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《葬送のフリーレン》神話の時代のストーリーとギリシア神話に関して(第147話)


はじめに

帝国編(第13巻126話~)についてあれこれ語った上で、神話の時代のストーリーを考えます。

また、《葬送のフリーレン》の着想の元になっているかもしれないギリシア神話について紹介します。

本稿は第147話「英雄のいない地」までのネタバレと先の展開に関する考察・予測を含みます。

帝国編の位置付けをどう理解するか

帝国編で描かれている戦い

帝国編では人類同士の対立が描かれています。丁寧に読むと背後にもっと別の存在を感じる描写もあるのですが、今のところ描かれているのは表面的には人類同士の対立です。

そのせいか、「期待していたのはこういう人類同士の内部の争いではなく魔族との戦いだ」、「脇道に逸れている」、「引き延ばし」という感想も見かけます。私も当初は「魔族はどこへ行った?」と感じましたから、そういった印象を持つことも理解できます。

帝国編は現時点(第147話)では影なる戦士達との戦いが進行中で、まさに「死の臭いがする」(第142話)重苦しい雰囲気になっています。

私は《葬送のフリーレン》のキャラクターたちのことは大体みんな好きなので、味方はもちろん敵も誰も死んで欲しくないというのが、考察や予想とは関係のない素直な気持ちです。

この戦いが「不殺」で終わって、帝国編が終わった後で(味方としてとまでは言いませんが)また影なる戦士達の姿を北の果てで見てみたいと思います。ヴァルロスとクライスの師弟関係、クレマティスとガゼレ、イーリス、ロレの不器用な親子関係。イーリスとルティーネの風変わりな友情(?)。そういったものをもっと見たいなあと思います。

ですから、この戦いにはなんとも救いがありません。この先さらに魔導特務隊の面々も加わってくるわけで、一体いつまでこれが続くのか…。

そして、第147話「英雄のいない地」で強調されていたのは、魔法を使って殺し合う人類のどうしようもない愚かさでした。

第147話

帝国編が描こうとしているもの

そうすると、これは帝国編自体が「人類がいかに愚かな存在であるか」を描こうとしているのではないか?という気もしてきました。

帝国編全体を読んで、現時点でなんとなくそういう予感がするというだけで特に根拠はありません。ただ、私が帝国編に感じている重苦しい雰囲気、「どん詰まり感」が、これまでの《葬送のフリーレン》にはなかったものであることは、ある程度は理解・共感してもらえると思います。

また、今までほとんど触れられていなかった南側諸国について語られたり、ゼーリエ(神話の時代の大魔法使い)の背景が明らかになることで、この帝国編で物語や世界観が大きく転換しそうな雰囲気もあります。

そこで、ちょっとこの線で考えてみます。

物語、世界観の転換点

レーヴェは世界から魔法を無くそうとしていますね。

第147話

でも、前述したような「人類の愚かさ」を見ていると、それよりいっそのこと、こんな人類なんて滅ぼしてしまった方が良い。そう考える存在があったとしても不思議ではありません。そして、《葬送のフリーレン》は最終的にはフリーレンたちがそれに対して「No」を突きつける物語なのではないか?

もしそうだとすれば、「人類の愚かさ」を描く帝国編は脇道でも引き伸ばしでもなく、メインストーリーに必要なプロセスになります。

そして、だとすれば、帝国編では主人公達(と読者)が信じている世界観・価値観が大きく揺らぐことになりますので、物語は中盤に差し掛かっていることになります。

人類を滅ぼそうとしている存在

人類を滅ぼすって、誰が?どうやって?

まず、「誰が?」を考えてみます。

女神様の不在

女神様は人類の味方です。女神様は自らの魔法を込めた石碑を各地に残して、魔族と戦う人類を助けています。

しかし、なぜ女神様は神話の時代以降、姿を現さないのでしょうか?(第3巻24話)

第3巻24話

約1500~1600年前に聖典がもたらされていますが、なぜそんな回りくどい方法で人類を助けるのでしょう?(第12巻116話)

第12巻116話

これは、物語を読む読者にとっては「謎」ですが、北の果てや南側諸国の「地獄」(第5巻41話、第147話)では人々の切実な「問い」です。「なぜ女神様は私たちを救ってくれないのか?女神様は私達を見放したのか?」と。

第5巻41話

それに、神話の時代には魔族を恐怖に陥れるような存在であった大魔法使いゼーリエは、なぜ、魔族と戦うことをやめてしまったのでしょうか?(第10巻93話)

マハトはゼーリエのことを知りませんでした(第10巻93話)
第10巻93話

女神様の不在には何か事情があるはずだと感じます。

神様の存在

第147話を読むと、女神様と関連してかなり気になることが出てきます。

レーヴェが、神話の時代に世界の法則が書き換えられた(そして魔法が生まれた)、それを元の形に戻して魔法を無くす、と言っているのです。(第147話)

第147話

ソリテールも女神様が世界のことわりを捻じ曲げたと言っています。(第12巻116話)

第12巻116話

ここから感じるのは、女神様が変更する前の元の世界(「元の形」)があるらしいということ。つまり、元の世界を作った女神様よりも上位の存在です。とりあえず、これを「神」ということにしておきましょう。

この神様が人類を滅ぼそうとしているのかもしれません。女神様の不在とも関係があるような気がします。

※余談ですが、女神様からは、当たり前ですが、女性的なものを感じます。大魔法使いたちがみな女性であることや、月が魔法の象徴とされていることも思い出してください。それに対して、神様は男神ですね。(「女医」という言葉はあっても「男医」という言葉はありません。神様と言えば通常は男であり、女の神様であることを明示したいときには例外的に女神と言う、という社会通念があります)

どうやって人類を滅ぼすのか?

人類を滅ぼすって、誰が? → 神様が

次に、「どうやって?」です。

素直に考えて、レーヴェ少年が経験した「二度目の魔法」、殺戮の魔法が制御できなくなって自ら破滅するに任せるか…

第147話

魔族によってでしょう。

魔族について

魔族という存在は、人間とエルフの中間的存在と見ることができます。そして、女神様はエルフとそっくりなので、魔族は人間と女神様の中間的存在だと言い換えることもできます。

たとえば、寿命や耳の形はそうですね。

魔族の耳の形は、エルフの耳を短くしたとも、人間の耳を少し尖らせたとも見ることができます(第10巻88話)

また、魔法体系について、人類・魔族・女神様の魔法を比較すると、魔族の魔法は人類の魔法よりは女神様の魔法に近いものです。原理がわからないという意味では女神様の魔法は「呪い」とも言えるわけです。(第4巻31話)

第4巻31話
第4巻31話

たとえば、人類の魔法技術では魂を観測することはできませんが(第1巻7話)、魔族の魔法(アウラの服従させる魔法アゼリューゼ)では魂を扱っています(第3巻22話)。

第1巻7話
この場面、アニメ(S1-EP10)でも見て欲しいのですが、高く浮かんだ魂をアウラは目で追っています。アウラには魂が見えているらしいのです。それに対して、フリーレンはまっすぐアウラを見据えていて、魂の方には目をやりません。「私の魂を天秤に乗せたな、アウラ」と言うのも天秤が傾き始めてからです。(第3巻22話)

それでいて、女神様の魔法を扱う資質(女神の加護)には呪いを効きにくくする効果があります。

第4巻31話

つまり、人間・魔族・エルフ(女神様)のポジションを絵に描くと、魔族の位置は人間よりもエルフに近いところにあります。ただ、魔族とエルフは対立した関係にあります。

しかも、魔族は死ぬと魔力の粒子になって消えてしまいますから、人類とは全く別の存在です。生物と言えるのかも怪しいと感じます。

フランメ・フリーレンとソリテールは魔族は魔物から進化したと言っていますが(第2巻14話、第10巻88話)、これが正しい保証はありません。そういった進化論の話をするなら、エルフ・ドワーフ・人間は何から進化したというのでしょう。進化論は《葬送のフリーレン》の世界観と今一つマッチしません。

第2巻14話
第10巻88話

神様、女神様、人類(エルフ、ドワーフ、人間)、魔族。これらはどういった関係にあるのでしょうか。

ドワーフについて

せっかくなのでドワーフについて考えてみます。ドワーフについてはわからないことだらけです。

寿命は人間よりは長いです。女神様への信仰はほとんどありません(ハイターの影響を受けているアイゼンは例外です)。エルフほどは衰退していませんが、人間のように栄えてもいません。「ドワーフの王国」のようなものは見当たりません。不思議なことに女性が見当たりません。魔法使いも見かけません。戦士や鍛冶屋が多いイメージです。

第135話

こういったところから、ドワーフからは「男性」を感じます。それに対してエルフからは「女性」を感じます。

ドワーフもエルフ同様かなり古い種族で、もしかするとドワーフは神様に似せて造られたのかもしれないと思います。

そういう観点で概念を整理してみます。

  • 女性:女神様、エルフ、大魔法使い、魔法、魔力

  • 男性:神様、ドワーフ、英雄・勇者(ヒーロー)、剣、武力

ちょっと無理はあるかもしれませんが、結構きれいに整理できるんですよね。

ギリシア神話と《葬送のフリーレン》

ここで、「ギリシア神話」を使っていわゆる「考察」っぽいことをしてみます。

私はあくまでも作品の読解が好きなので、こういう手法は補助的にしか使いませんが、なぜ突然「ギリシア神話」なのかと言えば、第147話で女神様が世界の法則を書き換えて魔法を作り出したことがわかり、これがギリシア神話の「プロメテウス」を想起させるからです。

魔法と魔族の起源

女神様をギリシア神話のプロメテウスになぞらえてみましょう。詳しくないのでWikipediaを見ながらです。

プロメテウスは「火」を盗んで人類に与えました。

女神様は世界の法則を書き換えて魔法を作り出しました。

プロメテウスは罰を受けて磔にされてしまいます。

女神様は神話の時代以降、姿を現しません。

人類は火(魔法)を使って文明を興しましたが、火(魔法)を使って戦争するようになってしまいます。

このように見てみると、ギリシア神話、特に「プロメテウスの神話」と続く「パンドーラーの神話」が《葬送のフリーレン》の物語の着想の元になっている可能性を感じます。

ここで登場する「ヘパイストス」からは賢者エーヴィヒを想起します。

ヘパイストスは自らの工房で様々な武器や道具を作っていたそうです。そして、ゼウスは人類に災いをもたらすためにヘパイストスに「女性」(パンドーラー)を作らせます。そのパンドーラーが「パンドラの箱」を開けてしまい災厄の元となります。

エーヴィヒは重要な魔導具を作っていますし、私はエーヴィヒが魔族の起源と関わっていると考えています。

フリーレンとヒンメルと蒼月草

蒼月草を連想させる青い花にネモフィラがあります。

ネットでネモフィラの花言葉(あなたを許す)について調べると、こんなお話が紹介されていると思います。

  • 男がネモフィラという名の女に恋をした

  • 男は「彼女と結ばれるなら死んでも構わない」と神に願って二人は結婚したが、男はその後すぐに死んでしまう

  • 悲しみに暮れたネモフィラは男に会うため冥界を訪れる

  • 冥界の王プルトン(ハデス)はネモフィラを憐れみ、一輪の青い花に変えた

このお話は多くのサイトで「ギリシア神話」とされています。が、どうやらこれは不正確で、ネモフィラの花言葉を説明するための後世の創作とアネモネに関する神話(アドニスとアプロディーテーの物語)が混同されている可能性があるようです。このあたりの経緯は私にはよくわかりません。

このお話の起源はともかくとしても、《葬送のフリーレン》の読者であれば、ここからヒンメルと魂の眠る地オレオールを目指して旅するフリーレンとヒンメルを連想するのは当然でしょう。

創作の元ネタについて

ギリシア神話が《葬送のフリーレン》の物語の着想の元になっている可能性はあると思います。

フランメの時代の衣装や建築物が私達の想像するいかにもな「古代ギリシア風」に描かれていることは、そのことを示したものだと言えるかもしれません。(第3巻22話)

第3巻22話

神話の時代の描写ですと、これはまさに「古代ギリシア風」です(第11巻107話)。ここまで明確に示されていることには、作者の誠実さを感じます。

第11巻107話

アニメオリジナル(S1-EP24)ですが、零落の王墓(第二次試験)の隠し部屋にあった「統一王朝期の壁画」も神話の時代の描写です。

オレオールの様子からも「古代ギリシア風」を感じます。(第1巻7話)

第1巻7話

そもそも、優れた物語の作者はたくさんの引き出しを持っており、様々な素材を自家薬籠中の物としていて、それらを混ぜ合わせたり分離したり独自の加工を加えたりといったことを当然に行っています。特定の神話や伝承をそのまま引き写している可能性はまずありません。

私が本稿で言及した部分だけでも、ギリシア神話で人類に火をもたらしたプロメテウスは男神ですが、《葬送のフリーレン》で世界の法則を書き換えて魔法を作り出したのは女神です。賢者エーヴィヒはヘパイストスのようでもあり、かつ、「パンドラの箱」を持たされたパンドーラーのようでもあります。見方によっては人類の魔法の開祖であるフランメもパンドーラーです(ゼーリエは「開けるな」と忠告していたわけです)。こういった相違があります。

第6巻53話

そういう意味でこの手の「考察」は「だから何なんだ」という話ではあるのです。

そもそも、《葬送のフリーレン》の世界が先行作品から多くのモチーフを借りて構築されていることは、わざわざ指摘するまでもない事実です。第1話冒頭部分から、ティンカー・ベル的な妖精ではない人型の「エルフ」が登場し、主人公たちが「パーティー(グループ)」を組んで欠点を補いあって冒険するスタイルを見せています。これはトールキンの『指輪物語』へのリスペクトがあるわけです。

ですので、こういったタイプの「考察」は読者としてもほどほどに楽しむのが良いと思っています。

まとめ(神話の時代のストーリー)

話が拡散してきたので、この辺でまとめようと思います。

私はもともと、魔族はエルフや人間を基に作られた人工生命体なのではないか?と考えていました。賢者エーヴィヒが永遠の命を研究する過程で(意図してなのか過失(事故)なのかわかりませんが)作り出したのが魔族ではないか?と。そのあたりは次の記事で考察しています(少し古い記事です)。

では、これまでの様々な断片を繋いだ、こんなストーリーはどうでしょう? 先ほど紹介したギリシア神話も参考にしています。

  1. 初めに神様と女神様が天地を造った。(天地創造

  2. 神様と女神様は自分たちの姿に似せてドワーフとエルフを造り、地上に住まわせた。ドワーフとエルフからは人間が生まれた。(人類の誕生

  3. 自らの子供である人類を愛した女神様は、世界の法則を書き換えて人類に魔法を与えた。人類は魔法を使って文明を興したが、同時に魔法を使って戦争を始めるようになってしまう。(魔法の誕生

  4. 怒った神様は、永遠の命の研究のために水鏡の悪魔でエルフの複製体を作っていた賢者エーヴィヒを利用して魔族を作らせた。複製体を使役させるために作った支配の石環は魔族にはほとんど効果がなく、エーヴィヒは魔族を制御できなくなってしまう。ここから人類と魔族の対立が始まる。(魔族の誕生

  5. 子供達を案じた女神様はゼーリエに聖杖の証を授けて大魔法使いに任じ、魔族との戦いを主導させることにした。また、女神の石碑勇者の剣を作って人類を助けた。

  6. これに手を焼いた神様は女神様を天界に閉じ込めて地上へ降りることを禁じてしまう。(神話の時代の終わり

  7. ~~ここから年表の空白期間で詳細は不明~~

  8. ゼーリエは大魔法使いと認めた弟子(ミーヌスやミリアルデ)に聖杖の証を授けて大魔法使いとし、共に魔族と戦い続けていた。

  9. しかし、魔族との終わりなき戦いに疲弊した大魔法使いたちの間には、姿を現さない女神様への疑念が徐々に広がっていく。やがて大魔法使いたちは女神様への信仰を失って魔族との戦いを諦めてしまう。(女神様信仰の衰退

  10. クラフトと僧侶アゴヒゲの活躍、魔族の敗北(※)

  11. ~~ここまで年表の空白期間~~

  12. 女神様は聖典を地上にもたらすなどして人類の支援を続けた。(約1500~1600年前)

  13. 人類からの独立を目指す魔族の王(魔王)が現れ、人類との共存のための戦争を開始する。(魔王の出現、約1000年以上前)

  14. ゼーリエとフランメの出会い、フランメとフリーレン出会いなど。以下省略

第12巻110話

※クラフトは女神様を見たことがありません。ですから、クラフトは女神様が地上に顕現していた神話の時代を知りません。クラフトの偉業は神話の時代が終わってからです。 クラフトのパートナーの僧侶アゴヒゲがエーヴィヒなのかは微妙なところで、未登場のキャラクタである可能性もあります。

第3巻24話

※石像の僧侶アゴヒゲは聖典らしき書物を持っています(第4巻34話)。そこに着目すれば二人の活躍は聖典がもたらされて以降、つまり1500年前以降です。しかし、1500年前だとフリーレン(およそ1,050歳〜1,300歳)が生まれる(たった)数百年前ですから、彼女が故郷の大人たちから二人の偉業について何も聞かされていないというのはいささか奇妙です。石像の製作者が観察に基づかずに「僧侶なのだから聖典を持っているだろう」という想像で作っている可能性はあります。

※僧侶アゴヒゲの性別が男なのか、本当に「僧侶」なのかも疑う余地はあります。たとえば、帝都のフランメ像は男性になっていました。女神様信仰は神話の時代の後、一旦廃れている節があるため(「数千年前までは(人は死んだら)無に還るって考えが主流だった」第1巻7話)、後世の人々の願望で「僧侶」にされている可能性はあります。(クラフトも若い頃は女神様を信じていませんでした。「若いな。俺も昔はそうだった。だが今は心の底から女神様を信じている」第3巻24話)

第1巻7話

おわりに

神話の時代についてはほとんど明らかにされていなかったので、あまり真剣に考えたことがなかったのですが、第147話「英雄のいない地」でかなり重要な情報開示がありましたので、私なりに考えてみました。

自画自賛ですが、このストーリーで気に入っているところがあります。それは、神様・女神様と人類・魔族で親子関係・家族関係を描いているところです。

《葬送のフリーレン》では師弟関係を借りて親子関係をよく扱っています。影なる戦士たちが疑似的な家族を形成するところなどは、まさに家族関係を描くための設定と言えます。そして描かれるのは、表面的にはうまくいかないこともあるけれども深いところでは愛情でしっかりと結ばれているという人間関係です。対立があるからといって、どちらが正しくて(善)どちらが間違っている(悪)という話ではないわけです。

私が想像したこの神様も別に人類を滅ぼそうとする「邪神」ではありません。神様を父親(夫)だと見れば、妻や子供に厳しく当たる典型的な古いタイプの父親(夫)です。しかも、妻が子供に夢中になっているのを見て焼き餅を焼くような人間らしさ(人間臭さ)があります。

そう考えてみると、紆余曲折あってもきっと最後はうまくいくんじゃないか?という気持ちになってきて、そこが気に入っているのです。

《葬送のフリーレン》を個々のキャラクターのレベルではなく、神様・女神様・人類・魔族というレベルの「家族の物語」だと捉えると、子供達の親離れのお話なのかも?と思ったりもします。

《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。

150本近くありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。

これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒ、ゼーリエ、大魔法使い、などで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。

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