ヒンメルは浮いている(疑問)
『葬送のフリーレン』のヒンメルは、なぜ物語の世界観から浮いている(浮かせている)のだろうか?(これは文章構成のための問題提起ではなく純粋な疑問であって、答えを持ち合わせているわけではない)
例えば、「魔王の討伐」という大事を前にしても小さな人助けを無碍にしないといったヒンメルの人格は世界観に沿って理解することができる。(ヒンメルは勇者だから)
しかし、「迷宮(ダンジョン)好き」となるとかなり厳しいものがある。
迷宮の探索は命懸けだ。そして、この世界に死者を復活させる魔法ない。
迷宮にどんな財宝や魔導書が眠っていようとも、物語の世界観からすれば「迷宮が好きってどういうことですか?」、「言葉通りの意味だよ。わくわくするんだってさ。訳がわからないよね」「本当に訳がわからないよね」というのが真っ当な感覚だろう。(第48話「零落の王墓」単行本第6巻)
しかも、ヒンメルの場合、迷宮のボスの討伐や戦利品が目的ではなく迷宮の踏破(マップを全て埋めること)自体が目的になっている。
こうなってくると、物語世界のネイティブな住人としてヒンメルを理解することは難しい。
ヒンメルの人物像は、まるで、物語の世界に飛び込んだ私達が「勇者」としてロールプレイしているゲームの主人公なのだ(現代和製ファンタジーの一様式だとも思うが、それだけのことなのだろうか?)。いわゆる「名言」のようなものも様々な演出があって感動はできるのだが、道徳の教科書を読まされている印象になるのも否めない。
言わば、ヒンメルはこの物語世界にとっての「異物」になっている。
おそらく、ここで物語世界への没入を阻害されてしまってイマイチこの作品を楽しめないという人たちもいると思う。
では「お前はどうなのか?」と問われると、自分は、この点が気になるといえば気になるのだが、あえて気にしないようにして楽しんでいる。
本当によくわからない。
メモ
※ヒンメルといえばシュタルクとの比較という観点があり、ヒンメルはヒーローである(ヒーローになる)ことに相当に自覚的なのだけど、シュタルクは無自覚のヒーローであることなどはおもしろそう。
※ヒンメルの剣は、勇者の剣のレプリカです(剣の里)。第114話「勇者の剣」で、ヒンメル達はレプリカを作った鍛冶屋に出会います。鍛冶屋は、「偽物(レプリカ)の勇者の剣が「勇者」に出会い、まるで本物の勇者の剣のように活躍した」とヒンメルに感謝します。この時ヒンメルは自分もまた「偽物」であることを自覚していたはずで、偽物の剣と偽物の勇者という対比が感動のポイントになっています。
※ハイター(ザイン)には「頑張って大人を演じている」主旨の発言あり

追記
ヒンメル理解にあたり重要な考察
