死への恐怖・生への執着「決して逃れられない魔族としての性質」 葬送のフリーレン 第103話 考察
デンケンの「高圧縮のゾルトラーク」により瀕死の重傷を負ったマハトはヴァイゼの街を彷徨いながら、ソリテールとの対話を思い出します。「決して逃れられない魔族としての性質」とは、この時ソリテールがマハトに語った言葉です。少し長くなりますが引用します。
本当は君を殺すつもりでこの地を訪れたの。
でも私は君との戦いを恐れてしまった。私は自分の命を懸けてまで種を存続させようとするほど変わり者ではないの。
どれだけ思考を巡らせようと、どれだけ異端で異常だろうと、私たちは魔族なのよ。
魔王様もシュラハトも君も、形は違えど決して逃れられない魔族としての性質を持っていた。
それだけ知ってもらえれば今はそれで十分。
(太字は引用者による)
ソリテールは、自分自身の命の前では「魔族の存続」という大義などどうでもいいと言うのです。(余談ですが「今はそれで十分」とはどういう意味でしょう?マハトがソリテールのこの言葉を思い出したときには既に瀕死の状態でした。「後」があるのでしょうか?)

続くマハトの独白です。
…魔族か…無様なものだ…
…支配の石環を着けたそのときから…
…俺は死を恐れているつもりはなかった…
…知らない感情のためなら…
…共存のためなら…
…報いを受けるためなら…
死んでもいいとさえ考えていた…
…なのに俺はこうして自分の命惜しさに、無様に逃げ出している…
…他の魔族と同じように…
(太字は引用者による)
マハトもソリテールと同じです。自分自身の命の前では、あれほど執着していた「知らない感情」の探究や「魔族と人類の共存」という思想も些事であった。結局は自分も他の魔族と同じだった、と言うのです。

傍証になりますが、『葬送のフリーレン』の作者が監修している『葬送のフリーレン 前奏』(著:八目迷、原作:山田鐘人、作画:アベツカサ)の第4話「放浪する天秤」から引用します。断頭台のアウラが勇者一行と戦い、ヒンメルから斬撃を受けて撤退を決断する場面です。
すさまじい勢いで傷口から魔力が漏れていく。まずい。力が、どんどん失われていく。このままではやられる。ここは退くべきだ。
しかし……七崩賢が人類を前に尻尾を巻いて逃げ出すなんて!
そんなこと、あっていいはずがない。だけど、それでも……。
七崩賢としてのプライドと、生への執着が、心の中の天秤にかけられる。
天秤は、後者に傾いた。
アウラはプライドの高い魔族ですが(そのプライドが原因でフリーレンに負けてしまいます)、重症を負ったアウラが重視したのは「七崩賢としてのプライド」よりも「生への執着」です。
つまり、ソリテールが言った「決して逃れなられない魔族としての性質」とは、「死への恐怖・生への執着」です。
魔族か人類(人間、エルフ、ドワーフ)かを問わず、当然ですが誰しも「生への執着」は持っています。
けれども、私たち人類が知っている「生への執着」は、魔族にとっての「生への執着」ほど本質的なものではないというのです。
魔王も全知のシュラハトも、この「生への執着」からは逃れられなかったとソリテールは言っています。魔王やシュラハト(魔王の腹心)のような立場の者だと「潔く大義に殉じる」イメージをなんとなく持ってしまいますが、そうではなかったと言うのです。(ただ、ソリテール自身の最期の場面(第102話)では、ソリテールは特に取り乱したりすることなく、いつもと変わらない天邪鬼ぶりを発揮していたことも不思議です。繰り返しになりますが「後」があるのでしょうか?)
魔族は死ぬと魔力の粒子となって消えてしまいます。魔族にとって死とは何なのでしょう?
魔族はエルフほどではありませんが人間と比べればかなりの長寿で、エルフと同じように人間よりもずっと死から遠いところにいます。その魔族が、なぜそこまで死を恐れ、生に執着するのでしょう。
人類にとっての天国のようなものが魔族には存在しないから死を恐れ、生に執着するのでしょうか?
しかし、人類にとっても「数千年前までは無に還るって考えが主流だった」わけですし、伝統を重んじるドワーフの間ではその考えが現在も主流のようです。(第7話参照。アイゼンはハイターの話を聞いて天国を信じることにしました。)
もしかすると、魔族の起源と関わることなのかもしれません。(私は、魔族は一種の人造人間的な存在で、魔族にとって人類との戦争は「人類からの独立戦争(=共存を目指す戦争)」なのではないかという仮説を持っています。これについては別記事を参照ください。)
また、「逃れられない魔族としての性質」が「生への執着」だとすれば、気になるのは、まずは、七崩賢の「不死なるベーゼ」(登場するのは第97話、第102話のみ)…
そして、「不死なるベーゼ」と同一人物であるという説もある「死にたがり」のユーベルです。(ゼーリエとの面接時の会話「会話が必要なのか?」「それもそうだね」(第58話)からゼーリエとユーベルは旧知の関係にあるようなので可能性はあると思います。ただ、本作ではまだ「転生」や「入れ替わり」の仕掛けは使われていないので、現時点ではなんとも…)
そして死生観といえばエルフについても気になります。
というのも、最初に引用したソリテールの「私たちは魔族なのよ」(第103話)と相似するクラフトの台詞「俺たちはエルフってことだ」(第24話)があるからです。この時のクラフトは、エルフにとっての生について語っていました。

これについては稿を改めたいと思います。
関連記事
魔族の起源について
ユーベルとゼーリエの関係について
その他の考察記事
※『葬送のフリーレン』に関する主要な考察記事を「質問と回答」の形式でまとめています。
※『葬送のフリーレン』に関するすべての考察記事を収録したマガジンです。
