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同じ文章なのに、まったく違う作品になった夜。

「文章は、最後の一文で決まる」

そんなテーマで、先日、おとなの寺子屋を開催しました。

今回は、その模様を詳しくお伝えします。ぜひ当日の熱気を疑似体験してみてください!!(正直、自分で言うのもなんですが、神回でした。。。)


エッセイを書いていると、不思議なことがあります。

書き出しは決まる。

途中も、わりとスラスラ書ける。

でも最後だけ、どうしても決まらない。

「……で?」

というまま終わってしまう。

逆に、いい締めくくりが思いつくと、それまで書いてきた文章まで、少し良くなったような気がする。

文章を書く人なら、そんな経験が一度はあるのではないでしょうか。

そこで今回は、「締め」だけをテーマにしたワークショップを開催しました。

参加者は3名。

少人数だったからこそ、一人ひとりの文章をじっくり読み比べる、とても濃い時間になりました。


締めは「いいことを言う場所」ではない

最初にお話ししたのは、とてもシンプルなことです。

締めを書くことは、名言を書くことではありません。

読者に最後、何を持って帰ってもらいたいのか。

余韻なのか。

笑いなのか。

問いなのか。

未来なのか。

メッセージなのか。

それを決めることが、締めを書くということです。

つまり、読後感のデザイン、です。

映画を観終わったあと、エンドロールが流れても席を立てない作品があります。

逆に、最後の一言で「えっ!」と驚かされる作品もあります。

文章も同じ。

読後感まで含めて、一つの作品なのです。


「続きを書く」のではありません

最初の課題はこちらでした。

夏になると、近所の喫茶店でアイスコーヒーを飲むのが楽しみになる。

仕事帰りに立ち寄ると、小学生くらいの女の子が、お母さんとクリームソーダを飲んでいる。

アイスを崩さないようにスプーンを入れ、最後までさくらんぼを残している。

その姿を見ていたら、

「私も子どもの頃は、クリームソーダを特別な飲み物だと思っていたなあ」

と思い出した――。

ここで文章は終わっています。

「続きを書いてください」

ではありません。

最後の数行だけを書いてください。

読後感を左右する、締めの一文を書いてください。

これが今回の課題です。


同じ文章なのに、全然違う作品になる

最初に発表してくださったのは、ゆみこさん。

思えば、喫茶店はいつも、夏を感じる場所だった。クリームソーダのアイスが柔らかくなる時も、アイスコーヒーの氷がゆっくり溶けていく時も。 今も昔も、私はこの季節を愛でている。

静かに余韻が残る締めくくりでした。

一方、他の参加者が書いた締めはまったく違いました。

「そういえば最近、クリームソーダを飲んでいない。」そう気づいた主人公は、アイスコーヒーをやめてクリームソーダを注文します。グラス越しに見えたのは、子どもの頃の自分。

思い出を「回想」で終えるのではなく、「行動」で締めくくる作品になりました。

そして私自身も、その場で即興で何パターンか披露。いちおう、先生の腕の見せ所です。たとえば、こんな例も紹介しました。

あなたにとって、子どもの頃の「特別な一杯」は何だっただろう。

ふだんなら絶対やらないベタ&定番ではありますが、「問い」で終わる締めです。

すると、読者は自然と自分の思い出を探し始めます。

どうでしょう?

本文は、一文字も変わっていません。

違うのは最後だけ。

それなのに、

「懐かしい話」

だったものが、

「自分の思い出を振り返る文章」

になったり、

「これからクリームソーダを飲みに行きたくなる文章」

になったりする。

ここで、みなさんの表情が少し変わりました。

「締めって、こんなに大事なんだ。」

そんな空気が流れ始めます。


セルフレジで、人柄が見えてきた

二つ目の課題は、セルフレジのお話です。

スーパーで、おばあさんがセルフレジの前で立ち尽くしている。

店員さんが助けに来る。

それを見ながら、「半年前の自分もそうだった」と思い出す。

そんなエッセイです。

ここでも、締めだけを書いてもらいました。

すると、また世界が分かれます。

ある人は、

おばあさん、がんばって。あなたが頑張れば、私も勇気がもらえる。

人を応援する物語になりました。

別の人は、

次に私が出会うのは、どんな新しいことなんだろう。ちょっと心配でもあり、ちょっと楽しみでもある。

未来へ向かう作品になりました。

さらに、

店員さんに助けられるたび、笑顔でお礼を言っていた、あの頃の私。

という締めもありました。

セルフレジの話だったはずなのに、

気づけば「自分の変化」の話になっている。

ある人は優しさを書き、

ある人は未来を書き、

ある人は懐かしさを書いている。

同じ文章を読んでいるのに、

見えている景色はまったく違う。

そのことが、本当に面白かったのです。


最後の課題は「父のメモ」

最後は、少し静かなエッセイでした。

実家で本棚を整理していると、

父の辞書から、小さなメモが落ちてくる。

「電球を買う」

「市役所に電話」

そんな何気ない走り書き。

でも、そのメモがどうしても捨てられない。そっと辞書の中に戻した。

ここで文章は終わっています。

そして最後の一段落と、そこからさかのぼってタイトルをつけるとしたらどんなものになるか、までは、書いてもらいました。

ある人は、

父の好きな食べ物って何だろう。思えば私は父のことを何も知らない。 もう少し知ってみようと思った。

タイトルは

『父を知る』

別の方は、

来年は手書きの手帳にしようかな。……でも、きっと挫折するな。

タイトルは

『手書きのメモ』

さらに、

いつかこのメモをまた見る日が来るかもしれない。そこには父の、生きた証しが残っている。

タイトルは

『生きた証し』

同じ本文。

同じ出来事。

なのに、

締めが変わると、

タイトルまで変わる。

つまり、

作品そのものが変わってしまう。

講師である私自身も、「ここまで変わるのか」と驚かされました。


「ようやく、つかめた気がします」

今回、一番うれしかったのは、長く寺子屋に通ってくださっている、ゆみこさんの一言でした。

「締めくくり方は、五百田さんからずっと言われていた課題。でも正直、なんのことかよくわかってなかった。適当にAIにまかせてみたりしてました。でも、今回、締めくくりだけたくさん書いてみて、締めくくりにこだわることの意味や方法など、ようやく、つかめた気がします。」

この言葉を聞いた瞬間、「今回のワークをやってよかった」と思いました。

文章術は、本を読めば知識として学ぶことができます。

でも、本当に理解するのは、

自分で書いて、

人の文章を読んで、

「ああ、そういうことだったのか。」

と腑に落ちた瞬間です。

寺子屋では、そんな「なるほどね!体験」が、時々生まれます。

今回も、その瞬間に立ち会えた気がしました。


僕自身が、一番勉強になった

実は今回、

「締めだけで90分もワークになるかな」

という不安が少しありました。

ところが、終わってみれば、まったく逆でした。

むしろ、

締めだけだからこそ面白い。

みなさん、本当に上手に締めくくる。

しかも、

余韻で終える人。

問いを投げる人。

未来につなげる人。

メッセージを書く人。

オチをつける人。

誰一人として同じ締めを書かない。

エッセイをゼロから一本書くのとは違う、

「この文章なら、あと5通りは締めくくれる」

そんなゲームをしているような感覚でした。

私自身も、「じゃあ問い型なら?」「余韻型なら?」と、その場で即興の締めを書きながら、文章の可能性を改めて感じていました。


「考える・話す・書く」を行き来する

おとなの寺子屋では、正解を教えることは、あまりありません。

まず考える。

書く。

読む。

話す。

そして、また書く。

その繰り返しです。

だからこそ、「自分では思いつかなかった締め」に出会えます。

「そんな終わり方があったのか。」

「そのタイトル、いいなあ。」

そんな言葉が、自然と飛び交います。

今回も、笑いが絶えない時間でした。

でも、それ以上に、

驚きがあり、

発見があり、

「なるほど!」

という声が何度も上がる時間でした。

文章は、一人でも書けます。

でも、みんなで書くと、自分では見えなかった景色が見えてきます。

さて、今回のおとなの寺子屋ワークショップで改めて感じたのは、

文章を書くことは、「正解」を探すことではなく、「読者にどんな読後感を残したいか」を選ぶことなのだということでした。

そして、その選択肢は、自分ひとりで考えているより、誰かと一緒に考えたほうが、ずっと豊かになります。

そんな時間を、これからもおとなの寺子屋でつくっていけたらと思っています。

また次回も、一緒に「考えて、話して、書いて」遊びましょう。

【速報】次回は8月23日(日)19時〜、を予定しています! 詳細は追って!!

おとなの寺子屋のPVが出来上がりました!! ぜひご覧ください!


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