《葬送のフリーレン》冬休みにお勧めのミステリ・マンガ
はじめに
『葬送のフリーレン』をミステリだと思って読むと、とても楽しく読むことができます。
その理由は、手掛かりが上手に配置されていて「謎(ミステリ)」が難しすぎず簡単すぎず、ほど良く調整されているからです。
その例をいくつか見てみます。
魔族の起源に関する謎(進化論か創造論か)
ドラートを殺して脱獄したフリーレンは第16話で「魔族って死んだら魔力の粒子になって消えちゃうじゃん」と言います。

魔族の身体は命を失うと魔力の粒子になるんですね。(余談ですが、死ぬと魔族の身体は天に帰り、人の身体は地で腐るわけです。ギリシア神話のようです)
ここだけ見れば、「魔族の身体は魔力でできている。ということは、魔族は魔法で作られた存在なのだろう」と考えるのが素直で自然な発想だと思います。どうでしょうか?
けれども、ストーリーの流れに乗ってストレートに読んだ場合、多くの読者はそうは考えないと思います。(一読して「あれ?」と違和感を覚えた人はかなり注意深い読み手でしょう)
なぜなら、少し前の第14話でフリーレンが「その(魔族の)祖先は(中略)魔物だよ」とフェルンとシュタルクに説明しているからです。

ここでのフリーレンの説明を総合すると、一部の魔物の言葉を使う能力が子孫を残すために有利に働き、自然選択(自然淘汰)の結果として魔族に変化(進化)したという進化論ですよね。
フリーレンは魔族にも生物学的な親(産みの親)がいることを前提に話をしています。
※全くの余談ですが、フェルンをはじめ主要なキャラクター達は幼い頃に生物学的な親を戦禍により亡くしています。ですから、この点だけを見れば魔族と似ていると言えなくもないです。ただ、「育ての親」に育てられているんですね。フリーレンは「お母さん」を知っているのか?は一つの疑問です。

しかも、フリーレンはこの理論を「(話し合いが)無駄ってことはねぇだろ。言葉があるんだ」と言ったシュタルクに反論する形で、ヒンメル一行時代の経験談(回想シーン)も交えて説明しています。

その上、大魔法使いフランメという権威も援用します。そこまで言われてしまうと、フリーレンの主張に疑問を感じるのはなかなか困難です。
けれども、この「魔族の祖先は魔物」というフリーレンの説明(フランメの理論)と「魔族は死ぬと魔力の粒子になる」という事実はどうにも相性が悪いのです。
なぜなら、身体が魔力でできているとすると、進化論の前提である遺伝(親から子へ特徴が受け継がれること)が生じるとは考えにくいですし、自然選択により魔物から魔族に変化した(進化論)というよりは、何者かの意思によりそのようにデザインされた(創造論)と考えた方がしっくりくるからです。
また、そもそも論として、魔族に関して進化論を唱えるフランメやフリーレンは、エルフ、ドワーフ、人間の祖先をどう考えているのか?という疑問もあります。人類については創造論(女神様がお造りになられた)で、魔族についてだけは進化論(魔物から進化した)では、あまりにも人類中心のご都合主義的な考え方で説得力がありません。「天地創造の女神様」が実在する世界観は創造論と相性が良く、進化論とはうまく嚙み合わないのです。
ですから、どちらかが間違っているのでは?と感じます。
というか、魔物から魔族への進化の過程を見た者はいないのですから、「魔族の祖先は魔物である」というのはあくまでもフランメの仮説に過ぎないわけです。それに対して、死んだ魔族は現に魔力の粒子になって消えているのですから、フランメとフリーレンの説明が間違っているのでは?と思いますね。(ついでに、魔王とソリテールの説明も間違っていることになります。第10巻88話)

そして、フランメほどの人物が本当に真実を知らなかったのだろうか?フリーレンに対して真実を隠しているのでは?何のために?という疑問も感じます。(同様に、魔王はソリテールに真実を隠していたのでは?)
作者の謎かけのテクニック
こうやって見てみると、第14話〜第16話において、作者は読者に対して魔族の起源に関する「謎」を提起しているわけです。言い換えれば伏線です。
第7巻59話〜第60話のヴィアベルとヒンメルもそうでした。二人は反対のことを言っていて(ヴィアベルは「もう会えないかもしれない」、ヒンメルは「また会えるだろう」という意味のことを言っています)奇妙です。一期一会の心構えを説くヴィアベルの常識的な感覚に対して、再会できるかどうかはわからないのに「また会ったときに恥ずかしい」というヒンメルの不可解な感性は「ヒンメルって何者なの?」という疑問を生みます。
私がこの二つの謎を見て感じるのは、作者はずいぶん親切だなあ、ということです。
矛盾する説明の二つが離れたところにあったら、矛盾(謎)に気付くのはずっと難しくなるのに、作者はわざわざ並べて読者に示しているわけですから。
ただ、読者が簡単には気付かないような工夫も施しています。
第14話〜第16話では、まず第14話で、「お母さん」は人類にとってだけでなく魔族にとっても「魔法のような素敵な言葉」である(ただし人類にとっての「お母さん」とは全く別の意味で)というショッキングな回想シーンで、「魔族は姿は人類に似ていて言葉も使うが正体は魔物に過ぎない。対話不可能な相手で、情け容赦は無用の化け物である」というイメージを強烈に印象付けます。

次の第15話では、可愛らしい女の子の魔族のリーニエに「父上って何?」と言わせて、その印象を決定付けます。ゾッとしますね。

それに対して、「魔族は死ぬと魔力の粒子になる」ことに関する説明は、魔族の起源に関する重要な情報であるにもかかわらず、とてもあっさりしています。(この場面ではドラートの死体が消えてしまうためにフリーレンに衛兵殺しの嫌疑がかけられることが問題になっていて、死体が消える理由に関心を持っているのは読者だけだからです)
ですから、「魔族の祖先は魔物」も「魔族は死ぬと魔力の粒子になる」も、双方とも魔族の起源に関わる重要な情報なのですが、前者は強烈な印象を読者に残すように描かれ、後者は読者にあっさりと流されるように描かれています。
第59話〜第60話では、ヴィアベルの台詞もヒンメルの台詞もとても感動的な場面で登場しますから、その勢いでスルリと飲み込めてしまいます。
シュピーゲルに関する謎
一級魔法使い試験(第二次試験)で登場した零落の王墓の主・シュピーゲル(水鏡の悪魔)に関する謎かけもそうでしょう。(第6巻55話)

これを見てシュピーゲルが魔物だと考える人は普通いません。素直に考えれば、これは台座に設置されている巨大な宝珠で、どう見ても人工物ですよね?
シュピーゲルは倒されると砕け散ります。それに対して複製体は魔力の粒子になっています。

ですから、ここだけを見て素直に考えればシュピーゲルは人工物、人を複製するための魔導具でしょう?
しかし、ここでも、複数の人物が口を揃えて「シュピーゲルは神話の時代の魔物である」と説明していて、フリーレンもデンケンもそれを素直に受け入れているという仕掛けがあります。(第6巻50話、52話)


こうやって、うまいこと謎(ミステリ)を隠しているのです。
零落の王墓は未踏破なため、これまで誰も実際にシュピーゲルの正体を見たことはなく、エーヴィヒの英雄譚を根拠に「神話の時代の魔物」だと説明していることもポイントです。黄金郷編を読めばエーヴィヒ→魔導具の連想も働きますね。(エーヴィヒは魔族を操るための魔導具「支配の石環」を作っていました。第2話でフリーレンが解読したエーヴィヒの魔導書のテーマは永遠の命でした。あれ?と思いませんか?)
難易度の調整がとても上手だと感じます。少し注意しながら読むと気付くことができるように、うまく調整されています。
これが作者の謎かけの妙でしょう。
おわりに
『葬送のフリーレン』をミステリだと思って読むと、とても楽しい読み方ができます。その理由を説明してみました。冬休みにお勧めのミステリです。
まだまだたくさんの謎(ミステリ)がありますので、探して見てください。
《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。
160本以上の記事がありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。
