ありがとうもごめんなさいもいらない森の民が相対化してくれた私たちの日常
このnoteはMIMIGURIで実施しているアドベントカレンダー「#今年の一冊」のDay1です。トップバッターだ!
MIMIGURIで実施しているアドベントカレンダー。
今年はMIMIGURIメンバーによる「わたしたちの探究」とCULTIBASE会員の皆さまと一緒にお届けする「今年の一冊」の2本立てで開催!
アドベントカレンダーカレンダーについてはこちらをご覧ください。
今年の一冊
今年の一冊『2025年を振り返り、「自分の今年を表現する」一冊を教えて』というお題。わたしの今年の一冊はこちらをピックアップしてみます。
奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』新潮社〈新潮文庫〉、2023年
この本と出会ったシチュエーション
今年を振り返ってみたときに、自分の中で転換した出来ごととして大きかったのは、これまでの自分の興味の食指が動いたものをつないぎ、全体像をいったん自分で捉えられたことがあります。
そのきっかけは『編集』というキーワードでした。ここでいう編集は、松岡正剛さんの立ち上げた編集工学でいう「編集」のイメージです。
ふだんの会話にも、料理や子育てや恋愛にも、ITのようなシステムにも、そして教育やビジネスにも「編集」があります。例えば、昨日みた映画の印象、一日のスケジュール、会社のプレゼン、海外旅行のプラン、国の法律、これらはすべて「編集」されているものです。ただ、私たちは、日常では「編集」を意識することなく暮らしています。
ふだんは意識していない、情報のインプットとアウトプットのあいだ。いわば、ブラックボックスで動いているのが、「編集」です。このブラックボックスで起こっている「編集」を取り出し、「思考の型」としてさまざまな場面や局面に活かすようにしてみようというのが、「編集術」です。
こんな記事も書いていましたので、もしよろしければ覗いていただければ嬉しいです。
上記にも記載しているのですが、自分の中で「編集」がキーワードになったのは、こちらの書籍との出会いが大きかったです。
仕事としても、CULTIBASEを中心に、知のコンテンツづくりにメインで携わることになったのが今年のハイライトでもありました。
少し横道にそれますが、MIMIGURIという研究機関の中でコンテンツに携わるというのは、気負ってしまうと簡単に身動きが取れなくなります。
かく言う自分も、これまで人文学に深く携わってきてもいないし(大学院までは自然科学系の人間でした)、キャリアとしても事業・サービス開発や人事をしていたような人間で、メディアやコンテンツ開発を個人的に深めてきたわけでもない。ビジネス現場での実践は多少なり経験してきたつもりですが、知識の量や深さは、足元にも及ばないと感じる方々が、社内にも会員の皆さまを含めて周りにたくさんいらっしゃいます。ただ、CULTIBASEは専門的な知識量を誇り、それを「知らない人から知っている人に伝えていく」というメディアではありません。
もちろん新しい面白い概念や理論、現象をどう捉えるかといったことを知ることによって開けるものはあるので、その入り口を開くことは重要です。
一方で、そこは入り口でしかなく、お1人ずつの中で、知りたい、気になるといった新しい問いが生まれたり、目の前の出来ごとの見え方が少し変わったり、結果として周りの人との関係性が違うものになったり、前よりも状況を楽しめるようになる。そんなお手伝いをしたいと思っているのです。
そこでは、自分のようなバックグラウンドの目線だからこそできることもあると思うし、CULTIABSEは、皆さんが目の前の状況を『編集していく』ことのお手伝いをしている、とも言えるように思うようになりました。
そんなことを考えているうちに、職業的な意味でも自分は編集者なのかもしれない、という自認が少しずつ芽生えたのでした。ただ、そのアイデンティティはまだまだ生まれたて。むしろ卵の中から突っついて見ているくらいの、まだ生まれる前の状態にも思えます。
自分としてもまだどう扱って良いものか手探りで、何かのヒントを掴めればという気持ちで、ふと思い立ち、「編集」というキーワードと出会ったきっかけとなった松岡正剛さんの編集工学を学べる、ISIS編集学校のコースを受けてみることにもしたのでした。その課題の中で出会ったのが、今年の一冊にピックアップした本というわけです。
簡単に書籍内容のご紹介
ニーチェ哲学の概念のひとつに「遠近法主義」がある。人は自分なりの事情で世界を眺め、重要なものは大きく、そうでないものは小さく扱っている、というものだ。
熱帯ボルネオ島の森で、狩猟採集の生活を中心に営むプナン。ここでは『反省しない、感謝を伝えるべき言葉がない、精神病理がない、薬指の言葉と概念がない、水と川の区別がない、方位・方角がない』という、私たちにとって「あるべきこと」が「ない」事態に出会い、驚き、戸惑う。しかしこれらを決して未開であると浅慮するなかれ。
学校教育に価値を見出さず、文字を扱わない彼らであるが、近代的なテクノロジーに抵抗しているわけでもない。太陽光発電でスマホを充電し、WiFiを介して音声でコミュニケーションし、無免許で運転する車は、動物に体当たりするハンティングの道具にしてしまう。彼らのこのチグハグな生き方を理解するのに、レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」という考え方がヒントになる。目の前にある状況において、必要なモノをつくりだす知性である。
彼らは、『生きるために食べる人々である』。将来の何かのためには生きていない。翻って私たちは、生きるために食べるという動物的現実を、別のものにつくり替えてしまっている。ただし『急いで付け加えなければなるま
い。現代の私たちの生き方が悪で、プナン的な生き方が善であるということではない』。
彼らの文化の根底には、極めて希薄な所有の概念が基盤にあるだろう。一見、農耕的な文化こそ周囲との調和が求められるように思えるが、蓄え、所有することによって現代では弊害を生んでいまいか。それに対して、プナンでは子どもに『ケチはだめ』『慾を捨てよ』と囁きかけて、親しい人をも共同で所有する。分与こそが「よい心がけだ」とされるが、感謝ではない。現代を相対化し、異なる生の可能性をプナンは教えてくれている。
上記はお稽古のお題として自分が要訳に取り組んだものです。講評では編集的にそこまで評価いただけたものではないですが(残念!)、要約は良かったといただいたのでご紹介です。
書籍から感じたこと
目の前を相対化することで生まれる探究心
何かを絶対視、盲目的になることは自分の好奇心を手放すことになるかもしれない──。書籍に出てくるプナンの彼らの生活は、現代資本主義社会の只中で生きているわたしには異質に映ります。しかし同時に、そのようなあり方で成立する人間の共同体というのもあり得るのだと思い知らされる気持ちでした。
この書籍はそのような生活に皆で戻ろうということを言っているのではないことを強調しつつも、いまの社会とは異なる成り立ち方があることを描き、現代の社会を相対化してくれるのがとても印象的でした。
卑近な例にはなりますが、新卒で入社した会社が、会社というものの成り立ち方の全てだったところから、一度転職をしてみると、まるで異なる在り方でも成立している会社があることに、当時それなりの衝撃を受けたことを思い出します。
当たり前のような社会構造、平和、資本主義も、さまざまな流れの中で一時的に成立している(ように見えている)もので、コロナ禍でリモートワークがあっという間に珍しくなくなったように、世の中は案外変わることを私たちは知りました。
少し主語を大きくしてしまいましたが、集団の中で当たり前になっていること、あるいは自分が目の前の状況をどのように認知をしているのかは、実は只中にあってはなかなかそれを感じることができず、何かそれを相対化してくれるものがあって初めて目に止まり、意識化できるという思いを強くしました。
そういう意味でCULTIBASEは、自分、チーム、組織や経営などに対して、別様でも捉え得ること、ものの見方に違う光の当て方もあることをお伝えし、現実を相対化させるようなことに取り組んでいるのかもしれない──。
そんなチャレンジをしてみたいと思ったのでした。わかりやすく答えが欲しい人にとっては、別の情報が増えて、場合によっては余計に迷うことにさせるやっかいなメディアかもしれません。
ですが、目の前に少し違和感があったり、違う可能性があり得るかもしれないと考えている方には、ヒントをお届けできるように思います。
「共」の文化が根っこにある社会はあたり前が大きく異なる
書籍の話に戻ると、プナンの共同体の共通感覚、中でも「所有」の感覚の違いが印象的でした。自分にとって相対化されたのは、個や社会における「所有」の捉え方です。
実は去年の自分のアドベントカレンダー(越境な日常としっくりの変化 〜手段としてのアンラーニングを越えて〜)でも、アンラーニングについて書きながら、これから自分が変化していくかもしれない感覚に「共」という感覚があるかもしれない、ということを書いていました。

まだ持論を語れるほど定まってはいないのですが、何が共有財産とされるのか、所有の概念が異なる形が当たり前となっていると、どういったやりとりが発生するのか、という一例を書籍では「ありがとうも、ごめんなさいもいらない」という表現で伝えてくれました。
僕らは何かをしてもらったときには「ありがとう」といい、人の何かを毀損したならば「ごめんなさい」というのが基本的な規範となっている社会を生きているように思います。しかし、我々が自分;私Privateが所有していると思っているものが、「共同体の共通の所有物」と位置づいた場合には、何がそこでのあたり前なのだろう。そんなことを思わずにはいられません。
以下の記事には、「知的コモンズ」という、知を持ち寄る考えが示されています。
知をどのように持ち寄り、発展させることができるのか。社会において知を発展させてきた大学やあらゆる組織などは社会の中でどのような存在であり、AIが大変な変化を迫る中、どう変わるのか、その中でCULTIBASEはどのような存在たり得るのか。それが最近のもっぱらの関心ごとです。
そして、人は流れながらしなやかに生きている
膨らましてあれこれ書いてしまいましたが、書籍にあるプナンの民は、狩猟採集を生活の中心としながらも、現代技術の利用を否定もしません。もしかすると作り手が想像していたのとは異なる使い方をしているケースもあるのかもしれませんが、それこそがブリコラージュ的な生きる実践であるようにも思います。
否応なくもたらされた変化であったとしても、ただ流されるでもなく、ただ拒絶するでもなく。好奇心を源泉に、探究を気軽に、奥深く楽しんでいきたい。そんな思いを新たにした、わたしの今年の一冊でした!
明日の「#今年の一冊」は?
途中でご紹介した「知的コモンズ」の記事も執筆してくださった、神出鬼没の座敷童子こと、西村歩さんです!
「探究」の軽やかさと奥深さをつないで
みんなのふとした好奇心が連なってできているのが、人と組織の探究メディアCULTIBASEです。一年の締めくくりに、あなたがグッときた「今年の一冊」を会員の皆さんとプレゼント交換しませんか。
みなさんの「今年の一冊」楽しみにしています!
お知らせ
MIMIGURIやCULTIBASEにとって今年の一冊といえるような『冒険する組織のつくりかた』が間もなく1周年!著者×編集者が語る「制作秘話&次どんな本つくる?」会議をみなさまへの感謝を込めて、オンライン無料セミナーを2025/12/12 (金) 12:00 - 13:00 開催いたします。
個人的に、書籍という形で探究をアウトプットするのは、いつかやってみたいことの1つ。こっそり気になることを質問しようと企んでいます。
みなさんもお昼休憩がてら、お気軽にご参加ください!
