次ディズニーに行ったら、あの風船を買う
息子がまだ2歳だった頃。友人家族に誘われて、思いがけずにディズニーシーに行ったことがある。
ランドですら、夫は遥か大学時代以来、そして私に至っては中学の修学旅行ぶり。ディズニーシーは二人とも初めてだった。
私たちは、地味で出不精な夫婦だ。
けして自分たちからは発想しないディズニー。だけど子どもができたからには行くのかもなぁ、と思えば断ってしまうのもなんだか惜しく、ありがたく同行させてもらうことにした。(もちろんお金は払っている。)
大人になってはじめて踏みいったディズニーの世界は、想像以上に精巧で、たのしく、人を喜ばせたいという思いが随所で感じられて、街を歩いているだけでも心が躍った。
真夏の炎天下だったせいか人は多くはなく、だけど室内遊び場や水遊びなども充実しており、息子も随所でびしょ濡れになり、はしゃぎまわった。
夕方には、友人が当ててくれたジャンボリミッキーのショーを楽しんだ。
保育園でも踊っているジャンボリミッキーに大興奮し、だけど途中で力尽きたように爆睡した息子を抱きながら、なんだか幸福感で胸がいっぱいになった。すごく楽しい一日だった。
帰り際、元気になっていた息子が、風船に釘付けになった。
出口近くでキャストさんが手売りしている、あのバカでかい、実用性皆無の風船だ。
おそるおそる金額をたずねると二千円。私も夫も、脊髄反射できびすを返した。
「あれはまた今度かなー」
「風船なんてすぐに割れちゃうよ」
あきらめきれない息子をあやしながら、土産物店でアクリル製のコップを買った。けして割れず、たくさん入り、家にひとつあっても問題ないようなコップ。
息子が店内でなにかを壊すのが怖くて、早々に店を出た私たちは、湖に沈む夕日をぼんやり眺めながら友人家族が出てくるのを待った。
やっと出てきた友人家族の子どもたちは、それぞれ気に入ったおもちゃを手していた。
上のお姉ちゃんはきらきらと光るペンダント。
息子と同い年の弟君は、水が噴射される扇風機。
手に入れたおもちゃではしゃぎながら駐車場に向かう彼らを見ながら、縮むような気持ちになったことを、昨日のことのように覚えている。
私たち夫婦は、どちらもこういうお金の使い方が得意じゃない。
実用的なものには使える(たとえば収納を整理するための、頑丈で質のいい、少しお高いボックスなんかは、迷わずに買える)のに、
特にこうした「刹那的」で、「いずれ使えなくなることが目に見えている」ものに、どうにも手が伸びない。
「買ってはいけない」と、体の奥からなにかの信号が出ているんじゃないかというくらい、買えない。
ふたりとも地方のまじめな家庭に育ち、奨学金を借りて大学へ行き、結婚するときには、お互いに奨学金を一括返済した。
それぞれの両親も、あまり楽しみにお金をかけるタイプではなく、サンタも来なかったし、欲しかったものを買ってもらえなかった話はお互いに尽きない。(だからこそ意気投合した部分も多分にある。)
だったら今度は自分が買ってやればいいものを、結局、咄嗟に買いきれない人間になっている。
家に帰ってからも、私はことあるごとにあの風船を思い出した。
息子がディズニーのコップを気に入り、嬉しそうに使っているのを見ても、CMを見て「ディズニーいったね!」と嬉しそうに言うときも、あの風船を買うことができなかった自分のことが思い出された。
◇
あれから二年が経った、去年の夏。
4歳になった息子の靴がサイズアウトしてきたのを機に、いつものようにネットで見繕い「どっちの色がいい?」と訊いたところ、
「それでもいいんだけど…」と珍しく息子の歯切れが悪い。
もじもじする息子に聞いてみると、ようやく話してくれた。
「ひかるくつがいい……」
光 る 靴 …… !!!
私は心のなかで吹き出してしまった。
0歳児の頃、よく通った支援センターで、息子はひたすらキッチンセットの「銀のボウル」で遊んでいた。保育士さんに「毎年いるんですよ、光り物が好きな子が」と笑われながら、毎回銀のボウルを握りしめていた。
そりゃ好きだよなぁ、光る靴。お友達が園で履いているのが、ずっと羨ましかったらしい。
夫に話すと、夫は神妙な面持ちで言った。
「それは、買おう」
さっそく週末にワクワクしながらお店に行くと、なんと光る靴はすべて売り切れだった。恐るべし光る靴。
秋冬シーズンの新作が出るのを一か月ほど待ち、無事に息子の光る靴と、
ついでに、2歳の娘が大好きなアンパンマンのピンクの靴を買った。
独身の頃は、いや、子どもが生まれても数年間は、キャラ物の靴なんて自分は絶対に買わないと思っていた。
だけど、スーパーでもなんでも、どんなに小さなアンパンマンでも「アンパンマン!!」と見つけ出して喜ぶ娘を見ていたら、どうしても娘にアンパンマンの靴を買ってやりたくなったのだ。
そのふたつの靴が届いた日。園から帰ってきて、箱を開けたふたりのお祭り騒ぎを思い出すと、いまも胸が熱くなる。
息子は何度も何度も歩き、そのたびにピカピカ光る靴を嬉しそうに眺めた。
そしてこれはどのくらい光るのか、電池は交換できないのか、洗っても問題ないのかを一生懸命に確認してきた。
娘は「アンパンマン!」と叫び、「かわいい!」「アンパンマン!!」「ピンク!!!」と繰り返し連呼した。
夫が帰ると、ふたりとも玄関に転がり出て、夫を前に喜びの再演を行った。狂喜乱舞というか、盆と正月が一緒に来たようなというか、とにかくそんな喜びようだった。
ふたりが寝静まった夜。夫と、「あれは買ってよかったね」と言い合った。
なんだか自分たちのほうまで嬉しくなるような、根源的に満たされるような気持ちになった。
大人から見たら些末なものでも、子どもが「欲しい」というものを与えることを、もう少し、してもいいんだと思えた。
思えば今まで、「子どもが大喜びするものを与えること」を、心のどこかで怖がっていた気がする。
それを良しとしてこなかった(と子ども目線では見えていた)家庭で育ったことで、
子どもが喜ぶものを与えていった結果、どんな人になるのかがわからない、という漠然とした不安。
言葉にしてしまうと小さなことだけど、そんな漠然とした不安によって、自分で自分にブレーキをかけていた気がする。
子どもがよろこぶものを与えることを、進んで切り落とすことは、やめよう。
欲しがるもの全部はあげられないけれど、
子どもが本当に本当に欲しがるものは、親が思う「もの自体」以上の価値が子どもの中にあるのだと、ようやく理解できてきた。いや、思い出してきた気がする。
もし、今度ディズニーに行ったら。
子どもたちが、またあの風船を欲しいと言ったら、つぎはためらいなく二千円を差し出せると思う。
いや、きっとふたりとも欲しがるなら四千円か。四千円か……。
でも、きっと次は、買う。買いたい。
風船でも、そうじゃなくても、ふたりが一番欲しがったものを買いたい。
そして一番お気に入りのお土産に、一日の幸せを、思い出を、思いっきり詰め込んで帰りたい。そういう一日が、喜びが、いつか子どもたちの大事な養分になると祈りながら。
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