《葬送のフリーレン》ハイターはどんな父親だった?/肉まんみたいな雲(第7巻67話EP32A「穏やかな時間」)
先の展開に関するネタバレはありません。
主人公はフェルン
デート回前半の第7巻66話「好きな場所」(EP31B)ではシュタルクがフリーレンのアドバイスを受けながら一生懸命デートの計画を練っています。シュタルクが主人公です。
それに対して、デート回後半の第7巻67話「穏やかな時間」(EP32A)では、デートの当日シュタルクにエスコートされたフェルンが実際どう感じたかが描かれています。主人公はフェルンです。
そして、デートの最後で二人はそれぞれの父親であるハイターとアイゼンのことを思い出しています。

この後はシュタルクによる回想が始まり、そこではアイゼンが食事の支度をしたり、栄養バランスを心配したりしていて(アニオリ)、シュタルクのことを可愛がって大切にしていたことがわかります。
しかし、読者にはフェルンがここでどのようなハイターを思い出しているのかわかりません。このエピソードには、シュタルクの回想(アイゼンの思い出)はあるのですが、フェルンによる回想(ハイターの思い出)はないからです。
ですから、エピソードの大トリで主役であるフェルンが何を思っているのかは読者の想像に任されています。
これは面白いと思いました。
ハイターはどんな父親だったか
そこで、フェルンが思い出しているハイターの姿を想像してみたいと思います。
どのようなハイターを想像するのも読者の自由ですが、こうやって作文して人様に披露する以上は、なるべくこのエピソードの描写に基づいて想像してみます。私の想像を押し付けるつもりはありませんので、共感したり反発したりして面白がっていただければ幸いです。
まず、デートの最後でフェルンは「戦災孤児だった頃はこんなのんびりできるようになるとは思っていませんでした」「ハイター様のお陰ですね」とハイターの名前を出します。
では、このとき唐突にハイターのことを思い出したのか?といえばそうではないと私は思います。
フェルンがいつからハイターのことを考えていたかというと、少し遡って、「でも、とても嬉しいです。私のために必死に考えてくれたんですね」の所からだと私は思います。

なぜなら、この時の表情は過去を思い出している、過去を眼差している表情だと私には思えるからです。ここでシュタルクのことだけを考えているのなら、悲しさや寂しさを含んだ表情をする理由がわかりません。(温泉でもこの表情です)
ということは、フェルンのことを必死に考えてくれた、でもちょっと背伸びをして空回りしているシュタルクの姿から、フェルンはハイターを思い出したのでしょう。
このことから想像してみると、フェルンにとってハイターは
フェルンのことを必死に考えてくれる
(それがとても嬉しい)
でもちょっと気を使いすぎたり、世話を焼きすぎるところがある
(そんなに無理をしなくても、私はもっと普通でいいのに…)
そういう父親だった。私はそんなふうに想像しました。
ここは、男の子を育てる父親(アイゼン)と女の子を育てる父親(ハイター)のちがいという感じもして、おもしろいと思いました。
それと思い出したのはザインのことです。(第4巻29話「理想の大人」)

このエピソードではハイターがフェルンの前では「理想の大人」を演じているという話になっています。フェルンには「心の支えになる大人の存在が必要」だから「私は死ぬまで大人の振りを続ける」というのです。

ですが、フェルンはハイターが理想の大人を演じていることにどこかで気付いていたのではないでしょうか。そうでなければ、「破戒僧」であるザインにハイターを重ねたりしないでしょうし、デートで頑張っているシュタルクを見てハイターのことを思い出したりはしないでしょう。
幼いフェルンは意外とハイターのことが良く見えていて、フェルンの中にいるハイターは、思っていたよりも「本当のハイター」なのだと感じました。
フェルンの心の向かう先
エピソードの最後で、フリーレンとフェルンが一緒に温泉に入るシーンがあります。

ここでもフェルンは、先程と同じ「過去を眼差している表情」をしています。
ですから、デートの終盤から温泉まで、フェルンの心の中にはシュタルク(現在)とハイター(過去)が同居しているのだと思います。
だから、嬉しさと同時に寂しさや悲しさを感じています。シュタルクの父・アイゼンは存命ですがフェルンの父・ハイターは既に亡くなっていることも影響していると思います。
肉まんみたいな雲
ここでアニメオリジナルの演出である「肉まんみたいな雲」についてです。
「肉まんみたいな雲」に関するやりとりがどこに挿入されているかというと
「でも、とても嬉しいです。私のために必死に考えてくれたんですね」
「フェルン…」
《ベンチに腰掛けて遠くを眺める二人》
「すごく穏やかな時間ですね」
《肉まんみたいな雲》
「なんだか不思議です。戦災孤児だった頃は(後略)」
「そうだな」
「ハイター様のお陰ですね」
「俺だって師匠のお陰だ」
《シュタルクの回想(アイゼンの思い出)》
《フェルンとフリーレンの温泉》
二人は肉まんみたいな雲についてひとしきり笑った後、スンッと素に戻ります。ですから、感情が行って戻ってと慌ただしい印象です。これは凄いところに入れてきたなと感じました。嬉しさと悲しさがないまぜになった複雑な心理の間に「肉まん」ですから。
「肉まんみたいな雲」に関するやりとり自体はフェルンの気遣いで、「少し残念」と辛辣な評価を下した手前、場を和ませてシュタルクをフォローしたかったのだと思います。シュタルクは「あの雲ちょっと似ていませんか」と言われてから空を見ていますから、「俺も思ってた!」はフェルンに調子を合わせて上手く助け船に乗った、円滑なコミュニケーションのための「ウソ」でしょう。
アニメ制作者としては、デートの印象を回復するために、このやり取りをどこかに入れたかった。ただ、他に上手く入れられるところがなかったのかもしれないですね。

※非常に細かい話なのですが、シュタルクの回想シーンで食事の支度をしているのはアイゼンです。『前奏2』では、ゼーリエがフランメのために食事の支度をしていました(意外ですよね)。シュタルクにもフランメにも家事を手伝う描写はありません。でも、フェルンとハイターの暮らしでは、食事の支度はフェルンの仕事だったのでは?と思います。
おわりに
つい使ってしまうのですが「アニメ化」という言葉はあまり良くないのかもしれないと思いました。
『フリーレン』のアニメ第1期は原作マンガを忠実に再現していることが一般に高く評価されていたと認識しています。(部分的に重大な変更もあるのですが、私も概ねこの意見に同意します)
もし仮に、アニメ第2期を第1期と同じ評価基準(原作の再現度)で評価したとするとあまり高い評価は与えられないでしょう。
そもそも、ここまでの第2期を見るに、アニメ第2期の制作者には「原作に忠実なアニメ化」の意識は希薄だと思います。
原作と原作付きアニメが別の作品だとまでは思いませんが、やはり別物ではあるので、「原作の再現度」という評価基準は使うべきではないのでしょうね。
『フリーレン』の場合、原作マンガとアニメではそれぞれ上手な楽しみ方というものがあると思います。基本的には、自分のペースでじっくりと物語を読んで、想像を楽しみたいという方には原作マンガをお勧めします。
その訳をこちらの記事で説明していますのでお読みください。
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