《葬送のフリーレン》「愛」を探して(黄金郷編の問い)
原作(黄金郷編)の内容に触れています。ネタバレを避けたい方はご注意ください。
愛とは知ろうとすること
フリーレンは他人のことがわかりません。(第1巻1話、4話、第6巻56話、第7巻66話)




だから、「もっと人間を知ろう」と旅に出ます。

そんなふうにフリーレンが「知ろうとしてくれたこと」が、「堪らなく嬉しい」とフェルンは言います。

そんなフリーレンを見ているシュタルクは「わかろうとするのが大事」「フリーレンは頑張っている」「フリーレンはたぶんちゃんと親をやれてるよ」と言います。


ここから読み取れるのは、相手に関心を持って、相手のことを知ろうとすることが「愛」なのだという理解です。「愛」と言うと気恥ずかしいし難しいので言い換えれば、「よいこと」とされています。
そう言われてみれば、そのとおりだと思います。
黄金郷編の更問い
しかし、黄金郷編に入ると、作者は「本当にそうですか?」と読者に問いかけます。(第9巻87話)


「愛とはなにか?」という問いに一度は出した答え「相手を知ろうとすること」をひっくり返して、また問い直してくるわけです。
読者はマハトとグリュック(友情)、マハトとデンケン(師弟愛)の関係を読みながら、「愛とはなにか?」を探究して行くことになります。
マハトが探しているのは「悪意」や「罪悪感」なのですが、そのことに関しては後述します。
マハトが掴んだ手掛かり
黄金郷編での「愛とはなにか?」の問いに対する答えは、「メルクーアプリン」(第4話)のエピソードほどわかりやすい形では示されていません。
私も現時点での答えらしきものは持っていますが、それに自信があるわけではありません。(コメント歓迎です)
マハトがこの問いの答えに近づいた(と私が考えている)場面を二つご紹介します。
第9巻87話「好意」
一つはマハトの記憶の最初の場面、100年前にマハトがある村を滅ぼした際の「村の神父」とのやり取りの場面です。マハトが人類に興味を持ったきっかけです。(第9巻87話)

神父は「"悪意"だの"罪悪感"だのそんな言葉をまくし立てた」のですが、神父の言葉はマハトにはまったく響きません。他の人類の言葉と同じです
けれども、この神父は「何かが違った」のです。マハトにとって神父の言葉は他の人類の言葉と同じように空虚だったのですが、しかし、この神父だけは他の人類とは「何か」が違うことをマハトは感じ取ります。

その「何か」が手掛かりだと私は思います。

この神父は名前さえないキャラクターなのですが、表情は大きく丁寧に複数回 描かれています。ですから、この時この神父の内面にあったものこそが手掛かりだと思います。
第10巻92話「ヴァイゼの終焉」
もう一つは、マハトがグリュックもろともヴァイゼを黄金化した場面です。
マハトはヴァイゼを黄金化しましたが「結局何の感情も」湧きませんでした。(第10巻93話)

けれども、「確かにあのとき何かが掴めそうな気がした」と言っています。

つまり、「あのとき」マハトは答えに近づいていたことになります。
「あのとき」とは、ピンポイントで指摘すると第10巻92話「ヴァイゼの終焉」でグリュックの「本当の最後の一服」のためにマハトが火を差し出したこの瞬間だと思います。

私なりの答え
答えは二つあると思います。
第9巻87話「好意」から

「その神父は今までに殺してきた人類とは何かが違った」というのですから、マハトが「今までに殺してきた人類」を見てみます。


この人たちはマハトを「化け物」として見ていますね。
では、もう一度、神父を見てみます。
神父は、マハトに何かが欠けていることに気付いて「なんということだ」と驚き、「可哀相に」と憐れみを感じています。

神父が驚いたり憐れんだりした理由は「本来ならあるはずだ」と考えているからです。なくて当然のものがないのであれば、驚きませんし可哀相でもありません。あって当たり前のものがない(欠落している)ことに気付いたから驚き、憐れむのです。
つまり、神父はマハトを「化け物」ではなく「人」として見ています。
他の人達とはこの点が異なります。
第10巻92話「ヴァイゼの終焉」から
マハトとの関係が終わりを迎えたことを知ったグリュックは「いつかこんなときが来ると思っていた」と言います。それを聞いたマハトは「なぜグリュックが自分の行動を予見できたのか」不思議に思います。

マハトが「意外そうな顔」をしているのを見て、グリュックは「わかるさ」と言います。

マハトにとっては意外でも、グリュックにとっては当たり前のもの。それが答えでしょう。
グリュックは「もう30年も君を見てきたんだ(だからわかって当たり前だろう)」と言っています。
ですから、答えは「時間の積み重ね(歴史)」です。
マハトはグリュックと過ごした時間が「掛けがえのないものだ」と感じながらも…

その積み重ねた「全てをぶち壊」してしまうことができます。

マハトには積み重ねた時間の価値がわかりません。(第10巻88話、89話)


マハトにとって時間は湯水のように使うことのできる、ほとんど無限の資源だからです。
まとめ
まとめると、「人として扱うこと」と「時間の積み重ね(歴史)」が「愛」の要素です。(私見)
マハトが探していた感情は?
マハトが探していた感情は、本当に「悪意」や「罪悪感」なのでしょうか?
確かに、マハトは探していたもののことをそう呼んでいます。(第9巻87話、第10巻88話、90話)



しかし、それは、マハトが探しているものの名前を知らないために、そう呼んでいるのではないでしょうか?(第9巻87話、第11巻103話)


マハトが「罪悪感」というものを明確に意識するのはこの場面です。(第10巻89話「罪悪感」)

マハトはこの少年が抱いている感情を「罪悪感」だとかなり一方的に決めつけています。そして、「ようやく答えに近づいた」と満足しています。

マハトはこの経験から、「もっと親しい者を殺せば」探している感情が見つかるだろうという仮説を立てます。

そして、結局、その感情は見つかりませんでした。
しかし、マハトが探していた感情の名前は「愛」なのではないか?と思うのです。
マハトが探していたのは「人類にあって当たり前のなんらかの感情」です。

つまり、人であれば当然に持っているべきとされるような、「人間らしさ」に根差すような感情であると考えるのが自然です。(まして黄金郷編のラスボスが探し求めている人の感情なのですから、人間の本質と関わる感情であるべきでしょう)
であれば、それは「悪意」や「罪悪感」よりは「愛」こそが相応しいと思うからです。
マハトの「人類にあって当たり前のなんらかの感情」の探究は、この第89話で大きく道を誤ってしまったように思います。
おわりに
アニメ第2期を前に黄金郷編を読み直しているのですが、いまだに「発見」があることには驚いてしまいます。
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最近書いた、アニメ第2期の予習記事です。
《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。
200本以上の記事がありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。
これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒ、ゼーリエ、大魔法使い、などで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。
