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《葬送のフリーレン》「生の一回性」を回復する旅(第144話)

はじめに

《葬送のフリーレン》の物語全体に関する文章(考察)です。第144話においてゼーリエが比較的カジュアルに未来視の一種である予知夢の魔法を使って未来予知を行っていることが明らかになりました。また、フラーゼにとっては「死でさえ時間稼ぎにしかならない」とされています。それらを踏まえてのものです。

「生の一回性」を回復する旅

「生の一回性」とは?

「生の一回性」とは、人生は一度切りしかありませんよ、死んだら終わりですよ。ということだと思ってください。

もう少し詳しく言うなら、後悔したくないからといって、未来予知をしてから今の選択をすることはできませんよ(未来視禁止)。取り返しのつかないような過ちをおかしてしまっても、過去に戻ってやり直しをすることはできませんよ(タイムリープ禁止)。ということにもなると思います。

《葬送のフリーレン》を読んだことのある方は「あれ?」と気になることがあったかもしれません。

では、フリーレンの旅についてみてみます。

物語(旅)のはじまり

《葬送のフリーレン》の物語は、フリーレンが取り返しのつかない大きな過ちに気付くことから始まります。(第1話)

第1話

フリーレンは10年間一緒に旅したヒンメルの葬儀の場で「この人の事(中略)なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」と後悔をします。そして、「もっと人間を知ろう」と旅に出る…それが《葬送のフリーレン》の物語のはじまりです。

第1話

つまり、(愛していたはずの)ヒンメルのことを良く知ろうとしなかったというフリーレンの取り返しのつかない大きな過ちと深い後悔が旅の出発点です。

フリーレンは80年前のヒンメルたちとの旅路を辿るようにして、新しい仲間たちと共に再び旅をします。

第4話

そして、行く先々でヒンメルたちとの思い出を見つけます。当時は気にも留めていなかったヒンメルたちの言葉や行為を思い出し、その意味に気付きます。

第4話

言うなればこれはフリーレンの思い出をたずねる旅、「過去との出会い直し」の旅です。

最も有名なのは、「鏡蓮華」のエピソードですね。アクセサリー・ショップでフリーレンが何の気なしに適当に選んだ指輪ですが、その意匠の意味(久遠の愛情)をヒンメルが知っていたことにフリーレンは80年後に気付きます。ヒンメルが何も言わずにひざまづいてその指輪をフリーレンの左手薬指にはめてくれたことも思い出します。ただ頑張ったご褒美に貰ったと思っていた指輪が「過去との出会い直し」よって一方通行のエンゲージメント・リングとしての意味を帯び、ヒンメルの気持ちが80年越しに伝わったわけです。

こんなふうに、人はタイムリープをして過去に戻ることはできないけれども、実は過去と出会い直しをすることができます。タイムリープなどできなくても、思い出という形で過去と出会い直して、過去の意味を変えることはできる。一種のやり直しのようなことができるわけです。

《葬送のフリーレン》にはこういった「過去との出会い直し」の場面が各所に散りばめられており、それぞれとても美しく、感動的なシーンになっています。

では、なぜこの「過去との出会い直し」はとても美しく、感動的なシーンになっているのでしょう?

なぜならそれは、「生の一回性」があるからだ、と私は思います。 

もし「生の一回性」がなければ

もし、「生の一回性」がなければどうでしょう?

たとえば…

  • 死んでも転生・再生して、やり直しができる。

  • そもそも死なない。永遠の命を持っている。

  • 未来を知ることができて、過ちを回避できる(未来視)

  • もし過ちをおかしても、やり直しをしたくなったら過去に戻る事ができる(タイムリープ)

こんなふうに、まるでゲームのように簡単に人生のやり直しができたり、未来予知をすることができたとしたら。

おそらくそこには本当の意味での大きな過ちや深い後悔というものは存在しないと思います。

「生の一回性」がなければ、フリーレンの「この人の事(中略)なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」という後悔もありえません。「失敗しちゃったから過去に戻ってやり直そう!」で済む話になってしまいますから。

タイムリープをして過去に戻り、やり直し(過去改変)ができるのだとすれば、過去の思い出の崇高さも尊さも汚されたように感じます。やり直し可能な過去と「出会い直す」ことに一体どれほどの意味があるというのでしょう。やり直しができないからこそ、過去と「出会い直し」をしてその意味を解釈し直していくことに、私たちはある種の崇高さや尊さを感じるのだと思います。

ですから、《葬送のフリーレン》の物語は「生の一回性」を大きなテーマにしていると私は考えています。

※タイムリープの設定が明らかになった「女神の石碑編」を読んだ時、私は結構ショックを受けました。今までの旅は何だったのだろうか?と。それで全体を再読すると伏線がポロポロ見つかって更にハマったのですが。

《葬送のフリーレン》では「生の一回性」を損なう要素がいくつも登場している

この文章の冒頭で「生の一回性」について説明したときに、《葬送のフリーレン》を読んだことのある方は「あれ?」と気になったかもしれない、と言いました。

そうなんです。

《葬送のフリーレン》では、「生の一回性」を大きなテーマにしているにも関わらず・・・・・・、いえ、「生の一回性」を大きなテーマにしているからこそ・・・・、「生の一回性」を掘り崩すような設定がいくつも現れるのです。

  • エルフは永遠に近い寿命を持っています

  • 過去にタイムリープすることができます(女神の石碑編参照)

  • 未来視の魔法があります(第144話等参照)

  • 死者と再会することができます(旅の目的地・魂の眠る地オレオール

これらの設定は《葬送のフリーレン》の美しく感動的な「過去との出会い直し」の場面をスポイルする(台無しにする)方向に働く要素です。

ただ、フリーレン自身はタイムリープ(時空干渉)や未来視についてどのような態度をとっているのか明らかではありませんし、魂の眠る地オレオールの存在については半信半疑です。つまり、作者は「生の一回性」を損なう要素に対しては主人公フリーレンの態度を慎重に保留させているのです。

※それに対して、ゼーリエは比較的カジュアルに未来視の一種である予知夢の魔法を使っています(第144話)。永遠に近い寿命を持ち、未来を知って「正解」を選び続けることのできるゼーリエにとって、「生」はどのような意味を持つのでしょうか。ゼーリエがフリーレンのような旅に出ることはおよそ想像ができません。

第144話

※「女神の石碑編」でフリーレンは80年前のヒンメルと再会しました。タイムパラドックスを起こさないために、ヒンメルと自由に会話できたわけではありませんが、一応は、旅の目的を果たしたとも言える状態だったわけです。けれども、フリーレンは特別な感情を表しませんでした。

フリーレンの旅はどこへ行くのか?

そうすると、ですよ。《葬送のフリーレン》はまだ完結していませんから、この物語がどこへ行くのか私にはわかりません。けれども、なんとなくこんなふうにも想像してしまいます。

フリーレンの旅は、最終的には、損なわれてしまった「生の一回性」を回復する旅になるのではないか?

具体的なことを書くのは憚られるのですが、たとえば、永遠に近い寿命をもつエルフたちは歴史の表舞台から去る(人間の時代)とか、タイムリープを可能にする(不可逆生の原理を捻じ曲げる)ような女神様の存在は消えてしまうとか、未来視のような高度な魔法は無くなってしまう(平和な時代に相応しい民間魔法だけが残る)とか、そもそも魂の眠る地オレオールは無かったとか…。

ちょっとビターな結末だという感じもしますが…どうなんでしょか。皆さんはどう思われますか?(私も自信を持って主張しているわけではありません)

おわりに

コメント歓迎です。感想・疑問・質問、《葬送のフリーレン》に関する事でしたら何でもどうぞ。

《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。120本以上ありますのでキャラ名で検索をかけてみてください。フランメ、ヒンメル、エーヴィヒなどで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。


備考:魔族の生(魔族の転生・再生の可能性)

魔族は死んでも転生・再生する可能性があると私は考えています。魔族はエルフとはまた異なる形で生の牢獄に囚われている(「生の一回性」が損なわれている)種族なのではないか?と思うのです。

女神の石碑編において、自分の最期をフリーレンが知っているという認識を持っているらしいソリテール(第116話)
にもかかわらず、黄金郷編でソリテールはフリーレンとの戦いを選びます。ソリテールは非常に保守的で安全側の選択を取るタイプの魔族ですから、女神の石碑編でのソリテールの慎重な態度と比較するとこれはかなり不思議です。そして、死に際のソリテールには死を恐れる様子がなく、軽口を叩いています。マハトと比較してください(第102話)
他の魔族と同じように「命惜しさに、無様に逃げ出している」マハト(第103話)
マハトは今際の際にソリテールのこの言葉を思い出していました。この台詞は「それ以上のことは後で知れば十分」とも読み取れます。では、マハトやソリテールには「後」があるのでしょうか?(第103話)