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ヒンメルはフリーレンに求婚「しなかった」のではなく「できなかった」 ―― 『葬送のフリーレン』の読み方を更新する

ここでは、ヒンメルがフリーレンに求婚しなかった理由(愛していることをはっきり伝えなかった理由)と、そこからの『葬送のフリーレン』の「読み方」への影響について考えています。

※本稿に関しては私の考え方に更新があります。末尾の追記も参照してください。

※《葬送のフリーレン》に関する記事はこちらのマガジンにまとめています。

ヒンメルは求婚しなかった

ヒンメルは、鏡蓮華(花言葉は「久遠の愛情」)の意匠の指輪をフリーレンに贈り、跪いて左手薬指にはめるという形で愛を伝えてはいるのです。(S1-EP14)

しかし、鏡蓮華の意匠の意味を知らなかったフリーレンには、ヒンメルの気持ちが伝わらなかったのですよね。この時のフリーレンの驚きの表情を見るとヒンメルの好意(あるいは何か特別な意味が込められていること)が伝わったのはわかりますが、少なくとも求婚として受けとめてはいません。そして、この時はヒンメルもそれを良しとしていて、わざわざ言葉にしようとはしなかったのです。(この場面は後に別の意味を帯びてきますので覚えておいてください。)

次の場面を見てみます。『葬送のフリーレン』の一番最初のエピソードです。(時系列では鏡蓮華の指輪より後の出来事です。)

魔王討伐のお祝いの宴が終わり、パーティは解散します。全員そろってもう一度エーラ流星を見ようということで50年後の再会を一応は約束しているのですが、何しろ50年後です。これが今生の別れになるかもしれないことをフリーレンを除く3人は意識しています。

50年後の再会を約束した4人

にもかかわらず、ヒンメルは自分の気持ちをフリーレンに伝えようとしませんでした。(S1-EP1「冒険の終わり」)

通常であれば、この場が気持ちを伝える最後のチャンスだと考えて、フリーレンを引き止めるところでしょう。

しかし、ヒンメルはそれをしなかったのです。

求婚しなかった理由をヒンメルの性格に求める

『葬送のフリーレン』の登場人物には、自分の気持ちを素直に言葉にしない人が多いので、ヒンメルもそういうタイプなのかなとも思われます。(それを読み取るのがこの作品の楽しみ方の一つだと思います。)

あるいは、「ありのままのフリーレンが好き」とか、「短命種と長命種の恋の結末を考えてしまうと気持ちを伝えられない」ということもあるかもしれません。

これらは全て、ヒンメルの性格(内部)に理由を求めるもので、こういった理由付けは他にも色々と考えられるでしょう。

ハイターとアイゼンの謎

しかしここで、もう一度、「冒険の終わり」のパーティ解散の場面を振り返ってみましょう。

この場面には奇妙なところがあります。

それは、ヒンメルのフリーレンに対する気持ちを知っているはずのハイターとアイゼンが、そのことについては全く触れずにサラッと別れてしまうことです。

ハイターは幼い頃からのヒンメルの親友です。ここはヒンメルとフリーレンの仲を取り持つような取り計らいがあっても良いのでは?

アイゼンも、フリーレンに弟子を取ることを勧める(S1-EP5冒頭に回想シーンあり)よりは、ヒンメルと一緒に悠々自適の旅に出るよう勧めるべきではないでしょうか?

しかし、この時のハイターとアイゼンはそういったことは一切しません。ヒンメルとフリーレンの恋愛関係に何故か関わろうとしないのです。

ところが、ヒンメルの死後、ハイターとアイゼンの態度は一転します。

ヒンメルの死後、ハイターとアイゼンは連絡を取り合い、フリーレンとヒンメルの関係を取り持つように計らうのです。

これについてアイゼンはヒンメルの葬儀で泣いたフリーレンを見たことがキッカケだったかのような物言いをしています。

しかし、10年間の旅を共にした仲間です。二人の関係に気付いたのがヒンメルの葬儀の時であるはずがないのです。(注意して読むと、「可哀相だと思った」のが葬儀の時だとは言っていません。)

なぜ、魔王討伐直後の「冒険の終わり」の時にはヒンメルとフリーレンの関係に特に関心を払う様子はなかったのに、ヒンメルの死後になってそこまで骨折りをするのでしょうか。あまりにも遅すぎます。

このハイターとアイゼンの行動の変化はどうも不自然です。

これは、ヒンメルがフリーレンに求婚しなかった理由をヒンメルの性格(内部)に求めることでは理解ができません。

それよりも、外部的な理由で「ヒンメルには求婚したくても求婚できない事情があった」、そして、「ハイターとアイゼンもその事情を理解していた」と考えるとおさまりが良さそうです。

ヒンメルは求婚できなかった

ここまで書くとお気づきの方も多いと思いますが、鍵は「女神の石碑編」です。(単行本第11巻第107話以降)

ここでフリーレンはヒンメルに「再会」するのですが、これ以降、ヒンメルはとても大きな「制約」を課せられてしまいます。

既読の方には説明するまでもないので詳細は省きますが(未読の方はぜひ単行本をお読みください)、フリーレンの未来を変えるような大きな決断をできなくなってしまったのです。(この制約をハイターとアイゼンも共有しています。)

だから当然、「冒険の終わり」のパーティ解散の際にヒンメルはフリーレンに気持ちを伝えられません。伝えたくても、伝えることができなかったのです。(魔王討伐後のヒンメル達3人には、フリーレンが未来に戻るための魔法をフリーレンに秘密で調査するという仕事も残っています。そのため、二人で蒼月草を見に行くこともできませんでした。)

そして、この事情はハイターとアイゼンも良くわかっています。

だから、ヒンメルの死後になってから、ハイターとアイゼンの壮大な「はかり事」が動き始めるのです。

さて、最初に紹介した「鏡蓮華の指輪」のエピソードに戻ってみます。

出来事の時系列に注意すると、「鏡蓮華の指輪」は「再会」以前の出来事です。(鏡蓮華 → 再会 → 冒険の終わり)

つまり、このときならまだ気持ちを伝えるチャンスはあったのです。なんということだ…

ヒンメルの求婚に関してはこれで終わります。

タイムトラベラー達の苦悩

さて、「女神の石碑編」でタイムトラベル要素が入ってきたことにより、『葬送のフリーレン』の読み解きは異なるステージに移行します。

つまり、「再会」以降のヒンメル、ハイター、アイゼンの行動を読み解く際には彼らが「フリーレンの未来を変えてはならない」という「制約」を念頭に行動していることに留意する必要があるのです。

フリーレンの未来を変えてしまうような言動ができないということは、例えば、フリーレンの人生観や世界観に影響を与えるような言動は御法度です。フリーレンと接する時は「この言動でフリーレンの未来を変えてしまわないか」と常に注意していなければなりません。

これはずいぶん悲しい制約だと思います。

生死を共にするような10年に渡る旅をする仲間に対して、素直に自然に振る舞うことができないのです。ある意味、人間らしい人と人との関わり合いを禁じられてしまっていると言えます。ヒンメル達もフリーレンの側も可哀相です。

と言うことで、意外にも、『葬送のフリーレン』は「タイムトラベラー達の苦悩」を描いた作品として読むこともできるのかもしれませんね。

しかも、タイムトラベルをする本人だけが、自分がタイムトラベラーだということにまだ気付いておらず蚊帳の外です。フリーレンがタイムトラベルに気付くのは、ヒンメルとハイターが亡くなった後で、事情を知っている生存者はアイゼンのみというタイミングです。

次に読むときにはそういう観点からヒンメル、ハイター、アイゼンを眺めてみたいと思いました。

勇者パーティの非現実感

そういった観点から、少し考えてみます。(忘れないようにメモ書きです)

これは未検証の仮説ですが、例えば、ヒンメルのわざとらしい程ナルシストなところや、ハイターの「生臭坊主」なところには、「フリーレンのために演じられた道化」という要素が多分に含まれているのではないか?(『シュタインズ・ゲート』の岡部倫太郎のように)とも考えられます。

私は以前、ヒンメルの人物像はまるで「物語の世界に飛び込んだ私達が「勇者」としてロールプレイしているゲームの主人公」のようだ。そのため、ヒンメルの存在が作品世界への没入を妨げる「異物」になっている、と書きました。

おそらくこの違和感は故無きことではなかったのだと思います。(自画自賛ですみません。)

勇者パーティに漂う非現実的な綺麗事感、嘘っぽさはヒンメルとハイターの演技によるものだったという気がします。(アイゼンは勇者パーティ内の日常会話では現実的なつっこみ役を担うことが多く、また朴訥な性格で演技が下手そうなので、あまり影響はなさそうです。)

このあたりは、本当に思い付きのメモ書きなので、コメントにてご意見を頂けると嬉しいです。

最後に余談となります。

正直に言うと「女神の石碑編」で『葬送のフリーレン』にタイムトラベル要素が入った時、私はこれをネガティブな要素としてとらえました。最近のタイムトラベル物って設定がやたら難解になるばかりで、それに見合った楽しさがないような印象だからです。しかし、今回色々と考えてみたら楽しくなってきました。

読み直しの例(時間感覚の違いに驚いてみせるヒンメル達)

単行本第1巻12ページ、勇者パーティ凱旋の宴の最中の出来事です。

エルフの時間感覚で10年を「短い」と言ったフリーレンに対して(1コマ目)、人間であるヒンメルとハイターが反応します(2コマ目)。そして、ヒンメルが驚きとともに異議を表明します(3コマ目)。(人間より長寿であるドワーフのアイゼンは描かれていません。)

確かに、人間にとって10年という年月は決して短い期間ではありません。

しかし、このヒンメルの反応はかなり不自然です。

フリーレンと10年間の旅を通して苦楽を共にしたヒンメルがフリーレンの時間感覚に今更驚いています。フリーレンとの旅を始めて間もないフェルンがフリーレンの時間の使い方に苛立つエピソードを思い出してください。10年の旅の間、ヒンメルはフリーレンについて何を学んだのでしょう?理解に苦しむところです。

初読時に素直に読むなら、これは人間とエルフの時間感覚のちがいを説明するために作者がキャラクターを動かしたもので、そのため、ちょっとおかしなことになっている(フリーレンのことをよく知っているはずのヒンメルが、フリーレンのことを知らない読者の気持ちを代弁してしまっている)、ということでしょう。そう解釈しないと、ヒンメルはフリーレンに関心がなかったのか??となってしまいます。 ※別の解釈を「追記」しています。

しかし、「女神の石碑編」を読んだ後にこの場面を読み直すと、これはヒンメル達の演技だということになります。ヒンメルは、あえてフリーレンの時間感覚が分からないふりをして驚いて見せて、道化を演じているのです。

もう一度同じ場面を見てみます。

先ほどと同じ画像です。

エルフの時間感覚で10年を「短い」と言ったフリーレンに対して(1コマ目)、演技派であるヒンメルとハイターが反応します(2コマ目)。二人は内心「また例のあれが始まった」と思っているのかもしれません。演技の苦手なアイゼンは一歩引いて、この寸劇には加わりません。そして、ヒンメルが少し驚いた様子を見せながら異議を表明します(3コマ目)。

フリーレンは「やっぱりヒンメルはわかってないね。私にとって10年なんて…」と反論することも考えたでしょう。

続きのコマ

しかし、ここで真剣な議論に発展することを避けるため、ヒンメルとハイターは「ハイターを見ろ。すっかりおっさんになってしまったぞ」「失礼ですよ」とおちゃらけて話をかき回します(4コマ目)。思わずフリーレンもそのノリに付き合います(5コマ目)。そして、アイゼンが話を引き取って「そろそろか。」と流星に話題を移して幕引きにします(6コマ目)。

ここまでがヒンメル達の演技なのです。(深刻な話になりそうになると誰かがおちゃらけて話をうやむやにして終わらせる、というのは勇者パーティの日常会話でよくあるパターンです。)

こうやって読み直すと、この場面からは、ヒンメル達3人がフリーレンのことを愛して大切に思っている気持ちが伝わってきます。また、フリーレンだけが一人事情を知らずに蚊帳の外になっている状況は、仕方のないこととはいえ、やりきれない悲しさを感じます。くだらなくて楽しいものだったはずの勇者パーティでのおしゃべりも、実は、ヒンメル達3人がフリーレンに対して相当に気を使っていたからこそ出来たことであって、そのことにまだフリーレンは気付いていないのです。

さて、以上のような読み直しを試みてみましたが如何でしたでしょうか?

皆様はヒンメルの「短い?何を言っているんだ?10年だぞ?」をどう解釈するのがお好みですか?

「ヒンメルがフリーレンに無関心だった」というのはあんまりなので除外するとして、作者のミスととらえて細かいところには目をつぶるか、多少無理は感じるけれども演技だったとして理屈をつけるか。自分は前者の様なとらえ方は最後の手段だと思うので後者が好みです。

他にも可能性がありましたらコメントで教えて頂けると嬉しいです。

追記

「女神の石碑」とは全く関係なく、ヒンメルがふざけて驚いて見せた可能性もありますね。

「この10年でハイターがおっさんに」「元からおっさんでしょ」という(勇者パーティ定番の?)ジョークで、勇者パーティが和気あいあいとくだらなくて楽しい旅をしてきたことを示しつつ、読者にエルフの時間感覚を説明している、というものです。

「女神の石碑」未読時の解釈としてはこれが一番スマートだと感じます。

「女神の石碑」を読んだ後だと、解釈変更して「ヒンメル達3人による演技」と読むか、解釈変更なしで「勇者パーティ全体の楽しいおしゃべり」と読むか、どちらもアリな気がします。

この項目をちょっと書き直したくなってきましたが、大変なので追記にしておきます。

補足(フリーレンはなぜ鏡蓮華の指輪を身に着けないのか)

フリーレンはヒンメルから贈られた鏡蓮華の指輪を大切にしていますが、身に付けずにいつもカバンの中にしまっています。その理由は、ヒンメルのフリーレンに対する気持ちと、自分のヒンメルに対する気持ちをうまく処理できないからでしょう。

ゼーリエが弟子たちへの思いを上手くコントロールできないために、「花畑を出す魔法」を強い言葉で否定せずにはいられないのと同じ心理です。

参考

ヒンメルとフリーレンの恋愛関係に関する時系列がきれいに整理されています。

追記(ヒンメルのタイムトラベルに関してさらに更新)

「『葬送のフリーレン』は《タイムトラベルもの》である」という観点から第1話を読み直して、考えを更新したところがあります。下記のまとめの第1話に関する考察をお読みください。