王は生きている(第6巻57話)2026.1

原作のネタバレがあります。

はじめに

「魔王は生きている」(倒されていない)と私は考えています。

この仮説を裏付ける根拠はたくさんあり、全てを一つの記事で説明することはできません。そのあたりの事情はこちらの記事に書きました。

今回は、最も直接的にこの仮説を説明できるであろう一級魔法使い試験でのゼーリエによるフリーレンの面接の場面(第6巻57話)を読んでいこうと思います。

ゼーリエの挑発

ゼーリエは「お前のような魔法使いが魔王を倒したとは到底信じられん」とフリーレンを「挑発」しています。(第6巻57話)

なんのためにそんなことをするのでしょう?

フリーレンとコミュニケーションを取りたいからです。

ゼーリエは「わがまま」で「不器用」で「素直に気持ちを伝えられない」「子供みたいな人」ですから、フリーレンの感情を刺激して反応を引き出したいのでしょう。まずはそう考えます。(第6巻57話、第7巻60話)

しかし、ゼーリエは意地悪な人ではありません。弟子達を愛しています。孫弟子に当たるフリーレンのことはとりわけ深く愛しています。(第7巻60話、第6巻53話)

そのゼーリエがなぜ、フリーレンに対してこのような意地の悪い「挑発」をするのでしょうか?

ゼーリエには何か目的があるはずです。

魔王戦に関する二人の認識・説明

ゼーリエの認識…(1)

ゼーリエはフリーレンの魔力制限を魔王が「たった一目で見破った」ことを知っていました。(第6巻57話)

ということは、ゼーリエは魔王戦の過程と結果を知っています。

フリーレンの認識…(2)

当たり前ですがフリーレンも魔王戦の過程と結果を知っています。

魔王を倒した勇者一行の魔法使いなのですから。

フリーレンの説明…(3)

フリーレンは各所で魔王戦の過程と結果を説明しています。その内容は「皆の力で(過程)」・「倒した(結果)」というものです。一般に知られているヒンメル英雄譚と同じです。

フリーレンは嘘をついていない(知っていることを正直に話している)ものと考えます。

奇妙なこと

素直に考えて、この(1)〜(3)のそれぞれに特におかしなところはないと思います。

しかし、この(1)〜(3)を前提にすると、ゼーリエがフリーレンを「お前のような魔法使いが魔王を倒したとは到底信じられん」と「挑発」する目的がわかりません。

ゼーリエとフリーレンは同じものを見て同じことを知っていて、フリーレンは知っていることをそのまま正直に話していることになるからです。(ゼーリエがどうやって魔王戦の知識を得たのかは謎ですがそれはさておき)

これではゼーリエの「挑発」行為はただの意地悪というか、意味のわからない嫌がらせ行為になってしまいます。

にもかかわらずゼーリエは「挑発」しています。

食い違い

ということは…

魔王戦に関するゼーリエの認識(1)とフリーレンの認識(2)または説明(3)には食い違いがあることになります。

そうすると、現実的な可能性としては二つあります。

  • フリーレンの認識とゼーリエの認識は異なっており、その結果として、フリーレンの説明とゼーリエの認識も異なっている(フリーレンに嘘をついているつもりはない)

  • フリーレンの認識とゼーリエの認識は同じだが、フリーレンの説明とゼーリエの認識は異なっている(フリーレンは嘘をついている)

ですから、いずれにせよ、ゼーリエの認識とフリーレンの説明(ヒンメル英雄譚)には食い違いがあることになります

ゼーリエの認識

では、魔王戦に関するゼーリエの認識はどうなっているのでしょう?

フリーレンの説明(皆の力で・倒した)と食い違いがあるのですから、組み合わせを考えれば二つしかありせん。「一人で・倒した」または「倒せなかった」です。

ということは、ゼーリエの認識は「倒せなかった」です。

「一人で・倒した」という可能性はゼロではありませんが、パーティーの絆や信頼関係をテーマにしている物語においてラスボスを一人の力で倒してしまうことは考え難いからです。

ゼーリエの目的と手段

では、ゼーリエがフリーレンを「挑発」する目的はなんでしょうか?

ゼーリエは既に魔王戦のことは十分に知っています。

ですから、ゼーリエの目的は魔王戦に関するフリーレンの認識を知ることです。

では、魔王戦の過程と結果のどちらを知りたいのかといえば、それは当然、結果でしょう。魔王戦の過程(皆の力か一人の力か)よりも魔王戦の結果(倒したか倒せなかったか)の方がゼーリエにとっては重要です。

ですから、ゼーリエの目的は「魔王戦の結果」に関するフリーレンの認識を知ることです。

ゼーリエの手段は単純な「挑発」というよりは計算高い「誘導」です。「鎌をかけている」わけです。

ゼーリエは魔王戦に言及することでフリーレンの反応を見て、フリーレンの認識を探っています。

フリーレンの認識

最後に、フリーレンの認識について考えます。ゼーリエが知りたいのもこれです。

可能性は二つで、「皆の力で・倒した」または「倒せなかった」です。(前述のとおり「一人の力で・倒した」は考え難いためです)

ちなみに、フリーレンの認識が「皆の力で・倒した」であれば、魔王戦に関するフリーレンとゼーリエの認識はなぜか異なっていることになります(どちらかが誤解している)。「倒せなかった」であればフリーレンは魔王戦について嘘をついていることになります。

ゼーリエの誘導のテクニック

検討のために、ゼーリエの挑発・誘導に対するフリーレンの反応を見てみます。

ゼーリエはフリーレンに対して「お前のような魔法使いが魔王を倒したとは到底信じられん」と言いました。

この台詞は二つの解釈ができるようになっていて、そこがゼーリエの「誘導」のテクニックです。

一つは、「フリーレンの実力に対する疑問」で、もう一つは「魔王戦の結果に対する疑問」です。

ゼーリエの台詞を「お前のような魔法使い」に重心を置いて解釈するならこれは「フリーレンの実力に対する疑問」という挑発で、「一人の力か皆の力か」が問題になります。

「魔王を倒したとは」に重心を置いて解釈するなら「魔王戦の結果に対する疑問」という挑発で、「倒したか倒せなかったか」が問題になります。

ゼーリエの台詞は「仲間に助けてもらったんだろう」とも「本当に魔王を倒したのか疑わしい」とも解釈できるわけです。

そしてゼーリエはフリーレンがどちらの解釈をするのかに着目しています。それによって、フリーレンの認識が分かるからです。

フリーレンの反応

では見てみましょう。

このゼーリエの挑発・誘導に対して、フリーレンは「私一人の力じゃない」「一人でも欠けていたら倒せなかった」と答えた上で、フランメが導いてくれた仲間たちとの運命的出会いの不思議を説明しました。

つまり、フリーレンは魔王戦の結果(倒したか倒せなかったか)ではなく、魔王戦の過程(一人の力か皆の力か)を答えました。

フリーレンはゼーリエの台詞を「フリーレンの実力に対する疑問」であり「仲間に助けてもらったんだろう」という挑発だと解釈して、そもそも誰か「一人の力」ではなく「皆の力で」倒したのだと反論したくなったからです。

逆に、「魔王戦の結果」については、「ゼーリエと共有している明白な事実であって説明するまでもないことだ」とフリーレンは考えています。ゼーリエが「倒せなかった」と考えているとは思いもよらないわけです。

ですから、フリーレンの認識は「皆の力で・倒した」です。

もし、フリーレンの認識が「倒せなかった」であれば、フリーレンはゼーリエの台詞を「魔王戦の結果に対する疑問」だと解釈して、「倒した」と反論するか、嘘が見抜かれたのを悟ってゼーリエに真実を告白するはずでしょう。

ということで、表を埋めるとこうなります。

フリーレンは噓はついていません。ですが、フリーレンの認識とゼーリエの認識は食い違っています。

つまり、ゼーリエの認識とフリーレンの認識(とヒンメル英雄譚)のどちらかが誤っています。

ゼーリエの行動(まとめ)

これでゼーリエの不可解な態度が理解できました。

  • ゼーリエは「魔王は生きている(倒されていない)」と考えている。

  • そして「フリーレンは魔王が生きていることを知っているのか」を確かめたい。

  • ただし、「魔王が生きている」ことは重大な秘密であるため、フリーレンが知らなかった場合に、そのことを気取られたくない。

  • そこで魔王戦に言及して反応を見た。

  • フリーレンは「魔王戦の結果に対する疑問」は気にしておらず、「実力に対する疑問」に反論してくる。

  • ということは、フリーレンは「魔王は死んだ(倒した)」と考えていると推測できる

ゼーリエは、魔王戦の結果をフリーレンに伏せたまま、フリーレンが魔王戦の結果を知っているかどうか探りを入れたのです。

仮説「魔王は生きている」

ここまでの考察によりゼーリエは「魔王は生きている(倒されていない)」と考えていることがわかりました。

もちろん、このゼーリエの考えが正しいかどうかはわかりません。

しかし、ゼーリエは全知全能の女神様に最も近い存在です。

正しい可能性は十分あります。(そもそもメタな話をすればゼーリエが間違えるとすれば相当例外的な場面です)

ですから、「魔王は生きている(倒されていない)」という仮説は、荒唐無稽なものでは全くなく、かなりもっともらしいものなのです。

この仮説をもとに『フリーレン』を読み直す価値はあります。

ゼーリエとフリーレン、正しいのはどちら?

この仮説をもとに『フリーレン』を何度も再読している私の心証では、正しいのはゼーリエです。

なぜなら、「魔王は死んだ(倒された)」とすると不可解な描写が多数あり、「魔王は生きている(倒されていない)」と仮定すると辻褄が合って疑問が解消されるからです。

おそらく多くの方が最初に持つであろう疑問に簡単に触れておきます。

ゼーリエの認識が正しく「魔王は生きている」のであれば、なぜフリーレンは「魔王を倒した」と考えているのか?

フリーレンは魔王戦の前後でタイムリープするため、キーノ峠でのタイムリープと同じように魔王戦時の記憶が抜け落ちています。(第11巻107話)

フリーレンは魔王戦を直接経験して知っているわけではありません。ヒンメルから「魔王は倒した」と説明されてそう認識しています。詳細は別記事で考察しています。

おわりに

記事タイトルや本文中で魔王は「生きている」と書いていますが、魔王が実際にどのような状態で存在しているのかはわかりません。クヴァールのように封印されているのかもしれませんし、もしかすると時空の彼方に飛ばされているのかもしれません。そこは手掛かりがないのでまったくわかりません。(少なくともソリテールがアクセスできないような状態ではあるのでしょう。ゼーリエと魔王の関係も気になり、妄想は自由なのですが具体的な手掛かりがありません)

けれども、「ヒンメル英雄譚で言われているような意味でヒンメル達が魔王を倒したというのは誤りだろう」というのがこの考察の結論です。

わかりにくいところや間違っていそうなところがあったら教えてください。

《葬送のフリーレン》に関することでしたら、感想・質問・疑問などコメントを頂けると嬉しいです。おもしろかった記事には「スキ」していただけると励みになります。

《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。

200本以上の記事がありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。

これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒ、ゼーリエ、大魔法使い、などで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。