《葬送のフリーレン》フェルンの「私」を知る旅(魔力制限の副作用)
フェルンは《葬送のフリーレン》の第二主人公くらいの位置付けにあるキャラクターですが、にもかかわらず掴みどころがなく、《葬送のフリーレン》に関して100以上の記事を書いてきた私ですが、彼女については今までほとんど触れていません。そのフェルンのわからなさについて。
フェルンの不思議
読者にとってフェルンはフリーレンに次ぐ長い付き合いになるキャラクターです。
けれども、ゼンゼと同じように、私もフェルンのことがわかりません。

ゼンゼは「相当な修練を積んだはず」のフェルンから「情熱も執念も感じない」ことが不思議だと言います。
私は、フェルンが魔族を殺す時に躊躇いもしないし、心を痛めている様子もないことが不思議です。(本当は躊躇い、心を痛めているのかもしれませんが、明確な描写はありません)
フリーレンの場合、この葛藤は明確に描かれています。





フリーレンは「人の形をして、人の言葉を話す存在」である魔族(第11巻100話)を殺すことに躊躇い・心を痛めています。1,000年以上生きた魔法使いで人の死には慣れており、「歴史上で最も多くの魔族を葬り去った」(第2巻17話)フリーレンでさえそうなのです。

しかし、弱冠20歳のフェルンにそれが見られません。これはどういうことなのでしょう。
私はここにいない
「相当な修練を積んだはず」のフェルンから「情熱も執念も感じない」ことが不思議だというゼンゼの疑問に対してフェルンはこう答えています(第6巻49話)。
私はとある人に恩を返すために一人前の魔法使いになりました。それは当時の私の人生の目標で、ただただ全力でその先があるだなんて考えもしませんでした。きっとその時に情熱も執念も使い果たしてしまったのでしょう。

既に「人生の目標」を達成してしまった。今は何の目標もないし情熱も執念も残っていない、というのです。(燃え尽き・バーンアウト)
これはこれで正確な分析だと思いますが、ここでは台詞の意味とは別の視点から見てみます。
フェルンのこの答えは、18歳の少女の言葉とは思えないほど、作文したように整った自己分析です。育ての親であるハイターを「とある人」と呼んでいて、あるはずの感情が排除されています。自分を妙に客観視していて、まるで他人について語っているようです。
このフェルンの回答中の「私」を「フェルン」に入れ替えて読んでみます。(他の部分は変えていません)
フェルンはとある人に恩を返すために一人前の魔法使いになりました。それは当時のフェルンの人生の目標で、ただただ全力でその先があるだなんて考えもしませんでした。きっとその時に情熱も執念も使い果たしてしまったのでしょう。
まるで、三人称視点の小説か童話・児童文学の地の文を読んでいるようですね。
フェルンは「私は~」と語っているのですが、その実、ここには「私」が見当たらないのです。ハイターに対する気持ちもないし、「当時」に関する後悔あるいは納得や満足の気持ちもありません。心が(ここに)ない、心がどこか別の場所にあるような印象を受けます。(解離性障害(離人感・現実感消失障害)という言葉も思い浮かびますが、私は専門家ではないので触れません)
たとえば、フリーレンと魔法の修練をはじめた(9歳頃)この場面でもそうです。(第1巻2話)

フェルンは遠くの一番岩を見つめたままこれまでの修練の成果(卓越した魔力の操作技術をハイターからよく褒められている)を説明した後で、「とてもよいことでございますね」とまるで他人事のように言って、フリーレンを横目で見て反応を確かめるのです。表情には見栄を張ったり得意そうにする様子はなく、フェルン自身の気持ちが見当たりません。
こういう、心がここにない、私はここにいない、といったフェルンの特徴はフリーレンと出会う前から既に現れているわけです。
「情熱も執念も使い果たしてしまった」と答えたフェルンにゼンゼは「なら何故君は魔法の探究を続けているんだ?」と問いかけます。するとフェルンは「ガラクタみたいな魔導具を集めて楽しそうに笑って」いる「そんなフリーレン様の姿が好きだから、一緒に魔法を追い求めているんだと思います」と答えます。(第6巻49話)

言葉どおりに受け取るなら、「魔法の探究が好きだからではなくて、そんなフリーレン様の姿が好きだから」ということです。しかし、これはおかしいですね。フェルンも魔法が好きだったはずです。
この台詞を注意して読むと、「そんなフリーレン様が好き」ではなくて、「そんなフリーレン様の姿が好き」と言っています。つまり、フェルンは「いつかは自分もガラクタみたいな魔導具を集めて楽しく笑えるようになりたい」と思っているんじゃないか、それを不器用に「そんなフリーレン様の姿が好きだから」と表現したのではないか?という気がします。「好き」というのは「憧れる」(理想の姿として認めて、自分もそうなりたいと願う)ことでもありますから。
過去の「私」に関する先ほどの小説の地の文のように整理された説明と比べると、どうも回りくどいです。現在の「私」のことになると、フェルンの説明はとたんにわかりづらいものになります。
旅に出るまで
フェルンがフリーレンと共に旅に出るまでの経歴を短くまとめとこうです。
両親と共に幸せに暮らしていたが、
戦争で孤児となり、全てを失って自殺を試みる。
そこでハイターに助けられて、一人前の魔法使いになるために魔法の修練を始める。
ですから、フェルンの性格・人格について考えるとき、戦争(戦災)と魔法の修練の影響は無視できないでしょう。
戦争(戦災)
まず、戦争(戦災)について見てみます。フェルンは戦災孤児であり、「戦争で故郷も何もかも失って」(第7巻62話)います。ハイターは「これ以上あの子に誰かを失うような経験をさせたくないのです」(第1巻2話)と言っています。

かなりつらい経験ですから、これがフェルンの人格形成に影響を与えているのは間違いないでしょう。
ただ、《葬送のフリーレン》の世界において戦災孤児の存在は珍しいものではありません。ヒンメルとハイターは孤児院の出身ですし、アイゼンとシュタルクは故郷を失っています。(時代はかなり異なりますがフランメもフリーレンも似たようなものです)
ですから、他のキャラクターと比較した時に、フェルンのこの経験が特別に過酷なものであったと考える根拠はありません。これはフェルンというキャラクターの個性を特徴付けるような、フェルンだけが持っている特別な背景ではなさそうなのです。(詳細は語られていないのですが、少なくとも今のところはそうです)
魔法の修練
次に、魔法の修練に関して見てみます。
フェルンはフリーレンと出会う前から魔力制限を行っています。ハイターの指導でしょう。魔力制限はかなり過酷な修練です。(第3巻24話)

これもフェルンの人格形成に影響を与えていることは確かでしょう。
ただ、単に厳しい修練を積んだというだけなら、シュタルクも同じです。シュタルクも最強の戦士アイゼンの下で相当厳しい修行を積んでいます。

実際、フェルンとシュタルクは(ユーベルとラントとは異なって)似た者同士のカップルだと思います。お互いが同じような経験をしているからお互いのことが良く理解できる、だから惹かれ合うというカップルです。


ですから、「相当な修練を積んだ」こと自体は、フェルンに固有のバックグラウンドではありません
フェルンについて(シュタルクと比較しながら)
上述したとおり、フェルンとシュタルクは似たところがあります。
けれども、シュタルクにはフェルンのような「燃え尽き」(バーンアウト)はありません。
フリーレンとの旅について、シュタルクの場合、師匠アイゼンのかつての旅の仲間であるフリーレンと共に、師匠と同じように旅をして、その土産話を師匠に聞かせたいと考えていて、主体性をもって旅に加わっています。たとえば、シュタルクは旅の行程について希望を出したりもしています(第7巻65話「エトヴァス山の秘湯」)。

こういった主体性はフェルンには見られません。フェルンの場合、積極的な理由があって旅をしているというよりは、成り行きに任せていたらフリーレンと旅をすることになった、というようなところがあります。
シュタルクには旅を続けるか否かを問われる場面があるのですが(第2巻11話、第7巻62話)、フェルンにはその選択肢がなく、当然のこととしてフリーレンと共に旅をすることになっていて誰も疑問を持ちません。


こんなふうに成り行きでフリーレンとともに旅をしていて、フェルン自身には魂の眠る地へ行くことを強く望んでいる様子はないにもかかわらず、旅の途中でフリーレンが寄り道をしたり休息を挟もうとするとフェルンは難色を示します。

ではなぜこのような行動を取るのかというと、フェルンには「魂の眠る地のあるエンデへ」という決められた目標に向かって常に前進しなければならないという規範意識(生真面目さ)があるからでしょう。フェルンが朝寝坊や夜更かし、ギャンブルに厳しいのもこの強い規範意識の現れです。(ギャンブルはダメなのに飲酒はO.K.という奇妙な基準から(第4巻28話)、フェルンがこだわりを持つ規範とは他から(この場合はハイターから)与えられたものであって、自己の倫理観に裏打ちされたものではないことが想像されます)

「蒼月草」(第1巻3話)のエピソードでもフェルン(15歳)はその強い規範意識を見せています。フリーレンのような立派な魔法使いが時間を無駄にすることは間違っている、「あってはならないこと」だと強い言葉で否定しています。これは基本的にはエルフの時間感覚と人間の時間感覚を対比して見せているエピソードなのですが、フェルンの少々厄介な性格(強い規範意識があり、それを自分だけでなく他人にも当てはめようとする傾向がある)を示すエピソードでもあります。

このように、フェルンは、間違ったことは許せない、決められたことはキチンと守らなければいけないという強い規範意識を持っていますが、では自分が本当にやりたいことは何なのか?となると、それはどうもはっきりしないし、自分でもよくわかっていないようです。
これが、フェルンを掴みどころのない、よくわからない不思議な存在にしていると思います。
※ フェルンはときどきとても子供っぽいわがままを言って、フリーレンやシュタルクの対応を引き出そうとします。子供らしい子供時代を送ることができなかったことの反動なのでしょうか。自分というものを上手く出すことができないのですね。フェルンが上手く我を出す場面があったら、それは成長の証だと読めると思います。
※ハイターと暮らす幼いフェルンには笑顔がほとんど見られないのですが(多分2コマだけです)、数少ない笑顔はハイターが倒れた時に修行の中断か継続かの判断を任された時のものです。マンガではアオリ(見上げる視点)で描かれたフェルンは少し大人びて見えます。心なしか空も明るくなって雨上がりを予想させます。これはかなり気持ちの良い表情です。フリーレンがフェルンの主体性を認めて、自己決定を尊重したからです。

※アニメではこの場面はかなり解釈が異なります。フリーレンが「好きにすればいい」といった後、風が吹き抜け、フェルンは息をついて口をきゅっと結びます。フェルンはフリーレンの真意を測りかねて戸惑い、不安になっているようです。別記事で触れたユーベルのキャラ変更もそうなのですが、どうもアニメの方は全体を通して鑑賞することをあまり想定しておらず、ちょっと見てわかりやすいキャラにしていると感じます。私はこの演出の変更に「わかりやすくした」以外の積極的な意味を見出せません。

※ 一級魔法使いの特権として最も相応しくない魔法を選んだのはフェルンでしょう(服の汚れをきれいさっぱり落とす魔法)。フェルンも自分の選択が周囲から求められているものではない(優等生的でない)ことはわかっていたはずです。そして、上手くわがままを言えたフェルンをフリーレンは褒めたのでした。(第7巻60話)

魔力制限の重篤な副作用
では、ここまで見てきたようなフェルンの不思議が何に由来するのかと考えると、戦争(戦災)でもなく、厳しい修練でもないとすれば、現時点で思い当たるのは魔力制限しかありません。
魔力制限(体外に放出される魔力を抑制すること)が人間にどのような影響を与えるのかはわかりません。フリーレンは魔力制限について「エルフなら誰でもできる」けれども「長いと疲れる」と言っています。身体に負荷のかかる不自然な状態であることは確かでしょう。
魔力制限をしていた人物といえば、人間ではフェルンの他にはフランメです。
けれども、フランメとフェルンの間に類似点は見当たりません。
フランメは魔族に全てを奪われて強い恨みの感情を抱いているのですが、にもかかわらず、カラッとした性格の気持ちの良い人物で、ほとんど影を見せません。弟子の育成や魔法の研究に熱心に取り組んでいて、虚無感とは無縁の健全な精神を持っているように見えます。
ただ、魔力制限を行うことに関してフランメが相当な懸念を抱いていたことはうかがえます。(第3巻21話)

ですから、魔力制限には重篤な副作用があるのではないか?という気がするのです。
フェルンの旅
フリーレンにとってこの旅は「人を知る旅」ですが、フェルンにとっては「自分を知る旅、取り戻す旅」なのでしょう。
旅に出て最初のエピソードでフェルンは早速「魔法が大好きだった自分」を見つけています。(第1巻3話「蒼月草」)
※ これは旅に出て最初のエピソードですが、フリーレンとフェルンの双方がそれぞれの過去と出会い直すという構成になっています。この旅がフリーレンのものだけではないことを示しています。

ゼンゼに出会った時点ではまだ情熱や執念は回復していませんが、おそらく旅を通して徐々に自分を回復してゆくのだと思います。
同世代のラヴィーネ、カンネ(試験編)、ユーベル(帝国編)との交流からはフェルンの回復を僅かですが感じます。

さて、冒頭で私は、「フェルンが魔族を殺す時に躊躇いもしないし、心を痛めている様子もない」という疑問を呈しましたが、ここまでフェルンを見てくるとなんとなくわかります。フリーレンは心を殺しているのですが、フェルンの場合はそもそもその心がここにない。ファンタジーの世界なのでおかしな例えですが、天井にカメラが付いていてそこから自分を見下ろしている、そんな感覚で自分を見ている感じがします。
ただ、自分を回復してゆく途上で、フェルンも突き当たるのではないかと思います。「人の形をして、人の言葉を話す存在」(第11巻100話)を殺すためには人としての自分を殺さなければならない(自分も化け物にならざるを得ない)というフリーレンが抱えている問題にです。

おわりに(ハイターのこと)
この作文のために読み返したり考えたりして、なんとなく苦手というか、よくわからない印象だったフェルンのことが好きになりました。
それと、ハイターはフェルンのことに関してかなりの後悔があったんじゃないかなとも思いました。
ハイターは聖都の司教にまで出世しています。ヒンメルの葬儀の時には御者付きの二頭立ての馬車に乗っていました。ですから、かなりの権力者です(たとえばグラナト伯爵の馬車も二頭立てです)。教会の威光を背景にして、並みの貴族となら対等かそれ以上の立場から話をすることができたでしょうし、かなり広い人脈を持っていたでしょう。
そう考えると、フェルンは賢くて可愛い女の子ですから(しかも聖都の司教のお墨付きです)、彼女を養女として迎えようという貴族はいくらでもいたでしょうし、ハイターの権力と人脈をもってすれば信用のできるしっかりした人物を探すこともできたと思うのです。ですから、フェルンは貴族の令嬢として優しい養父母の下で幸せな人生を送ることもできたはずですし、そもそも「一人前の魔法使い」になる必要なんかなかったはずです。
けれども、ハイターはそうはしなかった。
フェルンに魔力制限を教えていたということは、魔力制限は魔族と戦うための技術ですから、ハイターはフェルンをフリーレンと共にエンデへ送り出すために育てたと考えざるを得ません。(このあたりは長い話になるのでここでは触れませんが)
ハイターの中では、フェルンの幸せを願う気持ちと、ヒンメルたちとの計画を遂行しなければならないという使命感がせめぎ合っていたのではないでしょうか。
ですから、フェルンを魔法使いにしたことには、かなり後悔があったんじゃないかと思うのです。

参考
※ 第11巻100話のソリテールの台詞に関して。
※ 第6巻49話のゼンゼとフェルンのやり取りに関連して。ゼンゼはなぜフリーレンの奇行に興味を持たないのか?、ゼンゼはなぜ「受験者が迷宮を楽しむこと」を気にするのか?について考えました。
※ 《葬送のフリーレン》に関する他の記事は下記のマガジンにまとめています。

