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三人目の勇者(ヴィアベル)

ヒンメルとシュタルクについて、こちらの記事で、ヒンメルは「勇者になろうとする勇者」、シュタルクは「勇者になっていた勇者」だということを書きました。

ここでは三人目の勇者・ヴィアベルについて簡単に触れておきます。

ヴィアベルは「勇者ヒンメル」をロールモデルとしています。

しかし、同時に、ヴィアベルは自分が「勇者になれない」ことをわかっています。

なぜなら、一次試験でユーベルに対して自ら語っているとおり、人間として許されない行為をしてきた(これからもする)人間だからです。

作者の物語りにより、読者はヴィアベルの良い面に注目するよう誘導されています。

けれども、冷静に考えてみれば、ヴィアベルは、「ある人にとってはヒーロー(勇者、英雄)」でも、「別の人にとっては殺人鬼」である、というように、見る人によって評価が全く異なるタイプの人物です。(ヴィアベルに子供を殺された親がたくさんいるはずです。)

だから、ヴィアベルは、どんなに「勇者ならこうする」という行為をしたとしても、勇者にはなれません。

言わば、ヴィアベルは「勇者になれない勇者」です。

子供の頃のヴィアベルは「勇者ヒンメル」に憧れる多くの子供達のうちの一人でした。

しかし、ヴィアベルには、無邪気に「勇者ヒンメル」になれるような現実はありませんでした。「地獄」が日常だったのです。

それでも、ヴィアベルは「人間であること」を諦めていません。

「両手は血で染まっているのに、まだ人間でありたいと思っている」というユーベルの指摘はヴィアベルの本質を突いた重要なものです。(ここでユーベルはヴィアベルに共感しています。)

この悲哀がヴィアベルをより魅力的な人物にしています。

※ユーベルのヴィアベルへの共感に関してはこちらの記事で扱っています。