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【完結小説】「クロス×クロス ―cross × clothes―」

連載小説「クロス×クロス ―cross × clothes―」全14話を通しで読めるようにまとめたものです。まとめるに当たり、設定の微調整に伴う加筆、誤字の修正をしています。(執筆後記はこちら


前編

ミーナ

「好きです! 付き合ってください!」

唐突に告白され、頭の中が真っ白になる。思わず後ずさると、返事を迫るかのように相手が近寄ってくる。

「あんた、本気なの……? 冗談キッツー……」

「冗談なんかじゃ……。ずっと前から好きだったんです!」

その顔があまりにも真剣すぎて笑えない。目の前にいる子は、正真正銘、私と同じ女の子なんだもの。

「……キモっ」

過去のすべてが一瞬にして崩れ去っていくような気がした。それは告白されたからではなく、私の放った一言によって、だ。ソフトボール部の後輩として可愛がっていただけに、悲しい気持ちになる。

今となっては、女扱いしていいのか分からないけど、彼女は表情を失い、うなだれて去って行った。その後ろ姿を見て戸惑う。

(なんて言えば良かったんだろう……。)

その時ふと、過去にも同じような発言をしたことを思い出した。

――――――

「ねえ、塁……。私、ちょっと引きそうだよお……。話には聞いてたけど、塁のお兄さんって本当に……フツーじゃなかったんだね」

――――――

忘れもしない。昨年の冬、当時付き合っていたるいのお兄さん(同性愛者)に偶然会ったとき、私が言った台詞だ。女子中高生が好む癒しグッズに身を固めた男性を見れば、私でなくても「この人はフツーじゃない」と感じるに違いない。だからといって、仮にも恋人のお兄さんに、それも本人の目の前で思ったことをそのまま口にするべきではなかった。当然のことながら、後になって「あんな言い方はなかっただろう」と説教され、最終的に別れ話を持ちかけられてしまったのだった。

私ってば、いつもこう。人前でつい常識人ぶっては誰かを傷つけてしまう……。大切な人であればあるほど、遠慮のない発言をしてしまう……。このままでは、みんな私から離れてく……。ひとりぼっちの自分を想像したら、急に、どうしようもなく寂しくなった。

(今ごろどうしてるのかな……。)

学校が違うこともあり、あれ以来、塁には会っていない。だけど、フラれた側としてはなかなか忘れられないのも事実で、いまだ連絡先はスマホに残っている。

もし、私が部の後輩から愛の告白をされて戸惑っていると知ったら、塁はなんて言うだろう? 自業自得だって笑う? ざまあみろってののしる? ……まあ、そう言われるならまだマシかもしれない。完全無視が一番辛いもの。

より、、を戻したいわけじゃない。でも、今はなぜか無性に話がしたかった。私はスマホの電話帳を開き、塁の番号を探し始めた。

***

オレの姿を見たら、ミーナの目玉は飛び出すだろう。でも、オレはその反応が見たい。そして思い切り笑うんだ、ドン引きするミーナのことも、こんな姿、、、、をしてるオレのことも。

待ち合わせ場所は近所の公園だ。ミーナとは同じ中学の同級生。だから、すぐの呼び出しでも、お互いに会おうと思えば会えてしまう。一方で、高校は別だから、会おうとしない限りほとんど出くわすこともない。別れてからは尚更、同じ地区に住んでることすら忘れかけていた。

少し待っていると、ミーナが公園にやってきた。辺りをキョロキョロしている。まさかベンチに座っている人間が元彼だなんて気づいてもいない様子だ。

オレも気づかないふりをする。あくまでも向こうが気づくまで、オレは黙っているつもりだ。

五分ほど待ってみたが、まだ気づかないらしい。ミーナは、いっこうに現れない元彼にいらついているのか、連絡のないスマホをチラチラと見ている。さすがにその姿が滑稽すぎてこらえきれず、大声で笑ってしまった。直後にミーナがこっちを見る。そして予想通り、大きな目をさらに見開いて近づいてきた。

「あ、あの……。人違いだったら済みませんが……橋本塁はしもとるいさん……ですか?」

「そうだよ。びっくりした?」
 にやりと笑うと、ミーナは一瞬ほっとしたように息を吐き出したが、すぐに眉根にしわを寄せた。

「全っ然、気づかなかった。……何、その格好。どうしちゃったのよ?」

「その反応が見たくて。あー、面白かった。ミーナを驚かせる作戦、大成功」

そう。今のオレは、ミニスカートとハイヒールを穿き、頭にはロン毛のカツラ、付けまつげと入念なメイクを施した、いかにもな女の出で立ちをしている。まあ、白昼なら野球で鍛え上げた肉体のせいですぐにバレていただろうが、夜の外灯下のお陰でなんとかごまかし通せた。

ミーナは黙ったまま、オレを見下すような目で見ている。笑い飛ばして欲しかったのに、こんなにも無言だとさすがに気が滅入る。

「……やっぱ、引いてんの? まあ、お前は人を見た目で判断するようなやつだもんな」

「……塁、変わったね。……違うな、私が変わってないんだ。うん、そうだよね、きっと」

もっと馬鹿にされるかと思ったのに、意外なことを言ったので驚く。別れたオレに「今すぐ会いたい」だなんて連絡をよこすくらいだ、きっと何か思うところがあったに違いない。

「それで? 呼び出した理由ってのは?」
 ミーナの深刻そうな顔に合わせて、こっちも一度、呼吸を整えてから問う。

「聞いてくれる? 実はね……」

そう前置きしたミーナは、今日、学校で起きた出来事を詳細に語った。話を聞いてようやく、オレに会いたがったこと、変わってないのは自分の方だと言ったことに納得がいった。

「まさか、塁まで女装が趣味になってるなんて想像もしてなかったけどね。……いったい何があったのよ? お兄さんに感化されたの?」

話してすっきりしたのか、気づけばミーナはいつもの調子を取り戻していた。オレはどう答えたものか少し迷ったが結局、一から話すことにする。

「えーと、事の発端は兄ちゃんの恋人なんだ。……覚えてると思うけど、兄ちゃんに会ったとき、突っかかってきたあの女の人が、兄ちゃんの今の彼女」

ミーナが兄ちゃんをけなしたとき「見た目で人を判断した上に冒涜ぼうとくするなんて、サイテーな人間のすることよ!」と言い放った強者である。オレ自身、あの一言には衝撃を受けた。あれほどまでに相手を思いやる発言が出来る女と一緒にいる兄ちゃんに対する嫉妬心と、平気で人を傷つける言葉しか言えないミーナと一緒にいるオレの惨めさをいっぺんに感じた瞬間でもあった。

「あれ? お兄さんって同性愛者じゃなかったの?」
 聞いていた話と違うと思ったのか、ミーナは首をかしげた。オレも「うーん」と唸りながら応える。

「そこがよく分かんねえんだけどな。ま、それはともかく……。その彼女さんが最近、男装を趣味にし始めたんだよ。真面目そうな人だから意外だったんだけど、どうやら真面目がゆえに兄ちゃんをもっと理解したいって気持ちがあっての男装らしい。そしたら、兄ちゃんも面白がっちゃって、こっちは女装だよ。二人とも全然似合っちゃいないんだけど、男装デートの日、女装デートの日ってのを作っては、同性の格好で出かけてるんだってさ」

「……やっぱり変わってるわ」

「オレも最初はそう思ってたよ。でも、その二人がめっちゃ楽しそうにしてるわけ。そんな姿を見たら、何だかオレもやってみたくなっちゃって。一種の変身願望ってやつ?」

「あー、それで今日の、この格好なのね……。その……どんな感じなの? 男の塁が女に変装するって言うのは」

「何だか自分じゃなくなったみたいに感じるな、特に鏡を見たときは。同時に、見た目変わっても、オレはオレなんだなとも思う。うーん、とにかく不思議な感覚で、これがまたやみつきになるって言うか」

「そうなんだ……」
 ミーナはそういうと、しばらく黙り込んだ。

気づけばオレは、女の格好をしていることを忘れ、足を広げた状態で座っていた。慌てて姿勢を正し、膝と膝をくっつける。やれやれ、清楚な女を演じきるにはまだまだ修行が必要そうだ。

「私もやってみようかな、男装……」
 ミーナがぽつりと呟いた。

「今の自分を変えたい。見た目で人を判断しちゃう、どうしようもない自分を変えたい。……もし、服装を変えるだけで別人になれるのだとしたら、やってみる価値はあるかも……。塁を見てたら、何だかそんなふうに思えてきた」

「へえ……。自分のこと、変えたいんだ。意外」
 ミーナはムッとした。「冗談、冗談」とすぐに返すが、彼女は怒ったままだ。どうやら本気らしい。

「ごめん。そこまで意志が固いとはな。よし、そんならオレにいい考えがある。次の週末、空いてる? 兄ちゃんのとこに連れてってやるよ。そうしたら、彼女さんに男装の仕方を教われる」

「えっ、いいの?」
 乗り気のオレにミーナは再び目を見開いた。表情がコロコロ変わるところは相変わらず見ていて面白い。

「別にぃ。お前とは喧嘩別れしたけど、昔のことを反省して生まれ変わりたいって言うなら、手助けしてやろうってだけの話だ。それに……」

「それに……?」

「ミーナの男装見てみたいから。上背うわぜいあるし絶対、似合うぜ?」

「……あんた、この状況楽しんでるでしょ?」

「もちろん。楽しまなきゃ、損、損」

「…………」

「あのな、言っとくけど、このくらいの気持ちがないと、異装なんて出来ないぜ? オレがこの格好で三十分もここに座ってて恥ずかしくないと思う?」

ミーナはハッとして、改めておれの女装を見た。望んでしていることとは言え、凝視されるのはやっぱり気恥ずかしい。上から下まで一通り眺め終わると、ミーナはクスッと笑った。

「よく見たら、全っ然、女に見えない。塁にしか見えない。なのに私ったら、なんで五分も気がつかなかったんだろう? 笑っちゃう」
 
 ミーナの笑顔につられてオレも笑う。
「そうなんだよぉ。どうしたらもっと女っ気出せるかなあ? もっと研究しねえと」

「まずはその、筋肉隆々の腕と足を隠した方がいいよ」

「やっぱり? 兄ちゃんのアドバイスは参考にならねえな……」
 そう言うと、ミーナは呆れたように両の手のひらを天に向けた。

***

ミーナ

夏休みが終わろうとしている。所属しているソフトボール部の夏の大会は準々決勝で敗れたから、三年の私はそれを機に引退となった。本来ならば部に顔を出す必要もないんだけど家にもいづらいので、少し前まで部長だったのをいいことに、時々部活に出てはバットを振ったり投球練習をしたりして今日まで過ごしてきた。そんな折に告白されちゃったから、唯一の逃げ道だった部活にも顔を出しづらくなっている状況だ。

部活動以外の居場所がないのは塁も同じらしく、高校野球の地区予選敗退後は、プロ野球の球場でビールの売り子をして暇を潰してきたらしい。

「相変わらず、友だちいないんだね……」

「そっちもな」

友だちの一人くらいいる、と反論しかけて口をつぐむ。お互いに寂しさを埋め合わせる格好で付き合い始めたのを思い出したからだ。動機がそれだから、喧嘩は日常茶飯事。例の件がなくても、遅かれ早かれ別れていただろう。なのにまたこうして再会し、気づけば彼の兄とその恋人が住むアパートまでやってきている私がいる。なんとも皮肉な話だ。

最寄りのK駅から電車で二十分。Y駅近くにそのアパートはあった。インターフォンを鳴らすとすぐに中から返事がして、塁によく似た顔の男性が姿を現した。

「いらっしゃい。待ってたよ。どうぞー」

塁のお兄さんは私を見ても嫌な顔一つせずに奥へ通してくれた。慣れた様子で先に入る塁の後ろにくっついていく。

まず部屋に入って驚いたのは、大量のねこグッズ。まるでどこかのお店に入ってしまったかのようだ。よくよく見ると、塁のお兄さんの着ているTシャツもねこのイラスト入りだ。

「おい、ミーナ。この程度で目ん玉丸くしてんじゃねえよ」
 圧倒されていると気づいたのだろう、塁に突っ込まれてしまった。

「あ、うん……。聞いていたよりずっと……『ねこ』だったからつい。でも、大丈夫」

「ホントか? あ、かおり姉さん。今日はお世話になりまーす」

私の反応に疑いの目を向けていた塁だが、奥の部屋にいた人に気づいて挨拶をする。塁の肩越しに見ると、小柄な「男性」の姿が見えた。一瞬頭がこんがらがったが、「ああ、この人が例の彼女さんか」と悟る。

「あの……あのときは酷いことを言ってしまってごめんなさい」
 私は、彼女さんとお兄さんに向き直って深々と頭を下げた。怒られるのには慣れっこ。だけど二人はそうしなかった。

「いいんだ、もう。むしろ、あの一言がきっかけで、おれはかおりさんとの距離を縮めることが出来たんだ。感謝してるくらい。だから謝らないで」

お兄さんは「ねー?」と言って、かおりさんの肩にもたれた。男装のかおりさんに寄りそう様は、さながら同性カップルのようだ。

「えーと、お兄さんは……恋愛対象が男性だと聞いてるんですが……。かおりさんはお兄さんの要求に沿おうとしてるってことなんですか? つまり、男になりきろうと?」

私は思いきって尋ねた。かおりさんはクスクスッと笑う。

「話せば長くなるのだけれど。……実は、わたしには兄がいたの。その兄が亡くなる直前にいった言葉が――僕の分まで生きろ、といった言葉が――ずっと頭の片隅に残っていてね。正直、重かったのよ。だけど、あるとき遺品を整理していたら、兄の服に目が留まって、なぜか唐突に『着てみたい』って思ったの」

「えっ、亡くなったお兄さんの服を着たんですか?」

「ええ。そうしたら……これまでずっと重荷に感じていた遺言がスッと受け容れられるようになったのよ。ああ、わたしは兄の分まで生きなくていい。兄と一緒に生きればいいんだと。それ以来、この格好をするようになったというわけ。だから、純さんのためにしているというあなたの予想は、残念ながらはずれね」

「だけど、男装のかおりさんは普段と違う。会ったことはないけど、やっぱりお兄さんのとおるさんなんだろうな、って思う瞬間があるよ」
 塁のお兄さんは何度もうなずいた。

「それって、亡きお兄さんが乗り移ってるんじゃ……」

「それでもいいのよ。そばにいてわたしを守ってくれてる。そんな気がするから」

「そうなんだ……。私とは全然、男装の目的、違ったな……」
 もっと男性のようになりたい願望があるのだとばかり思っていたから、話を聞いて正直戸惑った。自分の持っている動機が不純であるかのようにさえ感じた。

けれども、かおりさんは言う。

「いろいろな人がいるわ。純さんのような人もいるし、わたしみたいな人間もいる。一人として同じ人は存在しないのよ。それにね、男と女の枠にとらわれる必要だってないの。わたしはこれが、兄のしていた格好で、兄を思い出すきっかけになるから着ているに過ぎない。もし、純さんが『おれのために男の格好をして』と言ってきても、わたしは嫌だと言うでしょうね。だってそれは見た目にとらわれていると言うことですもの」

「うん。だって、かおりさんはかおりさんだもん。おれは、もちろん外見も好きだけど、どちらかと言えば内面に惹かれてるわけで、だから男好きのおれでもかおりさんとは一緒にいられるんだと思ってる」

「兄が憑いてるせいかもしれないけれどね」
 二人は、あの世の人を話題に笑い合っている。何がどうなっているんだか……。

「さて、と。わたしたちの話はこれくらいにして……。ミーナさん、だっけ? さっそく着替えてみる?」

おろおろしている私を見て、かおりさんが助け船を出すように言った。私はこくんと頷く。「こっちへいらっしゃい」と誘われて間近に立つ。

「……あら、思っていたよりずっと背が高いのね。純さんの服の方がいいかしら?」

並んで立つと、私が女にしては馬鹿にデカいと気づいたようだ。おそらくかおりさんは、自身の兄の服を、と考えていたのだろう。が、かおりさんが着ている服のサイズはどうみても小さい。塁のお兄さんも慌て出す。

「えっ、でもおれは横幅あるから、スリムなミーナさんにはブカブカだと思う……」

そう言ったお兄さんの視線が塁に向く。それに合わせてかおりさんの視線も、私のそれも塁を見る。

「へ? な、なんでみんなしてオレを見るんだよ……? ま、まさか……なあ?」
 着ている服をぎゅっとつかむ塁を見て、お兄さんがにやりと笑う。

「塁、女装するんだよな? ちょうどいいじゃん」

「や、やめろよ、兄ちゃん。よりによってミーナに服を貸すなんて……。それに、貸しちゃったら、裸のオレはどうすりゃいいんだよ? ……え、もしかして……?」
 慌てふためく塁の姿があまりにも可笑おかしくて口元が緩む。何だか急に楽しくなってきた。

「私はそれでいいよ。塁の服を着る。塁は私の服を着て」

「……うっそーん!」

***

なんで元カノと服の交換っこをしてるんだ、オレは。わけが分からない。だけど、悔しいことにミーナの服はオレにぴったりで、兄所有のカツラとメイクをしたら、ぱっと見、誰もが女と疑わない容姿になってしまった。

ミーナの方も、細身のオレが着ている服を見事に着こなし、長い髪さえなかったらイケメンそのものだった。

(それにしてもミーナ、足なげーな。何でオレのジーパン履きこなしてんだよ……。)

美しい立ち姿。まるで宝塚の男役みたいに見える。オレの方は、五分丈のブラウスに膝丈のボックススカートから真っ黒けの四肢を見せる羽目になってるってのに……。

「いいじゃん、塁。似合ってる」
 兄ちゃんが言った。

「ぜってー嘘だろ。顔がにやけてる」

「いやいや、本当に似合ってるってば。自分で思ってるより悪くないよ、ほら」

全身鏡の前に立たされる。前回ミーナに筋肉隆々の足を指摘されたのが気になっていたけど、しばらく見ているうちに、これはこれでありなんじゃないか、と思えてきた。

「へえ。何だか私を見てるみたい。不思議な感覚」
 ミーナがオレを見てしみじみ言った。
「私たち、まるで入れ替わっちゃったみたいね」

「なんだよぉ。この前はオレの女装見てドン引きしてたくせに、いざ自分も男装してみたら楽しくなってきたって顔してるぜ?」

「そうだね。このまま家に帰ったらどんな反応をされるかと想像したら楽しいよ」

「あー……。まあ、ある意味、楽しいかもな。オレの場合は白い目で見られただけだったけど、ミーナの親はグチグチ言いそう」

「小言で済めばいいけど、最悪、卒倒するかもね。私のことは、なんだかんだで従順な娘だと思ってる人だから」

ミーナは同居している継母から小言を言われるのが嫌で嫌で仕方がない、と交際中から常々言っていた。詳しいことは分からないけれど、親が再婚するといろいろ大変らしい。

いや、そうでなくても親子ってのは、理想が高すぎたり、型にはめようとしたりするとうまくいかない。うちの親だって、兄ちゃんが同性愛者だと公言してもなお、しばらくの間は受け容れずに異性愛を強要していた。オレはそれをずっと見てきたからこそ知っている。思い込みや押しつけはつくづく人を不幸にするって。

兄ちゃん自身、同性しか愛せないという思い込みに囚われていたみたいだけど、かおりさんと過ごす時間の中で思い込みは外れたらしく、今では異性といるのに幸せそうにしている。かおりさんは兄ちゃんを変えてくれたし、愛し愛される努力が出来る人。だからかおりさんには本当に感謝してるんだ。

さっきからミーナは、全身鏡の前で前を向いたり後ろを向いたり、顔をのぞき込んだりしている。

「ねえ、塁。男装するの、気に入っちゃったから、家に帰ったらお互いの服を何枚か交換っこしようよ。服、たくさん持ってるでしょ?」

極めつけにそんなことを言う。もっと恥じらいを持ってくれたら面白かったのに、こうもノリノリじゃ、こっちが萎えてしまう。

……まあ、いいか。兄ちゃんを心底見下した発言をしたミーナの考えが少しでも修正されたのなら、それだけでも連れてきた意味はある。なんだかんだで、あの日のことはオレもずっと引っかかっていたから。

「分かったよぉ。ったく、付き合ってたときもわがままなやつだと思ってたけど、相変わらずオレを振り回してくれる」

「なによ。誘ってきたのはそっちじゃない」

「泣きついてきたのはミーナの方だろ?!」

「泣いてなんかいないってば!」

「まあまあ二人とも落ち着いて」

危うく喧嘩になりそうなところをかおりさんに制される。なんでミーナといるときはこうなっちゃうんだろう。兄ちゃんたちみたいに穏やかなカップルがうらやましい。

ミーナとにらみ合っていると、かおりさんがチラリと部屋の時計を見た。
「ねえ。もしこのあと時間があるなら、東京散歩でもしない? とっても面白いわよ」

「東京散歩? ……もしかして、この格好で?」

「そう」
 かおりさんは、ふふっと笑った。

***

ミーナ

私と塁、かおりさんの三人は男女逆の服装をしている。週末の午後の人気ひとけはまばらだったが、それでも確実に人の目はある。電車に揺られながら目指す東京は、いつもよりずっと長く感じた。

というのも、私と塁は、同じく肩を並べていても人目が怖くて震えていたからだ。一方、男性カップル風のお兄さんたちは、慣れているのか、全く周囲の目を気にすることなく引っ付き合って座っている。

「……すげえよな、あの二人」
 塁が不安をごまかすかのように言う。
「めっちゃ見られてんのに、平然としてるなんてさ。信じらんねえよ」

「私もそれ、思った。でも、塁は女装、初めてじゃないんでしょ?」

「馬鹿。普通、こんな格好で電車に乗るかよ。誰に会うかもわかんねーのに」

「……それもそうだね」

私だって知り合いには見られたくはない。Tシャツにはドクロマークがついてるし、ジーパンは穴だらけ。普段の私を知ってる人が見たらイメージは総崩れだろう。

そこまで考えて「待って」と自分を制する。

そもそも私は自分のイメージを変えたくてこの格好をしようと決めたんじゃなかった? なのに、どうして知り合いに見られるのを恐れているの?

――本当は変わりたくないんじゃない?

私の中の一人が鼻で笑う。変わりたいなんて口だけ。所詮、あんたは継母ままははの言うとおりにしか生きられないのよ、と。

父が再婚したのは私が小学生に上がった頃。義母は、はじめの頃は私に好かれようとずいぶん甘やかしてくれたが、やがて自身の子を二人産むと愛情はそっちへ移り、私との距離は広がっていった。そしていつの間にか「女の子なんだから○○しちゃダメ」「女の子は○○であるべき」と、弟たちとの違いを強調するようになっていった。

私はその「女の子なんだから」という言葉に違和感を抱きながらも、再び「母」に見捨てられるのが怖かったこともあり、女らしい女であろうと努力を惜しまなかった。髪もできるだけ伸ばしてきたし、女子高にも進学した。けれども、何をしても満たされなかった。

そんなとき、声をかけてくれたのが塁だった。私のさみしさに理解を示してくれた彼にだけは甘えられた。何でも言えた。結局甘えすぎて、塁や彼のお兄さんを傷つけてしまったけれど、彼らとの出会いがなければ、私はずっと満たされないまま生きていたかもしれない。

私が変わりたいと願ったのは、親から教え込まれた偏見を書き換えたいからだ。もう、男と女という区別をする時代ではない、そのことをおにいさんやかおりさんが教えてくれた。

停車駅から、数人の男子高校生が乗り込んできた。大きな声でしゃべりながらふざけ合っている。先に乗っていた人にぶつかったが、彼らは謝るどころかヘラヘラしている。挙げ句の果てに、その中の一人がふざけている友人たちをスマホのカメラで撮影し始めた。

「なんか……嫌だな。ああいう奴らを放っておくのって」
 塁に語りかけたつもりだったが、彼はうつむいたまま知らんぷりを決め込んでいる。

周囲の人も、迷惑がっているのに誰も動こうとしない。我慢できずに立ち上がると、かおりさんも同時に動く。

「静かにしろよ! 周りの人が迷惑してるだろ!」
 意図せず、男のような台詞が飛び出した。

「君たち、K高校だよね? マナーがなっていないって、学校に連絡してあげようか?」
 かおりさんも冷淡に言った。

男子高校生たちは舌打ちをしたり小言を言ったりして車両を移っていった。彼らが見えなくなると何人かが拍手をした。それが私たちに向けられたものだと気づいたのは、少し経ってからだった。

「格好良かったわよ、ミーナさん」
 かおりさんが耳打ちをした。

「いえ、かおりさんも一緒に言ってくれたから助かりました」

「ねえ、男の格好をしていると、普段は出来ないような大胆な行動が出来ると思わない? わたしはそれが嬉しいんだ」

かおりさんはそう言って、何事もなかったかのようにおにいさんの隣に腰を下ろしたのだった。

***

終着駅に着き、ごった返すホームを抜けてからようやく東京の街に降り立つ。埼玉県に隣接する小さなまちだが、埼玉の人間はここで遊ぶのが好きみたいだ。オレも時々遊びに来る。何があるわけじゃないんだけど、東京なのに垢抜けない感じがいいのかもしれない。

遊び慣れた場所。なのにオレは緊張していた。いつの間にかミーナの腕にしがみついている。見た目だけじゃなくて内面まで女になってしてしまったみたいだ。

「……怖いの? なっさけないの」
 案の定、ミーナにバッサリ切り捨てられた。

「それでさっき、電車の中でもだんまり決め込んでたんだ?」

ふざけ会いながら乗車してきた連中の中に、友人がいた。学校は別だったが、中学まで少年野球チームで一緒に汗を流したやつだ。絶対に顔を、いや、この格好を見られたくなかった。だから、ミーナに飽きられてると分かっていても奴らを注意できなかった。

「あー、いや……。さっきは知り合いがいたから……。でも、兄ちゃんだって」

言い訳しても惨めなだけなのは分かってる。でも、だからってオレだけが責められるのはおかしいんじゃないか、という不公平感から兄ちゃんを巻き込む。

そこにかおりさんが加わる。
「ミーナさん。塁さんを責めるのはやめましょう。わたしたちはあの場で動くことが出来た。そういう役割を果たしたというだけのことよ」

「だけど、男だったら……」

「男性だから行動的とは限らないのよ。純さんのように、優しくて争いを嫌う人もいれば、私のように正義を振りかざしてしまう人もいる。それを、男とか女とかで語るべきではないと思う」

「かおりさん、さっすが!」
 オレが感嘆の声を上げると、ミーナがじろりと睨んできた。かおりさんは再びミーナをなだめてから言う。

「まあ、あの中に知り合いがいたのなら、迷惑行為をやめるよう注意しても良かったと思うけれど、声が出ないときもあるわよね」

「うん、うん」

「何だか、納得できないなあ……」
 ミーナは不服そうだった。

「まあ、終わったことはもういいじゃん。それより、行こうよ」
 兄ちゃんが場をとりまとめるように言った。

「行こうって、どこへさ?」

「い・い・と・こ。うふ……」

兄ちゃんはニコニコしながらそう言うと、かおりさんの腕にぎゅっとしがみついた。腕を掴まれたかおりさんは、照れるふうでもなく「じゃ、行こうか」とオレたちを促す。

「えー……。かおりさんはそれでいいの?」
 オレが問うと、「それでって、何が?」と返ってくる。

「なんか、こっから見てると兄ちゃんが……男の格好してるかおりさんだから甘えてるって言うか、かおりさんを男だと思ってるからそうしてるようにしか見えなくて」

「あー……」
 かおりさんはそう言って兄ちゃんをチラリと見る。

「いいのよ、だってお互い様だもの。それに、男は甘えちゃダメ、女は甘えていいって決まりはないはずでしょう?」

「あっ……」
 まだ男と女の枠に当てはめて物事を見ていることに気づかされ、ショックを受ける。かおりさんたちは、オレの知る男女観を超越している。これが「大人の恋愛」ってやつなのか……?

「男だって甘えたいんだよぉ。好きな人にはいつでもこうしていたいんだよぉ。たとえみっともないと思われたって、自分の気持ちを抑えるくらいならおれはかおりさんに甘える方を選ぶ」

「マジでー?」

こんな兄ちゃんの言葉を聞いたら、幼稚な考えしかできない自分が恥ずかしくなってきた。

兄ちゃんは変人のくせに、いつだって自分の生き方を貫いてる。そこが格好いいと思って真似するんだけど、おれはいっつも空回り。

野球も勉強も中途半端。今回のことだってそうだ。分かってる、おれには「自分がない」んだって。だけど、どうしたらいいのかも分からずに、真似っこすることでしか生きていけないんだ……。

☆☆☆

兄ちゃんたちにくっ付いていった先は、ビルの地下にひっそりと存在するバーだった。まだ開店には早かったが、すでに店主はおり、口を利くと快く中に通してくれた。

「あらあ。ジュンジュン、弟連れてきたの? そっくりだからすぐに分かったわ」

ミカという名の店主は今のオレと同じ格好――見るからに男だが女装――をしていて、特別な説明を受けなくてもこの店がどんな場所なのか、そしてミカさんが何者なのかはすぐに察しがついた。

「兄弟揃ってそっち系なのかと思ったけど、どうやら弟は違うみたいね。あんた、名前は?」

 顔をのぞき込まれ、「塁……」とかろうじて返事をする。ミカさんは気持ち悪い笑みを浮かべていう。

「で、塁はどうして女装なんかしようと思ったわけ? アタシたちをからかうために遊びでしてるだけ? それとも、何か特別な理由があるのかしら?」

唐突にそんなことを言われ、返事に窮する。黙っていると、ミカさんが説教するみたいにいう。

「いい? あんたはそうかもしれないけど、アタシやジュンジュンやかおりは違う。本気で性と向き合っているのよ。あらがおうとしてるのよ」

「オレだって……悩んでるんだよ……」
 ぽつりと言うと、少し間を置いてからミカさんはふうっと息を吐いた。

「それよ、それ。その台詞が聞きたかったの。……分かるわよ、何かに悩み迷ってることくらい。でなきゃ、普通の男として生きてきた子が女装に走るわけないもの」

「…………」

「ジュンジュンもそれに気づいているのね。だからここへ連れてきたんだわ、きっと。いいお兄さんを持って、あんたは幸せね」

「…………?」
 首をかしげると、ミカさんは呆れたように笑った。

「で、ジュンジュンたちはこの子たちに見せたいものがあって来たんでしょう? お店が開くまでの間なら、ここでファッションショーをやってもいいわよ」

「ありがとう、ミカさん」
 促された兄ちゃんとかおりさんは、店の奥から何やら箱を持ってきた。そしてそれぞれ上下一枚ずつ、きらびやかな服を広げて見せた。

「実はこれ、かおりさんに作ってもらった試作品。……と言っても、このまま売りに出せそうでしょう?」

「純さんったら……。服飾の勉強を始めたばかりだから、出来映えにはまだ納得できていないって言ってるのに」
 かおりさんは少し照れたようにうつむいた。

兄ちゃんの説明によると、「男同士、女同士、異性同士でも一緒に楽しめる服」をコンセプトに、色やデザインにこだわり、試行錯誤しながら衣装を制作している最中なのだという。デザインはミカさんが担当らしい。完成した暁には、ネットショップで販売するのだとか。

「実はミカさん、元々デザイナーとして活躍していたんだって。でも、こっちの方が性に合ってるって言ってこの道に入ったそうなんだけど、おれたちが話を持ちかけたら、面白そうってことで協力してくれることになったんだ」

「アタシの着てる服も自分でデザインしたのよ。どう? 似合ってるでしょ?」
 ミカさんは自慢げにポーズを取って見せた。

「今までは、アタシたちみたいな人間は日陰でひっそりと暮らすしかなかったけど、それはそれで特別感があって結構気に入ってたのよ。ただこれからは、男も女も、ファッションとして、それから自己表現の一つとして、異装をしたりメイクしたりする時代になると思うの。だから、ジュンジュンやかおりのやろうとしていることを、アタシは応援したいのよ」

「ふーん……」

「それはそうと、塁はもっとメイクの仕方を勉強した方がいいわね。あまりにも下手すぎて、せっかくの美人が台無しだもの」

アタシが直したげる♡ と再び顔を寄せられたので、オレは慌てて逃げ出した。みんながそれを見て大笑いする。

「かおりさん、それ、着てみてもいい?」
 オレが店の隅に逃げているあいだに、ミーナがかおりさんの仕立てた服に興味を示した。

「ええ、もちろん」
 ミーナはかおりさんに案内されて店の奥で着替え、戻ってきた。

男でも女でも着られる服、と言うだけあって、パンツスタイルでありながらも、所々にかわいらしさを取り入れたデザインがミーナによく合っていた。ロング丈のシャツの柄も、派手なピンクなのに嫌らしさを感じない。

「ミーナさん、スタイル抜群ね。写真映えするわ。ぜひ、撮らせて」
 かおりさんは絶賛し、バッグからカメラを取り出すとあらゆる角度からミーナの姿を写真に収めた。

「オ、オレも着ていい……?」
 ミーナばかりがちやほやされているのが気に入らなくて、半ば強引に割り込む。ミーナと入れ違いになって衣装を交換し、今度はオレが同じ服を着てみんなの前に出る。

一瞬の沈黙。
「ど、どう……?」
 ドキドキしながら問いかけると、四人が一斉ににやりと笑った。

「メチャクチャいけてるじゃん!」

「塁さんもお似合いじゃない」

「塁、かわいいよ」

「いやーん、アタシ好み♡」

どうやらこの格好はオレが着ても似合うらしい。おれの姿もかおりさんに撮影してもらい、写真で自分の姿を確認する。みんなが言うほどイケてるかは分からないけど、少なくとも悪くはないと思った。

オレが写真を見て満足していると、はたで兄ちゃんとかおりさんが何やら耳打ちをしているのが見えた。

「何、こそこそ話してんだよぉ」
 オレの悪口でも言ってるのか、と思ったがそうではなかった。

「塁、モデルになってくれないかな? ミーナさんも」

「ええっ?!」
「モ、モデル? 私が……?」
 オレたちは同時に声を上げた。

「今まではわたしや純さんが試着してたんだけど、お互いに容姿に自信がなくて。でも今、二人が着てくれたとき、これだって思ったのよ」

「うん。おれたちより、二人の方がずっと服のイメージアップになる」

「やってくれるわよね?」

二人に迫られ、オレとミーナは二人して顔を見合わせた。けれど、ミーナの表情を見る限り、「やりたい」というオーラが全開だった。

「塁、一緒にやろうよ。塁が一緒なら私、やるわ」

「……やっぱりそう来ますか。オレを巻き添えにしますか」

「もとはと言えば、塁が女装して私をこの世界に巻き込んだんでしょう?」

「…………」

「ね、やろうよ」
 念を押されたらもう引き下がれない。

「分かったよぉ。やるよぉ……」

ミーナをからかってやろうという、軽い気持ちで兄ちゃんたちのところに連れてきたのに、いつの間にかオレが巻き込まれたみたいになってる。……まあ、いいか。別れたとはいえ、口さえ開かなきゃミーナはやっぱり見ていてきれいだ。こうなったら、徹底的にミーナの男装を楽しんでやろうじゃないか。

***

ミーナ

隠れてやっていたつもりでも、やっぱり家族には感づかれるものだ。弟たちにはあっさりと、私が塁と衣服の交換をしたことがバレてしまった。二人とも小学生のくせに、こういう嗅覚だけは一人前だ。

「それ、前に見たことある! この間まで付き合ってた男のやつだろ? 仲直りしたの?」
「そうでもなけりゃ、彼氏の服がここにあるわけないじゃん。で、なんでそれを着てるの?」
「きっとあれだよ。彼氏のことが好きすぎて、着てた服の匂いがないと落ち着かないんだよ」
「マジかー。匂いがないと落ち着かないなんて、犬みたいだな!」

小学生の浅はかな想像を聞いて鼻で笑いたくなったが、実際にやっていることはどう言い訳しても「フツー」じゃないから、彼らを馬鹿にすることも出来ない。

「あんたたちだって、いっつもお気に入りのブランケットを引きずって歩いてるじゃないの。似たようなものよ」
 そう言ってやると、二人は妙に納得したらしかった。

「だけどさあ、その髪、長すぎるよ。似合ってない」
「帽子の中に押し込んだってダメだね。かえって不自然」

小四の双子は、今度は私の男装を見て批評を始めた。先日、バーで大絶賛だった男装にいちゃもんをつけるなんて……と思ったけれど、言われてみれば確かに……。いろいろ工夫して髪をまとめてみようとしたが、どう頑張っても塁から借りた服との釣り合いがとれない。

「じゃあ、あんたたちはどうしたら似合うと思ってんの?」
 思いきって尋ねると、二人は顔を見合わせて声をそろえる。

「つんつん頭!」

「はあっ?!」

「うっわー、アネキが怒った! 鬼だー!」

弟たちは私を散々からかって楽しんだのか、そのまま走って自室へ向かうと突然テレビゲームを始めた。やれやれ……。

静かになった部屋で一人、全身鏡に映った自分をまじまじと見つめる。

「つんつん頭……ねえ」
 一瞬、塁の短髪が思い浮かんだが、慌てて頭を振って追い出す。時計を見ると、夕方の五時を指している。

「まだ、間に合うかな……」
 明日から二学期が始まる。やるなら、今日しかない。

☆☆☆

「うわっ、ミーナ。どうしたの、その髪型! 思い切ったね!」

朝、登校するなり、クラスメイトで同じソフトボール部だったモネが私の髪型に気づいた。ぐるぐると、あらゆる角度から私を眺めたかと思うと、すぐに周囲の人間にも私の変化を知らせ始める。

昨日、滑り込むように美容室に駆け込んだ私は、ずっと伸ばしてきたロングヘアをショートボブにしてもらったのだ。ためらいがなかったといえば嘘だけど、思いのほか似合っていたので後悔はしていない。

「イメチェンよ、イメチェン」
 周りに何人か集まり出す中、モネの問いに答える形で言った。

「……もしかして、里桜りおがコクったのと関係ある?」

里桜というのは、先日私に告白してきた後輩の女の子である。確かに、ことの始まりは彼女の一言だったかもしれないが、髪を切ったのは別の理由だ。なんて言おうか……。思案していると、モネが耳打ちをする。

「実は里桜、あの後から孤立してるらしいよ。まあ、レズだと分かったらみんな引くよね。ミーナだって振ったわけだし」

実際、あのときの私に彼女を受け容れるという選択肢は皆無だった。でも、今同じことを言われたらきっと違う返事をしていただろう。たったの数日で、私の考えはずいぶんと変わった。いや、変えさせられた。

責任を感じた私は、その日の放課後、久々に部活動に顔を出すことにした。

「えっ? ミーナ先輩?!」

後輩たちは私の登場に、あるいは髪型の変化に驚いたりはしゃいだりしている。が、私は構わず彼女らの中を進み入って里桜を探した。

里桜は部室の隅にいた。私を見つけるなり「あっ……」と一声発してうつむく。しかしすぐに上目遣いでこちらを見ると「ミーナ先輩、短い髪も素敵です」とつぶやいた。

「あ、でも先輩、あたしのこと嫌いなんですよね。あのとき、キモいって……」

「馬鹿ね。あなたをいじめるために顔を出したんじゃない。むしろ、謝りに来たのよ」

「え?」
 きょとんとする里桜の目を見てはっきりと言う。

「この前は傷つけてしまったわね。あの後いろいろあって、あんな風に言ってしまったことを心から反省してる。許してちょうだい。……残念ながら、この間の返事はやっぱりNOだけど、私が拒んだことが理由で里桜がみんなから遠ざけられてると聞いて、黙っていられなくってね」

「先輩……」

「というわけで……」
 今度は後輩たちに向き直って言う。

「次期部長の里桜をひとりぼっちにさせないようにね。部長を支えるのがメンバーの役目。そうでしょ? そんなことじゃ、一勝も出来やしないわ。それに、里桜が誰を好きになろうが、里桜は里桜じゃない。頼りになる、うちの四番バッターじゃない。みんなだって知ってるはずよ?」

後輩たちはしばらくうつむいていたが、「確かにそうだよね」と何人かが言い出してからはチームに笑顔が戻る。

「ミーナ先輩、髪型変わったらますます素敵!」
「憧れちゃうよね!」
「実はあんたもミーナ先輩のこと、好きでしょ!」
「あ、あたしはレズじゃないってば!」

いつもの雰囲気が戻ったのを見届けた私は、里桜に今後の部の指揮を任せ、帰宅しようと校門に足を向けた。するとすぐ近くでモネが待っていた。

「あれ? 一緒に帰る約束してたっけ?」

「ミーナが部活に向かったのを見て、心配になって様子をうかがってたのよ。暴れなくて安心した」

「そんなことしないって」

「……なんか、急に変わったね、ミーナ。いったい何があったの? 新しい彼氏でも出来た?」

モネも私と同じソフトボール部に所属していたので、私のことはよく知っている。彼女の中の私のイメージはきっと、言いたいことはズバッと言っちゃう口の悪い女、なのだろう。事実、ほんの少し前まではそうだった。その私が、暴れるどころか、傷つけた本人に謝ったのだから不審に思うのも当然だ。

「新しい彼氏? それはないけど……」

言おうか言うまいか悩みながら歩き出す。モネは、私の発言を聞き漏らすまいと、ぴったり並んで歩く。迷い迷って告げる。

「……親への反抗心からよ」

嘘ではなかった。むしろ、それが根底にある思いだった。親のことはモネに話したことはなかったが、衝動的に、女らしくするようしつけられてきたことへの不満をぶちまけてしまう。

「親の意に沿うよう生きてきた私だけど、ある人たちと出会ってそれが間違ってたことを教わったのよ。髪が長くないと女じゃないわけ? スカートじゃないとダメなわけ? 男だから女を、女だから男を好きにならなきゃいけないって言うのも思い込み。いろんな人がいるのよ、世の中には」

「へえ! なんかミーナらしくない! ……ってこれもあたしの思い込み、なのかな」

「そーゆーこと」
 私が言うと、モネは腕を組んでうなった。

「なるほどねえ。髪の毛をバッサリ切ったのもそういう理由だったわけだ。それにしても、あの、、ミーナを、あっという間に改心させちゃう人たちっていったい何者? めっちゃ興味湧くわー」

「まあ、モネには理解できないような人たちよ、きっと」

「えー? あのミーナには理解できたのに?」

「……さっきから『あの』って付けるのやめてくれない? そりゃあ、これまでの口の悪さは認めるけど」

「あたしも会ってみたいなあ」
 モネが祈るように指を絡め、目をキラキラさせて訴えてきた。

「……あんたはただ彼氏が欲しいだけでしょ? 私を変えた人たちは、一癖も二癖もあるような変人ばっかり。モネが求めているような人たちじゃないよ」

「えー、そうなの? がっかりだわー。そういえば、ミーナが前に付き合ってた人は今どうしてるの? 実はこっそりいいなーって思ってたんだよね。今、フリーだったら紹介してよ」

どうやらモネは、部活を引退したのを機に彼氏を作って恋愛を楽しみたいらしい。しかし、よりによって塁、か……。

「あいつは……やめといた方がいいよ。うん、やっぱり変人だもん」

「そうなのー?」

会いたいと言って呼び出したら女装して待ってるようなやつを、変人と呼ばずになんと呼ぶ? モネにはきっと、塁の冗談は通じないだろう。

やめときなさい、と念を押すと、
「あ~っ、さてはまだ好きなんでしょー、元カレ君のこと」
 と、モネが意地悪そうに言った。私は鼻で笑う。

「とっくに別れたやつよ? あいつも口が悪いから、そのせいでモネが傷つくのを見たくないの。それがオススメしない理由」

口ではそう言ったものの、内心、モネが塁と付き合っている姿を想像して苛立っている自分がいた。

自意識過剰で、先のことなんか何も考えてない、お馬鹿な塁のことなんか大嫌い――。

別れを切り出されたとき、そう反論してサヨナラしたはずだった。なのに今、モネに紹介してほしいと頼まれて拒んでる……。

(未練があるって言うの……? そりゃあ、フラれたショックを引きずってるのは事実だけど……。)

急に、メイクをした塁の顔がよみがえり、思わず身震いする。やっぱり、塁のことなんて……。話題を変えよう。

「……ねえ、モネ。そんなにイケメンが見たいなら、今日の夕方、都内の球場で野球観戦しない? 平日の試合なら、当日行ってもチケットは買えるだろうし」

いつだったか、野球選手の格好良さを語っていたのを思い出し、思いつきで提案する。私もそうだけど、モネも根っからの野球好きだし、イケメン好きなのだ。

「あ、それ、いいね!」
 案の定、モネは誘いに乗ってくる。
「確か今日は、東京ブルースカイと阪神スターキャッツの対決でしょう? 先発はあの人だったはず! うん、絶対行く!」

「じゃあ、それまで都内でぶらぶらしてようよ。街にもいい男、居るかもしれないし」

「賛成ー!」

モネの扱いには慣れているので、なんとか塁を紹介せずに済んで一安心する。それはいいのだが、自分で言っておきながら、いい男ってどんな男だろう? と考える。

顔立ちが整っている人? 優しい人? 高学歴の人? 高収入の人……?

少し前なら、今あげたどれかに該当する人だと答えただろう。けれど、今は少し違う。

純さんとかおりさんの付き合い方を見てからというもの、あんな恋愛がしたいと思い始めている私がいる。外側の条件ではなく、内面や精神を認め合える関係性に憧れ始めているのだ。

今日はモネに合わせるけれど、私はイケメン探しではなく、純粋に野球の試合を楽しもう。そう心に決め、モネと歩き続ける。

***

ミーナからたくさん服を借りたのはいいが、マイクロミニスカートなんて、オレが穿いてどうする? 普段のあいつの服装は知っていたはずなのに、いざそれが手元にやってくると扱いに困ってしまう。一番無難なのはサロペットだけ。悩んだあげく、今日はそれを着てバイトに向かう。

夏休み限定で受けたプロ野球球場でのバイトだが、今日は急遽、お声がかかった。大学生アルバイトの一人が休むことになり、もう一日出て欲しいという話になったのだ。

午前授業でおしまいの二学期初日は暇だったから、オレとしては好都合。二つ返事で了解し、女装して出かけるというわけだ。

女装して行っても、期限付きのアルバイト仲間は、オレの私服なんて全く見てない。だから気軽に女装を楽しんでいる。

今日の試合は、都内の球場をホームにしている東京ブルースカイと、関西をホームにしている阪神スターキャッツとの対決。オレはビールを売り歩きながら、チラチラと試合を観戦する。

カーン!

乾いた木の音が球場にこだまする。周囲がどよめき、思わずグラウンドに目をやる。打った球はライトスタンドに入った。ホームランだ。

(すっげーな、今季何本目だ?)

大卒で今年入団したばかりの、東京ブルースカイ期待の星、永江孝太郎ながえこうたろう。一年目ながらもレギュラーで五番を任され、ホームランを量産している。入団会見をテレビで見たとき、埼玉県川越市のK高出身だって聞いて、それ以来密かに注目していた選手だ。

攻守が入れ替わる。元気よくマウンドにやってきたのもK高出身者で、今年急成長中の入団四年目、本郷祐輔ほんごうゆうすけ投手だ。高校時代に、先の永江とバッテリーを組んでいたといい、同じチームでプレイできると分かってからはいきなり成績がよくなりレギュラー入り。今季の防御率は1.25。お陰で東京ブルースカイはぶっちぎりの一位独走状態なのだ。

やっぱりK高の野球部員はすごい。オレも入りたかったけど、偏差値的に無理だった。頭もよくて野球も出来て……なんて、うらやましすぎだろう?

(それに比べてオレは……。)

絶好調の二人を尻目に、自分の日常を思い出しては落ち込む。

結局、今日の試合は5対0で東京ブルースカイが勝利を収めた。ビールもよく売れた。最後のバイトを問題なく終えたオレは、ここへ来たときとは真反対のどんよりとした気分でミーナの服に着替え、球場を出たのだった。

いつもの習慣でスマホをチェックすると、兄ちゃんからメールが入っていた。時間があるときでいいから、またかおりさんが仕立てた服を着てみて欲しいという依頼だった。

兄ちゃんたちのアパートは帰宅途中にある。どうせ家に帰ってもやることがないし、ついでに寄って飯でもごちそうしてもらおう。その旨を素早くメール画面に打ち込み、送信する。

平日夜の下り電車は会社帰りの人で混み合っていたが、オレは運良く座ることが出来た。バイトの疲れと気分の落ち込みのせいで「あ~~っ……」とおっさんみたいなため息をつく。

電車が動き出す。オレはミーナが貸してくれたツバ広の麦わら帽で顔を覆い隠し、頭の後ろで手を組んだ状態でふんぞり返っていた。

と、オレの前に立っている人が何度も足を蹴ってきた。うぜーな、と思って麦わら帽子を少し持ち上げそいつを睨む。その瞬間、目があって固まった。

「やっぱりお前か。橋本塁」

「ひ、人違いです……」

必然的に声が裏返る。しかし、余計に怪しまれたのか、オレの名を呼んだ人間はオレから帽子を剥ぎ取った。

「ひいっ……!」

「……その格好はどうした? マジでヤベーぞ」

同級生の飯村廉いいむられんだった。先日、初めて女装で電車に乗ったとき、ミーナに注意された男子高校生の中にいた友だちがこいつ。

「何でオレだって分かったんだよぉ。うまいこと変装できてたはずだ。それに、会うのは中学卒業以来だろうが」

「足元に置いてあるバッグに名前書いてあったぞ。それと……女性がそんなふうに脇毛をさらして平然としてるはずがないしな」

「うっ……」

慌てて腕をおろして脇を締めるがすでに手遅れ。いまだ清楚な女の仕草を身につけられていないのがあだとなってしまった。

「こんな時間に帰宅か?」
 廉に問われて答える。

「都内の球場でビール売りのバイトした帰り。今日の試合はすごかったぜ? お前の通ってるK高野球部の先輩たちが大活躍での大勝利だ」

「そうか……」

「でもあれか、今年のK高は三回戦敗退だったっけ? あのK高も、最近は鳴かず飛ばずだよなあ」

K高は、永江選手がキャプテンとしてチームを率いていたとき初めて甲子園に出場し、その後数年は、県内でK高を敗れる学校はないとまで言われるほどの強豪校だった。

「仕方ないよ、あの代が特別だったんだ。今の代は甲子園なんて目指してない。もともと進学校だしな。高校まで野球を楽しめればいいって連中ばかりだ。……そう、ろくなやつしか居ない」

「マジで? もったいねえなあ。……そういう廉は、こんな時間まで何してたんだよ? 制服姿で。予備校の帰りとか?」

「あー……俺は……」
 真面目に聞いたつもりだったが、廉は急にトーンダウンした。

「ん? 何かあったのか?」

「…………」

廉は辺りをキョロキョロしたかと思うと、オレに顔を寄せて耳打ちをする。

「……ちょっとばっかし悪い連中に絡まれててな。ゲーセンで金、使わされてたんだ。有り金全部使い果たしたって言ったら、やっと解放されてこの時間」

「おいおい、何だってお前みたいな出来るやつが絡まれなきゃならない?」

「んー、それがすっごく言いにくいし、俺もまだ信じられないんだけどさ……」

廉がそう切り出したとき、ちょうど最初の停車駅について隣の席が空いた。オレの隣に腰掛けた廉は、声を抑えながら理由わけを話し始める。

「実は俺の妹が……自分はレズだって言うんだよ。俺も親もどうしたらいいか分からなくて戸惑っているうちに、どういうわけか野球部の連中にも知れ渡っててさ。そいつらが言うんだ。『お前の妹、レズなんだってな。お前もホモなのか』って……」

「言いがかりにもほどがあるな」

「連中は、俺の学校での成績とか部活でレギュラーだったこととかが気に入らないんだよ。だから、いい口実を見つけたとばかりにそんなことを言ってくるんだよ、きっと」

レズの妹、と聞いてオレはミーナから聞いた話を思いだした。
「廉の妹って、今何年生? 学校、どこ?」

「M女子高の二年だけど」

「……ソフトボール部?」

「え、なんで知ってんの?」

「うわっ、マジかー……」

「えっ、なになに?」
 戸惑う廉に、オレは元カノが同性愛者らしい後輩に告白された話をしてやった。

「……世の中、狭いもんだなぁ」
 廉はため息をつき、しばらくの間うなだれていた。オレも同じようにじっとしていると、何かに気づいたように廉が言う。

「……違うのかな、おかしいのは俺の方なんだろうか。妹のこともあるけど、お前だってそんな格好してるし。俺の知らない間に、男と女の垣根がなくなっちゃったのか? 塁、そうなのか?」

「馬鹿が。んなわけねーだろ」
 真面目な廉に、冷静なツッコミを入れる。

「だよなあ。やっぱりおかしいのは妹の方か、あはは」
 廉は笑ったが、オレはちっとも笑えなかった。身内にホモがいるのに、笑えるわけない。

「お前の妹はおかしくねえよ、ちっとも」

「えっ……」

「本当はそう思ってないくせに。……かばったんじゃねえのか? だから目ぇ付けられてんじゃねえの?」

「…………」

「……実は、オレの兄ちゃんも同性愛者なんだよ。だからそんなふうに、冗談でも身内を笑いものにするのはやめろよ」

「えっ、そうだったの? 兄ちゃんって、純にいのことだよな?」

当時から家族には男好きを公言していた兄ちゃんだが、地元の少年野球チームのメンバーにはあえて告げてはいなかったようだ。思いっきり垢抜けたのは高二の時だったと記憶している。廉が知るよしもない。

廉は兄ちゃんのことを知りたがった。オレは兄ちゃんが、倒錯していてもうまく生きてることを教えてやった。

「そうか。塁も、周りの人も純にいに理解があるんだな。……確かに俺は一度、妹をかばったかもしれない。でも、『もっとばらすぞ』って脅されて、あいつらの言いなりになってる。悔しいけど、四人も相手じゃ言い返せない。情けない話さ」

その人数を聞いて、先日電車で乗り合わせた、あのふざけていた面々を思い出した。そうか、きっとあいつらが廉を揺すっているんだ。思い返せば、廉だけは悪ふざけに参加していなかった。やっぱりあのとき、オレが声をかければよかったと今更ながらに後悔する。

廉はなおも神妙な顔で言う。

「なあ、塁。お前のその格好も、純にいを理解するためにしてるの? 女装したら、同性愛者の気持ち、分かる?」

「あー、いや……。こんな格好したって、同性愛者の気持ちなんて分かりゃしねえよ。だから、廉は変な気を起こさなくていい」

「じゃ、なんで?」

「オレはただ面白がってるだけ。……目立ちたいだけだよ」

「ああ、塁は誰よりも目立ちたがりだったな。それで女装か。分からないでもないな」
 廉は、オレが目立ちたいがためにやらかした数々の逸話を列挙した。

そう。オレは目立つことなら何でもやってきた。それが過激になって女装って形を取ってるだけのこと。それだって、やっぱりいつかは冷めて他のことに手を出すに違いない。

「そんなに目立ってどうする?」
 案の定、廉が聞いてきた。すぐには答えられなかった。

「なあ、そんなに目立ちたいんならさ、あいつらを一泡吹かせてやってくんない?」
 黙っていると、廉が妙な提案を持ちかけてきた。

「あいつらって、お前の妹を差別してくる連中のこと?」

「そう。塁がその格好で女のフリしてやつらに近寄る。だけど、その瞬間に男だとばらして大暴れする。どう? なかなかしびれる作戦じゃないか?」

「暴れてどうすんだよ?」

「妹のことをダシにして俺を揺するのはやめろって言ってくれりゃあいい。あいつらだっておとなしくなるだろう」

「おいおい、オレが言ったくらいでおとなしくなるような奴らなのかよ?」

「たぶん、大丈夫。その化け物じみた顔で拳振り上げたら、誰だって逃げ出すよ」

「この顔のどこが化け物なんだよぉ?」

「ええ? ちゃんと自分の顔、見てから外に出てきたのか? 化粧が濃すぎるだろ」

「んん?」

持ってきた手鏡を覗いてみてぎょっとする。球場のトイレで慌ててメイクをしたせいか、思いのほかチークとアイシャドーが濃かったのだ。それを見て廉が笑った。

「相変わらず面白いやつだな、塁は」

「うっせー!」
 反論すると、下車予定の駅名がアナウンスされた。

「あ、オレ次で降りないと。兄ちゃんのところに寄ってくんだ。悪いけど、ここまで」

「そうか。……今日は偶然でも、会えて良かったよ。今の話、ちょっと考えてみてくれると有り難いな。いい返事を期待してるよ」

廉はオレに連絡先の交換を申し出た。仕方なく応じる。やれやれ、面倒なことになったものだ。なんで自分の下手なメイクを逆手に取って暴れなきゃいけないんだ? それが解せない。

連絡先を交換しあい、廉と別れたオレは、モヤモヤしながら兄ちゃんたちのアパートへ向かった。アパートに駆け込むと、玄関に見慣れた靴が置いてあった。

「ミーナも来てるのかよ……」

「何よぉ。来てちゃ悪い?」
 この部屋の住人より先に、ミーナが姿を現した。

「って言うか、何でミーナまでここに?」

「塁と一緒で、新作を着て欲しいって連絡をもらったからよ。ちょうど、友だちとブルースカイ対スターキャッツ戦を見てきた帰り道だったから寄ったってわけ」

「えっ、ミーナも球場に来てたの? オレ、今日はバイトだったんだぜ?」

「うっそ! 夏休み限定じゃなかったの?」

「急遽、頼まれたんだよ」

「あっぶな。会わなくてよかった」

「そりゃあ、こっちの台詞!」
 そんなことより、なんか食わしてー。オレは部屋の奥にいる兄ちゃんにせがんだ。

「バイト、お疲れさん。おにぎりくらいしか用意できなかったけど、腹の足しにしてよ。おれが直々に握ったんだ、有り難く食べるように」

確かに兄ちゃんが握ったのだろう、爆弾サイズの握り飯がお皿にドンッと置いてあった。あまりにも空腹だったので、見てくれも味も気にせずにかぶりつく。一通り平らげてようやく腹も気分も落ち着いた。

「塁はバイトも女装して行ってるんだ? ミニスカは穿かないの?」
 食べ終わったのを見て、ミーナがさっそく絡んできた。

「ありゃあ短すぎるぜ! マイクロミニばっかよこしやがって! お陰でこれしか着るのがなかったっつーの!」

「えー? 似合うと思ったのになあ」

「本気とは思えないけど!」

オレとミーナが今にも喧嘩しそうなのを見越して、兄ちゃんとかおりさんが仲裁に入り、新作の服を着るよう促す。オレは兄ちゃんの部屋で着替えを済ませると、みんなの前で披露した。

今度の服は冬向けの、厚手の羽織り物とコーデュロイパンツ。やはり季節感のある色合いでありながら、フリルやリボンにはアクセントカラーが用いられていて個性的な服に仕上がっている。
 
「うーん。もう少し肩幅にゆとりをもたせた方がいいかしら? やっぱりスポーツマンは体つきががっしりしているわね」

かおりさんはオレの周りを何周もしながら、具合の悪そうなところを見つけてはメモを取っていく。

「これ、完成したら売りに出すんっすか?」

「最終確認をミカさんにお願いして、OKをもらえたら受注生産って形で売りに出してみようと思ってる。まあ、どのくらい注文があるか分からないけど、純さんのブログの読者さんの中には、今から心待ちにしている人もいるみたい。その数を目安にやってみるつもり。一人で作りきれなくなったときは、外注することも考えているわ」

「へえ……。じゃあ、将来的にはこれを仕事に?」

「出来たらいいなと思ってる。……純さんのお陰で私にも夢と呼べるものが出来たんだもの。……そうそう、前回試着してもらったときの写真を公開したら、結構な反響があったのよ。あなたたち、モデルさんのね」

かおりさんはそう言うと、兄ちゃんにブログを見せるよういった。兄ちゃんは手際よくパソコンを立ち上げ、ブログサイトを開く。見せてもらったページにはたくさんのコメントが載っていた。

――モデルさん、ナイスバディ! かっこいい!
 ――宝塚スターみたい! ジュンジュンの知り合いですか?! 顔も見てみたい!

「前回のは、顔が写らないように写真を加工して載せたんだけど、それでもこの反響っぷりなんだ。すごいでしょ?」

兄ちゃんがスクロールする画面上のコメントを読み、これが自分たち宛のメッセージなのかと思うと嬉しくなった。

「顔を見てみたいってコメントがメチャクチャ多いな!」
 おれが言うと、兄ちゃんはうんうん、とうなずいた。

「もし、二人さえよければ、今日撮らせてもらった分からは顔も載せてみようかと思うんだけど、どう? モデルさんの意見を聞かせてよ」

「オレは構わないよ」

「私も大丈夫です」

「じゃあ決まりね」
 かおりさんはカメラを持ったまま嬉しそうに言った。

「さて、もう遅いわ。明日も学校でしょう? 家まで送るわ」
 チラリと時計を見たかおりさんは、オレに着替えるよう言いつけ、自身はさっとカバンを持った。

「えー、帰らなきゃだめなのー? 兄ちゃん、泊めてくれよー。明日は学校休むー」

「はあ……? お前の寝るとこなんてないよ」

「ねこのぬいぐるみをどかせば……」

「ダメダメ。ここは、『マシュマロにゃんねこ』の寝床なんだから」

『マシュマロにゃんねこ』って言うのは、兄ちゃんたちが大好きな癒しキャラの名前だ。このねこをこよなく愛する二人の部屋は、ぬいぐるみであふれかえっている。オレにはさっぱり理解できないけど、きっと、二人には共通の趣味があるからうまくいくんだろう。

二人に追い出される格好で、オレとミーナはかおりさんの運転する車で家まで送ってもらうことになった。

***

ミーナ

かおりさんに車で送ってもらったのはよかったけど、塁の隣に座ったのはサイアクだった。私の服を着ていてるから女の風貌なのに、行動は完全に塁なんだもの。

だいたい、別れた女の太ももに手を出すやつがいる? 信じられない……。強烈なパンチを食らわしてやったら、前に座る大人の二人に大笑いされた。もう、恥ずかしくて仕方がなくて、場所が車でなかったら走り去っていたところだ。

これだから塁はキライ。女装したって女の気持ち、これっぽっちも分からないんだから!

そんな塁が友人に、女装でいじめっ子グループをやっつけにきて欲しいと頼まれたことを教えてくれた。女のふりをして油断させる作戦らしい。それを聞いて、絶対うまくいくはずないとその場では笑い飛ばしたんだけど、内心では、しっかり任務を果たしてきなさいと成功を祈っていたりする。

というのも、その友人の妹って言うのが例の、私に告白してきた里桜らしいのだ。どうやら、妹がレズだと知られ、それを材料にいじめられているみたい。

私自身、過去に同性愛者であるというだけで初対面の人を傷つけてしまった経緯があるけれど、どうして人は自分と違う世界で生きている人を爪弾きにしたがるのだろう。

純さんやミカさんは、話せば話すほど真面目で深く物事を考えていると感じる。今では、彼らの声がもっとたくさんの人に届けばいいのにとさえ思う。どうして世の中って、こんなにうまくいかないのかな……。あれっ? ほんのちょっと前なら真反対のことを考えていたのに……。我ながら変わったものである。

そう思う一方で、きっかけさえあれば人はいつでも変われるのだとも思う。それもこれも、認めたくはないけれど塁のお陰である。モデルとして写真に収まるのも楽しくなってきたし、きっかけをくれた塁には今度、何かしらお礼をしておこう。

あれから三週間。九月も後半に入ると夕方は涼しく、半袖では少々寒く感じるほどだ。気づけばもうすぐ衣替えのシーズン。帰ったら気分転換もかねて、手持ちの服や制服を入れ替えてしまおう。そんなことを考えながら学校から帰宅する。

新しい服も買おうかな、などとわくわくした気持ちのまま玄関ドアを開ける。ところが、ドアのすぐ向こうで義母が待ち構えていた。思わず一歩退くと、義母は距離を詰めんばかりに迫ってきた。

「ミーナちゃん、ちょっと話があるんだけど、いい?」

「……なに? 話すことなんてないわ」
 後ろ手にドアを閉め、義母の脇をすり抜けようとした。

「これを見ても?」
 義母が見せてきたのは塁の服だった。慌てて服を奪い取る。

「私の部屋に入ったの? 勝手に入らないでっていつも言ってるじゃない!」

「ミーナちゃんったら、相談もせずに髪を切ってしまうし、近頃は帰る時間も遅いじゃない? だから、ユウマとトウマに聞いたのよ。何か変わったことはないかって。ゲームのプレイ時間を延ばしてあげると言ったらこれを持ってきてくれたわ」

ユウマとトウマは双子の弟の名前だ。まだ小さいからと、部屋を自由に出入りさせていたことを後悔する。

「……なんて卑怯な」
 睨み付けても、義母は淡々とした口調で私を追い詰める。

「それで、恋人の服をこんなにたくさん持ち込んで、いったいどうするつもり?」

「ゆり子さんには関係ないことよ」

「関係あるわよ。家族ですもの」

「気安く家族だなんて言わないで! あなたのその言葉が、どれだけ私を縛り付けてきたと思っているの?!」

「縛る? いったい何の話?」
 とぼけているのか、本当に気づいていないのか。義母は小首をかしげた。その態度が余計に私を怒らせる。

「分からないなら教えてあげるわ。あなたの価値観を押しつけられたせいで、所得の多少や人種、性が違うというだけで、私は何人もの人を見下し、差別し、傷つけてきた。みんな同じ人間なのに、その人の中身も見ずに外側だけで判断することがいかに無意味なことかも知らずに。私はそれが間違っていたことを知って反省し、新しい自分になったことを示すために髪を切った。そして、男の格好をすると決めたの。この服もそのためのものよ」

「……わたしがいつ、そんな差別を?」

「言葉の端々に表れているわ。さっきだってそうよ。私をいつまでも子ども扱いするような発言にはうんざり。髪の毛を切る前に相談してくれなかった? 冗談じゃない!」

「…………」

「もし、女らしい娘が欲しかったのなら、おあいにく様。私のことはもう、男と思って接することね。……そうそう、私が持っていたスカートやフリフリの夏服は全部、人にあげちゃったから」

「まさか……。もしかしてミーナちゃん、別の性に目覚めたんじゃ……?」

明らかに動揺しているのが分かった。面白いからもう少しからかってやろうと、事実を誇張して言う。

「そうね。最近、女の子の方が好きよ。今ではこの服をくれた男の子と一緒にカワイイ女の子を探して街を歩いてるんだから」

「そ、そんな……」
 貧血でも起こしたのか、義母はその場にくずおれた。私は追い打ちをかけるように言う。

「なんなら、今すぐにでも私に夢中の女の子を呼び出してあげようか?」

「や、やめて。もうたくさんよ!」

義母は這いつくばって、逃げるように私の前から姿を消した。しばらくして、閉じこもった寝室からすすり泣く声が聞こえた。そんなにショックだったんだろうか。でも私は、長年言えなかったことを言い切ったのでむしろすっきりしている。

そんなタイミングで、奇しくも里桜からメールが届いた。

――あたしの部活が終わってから会えませんか? 場所はお任せします。

☆☆☆

家とは反対方向なのに、里桜はわざわざ下り電車に乗って、私の待つK駅までやってきた。私を見つけるなり、里桜は満面の笑みを浮かべ、飛びつかんばかりに走り寄ってきた。

駅ナカに入っているカフェでなんとか二席確保した私たちは、それぞれに飲み物を注文した。

「キモいって言われてもなお、会いたいって言って押しかけてくる里桜のしぶとさには恐れ入ったわ」
 落ち着いたところで正直な感想を告げる。里桜は恥ずかしそうに笑った。

「……どうしても聞きたいことがあったので。というのもあたし、見つけちゃったんですよ! これ、ミーナ先輩ですよね!」

里桜はいきなり本題に入った。スマホを取り出したかと思うと、とあるブログサイトにパッとアクセスする。

それは確かに、純さんのブログサイトに掲載された私の写真だった。それなりに人気のあるサイトだとは聞いていたが、まさか後輩の目に留まるほどとは。今度は私が恥じらう。

「ちょっと知り合いに頼まれてモデルを……」
 私は小声で打ち明けた。里桜は目を輝かせる。

「もしかして、ジュンジュンの知り合い?! ミーナ先輩、格好いいだけじゃなくて、顔も広いんですねー!」

「たまたま、ね……。でも、なんだってジュンジュンのブログを読んでるのよ?」

純さんのブログは、同性愛者はじめ、性の悩みを抱えた人が訪れる場所だと聞いている。

「実はあたし、ジュンジュンに相談したんですよ。同性に告白したいんだけど、どう思いますかって。そしたら、素直に君の気持ちを伝えたほうがいいよって」

「…………! それであの告白だったわけ?」

「結果は、思ったとおりダメでしたけどね、えへへ……」
 里桜は頭をかきながら舌を出した。

「でも、こうして会ってくれるミーナ先輩の優しさには感激してます。正直な話、本当に会ってくれるとは思っていませんでしたから」

もし、直前に義母と口論していなかったら、里桜の予想通り会っていなかっただろう。でも、あんなふうに言い放ったあとでは、里桜に対する偏見はおろか、家から誘い出してくれたことに感謝すらしているほどだ。

「話は戻りますけど……。ジュンジュンが同性愛者で、そういう人たち向けの服を作ろうとしていることは知ってるってことですよね? 知っててモデルを引き受けてるんですよね?」
 里桜の問いに、私は「ええ、そうよ」とだけ言った。彼女は目を輝かせる。

「この、中性的な衣装がミーナ先輩にぴったりすぎて、見てるだけでため息が出ちゃうんですよねえ。はあ……」

里桜はスマホ上に私の写真を表示させ、それを見ながら本当にうっとりとため息をついた。

「先輩は何を着てもさまになりますね。男物の服でも絶対似合うと思います!」

「あー……」
 すでに塁と服を交換し、日々、男子の服を着て楽しんでいる身としては、なんとも返事がしづらかった。

「……そういえば、あんたのこと、同性愛者だと知ってる人はどのくらいいるの?」
 私は自分に向けられていた話題を里桜に向けた。

「どうやら情報が漏れ出てるみたいなんだけど」
 後半の部分を小声で言うと、里桜も周囲を見回して声を抑える。

「……家族には伝えました。部活の先輩が好きで告白もしたって。でも、それ以外の人には……。あっ」

「どうしたの?」

「……い、いえ、何も。……その、情報が漏れてるって話はいったいどこの誰から……?」
 不安がる里桜に、塁のことは伏せつつ、聞いた内容をかいつまんで話した。里桜は真っ青になった。

「あたしのせいでお兄ちゃんが揺すられてるなんて……。ど、どうしよう?」

「大丈夫。とりあえず、私の知り合いがあんたのお兄さんを助けてくれるはずだから」
 里桜にはそう言ったものの、果たして塁は引き受けるつもりなんだろうか。少し、心配だ……。

***

あれからずいぶん日が経ったというのに、思い出すたび横っ面がじんじんする。かおりさんが急に車を方向転換させたから、その勢いでミーナの方に身体が傾いて、たまたまお手つきした場所が制服のスカートから伸びた太ももだったってだけ。なのに、オレが好き好んでそこに手をやったみたいに言いやがる。あんなふうに攻撃的な女では、どんな男も逃げ出すに違いない。まあ、オレは慣れてるから愚痴を言うくらいで済むけど。

その道中、話題の提供がてら、女装で大暴れして欲しいと頼まれた話を面白おかしくしてやった。ミーナは笑うどころか、真面目な表情で聞いていた。半年前、兄ちゃんを馬鹿にした女とは思えない反応だった。

ミーナは確実に変わった。なのに、オレは廉から助けを求められたのにすぐ返事をするでもなく、あろうことかヘラヘラと笑いながら元カノに話してしまった……。

(こんなことでいいのか、オレ……。)

このままじゃいけない。だけど、変わりたくない。二つの思いが衝突している。そしてまた、一歩も動けずにいる。

変わりゆくミーナにおいて行かれるのが怖かった。そして悔しかった。どうしようもなくなったオレは、一旦気持ちを落ち着かせようと、ミカさんのバーを訪れることにした。こういう時は、何でも聞いてくれるオカマに話すに限る。これは兄ちゃんが教えてくれたことだ。

オレはバーの開店と同時に店に飛び込んだ。当然ながら、客は一人もいなかった。

「あら、どうしたの? こんな時間に。ジュンジュンとかおりは来てないわよ?」

「いや、今日はそのぉ、客としてきたんだ。酒は飲めないけど、いいっすよね? 知らない仲じゃないし」

「へえ、もしかしてアタシに相談事? 何でも聞くわよぉ?」
 ミカさんはカウンターに腰掛けたオレをじっと見つめた。

「それで? 何に悩んでるの?」
 自分から飛び込んできたというのに、オレはすぐに話し出すことが出来なかった。それでも、ミカさんは待ってくれた。出された水がすっかりぬるくなるまで。

ミカさんが新しい水に交換してくれたタイミングで、ようやく話そうという気持ちになる。

オレは、自分が女装を始めた理由が、単に目立ちたかっただけに過ぎないこと、友だちが助けを求めているというのに、助太刀するのを心のどこかでためらっていることなどを思いつくままに語った。

「なるほどねえ。やっぱり塁はミーハーだねえ」

「…………」

「そう言えばさ、塁は何で野球を続けてきたわけ?」
 ミカさんはいつものように、唐突に話を振ってきた。考えたこともなかったオレは頭を悩ませてしまう。

「……何でかな。それなりに好きだったから、とは思うけど」

「でも本気にはなれなかった?」

「うん……」

「実はアタシも野球、やってたのよ?」

「えっ、うそっ?!」

「嘘じゃないわよ。しかも野球の名門校でね。見てよ、これ」
 そう言って、ドレスからむき出しの腕で力こぶを作った。

「でも、その頃からそっち系だったんですよね? 何で野球なんか」

「周りに合わせて男であろうと努力してたのよ、その時は。ジュンジュンもそうだって聞いたけど、あの子は途中で気づいて方向転換したみたいね。それが正解だわ」

「…………」

「塁は本気になれること、一つでもある?」

「…………」

「もし本気で自分を変えたいと思うなら、女装でも何でも、一度本気でやってごらんなさい。そうすれば、その先に見える世界も変わるはずよ」

「…………」

「ジュンジュンに憧れてるんでしょう? あんなふうに自分をさらけ出せるお兄さんに近づきたいって思ってるんでしょう? 野球を始めた理由だってきっとそうなんでしょう?」

「うん」
 ようやく一つ、返事をする。ミカさんがうなずく。

「だったら、ただ目立ちたくて女装をするんじゃなくて、極めてごらんなさい。塁はモデル体型だし、メイク次第ではずっと美しくなれる。それだけはアタシが保証するわ」

「本当?」

「オカマは嘘はつかないわよ」

オレは中途半端な自分が嫌いだった。人のアドバイスだって批難に聞こえてみんな拒んできた。だから成長できないんだって分かってるのに、何もしない自分にますます嫌気がさす。その繰り返し。

だけど、いよいよそれじゃあダメなんだと思い始めてる。変わるための一歩。たった一歩を踏み出す勇気を持っていないオレはどうしたら……?

「ミーナの力を借りなさい」
 オレの心を見透かしたようにミカさんが言った。

「ミーナの力?」

「あの子は人を引っ張る力がある。確か、ソフトボール部の部長もしていたんでしょう? まだ迷いがあって進めないなら、あの子に引っ張ってもらうといいわ。恋人なんでしょう?」

「オレたちはとっくに別れてるよ」

「なあんだ、もったいないわね。お似合いだと思うけど?」

「…………」

「あのね。アタシは塁に、男ならやりなさいとは言わない。その代わり、人として前に進みたいならやれることをやりなさいと言うわ」

「……人として。……そうだよな」

いつだったか、かおりさんが言っていた言葉を思い出す。男だから行動的とは限らない。性別でそれを語るべきではない、と。

そう。これはオレ自身の問題。男とか女とか、もっと言えば服装なんて全く関係ない。オレは、廉が困っているのを知っている。助けてやりたいとも思ってる。その気持ちさえあれば十分じゃないのか。

「何をそんなに悩んでたんだろうな、オレは」

結局、自分のことしか考えてなかったことに気づく。ただ目立って、注目されればいいと、それしか頭になかった。だから、いつまで経っても進めないのだ。

「ミカさん、ありがとう。オレ、やるわ。ダチのこと、助けに行くよ」

「そう。うまくいくことを祈っているわ」
 ミカさんは微笑み、とびきりの投げキッスをした。ちっともきれいじゃなかったけど、なぜかそれがオレの背中を押してくれるような気がした。

☆☆☆

「これで大丈夫……と。鏡で見てごらん」

ミーナに手鏡を渡され、自分の顔と対面する。自分で適当にしてたときとはまるで違って、美しく整った顔立ちにメイクアップされている。こんな格好でどちらかの家に上がり込むわけにもいかないので、仕方なくいつもの公園のベンチに座っての化粧だ。

オレはこのあと、廉から金を無心する連中の元に殴り込む。その前にミーナの力を借りて、オレ史上最高の女装をしようというわけだ。

ミーナの顔を正面に見ながら繕ってもらった女顔。もしかしたら、彼女の美しさの一部を分け与えてもらったのかもしれない。自分じゃないみたいだけど、嫌いだった自分に少しだけ自信がつく。

「うん、これなら……」

「でも、いいの? きれいにメイクしちゃって。いじめっ子が寄りつかないように化け物じみたメイクにするって手も……」

「試したいんだ、オレがどれだけ女に見えるか。廉にだって、いい女だと言わせるんだ、今日は」

「へえ、やる気満々ね。ようやく本気になったってわけ?」

「オレだって、やる時はやるんだ」

「ふーん。それじゃ、お手並み拝見ね。頼んだわよ、塁」
 そう言った顔は真剣そのものだった。重要な役を任されたのだと分かる。身が引き締まる思いがした。

☆☆☆

廉に指定されたのはK高近くの河原。夜の河原に人気ひとけはなく、外灯といえばK高の校庭を照らす照明だけ。ここで怪しげな集会が行われていたとしても気づかれることはなさそうだ。それを目論んでの、この場所なのだろう。

「それにしても、飯村に彼女がいるなんて知らなかったなあ。しかも、おれたちに会わせてくれるとはね。もっとよく顔を見せてくれよ」

ニキビ面の男が帽子の下の顔を覗こうと近寄ってくる。しかしオレは夜にもかかわらず、ミーナが貸してくれた例の麦わら帽を目深にかぶっている。男に帽子を取られないよう、ツバを押さえてさりげなくかわす。男はちっ、と舌打ちをした。

廉からは、今日も金を要求されていると聞いていたが、オレが行くと話したことで、対象が金から女に変わったようだ。連中は金のかの字も言ってこない。しかし、廉をいたぶろうという気持ちに変わりはなさそうだ。

「ったくよお。勉強できて、野球も出来て、おまけに女もいる? 気に入らねえなあ!」

リーダーらしき男はそういうなり、廉の足を蹴飛ばした。ううっ、と唸った廉はその場で膝を折り、しゃがみ込んだ。心配になってオレもしゃがむ。

「……おい、大丈夫か?」
 小声で尋ねると、廉は小さくうなずいて「演技を続けろ」と言った。

「よく見たら彼女の肌、ずいぶんと日焼けしてるじゃん。テニス部? 陸上部? 廉の彼女なら、ひょっとして野球部?」

「足の肉付き具合からして、陸上部じゃねえか? ちょっとそのスカートから出てる太もも、触らせてくれよ。減るもんじゃねえだろ?」

一人二人と、男たちがしゃがみ込んだオレを取り囲む。こいつら、ただの変態じゃねえか……。男ってのは、女ってだけでこんな目で見るものなのか。自分が男であることも忘れてぞっとする。先日、ミーナが全力で反撃してきた理由が分かった気がした。

「……廉、演技は中止だ。正体、ばらすぞ。もう耐えらんねえ……!」

「分かった、やれ……!」

互いに耳打ちし、了解し合ったところでオレはすっと立ち上がった。男たちがわずかにたじろぐ。オレがおもむろに帽子を脱ぎ去ると、なぜか「おおっ……!」と、どよめきが起きた。

「なかなかきれいな顔してるじゃん。帽子で隠すなんてもったいぶりやがって」

「しかし、おれたちを威嚇してるぜ。ああ、でも、挑発的なその目も悪くないな……」

「こいつ、飯村を守ろうとしているのか……? いい度胸じゃねえか……!」
 男たちが一斉に動き、オレに掴みかかる。その瞬間に叫ぶ。

「……残念だったな、オレは男だっ!」

目の前にいた男にタックルを食らわす。その衝撃でカツラがとれ短髪が顕わになる。その場にいた連中の目が点になったのが分かった。タックルされた男が言う。

「……ほ、ほらみろ! やっぱり飯村はホモだったんだ! こいつ、自分でそれを証明しやがったぜ!」

「違う! オレは廉を助けるために、友だちとしてここにいる。廉もオレも、れっきとした男だし、好きになるのは女だっ!」

「助けに来た、だと? 笑わせるな。お前一人で何が出来る?」

「一人じゃない。俺も戦えるっ!」

しゃがみ込んでいた廉がすっくと立ち上がり、声を上げてリーダー格の男に飛びかかる。それを合図にオレも拳を振り上げ、立ち向かう。

そこから先は、二対四の殴り合い。どのくらいの時間が経ったか分からないが、とにかく無我夢中だった。気づいたときにはオレを除く全員が伸びていた。

「はあ、はあ……。なっさけねえ奴らだ。K高野球部が聞いて呆れるぜ。オレはS高野球部でレギュラーでもなかったけどなあ、負けん気だけは人一倍あるんだよ。

……知ってんだろ? おまえらの大先輩たちが今、プロ選手として活躍してるのを。あんなふうになりたいと思ったからK高野球部に入ったんじゃねえの? だったらどうしてそれ相応の努力をしなかった? 自分の怠慢を棚に上げて、仲間をいじめて憂さ晴らししてんじゃねえよ!」

一気に言い放った。もちろん、これには自戒の意味も込められている。

オレ自身、兄ちゃんの真似をしていろいろやるくせに、みんな途中で投げ出しては「オレはどうせ……」と言い訳し、逃げ道を作りながら生きてきた。

でも今、こいつらを殴り飛ばしてやっと分かった。オレもこいつらと同じだったんだって。だから、オレはこいつらを殴ることでオレ自身も殴り飛ばした。いい加減、目を醒ませって思いながら。

「……くそっ、今日のところは見逃してやる。おい、行くぞっ……!」

リーダー格の男が言うと、倒れていた残りの三人はよろよろと立ち上がり、オレたちの前から姿を消した。

姿が完全に見えなくなったとき、気が抜けたのか足の踏ん張りが効かなくなってその場にへたり込んでしまった。隣に座っていた廉がこちらを見て微笑む。拳を突き出すと、廉がそこにグータッチをした。

「ありがとう。助かったよ。お前が暴れる姿、スッゲーしびれた。まだ、興奮が冷めないよ」

「あれだけコテンパンにやっつけときゃあ、しばらくは大人しくしてるだろ」
 オレは笑ったが、廉の方はどういうわけか、オレの服をチラチラと見ている。

「……破れちまったな。借り物なんだろ? 大丈夫か?」

「オレより服の心配かよ。身体張ったってのに、ひでえ奴だ」

「いや……なんて言うか……イヤらしいから見てらんなくて」
 そう言って廉は視線をそらした。心の中で「やった!」と叫ぶ。

「……そんなに女っぽく見える? なら元カノに服貸してもらったり、メイクしてもらったりした甲斐があるってもんよ」

「…………」

「な、何だよお。その気になるなよ?」

「ああ……。とにかく、着替えたほうがいい。うちの学校の体操服で良かったら貸すよ。その格好よりはマシだろう」

「それ、お前が一度着たやつ?」

「我慢しろ。そんな格好で自転車乗ってたら、痴漢に遭うぞ?」

「オレのこと、心配してくれるんだ?」

「……今日は塁のこと、女と思ってるから。ただし、次に会うときは普段の塁で頼むよ。その格好で会われたら、なんだか頭がイカれそうだ」

「了解。こっちだって、廉と恋人に思われるのはごめん被るよ」
 そう言うと廉はようやく笑った。

☆☆☆

「……で、四人がいっぺんに殴りかかってきたんだけど、俺は一人ずつ、顔面めがけてパンチを食らわしてやったんだ。まさか、俺にそんな力があるなんて、連中は思ってなかったんだろうな。それっきり何も言ってこなくなった。今は本当にすがすがしい気分だよ」

馬鹿が。全員を伸してやったのはこのオレだぞ? と思いながら廉の話を右から左に聞き流す。まあいい。今日は先日助けてやったお礼ってことで、東京ブルースカイの試合を見に来ている。チケット代はもちろん廉持ちだ。連中の目をだませたのは彼女のお陰だからってことでミーナも一緒なんだけど、なぜかオレと廉の間っていう席順だ。

この話は当日の晩、すでに詳しく報告してるはずなのに、今更何を聞く必要があるというのか? ミーナの態度にも不満はあるが、特に不快に感じるのは、廉がオレの手柄をさも自分が成し遂げたかのように話しているところだ。こういう男だったかな? ああ、嫌だ嫌だ。

「おい、いい加減黙れよ。何しに来たんだ? 永江選手、出てきたぜ。試合に集中しろよ」

「あっ、本当だ!」

オレが注意を促してようやく、ミーナの興味が目の前の試合に移った。廉は面白くなさそうにむすっとしたが、やはり話題の永江選手の登場で目は自然とそちらに向いた。

永江選手は今日も毎回安打でチームの勝利に貢献した。ヒーローインタビューで「寝ても覚めてもバットを振っているのが、連打につながっていると思います」と答えているのをみて、やっぱり本物は違うと思わされる。

永江選手は本当に野球が好きなんだな。だから練習も苦にならないし、プロにまで上りつめられたのだろう。そういうオレは何が好きなんだ? 何にだったら本気になれる? いまだ、答えを出せずにいる。

***

ミーナ

飯村くんの話を聞いて、もしK高を目指していたら、そしてソフトボールではなく野球をしていたらどんな人生を送っていただろうと想像した。今やK高野球部には何人もの女子部員がいてレギュラー入りする子もいるという。練習は厳しいかもしれないが、そこに属していれば今とは違った景色を見ていたのは間違いない。……塁との交際がなかった可能性も含めて。

もし塁と付き合っていなかったら、今の私は存在していないだろう。同性愛者への偏見をなくすこともなければ、「異装」という未知の世界を知ることもきっと、なかった。

どちらがいいというわけではないけれど、少なくとも今の私は異装を楽しんでいるので、やっぱりK高には進まなくてよかったと言う結論に至る。

飯村くんには悪いけど、里桜の言うとおり「今のK高野球部員なんてぶっちゃけ興味ない」んだろうな、私も。

後になって里桜は、飯村くんからお金を無心していた一人から告白されていたことを教えてくれた。度々飯村くんの出場する試合を見に行っていたことで、密かに想われていたらしい。しかし、レズだと言って断ったらカンカンに怒り出して……。

里桜もまさか兄が揺すられる原因を作ることになるとは思っていなかったと言うが、フラれたくらいで非行に走るそいつの、なんと未熟なことか。里桜の方がよほどタフな精神力を持っていると思わずにはいられなかった。

その、興味のない元K高野球部員である飯村くんの誘いに乗ったのは、同校出身・永江選手の過去の話の一端でも聞けるんじゃないか、という期待があったからだ。しかし蓋を開けてみれば彼の自慢話ばかり。まさか、三時間近く聞かされるとは。今日は塁に言おうと思っている大事な話もあるのに、試合中は私でさえ閉口するしかなかった。しかし、もう黙っていられない。

何が気に入らないのか、塁と飯村くんはさっきからガンを飛ばし合っている。とても同じチームを応援していたとは思えないほどだ。そんな二人の間に割って入る。

「ねえ、塁に頼みがあるんだけど!」

「ああっ?!」
 塁は、飯村くんに向けていた顔をそのまま私に向けたが、私は構わず話を続ける。

「一緒に美人コンテストに出てほしいの。今度うちの学校の文化祭でやるんだけど、男女も内外も問わず、当日参加もOKなんだって」

突然そんなことを話題にされ、塁はますます眉根にしわを寄せた。
「はあ? 今、なんて言ったぁ? M女子高の美人コンテストに出てほしいって聞こえたんだけど?」

「うん、そう言った」

「そんなの、ミーナ一人で出ろよ」

「一人じゃつまらないよ。だって圧勝は目に見えてるもの」

「おっまえ……。その自信、どっから出てくるわけ? で、あれか? オレが一緒ならり合えるって言いたいわけ? 言っとくけど、オレは男……」

「あれ? 塁は女装、極めるんじゃなかった? 飯村くんを恥じらわせることが出来たって喜んでいたのは誰?」

飯村くんのために一肌脱いだあの日の晩、任務完了の電話をかけてきた塁が真っ先に報告してきた内容がそれだった。塁はちょっと気まずそうに視線を逸らす。

「いや、それはオレだけど……。ガチ女のミーナと、仮初めの姿のオレとが競り合えるもんかねえ? ミーナが化粧してくれたら可能性あるかもしれないけど」

「手伝うって。だからさ、一緒に出よ?」

「あのぉ。盛り上がってるとこ割り込むようで悪いんだけど……」
 もう少しで言いくるめられる、と手応えを感じたところで飯村くんが控えめに手を挙げた。

「あ、あのさ……。も、もし俺も美人コンテストに出て、仮にも優勝できたらその……。ミーナさん、俺と付き合ってくれませんか」

「はあっ?!」
 塁が再び大きな声を上げた。私も心の中で「嘘でしょ?」と叫んだ。塁は失笑する。

「何を言い出すかと思えば。やめとけやめとけ。見た目にだまされると痛い目に遭うぜ?」

「それは相手が塁だからじゃないのか? それに、今二人は付き合ってるわけじゃないんだろ? だったら俺が交際を申し込んでも、お前がどうこう言う筋合いはないはずだ」

「くぅっ……!」
 塁は拳を握った。あれ? もしかして、いてる? 何だか急におもしろくなってきたな……。私はこのまま話を合わせることにする。

「まあ、考えてもいいよ。飯村くん、優しそうだし」

「ミ、ミーナ……!」

「だけど私、負ける気ないから。塁だってそうでしょ?」

「ったりまえだっ! ミーナの色気にほだされて、軽い気持ちでした女装なんかで優勝されてたまるかっ! オレの本気を見せてやる!」

私から挑発してやろうと思っていたのに、飯村くんがうまい具合に塁をその気にさせてくれた。よしよし。何はともあれ、作戦成功だ。飯村くんと付き合う気はこれっぽっちもないけど、ああ言っておけば二人ともいい仕事をしてくれるはず。

丁寧にメイクアップした塁の顔は、正直な話、女の私が見ても美しいと思う。だからこそ誘っているのだ。ただし今回の目的は、競い合って私の女度を上げるためじゃない。美人コンテストの場で男女の垣根や偏見を取り払い、制服革命を起こすためだ。

☆☆☆

事の発端は三日前。昼休み中の会話がきっかけだった。

この日は一気に季節が進み、まだ秋だというのに冬のように寒かった。しかし、校則のせいでスカート以外のボトムスを穿くことは認められていない。それで仕方なく、寒がりの女子たちは「スカジャー(スカートの下にジャージを穿く)」をしてなんとか寒さをしのぐのだが、皆「できればしたくないよね、ダサいよね」と言っているのである。

女子はスカートを穿くもの。これまでそれを疑ったことはなかったし、スカートは女子のシンボルだとすら思っていた。けれど、異装をするようになって考え方が180度変わった。

確かに制服は、その学校の生徒としての自覚を持つという意味で必要なものだ。けれど、果たしてスカートにこだわる必要があるのだろうか? 女子の制服はスカートという発想そのものがもはや古いのではないのか? 制服でスラックスを選ぶことができれば、あんな格好をしなくても済むのに。寒さを我慢する必要もないのに。そんな思いがムクムクと湧いてきたのである。

「ミーナ先輩、それ、学校側に言いましょうよ! あたしも手伝います! だって、先輩のパンツスタイル、メチャクチャ格好いいから毎日見られたらもう、最高ですもん!」

里桜に話すと、案の定すぐに賛成してくれた。里桜とはその日も一緒にお昼ご飯を食べていた。付き合っているわけでもないのに、毎日のように押しかけてくるのだ。いろいろ話すうち「里桜はそういう子だ」と割り切れるようになっていたから、昼休みを一緒に過ごすことにも特段抵抗はなかったが、クラスメイトの目は厳しく「二年生が、何様のつもり?」という声はあちらこちらから聞こえはじめていた。

「ミーナ、今の話、本気なの?」

突然、別のグループと食事をしていたモネがそばにやってきて言った。どうやら私たちの会話が耳に届いたらしい。

「スカートを廃止しようって、そういう話なの? あたしは反対。高校生のうちしかできない格好もあるじゃん。あたしはこの制服が着たくてM女子高に入ったんだもん。なくすなんて許さない」

「私は何もそこまで言ってないよ。スカートにこだわることはないんじゃない? って言っただけ。……何をそんなに目くじら立ててるの?」

私が言うと、モネは私ではなく里桜を睨んだ。

「気に入らないんだよね、里桜のことが。フラれたくせに、いつまでもミーナのあと追っかけてきてさ。身の程を知りなさいよ。……ミーナもミーナだよ。なんで振った子とご飯が食べられるの? 里桜のこと、キモいって思ってるんじゃなかったの?」

「それは告白直後の一瞬だけだって言ったでしょう? 価値観が変わったの。里桜とは女友だちとして一緒にいるだけ。それのどこが問題なの?」

「あー、そう。なら、バラすよ? あのこと」

「あのことって何よ……?」

「噂になってるの、知らないの? J中学校近くの公園で、男のパンクファッション姿のミーナと、ミニスカ男が頻繁に目撃されてるって話」

どんな顔をすればいいか分からず、否定もできずにうつむく。それを肯定と受け取ったモネは勝ち誇ったように笑った。

「やっぱりミーナなんだ? この前聞いた、ミーナを改心させた人たちってもしかして相当ヤバい? 悪いこと言わないから手を引いた方がいいよ。友だちのミーナの自我が崩壊していくの、見たくないからさ」

顔がかあっと熱くなるのが分かった。けれど、言い返す言葉が出てこない。そんな私の隣で里桜が耳打ちする。

「……ミーナ先輩、モネ先輩の言う『ヤバい人』ってジュンジュンのことですか? もしそうだとしたらあたし、許せないですよ……!」

「……私だって、許せないよ。でも、異装をしてるのは事実だから否定できない」

「先輩、もっと堂々としてください。そんな弱気なミーナ先輩、見たくないですっ!」
 そういうなり、里桜は立ち上がって逆にモネを睨み付けた。ひるんだのはモネだ。

「な、なによぉ?」

「モネ先輩。ミーナ先輩がどんな格好をしたって自由じゃありませんか。男の格好をして何が悪いんですか。あたしのこと、生意気で気に入らないって言うのは勝手ですけど、ミーナ先輩のことをいじめるなら、あたしが許しませんっ!」

「いじめる? あたしはむしろ助けようとしてるんだけど?」

「先輩はただ、あたしからミーナ先輩を引き離したいだけでしょう! そんなの、助けるって言いません。自分の側に引き入れようとしているだけに聞こえます!」

「二年生の分際で、先輩に盾突くつもり?!」

「学年だって関係ないですっ!」
 全くひるむことのない里桜。モネはちょっと考えてからこう言った。

「相変わらず、物怖じしない子ね。……あ、そうだ。それならこうしようよ。今度の文化祭で美人コンテストがあるでしょ? あれで優勝してみせてよ。そうだなあ……。ミーナは男の格好で出るっての、どう? それでも美人として大勢からの支持を得ることができたら、その時はあたしも負けを認めるし、スラックス導入も学校に訴えてあげるよ」

「受けて立ちましょう! ミーナ先輩、やりましょう。美しさと格好良さ、両方を兼ね備えた最高の姿を見せつけちゃってください!」

「ちょっ……! 勝手に話を……」

「上等だわ。あたしも参加する。とびきり着飾って、圧倒してやるわ。そっちはせいぜい、男物の服にアイロンくらいはかけておくことね」

「モネ……。言っていいことと悪いことがあるわよ」
 さすがの私も黙っていられなくなってモネに詰め寄った。

「今あんたが言った台詞の一字一句を忘れないで。私、絶対に優勝する。勝って、あんたのねじ曲がった考えを直してやるわ」

……これが今回、美人コンテストに出ようと決心したいきさつのすべてである。

☆☆☆

観戦を終えた人たちの波に乗って都心を離れ、埼玉方面の下り電車に揺られる。窓の外は暗くて見えない。代わりに見えるのは少々くたびれた顔をした私たちだ。

最寄り駅までは三人一緒だったが、飯村くんとは改札口で別れた。「親が迎えに来るから」と適当な嘘をついて先に帰らせ、背中が見えなくなったところで塁と一緒に徒歩で帰路につく。

「……どうしてあいつだけ帰したんだ?」
 案の定、塁に聞かれた。

「……飯村くんの愚痴を言いたいから、かな?」

「あー、それなら納得」
 今日はオレも疲れたわー、と言いながら塁は伸びをした。

秋の夜空に星が控えめに輝く。まるで虫たちの音楽会にそっと耳を傾けているかのようだ。

空を見上げていたら、さっきまで無性に愚痴りたかった気持ちがすっと落ち着いてどこかへいってしまった。変な沈黙の時が流れ、妙な緊張感に包まれる。

「……なんか言えよ」
 黙っていると塁がしびれを切らしたように言った。
「愚痴るんじゃねえの?」

「どうでもよくなった」

「どうでもよくなった、か。こりゃあいいや」
 塁は笑ったが、そのあとは再び静寂が訪れる。

少し風が吹いた。肌寒い。上着は羽織っているものの、澄んだ空の下は冷える。家まではあと十分という距離。しばしの我慢だ。

「……寒いなら寒いって言えよな。ほら」
 二の腕をさすっていると、塁が自分の上着を脱いで肩からかけてくれた。

「あ、ありがとう。でも塁が寒いでしょう?」

「オレは鍛えてっからいいんだよっ!」

ロンT一枚だというのに、塁はそう言い放った。本当は優しい。だけど、ぶっきらぼうにしか言えないのを知っている。ほんっと、素直じゃない。あの頃から変わらない彼の態度を見ていたら、ふと、付き合っていた頃のことが思い出され、しばし懐かしさに耽る。

二年前。ちょうど今日みたいな、星空の綺麗な夜に私たちの交際は始まった。長くは続かなかったし、喧嘩も多かったけれど、付き合っている間はずっと塁に夢中だった。「馬鹿だな」って言いながら頭を撫でてくれるのが好きだった。そこには確かに愛があった……。

塁はもう、友だちとしか思っていないのだろうか。あるいはただの趣味仲間としか……。その発言から本心を知ることは難しい。なんたって、あまのじゃくだから。

律儀にも家の前まで送り届けてくれた彼に、借りていた上着を返す。
「ありがとう。助かったよ」

「おう。それじゃ、また連絡するわぁ」

「うん。おやすみなさい」

「おやすみー」

塁は手を振り、ゆっくりと後ろ向きで帰って行く。私がドアの向こうに消えるまでそうして歩いて行くつもりだろうか。思わず微笑む。その塁にもう一度手を振り、後ろ手に玄関ドアを開ける。塁は最後までこちらを見ていた。

後編

ミーナを送り届け、一人になったところで大きくため息をつく。「おやすみなさい」と手を振るミーナの笑顔が目に焼き付いて離れない。

――オレは何が好きなのか? 何にだったら本気になれるのか?

観戦中から頭の中で繰り返される問いは、ミーナとの関係においても当てはまることだ。オレはミーナとどうなりたいのか、実ははっきりとした答えを持っていない。だからいつも煮え切らない態度を取ってしまう……。分かってる。そこまではちゃんと分析できてる。でも、決断ができない。

――好きか、嫌いか。

それだけで決められるならどんなに楽だろう。でも、それだったら前回の付き合いで充分思い知ってる。好きなだけじゃうまくいかないんだ、ってことは。

互いに尊敬し、許し合い、認め合ってはじめて、本当の意味での恋愛関係が成立する。そう、手本にするなら兄ちゃんたち。目指すはそれだ。

だけど、それでも迷いはある。そこまでしてミーナと付き合いたいのか、って。付き合えばまた以前のように喧嘩ばかりの毎日に疲れ果ててしまうんじゃないか……。そんな思いがどうしてもよぎってしまうのだ。

いがみ合うくらいならいっそ、このまま友だちとして会い続ける方がマシだ。その方がお互いのためにもいいような気さえする。

ただ……。

返してもらった服に残ったミーナの温もりを感じた瞬間、どうしようもない衝動が――ミーナ自身の温もりを確かめたい衝動が――津波のように押し寄せてきてかなり焦った。行動としては、その顔を見つめるくらいに抑えられたけど、あいつはこんなオレをどんな想いで見ていたのだろうか。

オレたちはすでに一度深い仲を経験してるから、互いのことは大抵分かってる。それが逆に厄介で、余計な詮索をしてしまう原因でもある。廉との約束もそうだ。

優勝したら付き合ってもいい――。

あの言葉が本心から出たものなのか。それとも廉を手のひらで転がすための嘘っぱちなのか、見極められないオレがいる。

もっと素直になれば……。兄ちゃんみたいに思ったことをありのままに言うことができたら、喧嘩もせずに済むのかな……。けれど、意地を張らない方法がオレには分からないんだ。言葉や態度に表せないんだ。弱みを見せたくないんだ……。

☆☆☆

何日か、悶々とした時間を過ごした。この問題は一人で解決しなきゃいけない。そう思ってなんとか答えを見いだそうと試行錯誤した。けれど、やっぱりオレの頭じゃ無理だと悟る。

結局、悩むのを諦めてこの前みたいにミカさんのバーを訪れることにした。神妙な顔をしていたのか、あるいは開店前に押しかけたせいか、ミカさんはオレを見るなり無言で迎え入れてくれた。その行為に緊張を解きほぐされ、今日もまたポツポツと悩みを打ち明ける。

「馬鹿ねえ、塁は。ほんっと、お馬鹿さん」
 洗いざらい悩みを打ち明けた直後、思い切りけなされる。

「もう答えは出てるようなものじゃない。悩んでるなんて嘘。ただ自分の出した答えに自信がないだけよ」
 ミカさんはきっぱりと言った。

「……出てるのかな、やっぱ」
 薄々感じていたこと。確信が持てずにいる気持ち。ミカさんは「これ」が答えだという。

「あとはミーナを信じることね。コンテストに誘われたんでしょう?」

「でも、ミーナの目的は校則を変えることだって……」

「分かってないわねえ」
 ミカさんは苛立った。

「それは目的の一つに過ぎないのよ。あんたが考えるべきは、どうしてミーナが一緒に出たがっているかという点よ。一人では出たくないって言われたんでしょう? その意味をよーく考えてごらんなさい」

「いや、考えたよ、ちゃんと。夏休み以降、会うたびに考えてたよ。なんで会いたがるんだろうって。でも……自信がないんだ」

「なぜ?」

「オレには……芯がないから。夢中になれるものなんて何もないから」

そう言うと、ミカさんは大爆笑した。開店直前の誰もいない時間だからいいけど、それにしたって笑いすぎだ。

「そういう反応されたらますます自信失せるよぉ」

「ごめん、ごめん。あんまりにも顔に似合わないこと言うからさあ。意外と真面目だったんだと思ったらおかしくって」

「失礼だなあ」

「あのね、塁」
 目の端の涙を拭ったミカさんは、笑いが収まると今度は真剣な顔で言う。

「十八歳でそんなものが見つかってる人、少ないからね? アタシだってそう。ジュンジュンもかおりもきっと、十八のときはまだ道に迷っていたと思う。でも、そのあとの人生で、悩みに悩んでようやく『これ』と言えるものと出会って自信をつけた。そんなものよ」

「……そうかなあ?」

「塁はきっと、誰かと比較しては落ち込んでるんでしょう? でもね、人は人、塁は塁なの。憧れのあの人には絶対なれない。でも、その人が持っていないものをあんたは持ってるし、そんなあんただから惹かれる人もいるの。アタシは、ミーナもその一人だと思ってる」

目立つことなら何でもやってきた。注目を集めてきた人生は個性的でオレにしかないものだ、と言われれば確かにそうだろう。でも、こんな人生のどこに魅力を感じるってんだ? 馬鹿ばっかりやってるオレのどこが良いってんだ?

ますます自信をなくす。そんなオレにミカさんが発破をかける。
「とにかくね、高校生はエネルギーの塊なんだから、こんなところでくさくさしていないで行動しなさい。当たって砕けてきなさい。そうすりゃ、道は開けるわ」

「えー? あいつの気持ちも分からないのに……?」

「そのくらいの気持ちでぶつかりなさいってことよ。あ、でも、もしそんな勇気もなくてコンテストの当日を迎えてしまったら、アタシがメイクしたげてもいいわよぉ?」

「いや、遠慮しときます……」

ミカさんの顔を目の前で見るくらいなら、ミーナに頼んだ方が百倍マシだ。どんなに綺麗にしてたって、ミカさんはれっきとした「おっさん」だ。生理的に受け付けられない人ってのはやっぱりいる。

「こんばんはー」

ミカさんから距離を置こうと席から立ち上がったとき、聞き慣れた声が耳に入ってきた。兄ちゃんとかおりさんだった。兄ちゃんはオレを見つけるなり、その場に立ち止まる。

「かおりさん、塁にも声かけてたの?」

「いいえ。もしかしたら、ミーナさんが連絡したのかも?」

「え? どういうこと?」
 混乱するオレに、かおりさんが説明する。

「あら、聞いてない? ミーナさんが今度、美人コンテストに出るって話。その時わたしたちの制作している服を着たいって申し出があったのよ。でもあまり日がないから、直接会ってミーナさん用に微調整したものをこの場で渡そうって話になっているの」

「そういうことか……」

「そういうことか、って……? じゃあやっぱり、塁さんも誘われているの?」

「かおり。塁はアタシが呼びつけたのよ。ね?」
 ミカさんがオレの代わりに答えた。目が点になっていると、ミカさんが得意げに言う。

「ご想像の通り、塁もそのコンテストに出るんだって。もちろん女装でね。だからアタシが、とびきり目立てる衣装を貸してあげることにしたの。そうよね?」

「ええっ?!」
 再び驚きかけたオレの口をミカさんがデカい手で塞ぎ、耳元でささやく。

「……話を合わせなさい。あんたが目立ちたいのは本当でしょう? 友だちにだけは絶対負けられないんでしょう? だったらとことん派手に着飾りなさい」

本当のことを言われては返す言葉もない。奇しくも、野球をしていたというミカさんの体型はオレと似ている。貸してくれる衣装はきっと問題なく着られるだろう。

「……は、はい。そのとおりです」
 もごもごしながら言うと、ミカさんはようやく解放してくれた。

ちょうどその時、店にミーナがやってきた。やっぱりオレを見て目を見開き、人差し指を向ける。
「なんで塁がここにいるのよ?」

「えーとぉ……」
 オレは口ごもりながら、今し方ミカさんと擦り合わせた話を伝えようとした。そこで一旦、冷静になる。

(待て待て。何でオレはオカマの服を着ることになってんだ……?)

ミカさんの服を着ている自分を想像する。考えただけでおぞましく、吐き気さえする。同じ女物の服でも、ミーナの服を着てこんな気持ちになったことは一度もないというのに。

目立ちたいだけなら、それこそミカさんの服を借りるのが正解だ。でもオレの身体が完全拒否している。なんでだ……? この違いは何だ……?

そこまで考えて衝撃の結論に至る。男のオレが女装できるのはミーナの服を借りているからだ。そしてそのミーナがオレの女装を、ただ目立つための手段から、人としての存在価値を高めるファッションに昇華させてくれたのだ、と……。

(そうか、やっぱりオレは……。)

答えはもう出ている――。

ミカさんの言葉がようやく腑に落ちた。オレは笑みを浮かべるミカさんに、申し訳ないと思いながらも頭を下げる。

「ごめん、ミカさん。やっぱオレ、ミーナから服借りる。その方がオレらしくいけると思うから。ホントにごめんなさい」

今見えているのは自分の足もと。だからミカさんの顔は見えない。しかし、上から振ってきた声は優しかった。

「言ったとおりでしょう? あんたはもう自分で答えを出してるって。それでいいのよ」

「え、怒んないの?」

「どうして? あんたが決めたことに、アタシが口を挟む必要がある?」

ミカさんは微笑んでいた。もしかしたら、ここまで想定しての発言だったのかもしれない。まんまとめられた、そう思えてならなかったが、嫌な気持ちではなかった。

「……そういうわけで、ミーナ。コンテスト用に服を貸して欲しいんだけど」
 今度はミーナに向かって頭を下げる。

「コンテストなのに、私の服でいいの……? それで飯村くんと張り合えるのかな?」

「あいつなんて眼中にない。オレはミーナと競るために出るんじゃねえのか? そのためにお前の服を着る。別におかしな話じゃないだろ?」

「んー、それもそうだね。言っとくけど私、本気で優勝目指してるから」

そう言って短い髪をかき上げたミーナは確かに美しく、何を着ても、誰が相手でも間違いなく上位に食い込めると思わせるオーラを放っていた。

(オレはこのミーナと競い合うのか……。)

正直、勝ち目はないかもしれない。けど、ミーナに負けるなら本望だし、とびきり美しいミーナを目の前で見られるんだから、悪いことは何一つない。勝ちも負けも関係ない、オレはその日を楽しむだけだ。

――オレが本気になれるものは何か?

球場で永江選手の活躍を見て自身に問うた、その答えが今、見つかった。

***

ミーナ

私の服で挑みたい――。

そう言った塁の表情はいつもと違っていた。まるで何か大きな決断をしたかのような鋭いまなざし。それを見て、自前の服の中でも特に気に入っているもの、それでいて、女装の塁を美しく見せてくれそうなものを選んであげようと決意する。

かおりさんに貸してもらう衣装は、コンテスト用にできるだけ足が長く見えるよう裾を伸ばしてもらった。女の穿くスラックスは機能性重視ではない、美しさも兼ね備えているのだと知ってもらうためだ。

歩き方も美しく見えるよう研究し、かおりさんたちに見てもらっては改善を繰り返す。わずかな時間ではあったが、そうでもしなければ優勝をもぎ取ることは――スラックス導入を訴えるだけの説得力を出すことは――難しいと考えての行動だ。

「かおりさんたちも一緒に出ましょうよ。服のことを知ってもらういい機会だと思うんです」
 私の誘いに、かおりさんと純さんは顔を見合わせた。そして笑った。

「有り難い申し出だけど、最初に言ったでしょう? 容姿には自信がないって。それにわたしはもう、勝負の世界から身を引いたの。確実に負けると分かっている舞台に出るつもりはないわ」

「純さんもですか?」

「おれはかおりさんと過ごす時間を有意義にしたくて始めたことだから、他人に見せて評価されるのは違うかな……。そのかわり、美しさを競うと決めた二人のことは全力でサポートするよ。ブログでも宣伝するつもり」

「えっ!? ブログで宣伝?!」
 そこまでのことは考えていなかったので、思わず大きな声が出てしまう。純さんは微笑んだ。

「だってもう、二人の顔はいつもブログを見てくれてる人たちに知れてるし、ファンもついてる。生で見たいって声もあるからいい機会だと思ってるんだけど」

「そんなにファンがいますか……?」

「いるいる。運営者のおれよりよっぽど会いたいと思われてるよ」

「それは言い過ぎでしょ……」

「いやいや。それだけ二人の容姿が魅力的だってこと」
 純さんの言葉にかおりさんが深くうなずいた。

☆☆☆

塁とは帰宅ルートが一緒なので、必然的に先日同様、駅から歩いて家路につく。

夜の冷え込みが一段と厳しくなったように感じる。前回と違う点は、私がちゃんと厚手の上着を着込んでいるところだ。塁から借りてる服と釣り合いがとれそうなのが、ソフトボール部で着ていたウインドブレーカーしかなかったのは残念極まりない。そろそろお互いに冬服一式を交換し合わなくちゃ。

そんなことを考えていると、塁が思い出したように言う。

「そう言えば、うちの兄ちゃん、数年前にもブログでとあるイベントの宣伝したことがあるんだけど、そんときでさえ結構な人が集まったらしいぜ? ブログのフォロワーが増えてる今ならもっと集まるんじゃねえかな」

「じゃあ、私たちの姿を見にブログの読者が大勢が集まるってこと? 今から緊張しちゃうな……。 あ、塁は緊張しないよね? 目立つことには慣れてるもんね」

「そっちの心配はないけど、過去最高の人目につくって意味では、誰が見ても女だと言われる女装をしなきゃとは思うね」

「……ねえ。本当に私の服でいいの? そこまで完璧にこだわるならもっと違う服装でも……」

「何度も言わせんな。ミーナの服がいいんだよ、オレは」
 ちょっと確認のために聞いただけなのに、塁は怒ったように答えた。

塁はなぜ、私の服にこだわるんだろう? 私と競り合うためと言っていたが、本当にそれだけが理由なのだろうか? もっと他に理由があるのでは……? 例えば私のことが……。そこまで考えて思考を止める。

(ないない……! だって私は悪趣味の、口の悪い女よ?)

チラリと期待してしまった自分をいさめ、違う理由を探す。

(そうだ! きっと付き合っていたときに着ていた秋冬物の中で着てみたい服があるんだ。確か、塁がプレゼントしてくれたものがあったはず!)

間違いない、と自分に言い聞かせる。それならこだわる理由にも納得だ。私は一人でうなずいた。

「ねえ塁。この足でうちにくる? そこまで私の服にこだわるんだったら、塁が自分で選んだ方が良いような気がするんだけど」

思い切って提案してみる。塁は目を丸くして立ち止まった。
「マジで言ってんの……? だって家には家族がいるだろ? ……オレ、こんな格好だし、大丈夫か?」

「こんな格好」というのは、私の貸したブラウスとジャケットに、ロン毛のカツラと化粧をしている姿のことだ。ここにいるのが橋本塁という男性だと知っていたら怪しまれるかもしれないが、前情報なく対面したら、ぱっと見は女にしか見えない。今の塁はそのくらい、女装の技術も向上している。

「うまく変装できてるし、大丈夫だよ。万が一継母に鉢合わせても、私の服をあげた女の子って紹介すればいいんだから」

「お、女の子……?」

「そう。親には、私に夢中の女の子がいるって言ってあるんだ。問い詰められたら塁がその子だって言い張ればいいよ」

塁はしばらく悩んでいたようだが、やがて、
「……ああ、分かったよ。それじゃあ、選ばせてもらうわぁ」
 と言って歩き始めた。

***

ミーナは本気でオレのことを無害な友だちだと認識しているのか……? 昔から空気の読めない女だとは思っていたが、仮にも一度付き合ったことのあるオレの「今の気持ち」を察することができないミーナの気が知れない。

何日か前は玄関先で引き換えしたが、今日はそこから数歩進み、ドアの中に踏み入る。脱いだ靴――今日は普段履きのスニーカーだ――を手に持ち、ミーナの手引きでさっと二階へ上がる。幸いなことに誰にも見られることなくミーナの部屋に滑り込むことができた。ひとまず胸をなで下ろす。

久しぶりに上がったミーナの部屋は、以前と変わらず服やカバンでいっぱいだった。兄ちゃんたちと違って、ぬいぐるみの類いは一切ない。後ろ向きに置かれた写真立てが気になって手を伸ばしかけたが、ミーナに制された。

「私の服はこれ……っと」
 ミーナに引っ張られる形でクローゼットの前に立つ。

「先日、衣替えをしたんだ。ここにあるのは全部、秋冬物。それと、お呼ばれ用の服はこっちにあるから、好きなだけ見ていって。もし普段、着たいものがあったらそれも選んでいいよ」

「ここから持ってけってか……。マジかあ……」

目の前に並ぶすべてがミーナの服……。一通り指先でめくり、どんなものがあるか確かめる。

(あっ、オレがプレゼントしてやったやつ。まだ持ってたのか……。こっちのは確か、あのときのデートで着てたっけ……。)

見覚えのある服とともに記憶がよみがえる。同時に、また抑えつけようのない感情が衝き上げてきてぐっとこらえる。選ぶ手を止めたのが気になったのか、ミーナが顔をのぞき込む。

「どうかしたの? 良い服、なかった……?」

(……どうかしたの、じゃねえっ!)
 
 消しきれなかった情火が一瞬にして燃え立つ。無防備なその身体をぐいっと引き寄せ、耳元で囁く。

「……部屋に誘ったってことは、食われてもいいってことだよな? オレはそう解釈した」

「えっ……」
 目が合った瞬間、すぐに唇を塞ぐ。シャツの裾から手を滑り込ませてじかに背中をなで回す。気分が高揚し、自我が押しやられ、本能に己を支配され始める。

「塁……!」
 ミーナがオレを突き放そうとする。もつれているうちバランスを失い、ベッドに倒れこむ。

数秒、見つめ合う。不安そうな目がオレを見ている。心臓が、張り裂けそうなくらい高鳴っている……。

(馬鹿野郎、目を覚ませっ……! オレはミーナを組み伏せたいわけじゃないんだっ……!)

かろうじて自我が本能を抑制する。
「……ちっ! あいっかわらず、人の気持ちの分からない女だなっ!」
 それだけを言い放ち、ベッドから降りたオレは床に腰を下ろした。深くため息をつく。

「……もてあそぶのもいい加減にしろよ。ふだん、オレがどんな気持ちでお前の服を着てるか、想像してみたことがあるのか?」

「…………」

「わからないなら、もう一度教えてやろうか?」

キッと睨み付けると、ミーナは起き上がって逃げるようにベッドの端に移動した。怖がらせてしまっただろうか……。数秒の沈黙の後、ミーナがゆっくりと口を開く。

「……想像どころか、手に取るように分かるよ。私だって毎日のように塁の服を着てるんだもの。分からないはず、ないじゃない。でも……でもそんなこと、恥ずかしすぎて塁には言えない。言えるはずもないよ」

耳を真っ赤にしてうつむくミーナ。それを見てこっちまで恥ずかしくなる。

「分かっていながら気づかないふりをしてたってのか? 尚更、性格が悪いな」

「だって、ずっと怖かったんだもの……。また会えなくなることが……。嫌われてしまうことが……。そうなるくらいなら、このままずっと友だちでいる方がいい。塁の気持ちにも気づかないふりをしてた方がいいって……。だから……」

ミーナの気持ちを知って、今度はオレが閉口する。ミーナは下を向いたまま話し続ける。

「だって私たち、一度別れてるんだよ……? お互いにののしり合って、傷つけ合って……。痛い思いもたくさん経験したんだよ……? 付き合ったらきっとまた、同じことを繰り返しちゃう……」

「繰り返すつもりなのかよ? ミーナはオレと別れてから何の進歩もしてないのか? 自分を変えたいって言って男装始めたけど、一つも自分を変えられなかったって言うのかよ?」

「そんなことは……」

「ないなら……。ないならオレたち……やり直せるんじゃないか……?」
 顔を上げたミーナをのぞき込む。

「少なくともオレは……ミーナのことが好きだ……」
 顎を持ち上げ、再び唇を奪う。今度は抵抗されなかった。

「……塁は私のこと、甘やかしすぎだよ」
 唇を離し、ミーナが言った。

「うん、オレもそう思う」

「塁の気持ちをもてあそぶような女のどこが良いの……?」

「どうしてかな。……分かったらさ、苦労しねえよ、うん」

「そっか。塁にも分からないのか。じゃあ仕方がないね」

「そう、仕方ねえの」

オレの言葉にミーナは笑った。オレも笑う。やっぱり、笑った顔のミーナはとびきり美しい。大好きだ。

***

ミーナ

(この人、私のこと、好きでしょ……?)

何度もそう感じる場面はあった。でもそのたびに、気のせいだ、私の思い上がりだ、と無視し続けてきた。なぜって、そう思ってしまったら私はまた、塁に夢中になってしまう。全身で恋してしまうと分かっていたから。

女装して待っていた塁を見てもなお、また会いたいと思った私が塁のことを嫌いなわけない。一緒に美人コンテストに出ようと誘うわけがない。

そう……。私はフラれても塁をずっと想い続けてた。連絡先を消去することも、プレゼントされた服を捨てることも、一緒に撮った写真を破ることもできないくらい、好きで好きで仕方がなかったのだ。

――すましてないで、笑えよ。そっちの方が断然、かわいいぜ?

大きな口を開けて笑ってもいいと教えてくれたのは塁だった。それまでは継母の教えで、笑い方もしとやかにしなければならず、いつしか面白いはずのことさえ笑えなくなっていた。

けれど、塁はいつでも豪快に笑った。楽しいときは笑えばいい。腹の底から声を出せば、楽しくないことも楽しくなってくるもんだ。そう言ってよく白い歯を見せたものだ。

それ以来、塁と一緒にいるときだけは心から笑えるようになった。そればかりか、素の自分でいられるようにもなった。本音を言っても許してくれる人がいる、それが嬉しかったのだ。

部屋の隅に置かれた全身鏡に、塁の服を着た私が映っている。私でもない、塁でもないアンバランス感に私はすっかり魅了されている。それがこの格好を続ける理由。塁にも言えなかった本音である。

服を身にまとった瞬間から懐かしさと愛着と興奮とが入り交じる。まるで塁になってしまったかのような錯覚にさえ陥る。本来の私は影をひそめ、橋本塁になりきって積極的な行動をとることもできる。男装が私を変えるのではない。塁の服を着ることで変われる。それが真実なのだ。

――ミーナの服がいいんだよ、オレは。

その言葉を聞いた瞬間、彼も私と同じ気持ちを抱いているのではないか、という思いがよぎった。確かめてみたいという衝動もあった。けれど、もしその予感がはずれていたら、せっかくうまくいっている塁との日常は終わってしまうに違いない。塁に対してドライな態度をとり続けていたのは、そんな気持ちを知られたくないとの思いもあったからだ。

けれど、予感は当たっていたようだ。お互い様なら、それこそ仕方がない。自分の想いをようやく認めた私は一息に告げる。

「やっぱり私、塁のことが好き……。塁は私を変えてくれた恩人。塁がいないとまともに生きていけない。私には塁が必要なの」

「……オレの影響バリバリ受けてる今のミーナが、まともだとは思えないけど?」

言われて再度、自分の格好を鏡越しに見る。確かに、まともじゃないな……。そう思ったけれど、塁も私と大差ないことに気づく。私の貸したブラウスに自前のGパン。それからカツラとメイクした顔のどこがまともだというのだろう?

……笑っちゃう。けど、こんな塁が好きなのだ。私は改めて言う。

「じゃあ言い方を変える。……塁と一緒に生きていきたい。塁と一緒に、常識外れなことをしていきたい。これからもずっと、塁の影響を受け続けたいの」

「……すんげえ台詞。あり得ないくらいオレのことが好きなんだな、ミーナは」
 塁はすっと立ち上がり、棚の上にあった裏向きの写真立てを表に返す。

「ぷっ……。やっぱり。これだもんなあ」
 それは、塁と一緒にテーマパークでデートしたとき撮ったお気に入りの写真だった。

「勝手に見ないでよっ……!」

取り上げようとしたが、ひょいっと交わされる。塁は笑った。そして写真立てをベッドの上に放っておもむろに私を抱く。

「オレだっておんなじだよ。でもオレは、服を着るだけじゃもう満足できない……」

「塁……」

「なあ、コンテストでミーナより上位だったら、そんときはオレと……」

トントントン……!
 
 塁が最後まで言う前にドアを叩く音がした。

「……ミーナちゃん? 帰ってるの? ……誰か、来てるの?」

ドアの向こうで義母の声がした。もう一度ノックされる。返事を待たずに入ってくるかもしれない。塁もそう思ったのだろう。持ってきていた靴をさっと手に持った。

「……わりいな、服は改めて借りに来る。そんじゃ、おやすみ!」
 塁は窓を開け、ベランダの柵に足をかけた。

「待って……! ここ、二階だよ……?!」

「オレを誰だと思ってる? 目立つことなら何でもやってきた橋本塁さまだぜ?」
 私の制止をものともせず、塁は靴を突っかけるなり飛び降りた。直後に義母がドアを開ける。

「……またそんな格好をして。……誰かいたような声がしたんだけど、ミーナちゃん、一人?」

「……電話してたのよ。それが、誰かと会話してるように聞こえただけでしょう?」

「そう……。窓を閉めて、もう寝なさい」
 義母はそれ以上のことは言わず、静かに部屋を出て行った。

ドアが閉まったのを確かめたあと、慌ててベランダの下を見る。塁の姿はもうなかった。直後にスマホがメールを受信する。

――オレのことが好きだからって、ベランダから飛び降りるなよ? また明日連絡する。改めて、おやすみ♡♡♡♡♡♡

(無事だったんだ。よかった……。ってハート、多過ぎでしょ……。)

思わずツッコミを入れたが、これが塁の愛情表現の仕方だったのを思い出す。懐かしさのあまり顔がにやける。

(コンテストで私より上位だったら……。あの後、なんて言うつもりだったんだろ?)

そう言えば、飯村くんも似たような言い回しで交際を迫ってきたし、私もモネも、優勝することを条件に賭け事をしている。

まったく……。

たかが女子高の文化祭の一イベントに、私たちはどれだけ人生を賭けようとしているんだろう。でも、それだけ一生懸命生きてる証拠なのかな……。高校三年生の秋は一度きりしかない。だから、今しかできないこと、今しか感じられないことに全力投球したいって無意識のうちに思っているのかもしれない。

部屋に戻り、ベッドの上に放られた写真立てを手に取る。私と塁。最高の笑顔がこっちを見ている。

(もう二度と、人を傷つけるようなことは言わない。塁がくれたチャンスをふいにはしない……。)

塁に刺激された私に、塁自身も刺激を受けて変化して……。そうやって影響を与え合っていければ、今度はきっと、ただ好きなだけの関係では終わらないはず。純さんとかおりさんのように、大人の恋愛だってできるはず。

塁の言いかけた言葉の続きは気になるけれど、私は私で負けられない勝負がある。異装に賭ける想いを大勢の前で訴えかけ、観客を、先生を味方につけなければならない。これを成功させてこそ、塁に愛してもらえる自信がつくというものだ。

かおりさんに仕立て直してもらった服をハンガーに掛けて眺める。

(この服が引き立つように、最高に美しく、最高に格好よく魅せよう。)

そう心に強く誓い、鏡の前で笑顔を作る。その顔は、写真の中の私よりずっと上手に笑えてる気がした。

☆☆☆

モネは本気だ。本気で私に勝とうとしている。きっと秘策があるに違いないと思ってはいたが、まさかクラスの女子の半分を味方につけて集団でコンテストに出場してこようとは。

出場に当たっては、一人で出るのもグループで出るのも自由だ。グループで出る場合、一人ひとりの魅力は劣っても華やかさで勝負できる。モネはそれを狙っているのだ。

――ミーナがスカート廃止を訴え、伝統を壊そうとしている。みんなで反対しよう!

私の意見を誇張し、悪者に仕立てた上で仲間を募る姿を何度も見かけた。それだけならまだしも、私が認めた異装趣味まで利用して差別するような発言さえしているようだ。

モネのことは友だちだと思っていた。だけど、ひとたび嫌悪感や嫉妬心を持ったら最後、友情はひび割れライバル関係に発展する。勝っても負けても、私たちの関係はもう元には戻らないだろう。

モネだけじゃない。あんなに毎日押しかけてきていた里桜との関係も気まずくなっている。

「聞きましたよ、すべて。ひどいじゃないですか。よりによってお兄ちゃんと付き合ってもいいだなんて……! あたしのことはダメなのに、どうしてですかっ?! あたしが女で、お兄ちゃんが男だからですかっ! もう、先輩なんて大嫌いですうっ!!」

飯村くんと野球観戦をした翌日、朝一番で教室に乗り込んできた里桜は面と向かってそう言い放ち、それっきり姿を見せなくなっている。

こっちは明らかに私の失態。おそらく飯村くん自身が里桜に口外したのだろう。コンテストで優勝できたら、ミーナさんが俺と付き合ってもいいと約束してくれた、と。里桜が去ったあとで、二人が大げんかをしている姿が目に浮かんだ。冗談でも、あんな約束するんじゃなかった、という後悔の念とともに。

もし塁の告白がなかったら、私は完全孤立の状態でコンテストに出なければならないところだった。でも、大丈夫。私には塁がついてる。

そう、どんなに大変な状況に追い込まれても、なんとかなると思わせてくれるのが塁。今まで彼はそうやってすべてを乗り越えてきた。先日のように、何のためらいもなく二階から出て行ける勇気を持ってる塁を私も見習わなければならない。コンテストはもう、目前に迫っている。

***

結局オレは、ミーナの服の中から最もきわどい服――あれほど拒んでいたマイクロミニスカートと、胸元がV字に開いた長袖のニットにロングブーツ――で挑むことに決めた。それだけじゃない。胸元を強調する服を着るってんで、ミーナからブラも拝借し詰め物をして着る予定。完璧な作戦、優勝間違いなしだ。……って、これを考えてくれたのは兄ちゃんたちなんだけど。

向かうところ敵なし。オレほど入念に準備している奴はいないはず……。そう思って迎えた当日。M女子高の文化祭会場を訪れたオレは度肝を抜かれた。そこにいたのは、美女、美女、美女……。

「な……なんだよ、これ……」

たかが文化祭の美人コンテスト、と甘く見ていたオレは周囲のレベルの高さに目を見張った。いや、オレが劣っているとは思わない。だけど、圧勝できるほど簡単な闘いにはならないだろうことはすぐに分かった。

(えっ、この中に男が混じってたりするわけ? 廉もいるのか……? 嘘だろ……?)

ミーナは確か、年齢も性別も内外も問わず、参加可能だと言った。しかし、女になりきってるオレが言うのもなんだけど、こいつは女装してるなと思わせる人間おとこは一人も見当たらない。

(おいおい、話が違うぜ……?)

自信満々でやってきたはずが、こんなものを見せられては自信もしぼんでしまう。そうこうしてる間にコンテストは始まってしまった。

***

ミーナ

派手な音楽とともに、中庭に設置された特設会場で美人コンテストが始まった。はじめての試み、そして多くの人を受け容れての開催ということもあって会場は大いに盛り上がっている。果たしてどれほどの人がエントリーし、どれほどのレベルで競うことになるのか。結果次第では私の今後も左右されるだけに気になるところである。

ステージは校内の部と一般の部で異なる。それぞれ同時進行で行われ、午後には結果が発表されるらしい。もちろん私は校内の部にエントリーしている。ただ、エントリー表に連なった名前を見る限り強敵ばかり。そして一人で勝負しようという人間は私くらいのもの。自信はあるが、不安混じりの緊張も感じ始める。

(こんなとき、塁に励ましてもらえたら……。)

彼が会場にきていることは確認済み。けれど、出場場所や時間が異なる上に、この人混みでは落ち合うのも一苦労だ。一人でドキドキしていると、きらびやかな格好をした「モネ軍団」が胸を張ってやってきた。モネは私を見るなり鼻で笑い飛ばす。

「あら、ミーナ。ずいぶんしょぼくれてるけど、大丈夫ぅ? ……ふぅん。その衣装で出るんだ? またまたおかしな格好ね。それで優勝を狙うつもり? それとも、はじめから勝負を捨ててるの?」

「は? 私は今、瞑想してたのよ。精神統一。あんたたちと違って、こっちは一人で勝負するんだもん。事前に心を落ち着かせておく必要があるのよ」

「何を強がっているんだか。ま、ミーナが何をしていようが、こっちには関係ないけどね。ああ、そうだ。この前言ったけど、ちゃんと服にアイロンはかけてきた?」

モネは様子を見に来たと言うより、ステージに上がる前に私の自信をなくしておこうと考えているようだ。「口撃こうげき」は終わる気配を見せない。私の方も口の悪さはモネに負けず劣らずなので、反論を続けていたらそれだけで日が暮れてしまうだろう。ここは一旦、私から引くことにする。

「モネ。勝負はステージ上でしようよ。本番の前に言い争って余計なエネルギーを使いたくはないでしょ?」

提案すると、モネはそれに対しても反論しかけたが、取り巻きが「ミーナの言うとおりだよ」と制したので口をつぐんだ。

「……ミーナのワンマンショー、楽しみにしてるわ」
 行きましょ。モネはやってきたときと同じように胸を反らしながら去って行った。

モネ率いる大集団を見送り終えて一息つく。あの容姿を見るにつけ、彼女たちの思い描く美人像は、女の性的魅力を強調したり、派手にメイクすることなのだと分かる。

私だって過去最高の厚化粧をし、朝から過去最高の「美人顔」を作ってきた。自信もある。でもモネたちを見ていたら急に「何かが違う」と感じた。

(美しいはずなのに。完璧のはずなのに。この違和感は何だろう? 何に引っかかるんだろう?)

その時、吹奏楽部の演奏する校歌が聞こえてきた。女たるもの良妻賢母であれ、気高くあれ、という内容の歌詞。これまで疑問を感じたことは一度もなかったけれど、改めて歌詞をなぞってみてハッとする。

塁と一緒に異装をするようになってからと言うもの、メイクは必須だと思い込んでいたことに気づく。確かにメイク次第では「美人」になれる。塁がいい例だ。だけど、私はメイクアップすることで「美人」になりたかったわけじゃない。

コンテスト出場の目的をもう一度思い返す。

私の目的は、私自身の美しさを見せびらかすことじゃない。女の身体を持った私でも、男性が身につけるようなスラックスを違和感なく穿けることを証明する。それが達成されればいいのではなかったか。

慌てて会場を抜け出し、水道の蛇口をひねって思い切り顔を洗う。コテコテに塗ったくった化粧があっという間に落ちていく。ウォータープルーフのマスカラを付けたマツゲだけはどうにもならなかったけど、ほぼすっぴんになった顔は、化粧をしなくたってちゃんと見られる顔だと再認識する。

(そうよ。だって、塁はこのすっぴんで笑った顔が好きだって言ってくれたじゃない。この顔に自信を持っていいのよ、ミーナ。)

手洗い場に備え付けてある鏡に向かって笑いかける。散々練習した笑顔。そうだ、本当の美しさは内面からにじみ出てくるもの。そして今の私は、塁から愛されているという自信で満ち満ちている。だったら化粧でごまかさなくたっていいじゃない。

(見ててね、塁。素の自分で勝負する私を……。)

出番が迫っている。私は急いで会場に舞い戻った。

ちょうど、モネたちのグループがステージ上に登場したところだった。さっき見た、あの化粧で塗り固めた顔と、胸やおしりを強調したボディースーツみたいな衣装で統一された彼女たちは確かに美しい。でも、私は私の魅力やりかたで勝負する……!

彼女たちと入れ違いになってステージ脇にスタンバイする。チラリとモネと目が合う。驚くモネの顔を見て私はにやりと笑い、そのままステージに上がった。

***

聞いていた通りの順番でミーナがステージ上に現れる。一つ前のグループが、会場にきていた男性陣の視線を集めて大いに盛り上がる中、歩いてきたのはミーナ一人。それも、露出の少ないパンツスタイル。「あの子、女?」と、会場中がざわめき始める。

驚いたのは周りの人間だけじゃない。オレも目を疑った。予行演習では顔もバッチリ作り込んで完璧なまでに美しくしていたのに、今目の前にいるミーナはどう見てもすっぴん。いったい、何があった……?

しかし、観客の動揺など気にするふうでもなく、ミーナは笑顔を振りまきながら堂々とステージ上を歩き回る。自信たっぷりにウォーキングする姿は、次第に周囲の目を釘付けにし、どよめきが歓声に変わっていく。

ミーナちゃーん! こっち見てー!
キャー! こっちに手を振ってー!
写真より本物の方がずっと綺麗! 素敵!

そんな声が次々に上がる。そうか、ミーナは気づいたんだ。本当の自分の魅力に。美しさに。

思わず口元が緩む。化粧で整えた顔も綺麗だけど、いま目の前にいるすっぴんのミーナはもっと綺麗だ。そして何より、すっぴんになったことで身につけている服の良さが際立って見える。

一つ前のグループが肌の露出の多さで美しさをアピールしてきたのとは真反対。なのに、さっきまで鼻の下を伸ばしていた男たちも、今やミーナの、内面から輝く魂の美しさの虜になっている。

(うらやましいぜ、ミーナ。こんなにもたくさんの視線を独り占めにできるなんてよぉ……)

負けちゃあいられないな……。オレは盛り上がる会場で静かに闘志を燃やした。

***

ミーナ

どよめきが歓声に変わる瞬間も、観客の目が私に集中する様子も、ステージ上からすべて感じることができた。スラックス姿の私がどれだけ「美人」の票を集められるか未知数だけど、やることはやった。あとは結果を待つだけだ。

私のステージのあとで一般の部のコンテストに出る、と言っていた塁の姿を見るため移動する。本当に様々な年齢・格好の男女がエントリーしているようだ。私が会場に着いたときにはかなり年上の女性が、しかし年齢を感じさせない堂々としたウォーキングをしているところだった。

その女性が手を振りながら満足そうにステージを降りると、入れ違いになるように次の出場者が上がる。あれ? あの人、見覚えがあるような……。じっと目を凝らす。

(え? 飯村くん……? うっそ!)

私との交際をもくろみ、女装してこのコンテストに出ると宣言した彼。条件は優勝だから当然気合いは入っているだろうが、それにしたってレベルが高い。ぱっと見は女そのもの。にわか仕込みとは思えない完成度だ。

(誰かが指導なきゃ、あれほどまでには……。もしかして、里桜が……?)

私に向かって「大嫌い」と言った里桜なら、当てつける意味で兄の女装の手助けをする可能性もゼロとは言えない。しかしあの容貌。見れば見るほど「美人」に見えてくる……。

(もし、飯村くんが一般の部で優勝しちゃったら、私、彼と付き合うの……? 嘘でしょ?)

塁と一緒に出たいがために軽い気持ちでした口約束だが、里桜の件も含め、自分の浅はかな思いつき発言を呪う。こうなったら、塁に頑張ってもらうしかない。塁だって、いや塁こそ、ここ数ヶ月の間ずっと女装の技術を磨いてきたんだもの。それに、目立つことに関しては超一流だ。きっとなんとかしてくれるはず。

観客が大いに盛り上がる中、飯村くんがステージを降り始める。それを待たずにやってきたのは……。

(塁……!)

不安になっていた私の心が一気に跳ね上がる。いったいどんなステージになるんだろう? 固唾を呑んで見守る。ステージに立つなり、塁が元気よく手を振る。

「観客のみなさーん! 今日はオレのワンマンショーを見てくれてありがとう! 短い時間だけど楽しんでってねぇっ!」

そう言って会場に投げキッスをした。最初っから自分全開。彼らしいパフォーマンスに、周りの人たちはものすごく驚いている様子だ。

オレって言ってたけど、あの人、男?!
男であの格好?!
そういう職業の人が出てきちゃった?!

様々な疑問や憶測が飛び交う。気持ち悪がっている人も少なからずいる。が、純粋に彼の美しさを評価しようとする声も上がる。もし塁が「いの一番」だったらこうはならなかっただろう。観客の方も十人十色の「美人」を見てきたことで多様性を受け容れられる目になってきたのがわかる。

目立つのが大好きな塁。だけど、まさかのっけから地声で「男」をアピールした上で登場するとは思っていなかった。彼の想定通り、ものすごく目立っている。それが分かっているのか、塁もいい笑顔を向けている。

「声援、ありがとう! ありがとう!」

塁が両手を挙げてステージ上で飛び跳ねる。その拍子に、ブラに詰めていたミカンがぽろぽろっと落ち、観客が大爆笑する。

「うわっ、サイアク……」

まるで自分事のように思えて恥ずかしかったけど、そんなアクシデントも塁にとっては目立つための追加要素でしかないのだろう。ささっとミカンを拾って再び胸元に押し込むからさらなる笑いを誘う。さすがの私も苦笑いを浮かべた。

本当に短いステージ。だけど塁は宣言通り、最高に注目を集めて舞台を降りたのだった。

***

文化祭の午前の部が終了し、昼休みになったところでミーナと合流した。中庭に生えた木の下で待っていたあいつのすまし顔は、化粧などしなくてもやっぱり美しかった。そして、オレに気づいて微笑んだ顔は本当にかわいい。頭をガシガシッと撫でてオレなりの愛情を表現する。

弁当を広げ、食べながら互いの感想を言い合う。

「ミーナがステージで歩いてるところ、ちゃんと見たぜ。すっげえ歓声だったじゃん。ありゃあ、兄ちゃんのブログのファンも見に来てるって感じだったな。オレ的には一番盛り上がってたと思うけど。なあ、なんで化粧しなかったの? それが聞きたくて」

オレが問うと、ミーナは少し恥ずかしそうにうつむきながら答える。

「モネたちの姿を見ていたら、あんなふうにお化粧して素顔を隠しちゃうのは私の目指すところじゃないなって気づいて。美人コンテストの主旨からは外れちゃったかもしれないけど、私はあれで良かったと思ってる。……塁にはこの笑顔がかわいいって褒めてもらってるしね」

「そうそう、ミーナはやっぱりこの顔じゃないと! オレは嬉しかったぜ」
 先日は甘やかしすぎだと言われたが、それでも褒めずにはいられない。

「なぁなぁ、オレの時はどうだった?」
 今度はオレの感想を聞く。ミーナはすぐに「ぷっ……!」と吹き出した。

「最っ高に目立ってたよ。あの場にいた全員の記憶に残ったんじゃない?」

「マジー? そんなに目立っちゃった?」

「そりゃあ、登場するなり男アピールするし、『あんなこと』は起きるし……。塁の前に出た美女の記憶を吹き飛ばしたんじゃないかな」

「あっ。あんなこと、と言えば……」
 おもむろに胸に手を突っ込んでミカンを取り出す。

「これ、食べる?」
 差し出してみたが、嫌そうな顔で拒まれた。

「……それよりあれだ。廉が思った以上にキメてきたのには参ったな。ちょっとなめてたよ」
 話題を変えると、ミーナは表情を変えてうなずいた。

「私も見た! まるで女の子だったよね。びっくりした」

「ああ。オレがずいぶん苦労して会得した内股歩きも完璧にこなしてたし。女装なんて……って言ってたけど、ホントは今までもこっそりやってたんじゃねえかな? 疑っちゃうよ」

その時、女の子……いや女装をした廉が、オレたちの話を聞いていたかのように現れた。背後には本物の女の子が三人控えている。やつは勝ち誇ったような顔で言う。

「ミーナさん、俺のステージを見てくれてたみたいで嬉しいよ。実は今回の出場にあたっては、後ろにいる元野球部の女子たちに協力を依頼しててね。おかげさまでこの完成度さ。優勝は俺で間違いない。そのくらい、自信があるよ。もう、塁のことなんて放っておいて、今からでも俺と付き合ってくれると嬉しいんだけど」
 こいつ……! 憎たらしい顔をぶん殴ってやりたくなったが、冷静なミーナに制される。

「結果が発表されるまで私は返事をしないよ。それに、こっちだって自信はあるんだから」

「へえ? その素顔で出たというのに?」

「残念だなあ。飯村くんには、私の素顔の美しさが分からないなんて」

ミーナが堂々と言い放つと、廉の背後にいた女の子たちが感心したように声を上げた。それを聞いて廉が彼女らを睨み付ける。

「……まあ、ミーナさんがどう思っていようが、結果は決まったようなものだと思うけど。あとでその美しい顔にキスができるのを楽しみにしているよ。それじゃあまた後ほど」

廉も廉でキザな台詞を言い残して去って行った。あいつの背中に向かってあっかんべーをする。ミーナの方は「ううっ……」と身震いする。

「付き合うと決まってもないのにあの台詞。あの自信。すごいね、彼」

「あれが飯村廉って男だよ。……まさか、女の子を引き連れての参戦だったとはな。……でも、真面目な話、どうするつもりだ? 万が一、あいつが優勝しようものなら……」

ミーナのことは信じているが、約束は約束。拒んだところで、あいつが強引に言い寄って来る可能性は充分ありうる。しかしミーナはオレの背中をバシッと叩く。

「塁! あれだけ目立っておいて自信がないの? 目立つことなら何でもやってきた橋本塁が、最高のパフォーマンスをしても負けるって思ってるの? 私だって、ベストを尽くしたって言うのに!」

その目がまっすぐにオレを見ている。ちょっとでも後ろ向きになった自分を恥じる。

「まさか。オレはオレのすべてを出し切ったよ。負けるなんてこれっぽっちも思ってない。ただ……評価するのは観客だからな」

「……そうね。今日来てくれたお客さんがどう判断するか。それが鍵だよね」

そう言ってミーナは、すでに終了した美人コンテストの特設ステージを見やった。オレもそちらに目を向ける。

会場脇に設置された大きなパネルの前には未だ、たくさんの人が集まっている。「この人こそは!」と感じた美人の番号にシールを貼ってもらい、校内の部と一般の部、それぞれの一位のうち得点の高い方を「ミスM女」に決めるという。

人だかりのせいで、現在何番が一位なのかは把握できない。それに、途切れることなく集まってくる人を見る限り、集計作業にも時間がかかりそうだ。食べ終わった弁当を片付けながら問う。

「このあと、どうする?」

「私は各クラスの出し物を見て回ろうと思ってる。一緒に行こうよ。女子高の文化祭なんて、はじめてでしょ?」

「そうだな。……って、この格好でか?」

「うん。目立った分、票を稼げるかもよ?」

「おっ?! その発想はなかった! ミーナも目立つための極意が分かってきたな」
 そう言うと、ミーナは嬉しそうに笑った。

***

ミーナ

美人コンテストに出場したあと制服姿になってしまうM女生が多い中、私はあえて「勝負服」のまま午後の文化祭を楽しむと決めた。しかも一緒に見て回るのは、女装している塁。どこに行っても目立つというわけだ。

あのステージで自分らしい表現ができた。それが自信になったのは言うまでもなく、人から注目される快感を知ってしまった今となっては、むしろ塁と一緒にいる方が好都合だったりする。それに、私を見る人が増えれば増えるほど服を知ってもらうチャンスも増えるし、異装に対する見方だって変わるはず。

きゃー! 生ミーナさんだ! 写真撮らせてください!
その服、素敵ですね! どこで買えますか?
ステージ、最高に格好良かったです! ちゃんと投票しました!

思惑通り、ただ校内を歩き回っているだけであちこちからお声がかかる。そのひとつひとつに応じていく。

(私にはこれだけのファンがついている。絶対、大丈夫……!)

確信を抱いたところで、まもなく美人コンテストの結果発表が行われるとの校内放送が入る。大勢の人の波に乗って私たちもコンテスト会場に向かう。

☆☆☆

「長らくお待たせいたしました。ただいまより、第一回M女子高美人コンテストの結果発表を行います!」

司会進行を務めるクラスメイトがそう告げると大きな拍手が起きた。会場には「出場者びじん」と観客とが入り交じっている。すでにものすごい熱気だ。私と塁は手を繋ぎながらステージをじっと見据える。アナウンスが続く。

「今年初めての開催にもかかわらず、内外からたくさんの美女がエントリーしてくださいました。皆様が厳しい目で審査して下さったお陰で上位は大接戦。わたしたちも何度も得票を数え直し、ようやく一位を決定することができました。さあ、えある『ミスM女』は誰なのか?! いよいよ発表です!」

司会者が、手に持っていた紙をゆっくりと開いていく。もったいぶるように何度もうなずき、周囲を見回してからマイクを口に当てる。

「まずは校内の部から。大混戦の末、一番票を集めたのは……エントリーナンバー20、モネさん率いる『チーム・ダイヤモンドスター』です! おめでとうございます!」

名前を呼ばれたモネたちは大はしゃぎでステージに上がった。モネが代表でインタビューを受けながら、一位の記念品や冠などを受け取っている。力及ばず、か……。素直に負けを認め、彼女らに拍手を送る。

「……お前じゃなかったな」
 塁がぽつりと言った。

「まあ……。この格好だし。後悔はしてないよ」

「……オレは納得できないなあ」

「私は塁が褒めてくれたから、それで充分」

強がりでも何でもなかった。ただ一つ心残りがあるとするなら、応援してくれた純さんのブログのファンの期待に応えられなかったこと。それだけは申し訳なかったな、と思う。

一位を受賞したモネたちがステージの奥に移動して次の発表を待つ。

「続いて、一般の部の発表に移ります。こちらも大接戦で、一位と二位の差はわずかに三票。その、三票差で一位の座を手に入れたのは……エントリーナンバー30、橋本塁さんです!」

「えっ?! ……マジで、オレッ?!」

***

確かに自信はあった。あったけどまさか、本当に一位になるなんて……。こんなできすぎた話があっていいのか?!

「ほらっ! 人生で一番、目立っておいで!」
 戸惑っているとミーナに背中を押された。

「よぅし!」

気合いを入れ直し、胸を張ってステージに向かう。舞台に上がると、会場から大きな歓声が上がった。それに応えるべく、笑顔で何度も手を振る。ここは見た目通りのかわいい女の子を演じることにしよう。

「見事に僅差を制した、橋本塁さんです。おめでとうございます!」

「ありがとうございますぅ!」

「わたしもステージを見てたんですが、カンペキな女装でびっくりしました。今、間近で見ても綺麗ですね! 普段からメイクの練習はしてるんですか?」

「ご想像にお任せしますっ!」
 はぐらかして微笑んだら、笑いと歓声が同時に聞こえた。

「もしかして、服もコンテストのためにご自分で用意を? 気合いが違いますね!」

「あー……」
 居もしない姉妹から借りたとか、古着屋で調達したとか、適当に理由を付けることはできる。けど、ここだけは下手な演技でごまかしたくなかった。
 
「服は……彼女に借りました。あの……ここに呼んでもいいっすか?」
 彼女?! 恋人からの借り物?! ヒューヒュー! 再び会場が騒がしくなる。

「どうぞ、どうぞ! 橋本塁さんの彼女さん、会場にいらっしゃいます?」

司会が言うと、観客の間からモデルのように美しいウォーキングでミーナが姿を現した。驚いた司会者が彼女を指さす。

「ええっ!! この人の彼女ってミーナなのっ?!」

「そっ。美人コンテストで唯一、すっぴんつスラックスで出場した子がオレの彼女でーす!」

ミーナの登場で彼女を知る人は皆、唖然としている。司会者も開いた口が塞がらない様子だったが、仕事を思い出したのか進行を再開する。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……? 確か彼女の順位は……二位。二位です! 一位、三位がきらびやかな衣装や化粧で出場する中、一人で挑んで堂々の二位。それも、一位とはわずかに十票差。もし、彼女がお化粧をして臨んでいたら一位だった可能性も充分あったのではないでしょうか……! いやあ、実に惜しい」

「そうかなあ? オレは、すっぴんの女の子の方が綺麗だと思うけど?」
 そう言ってミーナの肩を抱き寄せると黄色い声が上がった。

「ちょ、ちょっと、塁……!」
 恥ずかしがるミーナが小声でオレの名を呼んだが気にしない。

「うわぁ! 羨ましいなあ、もう! ……さあ、皆さん。まだコンテストの結果発表は終わっていませんよ! お待ちかねの『ミスM女』の発表が残っています! 今お呼びした、『チーム・ダイヤモンドスター』と橋本塁さんのうち、得票の多かった方が『ミスM女』となります。皆さん、心の準備はよろしいですか?」

大きな拍手が沸き起こる。それを聞いて司会者が満を持して発表する。

「それでは参りましょう。第一回M女子高美人コンテストで最も票を集めたのはこちら……!」

ドラムのBGMが緊張感を生む。しがみつくミーナの肩を強く抱く。司会者が大きく息を吸い込む。

「……橋本塁さんです!! なんとなんと、『チーム・ダイヤモンドスター』を圧倒する得票数での一位! 改めて、おめでとうございます!」

ウ・ソ……。
マ・ジ・で……?
本当に、オレ……?

「ちょっと、その紙見せて」

司会者から、結果が書かれているであろう紙をぶんどる。そこには確かにオレの名があり、校内の部で一位だったグループの一.五倍、票を集めたことになっていた。

「こっちにも見せなさいよ!」

後ろに控えていた、校内一位グループのリーダーらしき女が大股でオレのそばにやってきた。破れんばかりの力で紙をもぎ取られる。いや、事実を目の当たりにした女は本当に紙を破り捨ててしまった。

「大体この人が……このが『ミスM女』ってどういうことなの? 本物の女が化粧をした男に劣ってる? そんなはずないじゃない! それに、二位のミーナと十票差って言うのも納得できない。美人を決める場なのに、どうしてこの、、ミーナがそれほどまでに票を集めるというの? 何かが間違ってる!」

憤怒ふんぬの言葉を聞き、オレとミーナは顔を見合わせた。呆れるしかない。
「……何だか昔の私を見てるみたいで恥ずかしいよ」

「あー、確かに。女はこう、男はこうって決めつけてる発言が時代遅れっつーか……」

「うーん……。こんなふうになったモネはなかなか止められないんだけど……。ここは私がやるしかないか……」
 ミーナはそう言うと、いきり立つ女の前に進み出た。

***

ミーナ

「勝負はステージ上で……とは言ったけど、まさかこんな形ですることになるとはね」
 私は皮肉を込めていった。

「どうして彼が圧勝できたのか。その理由を教えてあげる」
 冷淡に告げると、モネは目を三角にして迫ってきた。

「なんですって……? そんなもの、あるわけないじゃない……!」

「あるよ。彼とあんたには決定的に違うところがある。それは美への思い、ユーモアのセンス、そして何より女装にかける情熱度よ。あんたはただ私に勝ちたくて派手な服を着たりメイクしたりしたんでしょうけど、彼は女装そのものを楽しんでるし、見る者を楽しませることも出来る。だからお客さんたちは彼に惹きつけられたの。……そう。劣っているのは外見じゃなくてモネの心の方。得票の差はそれなんだよ」

静まりかえった会場で私の声だけが響いた。唇を噛むモネをよそに、観客から拍手と声援が届く。このままでは引き下がれないとばかりにモネが反論する。

「じゃあ……。じゃあミーナの方は……?! あんたは目立ったパフォーマンスもしなければ、スカートを穿いてもない。女らしさのかけらもない格好で出たのにどうしてあたしたちに次ぐ順位だったというの?!」

「それは……」
 口を開きかけたとき、会場中が私の名を呼ぶ声や手拍子に包まれた。

「何ごと……?」
 混乱しているモネに向かってはっきりと言う。

「私には性別を超えて応援してくれる人がいる。スラックス導入を訴えて欲しいと願う人たちがいる。だから私は二位になれたんだよ。それにね、私の目的は女子高生でもスラックスが似合うんだってことを証明すること。そしてこの衣装の素晴らしさを伝えること。私がどんな想いでこの衣装を着ているか、モネには分からないでしょうね。もう、服装で男女を区別する時代はおしまい。女だけがメイクをする時代もおしまい。みんな自由にファッションを楽しめばいい。私や彼のように」

再び大きな拍手が起こった。塁がそばにやってくる。
「さすが、オレが惚れた女だ。サイコーに格好よかったぜ!」

「塁もね。だって、『ミスM女』だよ? 今日集まった誰よりも美人って、すごいことだよ!」

「……いやあ、それなんだけど、本当にオレでいいのかなあって」

「うん?」
 小首をかしげると、塁は困ったような表情をしてモネたちを見る。

「だってオレ、ここの生徒でもないし、ミーナより上になれた時点で目標は達成してんだよな。だから正直な話、『ミスM女』の称号はオレじゃなくて校内一位のグループが受け取るべきだと思うんだ。これならウィン・ウィン。話も丸く収まる。どうかな?」

「………! 女装で圧勝した男に譲られても、ちっとも嬉しくないんだからっ……! うぅっ……!」

モネは泣き崩れた。一緒に出た子たちが慰める。
「あたしたち、頑張ったよ。だから素直に『ミスM女』の称号を受け取ろう? ね?」
 それでも彼女の涙は止まらなかった。

***

「裏切られた……! あの三票があれば俺が一位だったのに……! くそっ……!」

「ミスM女」発表後、オレのそばにやってきた廉は恨みがましくそう言った。どうやら、お付きの元野球部の女子たちが約束を破ってオレに投票したらしい。悔しがる廉の後ろで、女の子たちはクスクス笑っている。

「飯村くんって、からかい甲斐があるよね。まさか、あたしたちが本気で自分を推してくれると思ってたなんてね」

「ホント、びっくりだよー。綺麗にしてあげた分それなりに票も稼いだっぽいけど、アタシたちの中ではイマイチっていうか……。橋本君の方がずっと面白かったし、魅力的だったよね。思わず投票しちゃった」

「それに私たちは、K高初の女子部員だった伝説のマドンナ、春山詩乃はるやましの先輩に憧れて野球をやってきたんだもの。ミーナさんのすっぴんで勝負する姿にも感動したっていうか、私たちに通ずるものがあったよね。格好良かったなあ。あ、ちなみにミーナさんにも一票入れてます!」

「き、君たちにはいつも俺の手作り弁当を食べさせてあげてるじゃないかっ!」

「ちょっと褒めたらこれだもんねぇ……。そんなんで餌付けしたつもり? 困るわぁ」

「…………!」

廉の、部内での立ち位置が見える会話を聞いて笑い転げそうになる。でも本当に笑っちまったらさすがに失礼だろうと思って我慢する。なのに、廉の怒りの矛先はオレに向く。

「お前もお前だ! いつからミーナさんと恋仲になった?! あの晩はまだフリーだったはず……。よりにもよってステージ上で堂々と彼女宣言するなんて……。あり得ないだろう……!」

「男と女の仲なんて一晩で変わるもんだぜ。本気でミーナを口説けると思ってたの? 廉はもっと、女のハートを掴むテクニックを身につけた方がいいぜ?」

「くぅっ……!」
 廉は歯を食いしばる。

「なんでお前みたいな不真面目なやつが人気者なのか……。これじゃ、真面目にやってる俺が馬鹿みたいじゃないか……!」

「オレはオレのやり方で一生懸命生きてきただけだよ」
 そう言うとやつは息を呑んだ。

「……今度こそはお前より目立ってやろうと思っていたのに、残念だ」

「また挑んでこいよ。オレは逃げずに待ってるぜ」

「ああ……。その言葉、忘れるなよ」

廉は唇を噛みながら去って行った。その後ろ姿を目で追いながら思う。オレだって、何でもできるお前を見ては悔しい思いをしてきたんだ。だからお前みたいな能力を持ってない分、目立って目立って人気者になって……。結果、意中の女を振り向かせられたっていいじゃないか。オレにもそのくらいのご褒美がなけりゃ、不公平じゃないか。

***

ミーナ

「ミーナ先輩ー! 最高のショーでした!」
 飯村くんと入れ違うように現れたのは里桜だった。満面の笑みでハグされて戸惑う。

「あんたは私のこと、嫌いになったんじゃ……?」

「お兄ちゃんと付き合う気がないと分かっただけで、あたしの気持ちは先輩に戻ってきますよ! たとえ彼氏さんがいると分かっても、です。あっ、お兄ちゃんを負かしてくれてありがとうございました!」

里桜は隣にいた塁に礼を言った。
「ま、当然の結果ってやつよ。……あっ、ちなみに廉が着てた服って、もしかして……?」

「それです、それ! お兄ちゃんったら、勝手にあたしの服を着たんですよ! もう信じられませんよね! 負けて当然ですよ! ……って、それを言いに来たんじゃなかった!」

里桜はそういうなり、私の両手を取った。

「いいお知らせがあるんです! というのも、先輩の演説があまりにも格好良すぎたんで、先生もスラックス導入を前向きに考えてくれるそうなんですよ! 生徒会でも、さっそく署名運動をするって聞きました!」

「えっ、もう?!」

「それもこれもみんな、先輩のおかげです! ……ああ、それと、保護者の中にも、署名運動に協力して下さる方がちらほらといるみたいですよ」

里桜が指さした方を見ると、保護者らしき男女が何人か集まっていた。その中の一人に見慣れた顔がいて目を疑った。

「……お義母ゆりこさん。なんで……?」

思わず駆け寄る。私に気づいた義母は逃げ場を求めたが、周囲の人にはばまれてしまった。

「ここで、なにしてるの……?」
 私の問いかけに、ゆり子さんは恥ずかしそうにうつむいた。

「……ミーナちゃんを見に来たのよ。そしたら……感動しちゃって」

「えっ……」

「この前言われたことについてずっと考えていたの。それで今日、文化祭を見に来たのだけど……。ミーナちゃんの言葉、胸に響いたわ。改めて、私が間違っていたと思い知らされた……。本当にごめんなさい」
 そう言って深々と頭を下げた。

「……私、誤解してた。女のミーナちゃんが男の服を着るなんて悪趣味だって、そういうふうにしか考えられなかった。でも、ミーナちゃんや恋人さんの本気度を目の当たりにしたら、これまで信じてきた『らしさ』がいかに凝り固まった考えだったか、よーく分かったのよ」

「ゆり子さん……」

「そういうわけで微力ながら、ミーナちゃんが目指しているスラックス導入のお手伝いさせてほしいの。……これでも、あなたのお母さんだもの」

「……ありがとう」
 まさか、校則を変えるためにした行動で義母の考えまで変えられるとは思っていなかった。予想外の効果だ。

「よかったですね、先輩!」
 そばに来ていた里桜が言った。塁も笑顔で私の頭を撫でる。

「結局、すべてはミーナの思惑通りに事が運んだのかな。いろんな人が、ミーナの行動や発言に影響を受けた。オレもその一人。ミーナ様々さまさまだな」

「ううん。塁や純さんたちのおかげで私は変われたの。もし再会できなかったら、私だってここまで行動できなかった。感謝するのは私の方だよ」

「……そう考えると、お前があのとき兄ちゃんを『キモい』って言ったのも、それを機に一度別れたのも必然だったんじゃないかって気がするな。最終的に、全部がいい方に繋がるための布石だったっていうか」

「そうだね、きっと。……ありがとう、塁。私をまた好きになってくれて。これからもよろしくね」

私が言うと里桜がキャーキャー騒ぎ出し、義母も「若いっていいわねえ」と微笑んだ。言われた塁は赤面している。

「……そういう台詞は二人だけの時にしてくれよなあ。目立ちたがり屋のオレだって、人前でそんなふうに言われたらハズいぜ……。って、おい、ミーナ……?!」

照れる塁に寄り添う。
「いつだったか、純さんが言っていたよね。好きな人にはいつでも甘えたいって。だから私も、恥ずかしがらずにこうする。いいでしょう?」

今日はあれだけ目立つことをしたのだ。恋人同士なら、たとえ校内であっても、人目があっても、もはや気にならない。

「あー……。悪い影響を与えちゃったかな……。ま、いっか。何せお前は、オレの影響を受けながら生きていきたい女だもんな」
 しゃーねーなぁ。頭を掻きながらも、塁は寄り添った私をぎゅっと抱き寄せてくれた。

***


 
 ミーナの下校を待っているうちに太陽は沈んでしまった。月のない、澄んだ夜空に星が輝きはじめている。

いつまでも女装じゃさまにならないんで、本来の姿に戻って待つ。正門前でしゃがんでいたら、ようやくあいつが姿を現した。ミーナも、校則で決められた制服に戻っている。

「ずいぶん待たせちゃってごめんね。校則を変えるための話し合いが長引いちゃって」

「いいってことよ。じゃ、帰るか」
 立ち上がり、さっとミーナの手を取る。

「うわっ、冷たーい!」
 ミーナはそう言って、オレの冷えた手と自分の手を制服のブレザーのポケットに突っ込んだ。
「カイロ、持ってくればよかった……。この時間は冷えるね」

「そうだなあ……」

返事をしたオレは半分、上の空だ。ずっと、言おう言おうと思っていたことを告げるタイミングを窺っているせいだ。

M女子高の最寄り駅までのわずかな道のりでは、冷えきったオレの手は温まりそうにない。それどころか、ミーナの手も次第に冷えてくる。なのに身体の中心は、心臓が強く脈動しているせいか、妙に熱い。

足を止める。人気ひとけのない路地。辺りはしんと静まりかえり、心臓の音しか聞こえない。

「……どうしたの?」
 立ち止まったオレにミーナが問うた。

「ひとつ、言ってないことがある」

「ん?」

「ミーナより上位になれたらその時は……の続き」

「ああ……。それ、ずっと気になってた」
 ミーナはポケットから手を引き抜き、オレを正面から見つめた。

「なんて言うつもりだったの?」

見つめるその目には期待と不安がこもっている。今更、恥ずかしいはずはないのに、なぜだろう。用意していた言葉がすぐに出てこない。

「塁?」

小首をかしげるミーナが愛おしすぎる。そのせいで、言おうと思っていた言葉を告げる前に唇を重ねてしまう。

異装はオレたちを変えた。だけどやっぱり、オレは男でこいつは女。その事実だけはどうしたって変えることができない。

「……ミーナの身体が知りたい。お前のすべてを感じたい。独り占めしたいんだ……」

そう。これがオレの想い。オレの脳みそが求めてしまうことだ。どんなに見た目を変えたってオレは女を求める。愛するミーナを。

彼女は、はにかんだ。
「私の服を着るだけじゃ満たされないって、そういうことかぁ……」

「……オレはお前の、身体の熱を感じたいんだよ」

「……塁って、そんなに大胆な台詞を言う子だったっけ?」

「……オレも大人になったんだ」

「……そっかぁ」
 そう言って目を伏せる。
「分かった。塁、頑張ったもんね。だけど……」

「だけど……?」

「関係を深めることを焦らないで。私はもう、一時いっときの感情に振り回されたくない。……大人になったというのなら、自制することもできるよね……?」

悔しいけれど、ミーナの方がずっと大人だと思い知る。そうだ、オレたちは二度目の付き合い。燃え上がる感情そのままに突っ走ってはいけない。それをしてしまったらまた同じ結果を生んでしまう。

「まったく……。お前がこんなにも変わっちまうなんてなぁ。……オーケー。その気持ち、大事にするよ。オレだって、今度こそ長く付き合いたいからな」

「……よかった」
 ミーナは心底ホッとしたように息をついた。

「……ねえ、塁。今度一緒に服を買いに行かない? お互いに、着て欲しい服を選ぶの。もちろん、男女逆の。で、それを着て街を歩くの。楽しそうじゃない?」

提案するミーナの顔は、今からその場面を想像しているかのようだった。オレも想像してみる。見た目だけで言えば、本当に入れ替わっちまったみたいなオレたちの姿が目に浮かぶ。

「あー、そろそろ街もクリスマス仕様になってくるしなあ。お前が男の、オレが女の格好でデートするってのはありだな。それでどこかのレストランに入ったらどんなふうに見られるか……。考えただけでワクワクするぜ」

「うんうん! ……あっ、純さんたちも誘いたいな。二人からは長続きする恋愛について学びたいし」

「えー? オレは二人きりがいいんだけど……」

とは言ったものの、兄ちゃんとかおりさんがミーナに与えた影響は大きい。話を聞けば彼女はもっと変化するだろう。もちろん、いい方に。

「しゃーないなぁ。一回だけなー。そのかわり……今日はとことん一緒にいさせてくれよ」
 返事も待たずに抱きしめる。ぎゅーっと、強く、強く。

「ミーナのすべてが好きだ……。ミーナのためならオレは変わる。何だってする。……オレの人生にもミーナが必要だから」

「ありがとう、塁。私も大好きだよ。これからも一緒に成長していこうね」

ミーナの唇がオレに触れる。その柔らかさを感じるだけで脳みそがとろけそうになる。肉体の感覚さえなくなって、魂だけになっていく。オレはオレとして、ミーナはミーナとして……。求め合う心に男や女は関係ないと知る。混じり合う魂の温かさを感じながらキスをする。何度も、何度も……。

***

ミーナ

署名運動が後押しとなって、学校側はすぐに校則の改変を行った。とはいえ、正式な制服が採用されるまでには時間がかかるため、当面は、華美ではないスラックスを制服代わりに着用しても良いことになった。

それが通知されるや、美人コンテストで私に票を投じた人の多くが、あの日私が穿いていたスラックスを買い求めることになったから大変。かおりさんは嬉しい悲鳴を上げているが、ミカさんにも手伝ってもらいながらできる限り早期納品を目指すと意気込んでいる。

もちろん、頑としてスカートを穿き続ける子もいる。けれど、学校全体としてはスカートとスラックスを穿き分ける人が多いようだ。コンテストで私とモネが言い争ったように、服装によるいじめや差別が起きることも予想したが、どうやら杞憂に終わりそうだ。

私とモネの関係も元の通りに戻った。というのも、美人コンテストで精神的な敗北を喫したモネは、そのおかげで飯村くんと意気投合し、交際を始めることになったからだ。

「そういう意味では、ミーナに感謝しなきゃね」

コンテストの日、あんなに憤っていたのが嘘みたいに今では笑顔を向けてくる。塁が言っていたとおり、起きることは全て良い結果につながるようにできている。そう思わずにはいられなかった。

☆☆☆

あっという間に季節は巡り、冬がやってきた。鮮やかなクリスマスカラーに彩られた街。しかし後ろからはもう、年末年始の足音が聞こえ始めている。

はじめはあんなに恥ずかしかった男装での街歩きも、今では堂々とできるようになった。そのせいだろうか。私たち以外にも男女逆の服装を楽しんでいる人をよく見かけるようになった。

「案外、異装をしている人っていたんだね。気づかなかったよ」
 そう言うと、塁は首を横に振った。

「いやいや、増えてきたのは、美人コンテストのことがネットで拡散された頃からだぜ? 兄ちゃんのブログもアクセス数が爆上がりらしいし、今まで声を上げられなかった人がようやく声を上げられるようになって異装を楽しみ始めてる、ってことじゃねえかな」

「そうだね。思い切った行動をして本当によかったよ。塁ともこうして……」
 私は、女物の服を着た塁の腰に腕を回した。

塁に着てもらうために選んだ服。それを時々交換っこしながら過ごす。今年の冬はこの服が、私と彼の記憶に残る一着になるだろう。私が身につけている、塁に選んでもらった服も同様だ。

都内のとある場所。大きなクリスマスツリーが設置された広場にやってきた。純さんとかおりさんとはここで待ち合わせることになっている。

よく探すと、ごった返すカップルの中に、性別と一致した服装の彼らがいた。声をかけようとして足を止める。他のカップルたち同様、純さんたちはすでに二人だけの世界に――肩を寄せ合い、きらめくツリーを見上げながら幸福感に――浸っていたのだ。塁もそれに気づく。

「あの二人、ぱっと見だけなら他のカップルと何も変わらないよなあ。実は複雑な関係だなんて、誰が想像できる?」

「そうだね。でも、実際はカップルの数だけ、二人の世界があるものなのかもしれない。理想のカップルなんて存在しないんだよね、きっと」

純さんたちのように、ほとんど精神だけで繋がるカップルもいれば、キスし合っているカップル、おしゃべりに忙しいカップル、今まさにホテルに入ろうとしているカップルもいる。もしかしたら、喧嘩することでうまくいくカップルだっているかもしれない。

「普通なんて、ないんだ。みんな、どこかしら変わってる。ホントはそっちの方が『普通』なんじゃねえかって気もするけど、どっちにしろオレは、頭一つ飛び抜けて変わり者でいたいぜ!」

塁の言葉に思わず笑う。
「ふふっ。この格好だもんねぇ。そんな塁が好きな私も、変わり者よね」

「そうそう。オレを理解できるのは変人のミーナだけだよ」
 じゃれ合っていると、かおりさんが私たちに気づいて純さんを促し、こちらへやってきた。

「その格好、目立つからすぐに分かったわ」

「すぐって、本当ですかー? ずっと二人の世界に浸ってたくせにぃ」
 私が冷やかすと、かおりさんは顔を赤らめた。

「もしかして、気づいていたの……? なら、声をかけてくれればよかったのに……」

「だって、あまりにも幸せそうだったから……。ね、塁?」

「そうそう。オレたちも、二人を見習わないとなぁって話してたんっすよ」

「……嘘ばっかり。大人をからかうものじゃないわよ?」

「まあまあ、かおりさん。いいじゃない、こんな日くらいおれたちの愛し方を示したって。二人はそれが知りたいみたいだし」

恥じらうかおりさんを純さんがなだめる。かおりさんは上目遣いで純さんを見る。
「そんなことを言うなら……とことん甘えてしまうわよ?」

「うん、いいよ。かおりさんは甘え下手だからね。今日はどんどん甘えて」

「なら、遠慮なく……」
 かおりさんは、そう言いながらもちょっと遠慮がちに寄り添った。純さんがそっと抱く。ほっとしたようなかおりさんの顔がかわいらしかった。

「なるほど、そうやって甘えればいいんだ。じゃ、私も……」
 真似してかわいらしく引っ付いたが、塁に笑われる。

「ミーナがやると、なんか、違う……」

「えー? どこが違うのよぉ?」

「どこがって……。お前からは『大好きオーラ』がいっつも出てるじゃん? そんな、ねこみたいにすり寄られてもなあ……」

「仕方ないじゃない、抑えきれないんだからっ!」
 開き直って、今度は力いっぱい抱きしめる。

「ぐへぇ……! こりゃあ、ねこじゃなくてライオンだ。そうそう、ミーナはこうでなくっちゃ。……って苦しいんだけどぉ」

「ふふっ。いろいろな甘え方があるのね。勉強になるわ」

「本当に、そうだね」

そう言ってかおりさんと純さんは見つめ合い、微笑んだ。その姿があまりにも絵になるので思わず見とれてしまう。

ああ、本当は二人のように穏やかに愛し合いたい。けれど、私と塁じゃ、やっぱり無理みたい。最近は何をやっても漫才みたいになっちゃう……。

「はぁ……。これが現実かぁ……。ま、喧嘩になるよりはマシか」

そう。二度目の付き合いが始まってから、私たちはずっと笑い合っている。まるで別人と付き合っているみたいに……いや、実際私たちは別人になったと言ってもいいのかもしれない。互いを認め合い、受け容れ、尊敬し……。それが長く続く秘訣だと知った私たちはもはや、かつての私たちではないのだ。

学ぶべきは仕草ではない。二人の世界の築き方や、距離の取り方だ。一度や二度で分かるものではないだろうが、今日はその一端でも学んで帰ろうと誓う。

そのとき、純さんがポケットから小さな包みを取り出した。
「……かおりさん。これ、クリスマスプレゼント。気に入ってくれると嬉しいんだけど」

驚くかおりさんが包みを開けると、中には猫のチャームのついたネックレスが入っていた。

「わぁ……! これって確か『マシュマロにゃんねこ』のショップ限定品だったはず。いつの間に……?」

「な・い・しょ。実はおれも買ったんだ。お揃いでつけれたらいいなって。……どうかな?」

「ああ、すごく嬉しい……。ありがとう、純さん。実はわたしもね……」
 今度はかおりさんが、カバンの中から何かを取り出して純さんに手渡す。

「おっ?! 東京スカイツリーの入場券だ。予約してくれたの?」

「ええ。スカイツリーの中に入っているレストランの席も取ってあるわ。……純さんと、東京の夜景を見ながら今日という瞬間を分かち合いたくて」

「もぅ……。相変わらずロマンチックなこと言うなぁ……。じゃあおれは、夜景の映るかおりさんの瞳を見ていようかな」

「まぁ、純さんったら……。うふふ……」

まさか、いきなりラブラブな姿を見せつけられるとは思ってもみなかった。呆気あっけにとられていると、塁が耳打ちしてくる。

「……おい、ミーナ。あれ、どう思うよ?」
「……正直、恥ずかしい」
「……ああ、オレも。オレたちの存在、忘れられてるよな?」
「……そんな気がする」
「……お前、サプライズって好き?」
「……そんなに好きじゃない、かも」
「……だよなあ。オレも、ああいうのは出来ねえや」

二人のやりとりを見て、真似はできないなあと改めて思う。それでも気づいたことが一つある。それは、二人が常に相手を思いやり、喜ばせようとしているってこと。

それだったら、私たちにもできるかもしれない。今日は、特別なプレゼントは何一つ用意していないけれど、塁が喜びそうなもの、塁のためにできることを食事しながら考えてみよう。

「かおりさん。そのレストランって、私たちの席も取ってくれてるんですよね?」

あんまり二人の世界に入っているので心配になって尋ねると、かおりさんは「ええ、もちろん」と言って微笑んだ。ほっとしたのもつかの間、塁が興奮し出す。

「うわっ、マジー?! オレたち、この格好で乗り込んじゃうわけ?! 追い出されたりしない?」

「大丈夫だとは思うけれど、もし見た目で人を判断して入店の可否を決めるようなレストランだったら、こっちから願い下げだわ」

「あっ、その言葉……」

一年前の今ごろ、純さんのために怒りを顕わにしたかおりさんの台詞が――見た目で人を判断した上に冒涜ぼうとくするなんて、サイテーな人間のすることよ! という言葉が――よみがえる。

「あのときは『サイテー』だったけど、今の私は少しは『マシ』になれたのかな……」
 つぶやくと、塁にガッチリと肩を掴まれた。

「マシなどころか、サイコーに良くなったよ。だからまた、こうして一緒にいるんだろ?」

「塁……」

「おいおい。ミーナにそんな顔は似合わないぜ? 今日はせっかくいい景色のところでディナーができるんだ、サイコーの笑顔で頼むよ」
 そう言って先に笑った。

「そう……だよね」

塁を喜ばせる方法。それは、特別なプレゼントでもサプライズベントでもない。笑顔でいることだと知る。たったそれだけのことで、私たちは充分幸せになれる。そしてそれがきっと、私たちを長続きさせてくれる、魔法のアクション。

私は笑った。とびきりの笑顔で。塁の顔、そして、見える世界のすべてが、今までで一番輝いて見えた。

――end――


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