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おばあちゃんのエプロンと三角巾


わたしにとって、祖母は世界で唯一、わたしを全肯定してくれる人だった。

あまりにも何気ない日常が、かけがえのない思い出に変わったあの日。

祖母に伝えたい言葉をここに綴ります。




時は10年前———


「おばあちゃん!使わなくなったエプロン、まだ持ってる?もう使わない?いくつある?」


近頃体調の優れない祖母に、わたしは自分の都合で次々と言葉を投げかけた。

祖母は困った顔ひとつせず答えた。

「はいはい、ありますよ。料理はもう無理かもしれないけど、たーくさんあるからねぇ。はいはい、ちょっと待ってね。」


よっこいしょと座椅子から立ち上がり、押入れをガサガサ探す祖母。

少し痩せたのかな?
前はもうちょっとふっくらしていたような?


「三角巾みたいなの、ある?エプロンとそれぞれ10枚以上。15枚くらい!」

わたしはお構いなしに話した。

祖母は「三角巾ねぇ、それはあるかしらねぇ。あ、あったわ、前掛け。前掛けなら、あるある。」


祖母はエプロンを「前掛け」と呼ぶ。
ハンガーは「衣紋掛け」。
可愛いと言う時は「めんこい」だ。




祖母はエプロンが入った大きな紙袋を取り出し、畳に置いた。

「ほーら、こんなにあるけど、汚れて古いのもあるから恥ずかしいわぁ。なに、こんなものどうしたいの?」

祖母はエプロンを1枚ずつ丁寧に取り出した。

わたしもそれを一緒に確かめながら
「これ、ちょうだい!使わない?良い?」
とお願いした。


祖母は惜しむ素振りもなく
「良いけど、まだ綺麗なのだけにしてちょうだいよ。何に使うの?」
と聞いた。



「施設で料理クラブを始めようと思ってるの。でも予算がなくて。
エプロンと三角巾さえあればなんとかなるの。三角巾もどうにかならない?」


わたしはエプロンを仕分けながら、管理栄養士として働く高齢者施設での計画を話した。

祖母はここ数ヶ月体調が優れなく、好きな台所に立つこともやめているのに、わたしは自分の計画ばかりを進めていた。

祖母もエプロンを念入りに確かめながら、わたしの話に応えてくれた。

「布の切れっぱしがあるから、縫えばいいんじゃないの、ねぇ?もうあまり器用に出来ないけども。なに、いつまでに必要なの?」

「縫ってくれるの?嬉しい!1ヶ月後くらいかな。」


祖母は押入れに向かい、裁縫道具を探し始めた。


少し張り切り始めているように見えたのは、わたしの都合の良い思い込みかもしれない。

だってわたしは、祖母の編む毛糸の靴下と、塗ってくれるお手製ハンカチで育ったのだから。



後日———

祖母からLINEが届いた。スタンプ付きのメッセージだ。

「三角巾、できましたよ。いつでもどうぞ。」



色々な種類の布で作られた三角巾は、施設のおばあちゃん達にも選ぶ楽しみがありそうだ。

わたしはホクホクしながら、料理クラブのイメージを頭に浮かべた。

「おばあちゃん、ありがとう!」



施設の料理クラブは大盛況で、毎月1回行うことになった。

安全管理の都合上、参加は10名まで。入居者さん達とわたし、補助スタッフが祖母のエプロンと三角巾を使った。

料理クラブの様子を写真に撮り、祖母に毎月送った。
(個人情報の為、外部には出さない約束で写真をいただいていた。)


それから、たまに祖母の家に行き料理クラブのことを話すと、祖母はわたしの話を楽しそうにケタケタと笑って聴いてくれた。

だからわたしは、祖母には気を遣わず、ズバズバと話し、好き勝手していた。
家族の中で唯一、そうできる相手だった。




数ヶ月後、祖母は肝臓がんで入院。
すでに末期だったが、それまでの通院時にはがんだとはわかっていなかった。



入院後、母から連絡があった。

「おばあちゃんはあなたが送ったエプロンの写真を、何度も眺めています。」

父からも連絡があった。

「おばあちゃん、自分のエプロンと三角巾が役に立って幸せだと言っているよ。こんなに良い思い出は他にないんだってよ。人生で一番の思い出だって。"いろ"はいつも一番わかってくれているんだと。」



驚いた。




祖母は昔、祖父とたくさん海外旅行をしていたほどアクティブな人。
お裁縫や編み物以外にもいくつも趣味のある人だ。


それが、あの、体調の良くない中で用意させられたエプロンと三角巾が一番の思い出だと?


わたしが一番わかっている?一体何を。

わたしの気持ちをわかってくれるのは、いつだっておばあちゃんの方ではないか。


あの時もすでにがんだったと思うと、複雑な気持ちになった。

もしかしてあの頃、すでに身体はかなりしんどかったんじゃないの?


そんな中で、1ヶ月と期限まで決めて作ってもらった三角巾と、コレクションのように集めていたエプロンを貰っていったあのことが、まさか病床で毎日見る思い出になっているとは。


どうして。



祖母は昔から、わたしが好き勝手する時ほど、大笑いする人だった。
大きく口を開けて、のけ反って「あっはっは」と笑う。



次の休みに、病院へ行った。
たくさんの管と酸素マスクに繋がれて、もう喋れなくなった祖母に話しかけた。

あっという間にこんな状態になったと、父は静かに動揺していた。


「おばあちゃん、来たよ。ありがとね、おばあちゃん。」


祖母の枕元で言ったけれど、聴こえてた?

目に見える反応はわからなかったけど、わかったよね。



翌朝、祖母は息を引き取った。




———

送った写真に来ていた返信。


「みなさんのおやくにたてたことがとてもしあわせです」


全部ひらがなだった。




わたしはそこに、もう一度だけ返信してみた。



『ありがとう、おばあちゃん。

いつもたくさん、いっぱいありがとう!』




追伸

おばあちゃん
わたし、管理栄養士を辞めたんだ。
15年やったよ。
病気になってね、辞めた。

でも今、また新しいことをしようとしてる。
まあまあ不安だけど、見てて欲しい。


また話すね。



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