《葬送のフリーレン》フリーレンのメメント・モリ、自己犠牲と愛(アガペー)
フリーレンのメメント・モリ
フリーレンのキャラ造形は前作『ぼっち博士とロボット少女の絶望的ユートピア』の主人公「博士」を承継していると思います。
人間関係に不器用なところのある主人公(フリーレンと博士)が「過去と出会い直すことで人間を知る」というテーマも両作で共通しています。(『ぼっち博士』は「サンデーうぇぶり」で一部読めます)
ですが、博士は人間です。死に近い場所にいます。博士のパートナーがロボットで、不死です。博士は明確に「葬送される側」です。
ですから、作者は『葬送のフリーレン』を構想するにあたり、キャラの役割を一部入れ替えました。ここは興味深いです。主人公が「葬送される側」から「葬送する側」に回ったのです。なぜだろう?
当たり前ですが、その方が良いと考えたからでしょう。 じゃあ、どこがどう良くなると考えたのだろう?
博士は最初から死に近いところにいます。年齢は良くわからないのですが、中年です。少なくとも、少年マンガでよくある若くて健康な主人公(子供や若者)ではありません。健康に不安もあって、死を意識して生きています(ギャグマンガなので雰囲気は明るいのですが)。未来に向かうのはロボット少女で、博士は我が子のようなロボット少女のために生きています。
フリーレンは人間を知ろうとします。
けれども、エルフのフリーレンに絶対にわからないのは、「自分はいつかは死んで、この世界から立ち去らなければならない」という実感です。人間の寿命に関する知識ではありません。実感です。死を意識して生きる感覚がわからなければ、人間を知ったことにはなりません。
だから、フリーレンは最後には死を意識して生きることを知ると思います。『葬送のフリーレン』では、その過程を描こうとしているのではないでしょうか。フリーレンのメメント・モリです。そのために主人公・フリーレンをエルフに設定して、まだ死を知らない存在にした。
メメント・モリは、ラテン語の成句で「死を想え」「死を忘るるなかれ」、つまり「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」といった意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
※私がフリーレンというキャラに今一つ入れ込めないのは、おそらくはこれが原因です。フリーレンは自分が「葬送する側」にいることを、ほとんど疑っていません。(第4巻33話「フォル爺」参照)
フリーレンはなぜヒンメルのことを理解できなかったか?
フランメはいつも判断がとても早かった。まるで「何か」に急かされているようだった。とフリーレンは言います。(第6巻53話)

すると、人間には寿命があるからだ、死に近い場所にいるからだ、ゼーリエが説明します。

ですから、フリーレンは「人間の寿命は短い」と知ってはいるのです。知識は持っています。(第1巻1話)

けれども、その人間であるヒンメルが「何を思ってどんな人生を歩んできた」かは知りません。ヒンメルとは10年一緒に旅をして、彼のことをつぶさに見ていたはずなのに知らないのです。

それは何故なのか?(第5巻46話)

もちろん、いろいろな答えがあると思います。フリーレンは基本的に他人には関心がなく、人間関係の潤滑油的な役割を持った他愛のない会話はまともに聞いていません。人付き合いは総じておざなりです。(ハイターがヒンメルと同じ孤児院の出身であったことを何度も聞かされているのに忘れています。第12巻112話)

ただ、「最も重要な理由を一つだけ答えなさい」と言われたら…
フリーレンにやる気や姿勢や努力が足りなかったからだとは思いません。(それも理由ではありますが最も重要なわけではない)
フリーレンがヒンメルのことを理解できなかった理由は、ヒンメルは「死に近い場所にいる」ことを意識して生きていたのに対して、フリーレンは「死に近い場所にいる」ことを意識できていなかったからだと思います。
愛を探して
本稿はこの辺りで終わりにしますが、ここは「自己犠牲の愛」、「アガペー」というテーマと繋がって行くように思います。(シュラハトの自己犠牲も気になります)
だからこの世界には「悲しみ」が通底しているのでしょう。(「悲しみを教えて」)
ヒンメルとフリーレンの感情は恋なのか愛なのか、愛とは何なのかといった話になっていくのも、二人の個人的な愛情というより、結局はこういう抽象的な「愛」に向かって行くからなのだと思います。(「愛の概念を探す旅」)
二人の恋や愛を否定するつもりはないのですが、二人の愛は、「人間への愛」や「世界への愛」のような、抽象的な愛に発展していっていると思うのです。
ここは女神の石碑編を読んで強く感じました。 フリーレンにとって、ヒンメルは過去の人なんですね。フリーレンはヒンメルに再会しても特別な感情を見せません。「感動の再会」みたいなものはない。フリーレンは過去は過去としてしっかり処理できていて、元いた未来に帰りたいと言う。ヒンメルは、そんなフリーレンを見て悦ばしく思うのです。(第12巻116話)

ヒンメルからフリーレンへの感情が恋愛というより親から子への愛情のように見えるのもそういうわけなのだと思います。もしかすると、フリーレンに恋愛感情がない、希薄なように見るのもそのためかもしれません。
※ 『ぼっち博士』を見直してみたら、第1話から「愛とは何ですか?」で、描きたいことは『フリーレン』と一貫しているのだと思いました。

『葬送のフリーレン』の原作マンガはまだ読んだことがないという方には原作マンガを、既に読んだことのある方にはある一つの視点からの再読をお勧めしています。
《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。
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