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《葬送のフリーレン》アニメ第1期でキャラの表情(心理)が大きく変更された三つの事例(フェルン、ユーベル、メトーデ)

この週末からアニメ《葬送のフリーレン》第1期を映画館で上映するというイベントがあるそうなので、アニメを話題にしたいと思います。

2025.08.27
TVアニメ 『葬送のフリーレン』放送2周年記念! 【第1期振り返り特別上映~旅の記憶~】開催決定!

https://frieren-anime.jp/news/4289/

アニメ第1期に私はほとんど不満がありません。台詞はほぼ完全に再現されていますし、原作のマンガにかなり忠実なアニメ化だと思います。その上で劇伴(楽曲)は素晴らしいですし、戦闘シーンのアニメーションも良いですし、アニメオリジナルの演出も原作を損なうことなく盛り上げています。

ただ、マンガとアニメでキャラクターの表情(心理)が大きく異なっている事例が三つあります。(フェルン、ユーベル、メトーデ)

不安や悲しみ ⇔ 喜び といったようにマンガとアニメでほとんど正反対の表情(心理)になっている、とても興味深い事例なので、ご紹介します。

この三つの事例は個別に考察記事で扱ったことがあるのですが、マンガとアニメの比較という観点から、ここで改めてまとめて話題にします。


事例1. フェルンが修行続行を決めた時の表情

一つ目は、ハイターが倒れた際に修行の続行を決めた時のフェルンの表情です。(第1巻2話「僧侶の嘘」、アニメS1-EP2「別に魔法じゃなくたって…」)

こちらがアニメでの表情です。

S1-EP2「別に魔法じゃなくたって…」

不安そうです。空は暗く、風がドオッと吹いて、先の見えない不穏な雰囲気です。師匠のフリーレンは立ち去ってしまいましたし、修行の成否(一番岩を撃ち抜けるか)はわからないのですし、育ての親であるハイターが倒れたのですから、もっともです。

それに対してこちらがマンガのフェルンの表情です。

第1巻2話

良い表情です。アオリ(見上げる)の視点だからなのか顔が少し細く描かれていて大人びて見えます。ここから感じるのは、喜び、自信、満足。そういったポジティブな感情です。空は明るくなってきていて、雨上がりを予感させます。ここからはフェルンの新しい人生が開けてゆくような将来への希望を感じ取ることができます。旅に出る前のフェルンがこんなに素敵な表情を見せるのはここだけです。

でも、どうしてでしょう?マンガのフェルンには不安はないのでしょうか?不思議です。

※私はアニメを先に観ているので、マンガを先に読んだ方がこのフェルンの表情をどのように受け止めたのかはよくわかりません。

事例2. ユーベルがラントを理解した時の表情

二つ目は、ラントを理解した時のユーベルの表情です。(アニメ第1期の範囲では二か所あります)

一次試験後、レッカーのレストランに入る前(第5巻46話、S1-EP22「次からは敵同士」)

S1-EP22「次からは敵同士」
第5巻46話

第二次試験中、ユーベル複製体撃破後(第6巻50話、S1-EP24「完璧な複製体」)

S1-EP24「完璧な複製体」(劇伴は物悲しい曲になっています)
第6巻50話
第6巻50話

アニメには前後の所作がありますし、劇伴とそしてなにより声優の演技の効果が大きいので、ぜひ見直してみてください。

アニメのユーベルは、私の印象では、ラントの内心を理解したことで満足していて嬉しそうです。ラントの反応も楽しんでいるようです。(ただし第二次試験中の場面での劇伴は物悲しい曲なので、ちぐはぐな感じがあります)

それに対してマンガのユーベルは悲しそうな顔をします。マンガでは帝国編に三か所目があって(第13巻126話)、ここでもラントのことを理解するとき、マンガのユーベルはなぜか悲しそうな表情をします。不思議です。

二つの事例の共通点

この二つの事例には共通点があります。

それは、アニメの方がキャラクタの心理を理解しやすいことです。

アニメのフェルンは不安そう。なぜなら、フリーレンは自分を置いて立ち去ってしまったし、修行が上手くいくかどうかはわからないし、ハイターのことが心配だからです。

アニメのユーベルは嬉しそう。なぜなら、ラントの内心を読み取ることができて満足しており、ラントの反応を楽しんでいるからです。

アニメでの二人の心理は当該エピソードだけ観れば理解できます。

これに対して、マンガでの二人の心理を理解することは、それほど簡単ではありません。

マンガ・フェルンの表情の解釈

フェルンの表情(嬉しそう)は、読解力の高い方や心理学を学んだことのある方ならすぐに理解できたかもしれません。

けれども私の場合、子供時代のフランメの快活な様子(第6巻53話、S1-EP25)と比較することで、幼いフェルンが一種の抑うつ状態にあることに気付き、やっと理解することができました。

幼いフランメの子供らしい笑顔(S1-EP25「致命的な隙」)

結局のところ、このフェルンの表情の解釈は、ハイターに魔力制限を教えられて幼い頃から「血の滲むような」「人生を懸けたような」修行(第3巻24話参照)に打ち込んでいたフェルンが損なってしまったものは何だったのか?という問題に行き着きます。

なぜなら、前述しましたが、フェルンは初めてここで素敵な笑顔を見せるからです。どうして今まで笑わなかったの?という疑問です。(この場面について真剣に考えるまでは、フェルンのことを「聞き分けが良く物静かで賢い子」だと私は思っていました)

「魔法は好き?」と訊かれてフェルンは「ほどほどでございます」と答えます(第1巻2話)。齢9歳のフェルンにとって魔法はもはや純粋に楽しいものではなくなっています。

9歳の少女が千年以上生きた百戦錬磨の大魔法使い「葬送のフリーレン」と同じ答えをしている時点で、何か異常なことが起こっていると考えるべきでしょう(第1巻2話)

また、フェルンは「別に魔法じゃなくたって…」と魔法を選んだ理由を忘れてしまっています。

フェルンは自分が魔法を選んだ理由を忘れてしまっています(第1巻2話)

ですから、フェルンにとってフリーレンとの旅は、傷を癒やし、失ったものを取り戻す旅なのです。

この点を踏まえて修行の続行を決意した際のフェルンの気持ちを考えてみると、フリーレンから自己決定を尊重され、主体性を認めてもらったことに満足と喜びを感じているように見えます。

ハイターが修行を強制していたとは思いません。ただ、フェルンとしてはハイターを安心させたいという思いと、ハイターからの言外の期待を感じ取って、「修行しなくてはいけない」と強く思い込んでいたのではないでしょうか。

フリーレンに「好きにすればいい」と言われたフェルンは、自分の「修行しなければいけない」という規範意識から解き放たれて、修行するかしないかを自由に決定することになりました。その主体性を回復した喜び、自己決定を尊重された満足感、それがこの表情に現れていると感じます。

※フェルンに対するハイターの期待とは何か?なぜハイターはフェルンに魔力制限を教えていたのか?はまた別の疑問ですが、ここでは触れません。

※「〜しなければいけない/~してはいけない」というフェルンの強い規範意識については次の記事でも考察しています。本稿と一部重複する内容があります。アニメ第1期の範囲を超えるネタバレありです。

マンガ・ユーベルの表情の解釈

ユーベルの表情(悲しそう)を理解するには、物語全体を丁寧に読んで、それを前提に考える必要があります。私は帝国編まで読んでから理解できたと感じました。(このユーベルの表情はおそらくは帝国編で解決される伏線です)

ここはいわゆる考察ポイントになっています。

なぜなら、ユーベルは他人に「共感」することでその人の魔法を使えるようになるという特殊な才能を有しているのですが、彼女によれば「その人が得意とする魔法は(その人の)人生や人間性に大きく係わっている」とされており、ユーベルが魔法を習得するために必要な「共感」とは、「人生や人間性」に深く根差した「共感」だと考えられるからです。つまり、ユーベルが分身魔法を取得するためにラントに「共感」しようとするときに悲しそうな表情をする理由は、ユーベルの人生または人間性(あるいはその両方)と関係があるわけです。では、ユーベルの人生・人間性とはどのようなものなのか?ということになります。

この記事では考察の詳細には立ち入りませんが、結論としては、ユーベルはラントの過去に自分の過去を重ねていて(二人には似た過去があって)、自分の過去を思い出して悲しい気持ちになっているのだと私は考えています。

この違いによって、マンガのユーベルとアニメのユーベルはかなり異なるキャラになっています。

アニメのユーベルは、ちょっと冴えない引っ込み思案の男の子に付き纏って引っ張り回す、理解不能でトラブルメーカーの少女という印象でした。蠱惑的なファム・ファタールです。ラントとユーベルは典型的なボーイミーツガールです。

それに対してマンガでは、基本的にはアニメと同じ変わり者なのですが、それに加えて悲劇のヒロインのような雰囲気を纏っています。ラントに付き纏う理由も、偶然の出会いから生じた単純な好意やからかいではなく、背景に何か深い事情があるのではないか?(二人の過去に何か繋がりがある等)という気がしてくるのです。

なぜこのような違いがあるのか?

原作マンガのアニメ化に際して なぜこのような変更が行われたのか?は推測するしかありません。

ちなみに、原作者はアニメ化に深く関わっているとされており、原作者の意向はかなり尊重されていると思われます。

特に台詞をそのまま再現することにはこだわりがあるとどこかで読みました(失念しました)。私の感触としても、《葬送のフリーレン》の台詞はかなり練られていて、一字一句に意図が込められた表現だと感じます。いい加減な文言は一切ないといっても過言ではありません。明らかなミスでもない限り変更はないでしょう。

それに対して、「作画」については、担うのが「原作者」とは異なっていることも本作の特徴です。(別に珍しい事ではありません)

そういう意味では、アニメでもマンガでも「画」に原作者のコントロールがどの程度及んでいるのか?少なくとも、前述した台詞ほどのコントロールは及んでいないのでは?という気もします。

ただ、それにしては大きな変更です。キャラの心理がほぼ反対方向に変化していますから。(ネガティブ⇔ポジティブ)

マンガの表現がミスでアニメの表現が修正版だとは思えません。

なぜなら、フェルンの事例は連載開始前にしっかり作り込んでいる第2話ですし(編集者による厳しいチェックを経て、連載のゴーサインが出ているはずです)、ユーベルの事例は第46,50,126話と三回も同じ表現があるからです。

ですから、これはマンガとアニメで表現を意図して変えている(使い分けている)のだと推測します。

では、どのような意図があるのか?

前述した二人の心理の理解に苦労した自分の経験を踏まえると、「《葬送のフリーレン》のアニメ化に際しては、キャラクタの心理に関する難解な箇所は取り除くという配慮があるのではないか?」(「そのエピソードだけを観てわかる」ことが重視されていて、全体の理解を前提にした表現は控えている)と私は推測しています。

事例3. フェルン複製体との戦いが終わった時のメトーデの表情

ちなみに、前述の私の推測とは矛盾するかのような例(アニメの方が少し難しい)が一つあります。(ですから、先程の推測も確信を持って主張しているわけではなく、あくまでも「こうなんじゃないか?」という仮説です)

第二次試験で水鏡の悪魔シュピーゲルがフリーレンによって破壊され、フェルン複製体との戦いが終わった時のメトーデの表情です。(第6巻55話、S1-EP26「魔法の高み」)

まず、マンガのメトーデの表情を見てみます。

第6巻55話

まっすぐ前を見ていて余裕を感じさせる表情をしています。

フェルンの複製体を一人で相手にするメトーデを「あの子結構強いわよ」と気遣ったエーレに対して、メトーデはかなりの自信を見せていたくらいですから、当然です。(第6巻55話)

第6巻55話

次に、アニメのメトーデの表情です。

S1-EP26「魔法の高み」

戦いが無事終わったにもかかわらず、アニメのメトーデは下を向いて厳しい表情をしています。

ここでは私はアニメのメトーデの表情に不思議(疑問)を感じます。

マンガで描かれた余裕の表情はどこへ消えたのでしょう? メトーデは複数の理由を挙げて自分の優位性を説明していたではありませんか。

想定していたよりもフェルン複製体が強かった?メトーデはフェルンの実力を見誤った?

もちろん、この解釈も十分に成り立ちます。戦いが終わった後の周囲の状況からは、かなり激しい戦闘だったことが見て取れます(メトーデが後に再登場した際の描写からは、魔力の量やコントロール力だけではなく実戦経験なども含めた総合力で比較した時、現時点の二人に大きな実力差がある感じはしません)。そして、それだけであれば、メトーデの表情の解釈に特に難しい所はありません。

ただ、ここも考察のポイントで、「メトーデは複製体の死体を見て何かに気付いた」のだと私は考えています。

メトーデの立場で考えてみます。

メトーデの目の前で、複製体が魔力の粒子になって消えて行きます。

これは魔物と魔族の特徴で、そのことをメトーデはよく知っていますし、魔物と魔族の死体を彼女は何度も見たことがあります。

そして、メトーデの知識では、複製体を作っている水鏡の悪魔シュピーゲルは神話の時代の魔物・・です。(ラヴィーネ(の長兄)からの情報提供です(第6巻52話)。ゲナウたちもこの認識です(第6巻50話))

第6巻52話
第6巻50話

ですからメトーデはこう考えるでしょう。

魔物が魔物を作った。しかも、今戦ったフェルンの複製体は完璧な複製で、私が苦戦する程の実力を持っていた。魔物が人間の完璧な複製である魔物をつくる? そんなことが本当に可能なのだろうか?

つまり、知識と矛盾するような不可解な事実を目の当たりにして、彼女の認識(水鏡の悪魔シュピーゲルは神話の時代の魔物)が揺らいでいるのです。その疑念や不安がメトーデの頭の中に渦巻いており、表情に現れている、というわけです。

ちなみに、零落の王墓は「未踏破の迷宮」でしたから(第6巻48話)、実際に水鏡の悪魔シュピーゲルの姿を見た者はほとんど存在しません。フリーレンとフェルンは見ていますが、他に可能性があるのは神話の時代から生きているエルフだけです(それほど長寿の魔族が存在するかは不明です)。ですから、水鏡の悪魔シュピーゲルに関する知識は賢者エーヴィヒの英雄譚がソースです。そして《葬送のフリーレン》では、過去の事実が誤って現在に伝わるというモチーフは頻繁に現れます…。

第6巻55話

これ以上はアニメ第1期の範囲を超える考察になるのでここでは触れません。ご興味のある方は「おわりに」で紹介しているマガジンで「エーヴィヒ」を検索すると関連する考察を読むことができます。(アニメ第1期の範囲を超える考察になりますのでネタバレ注意です)

【余談】アイゼンの「その百分の一がお前を変えたんだ」の位置

これはキャラクターの心理とは無関係ですが、せっかくのアニメ第1期に関する話題なので、ここで触れておきます。

フランメの手記を発見して、フリーレンたちがエンデに向かって旅立つ際のアイゼンの言葉「その百分の一がお前を変えたんだ」の位置に関してです。

マンガでは第8話の最後の場面(ヒキ)で使われます。

第2巻8話

アニメではエピソード4「魂の眠る地」には入っておらず、エピソード5「死者の幻影」のオープニングの前に入っています。(後述しますが尺の制約で仕方なかったと想像します)

人間であるフェルンを前に「たった10年の冒険だよ」「私の人生の百分の一にも満たない」と うそぶくフリーレンの内心を、アイゼンがズバリ看破したシーンです。

アイゼンは理屈をこねて人を言い負かすタイプの人物ではありません。口数は少ないけれども一言一言には重みがある。そういうタイプです。

アイゼンには、フリーレンを諭す気持ちと、フェルンを気遣う気持ちの、両方があったのだろうと想像します。(フェルンが師弟関係の悩みをアイゼンに打ち明ける場面もありました。また、かつてアイゼンがフリーレンに弟子を取るよう勧めたとき、フリーレンは「色々教えてもすぐ死んじゃうでしょ」と配慮に欠ける発言をしていました)

第2巻8話

アイゼンと別れた後、フェルンは思い詰めたような表情で「私の人生では二分の一ですから」と言います。フリーレンは怪訝そうな顔をします。フリーレンの表情は冷たく、これではフェルンが固くなるのも当然だと感じます。フェルンは続けて「フリーレン様と過ごした時間です」と補足説明します。エルフの貴女にとっては百分の一に過ぎないかもしれないけれども、人間である私にとっては二分の一かそれ以上だ、ということですね。

※旅を始めて最初の頃までのフリーレンは、かなりきつい目でフェルンを見ることがあります。単にそういう絵柄なのか、それとも作者が意図した表現なのか、迷うところがあります。

第2巻8話

アイゼンに指摘されて、フリーレンもそこは理解したようです。「これからもっと多くなるよ」という言葉からは優しさを感じます。フリーレンの表情は少し柔らかくなっています。フェルンの表情は見ることができませんが、安心したのではないでしょうか。

アイゼンの優しさ、思い詰めた気持ちをフリーレンにぶつけるフェルン(16歳)の緊張(とその後の緩和)、フリーレンの変化などが感じられて、ここはとても好きなシーンです。

ですからここはヒキで観たかったのですが、ここまでで一つのシーンですから、アニメのエピソード4に入れるのは無理だったのでしょう。

※ 《葬送のフリーレン》では、だいたいマンガの2話がアニメの1エピソードに納まります(アニメ第1期の28エピソードはマンガの第1話~第60話に相当します)。そのため、アニメではマンガに比べて「ヒキ」として使える場面が少なくなります。ここのまとめ方でストーリーの印象は結構変わってしまいます。

おわりに

マンガとアニメの違いとして三つの事例(フェルン、ユーベル、メトーデ)を挙げましたが、どのように感じましたか?

他にも同じような違いがあるかもしれません。見つけたらぜひ教えてください。

《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。130本以上ありますのでキャラ名で検索をかけてみてください。フランメ、ヒンメル、エーヴィヒなどで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。

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「週刊少年サンデー」の連載(最近は隔週ペースです)も追いかけて、感想・考察を書いていますので、よろしくお願いします。