『ヤエル49』 第七章
◆あさみの中学時代
中学校時代のことだった。

メガネで、おさげの、地味で目立たない生徒――あさみが、朝、登校すると、自分の机の上にはゴミが散乱し、心無いラクガキがされている。
朝の日課は、そのラクガキを消しゴムで消すこと……。その必死な様子のあさみを、遠くの席で主犯格の女子生徒たちがニヤニヤとみている。
あさみはそちらに目をやる。あさみの必死な姿を見て、笑っているのだ。
「なんで私なのか、私の何が気に入らなかったのか、原因は分からない……」
大人のあさみが寄り添うようにして回想している。
紙ゴミが後頭部にぶつかり、おさげのあさみが後ろを振り返る。
今度は男子生徒が笑っている。クラス全体が、自分に直接的に手を下さないようにして、遠巻きから見て笑っている。
クラス担任がやってくる。クラスメイトは、先ほどまであさみに向けていたニヤニヤ笑いを止めて、教師の方を向き、さもイジメがなかったかのようにふるまう。
うつむく中学時代のあさみ。
「私はただ、耐えていた。耐えて耐えて、我慢すれば、いつかきっとこんな地獄から抜け出せる。そう思ってた……」
◆ここは森の中
ここは、森の中である。
あさみは振り向き、手にしていたナイフを突く。
ユビナガは、驚く。
ナイフはそのままユビナガの腕に当たり、その筋肉質な皮膚に、ナイフは食い込む。
「おおっ、おおおお……」
くぐもった声を出しユビナガはもだえる。あさみは思わず、ナイフから手を離す。
腕からは勢いよく血が出る。ユビナガは慌ててナイフを引き抜くが、血が勢いよく出て、止まらない。
ユビナガは腰につけてあるサバイバルポーチから応急処置用の包帯を取り出し、手際よく止血している。
その間、ユビナガはあさみの方を一切見ていない。無駄な動きなく、怪我を治すことに集中しているあさみは、自分の攻撃が通じたことに、実感がわく。
相手は、絶対的な存在ではない――。
だが追撃は加えようもない。あさみはこのスキに逃げ出す。
ユビナガは一瞬あさみを見やるが、追いかけない。じっとその場に立ち、血が止まるのを待っている。
◆「あの時も、そうだった……」
ふたたび、中学時代の回想。
中学校の廊下。イジメの実行犯の女子たちがトイレからはしゃぎながら出ると、遅れて出てきたあさみは全身びしょ濡れにされていた。
主犯格の女グループに実行犯たちが息を切らして合流し、女子たち4、5人があさみを遠くから見て笑う。遠くの笑い声を聞き、中学時代のあさみ、手をぎゅっと握りしめる。
「抵抗せずに、ただ耐えているだけでは、何も終わらない。ずっと終わらない……」
あさみ、不意に走り出すと、その女子たちのところに駆け込んでいった。
突然の突進に、いじめ女子たちの笑いは消える。
あさみは走りながら、廊下に置いてあった消火器を手にすると、いじめた女子たちに向けて発射する。びっくりした表情の女子たち。白い噴射煙が、いじめグループの女子たちを包む。
「あの時、たった一度の抵抗をしたあと、私へのイジメはなくなった。」
白い煙の中、消火器を投げ捨てて、顔面真っ白になった主犯格の女子につかみかかっているあさみ。
回想の中のその姿は、白い煙の中に消えていく――。
◆白い煙の中から
冷凍弾の集中攻撃を浴びたタモタンが、白い煙の靄の中から姿を現す。
人間を捕食したことで170cmの体を手に入れたタモタン。
捕食した森下の面影があちこちに残っており、やや丸顔で頭には黒縁のメガネを大事そうにかけている。
「……ぶるぶるぶるぶる」
口がかすかに振動し、何か言葉のようなものを発そうとしているように井上には見えた。
「あー。」
その様子を見て、井上は自分ら4人が「敵として認識された」と判断した。
そして井上は、タモタンへの「調査」そして「戦闘」から、「自分たちの生存」へ作戦を変えた。
「散開!」
井上は二人にこの場から距離を取るよう指示し、自身もカナンとバトとは違う方向に逃げる。井上の役割は戦闘の指揮とデータの採取であり、直接戦闘には加わらない。
「(俺の仕事は、勝利しようが敗北しようが、何が何でも情報持ちかえり、何が何でも生き残る……それが【仕事】……!)」
カナンとバドは井上がタモタンから逃げやすくするよう牽制で高気化弾頭を撃ち続ける。
「インド象でも2秒も凍るってのに……足止めにもならないかっ」
周囲の熱を奪い、運動性能を奪うはずの冷凍弾は、タモタンの高温の体温を奪いつくすことが出来ず、さらにそのさらに堅柔自在に出来るその体の柔軟性により、衝撃ダメージも無効化されてしまう。
「もういいっ、カナン、逃げろ!」
それでもなおカナンは高速気化弾頭を連射し続ける。それを嫌がったのか、タモタンは蚊を追い払うかのような動きで、弾幕を、その発射口ごと振り払おうと……その腕は伸縮し、一気にカナンの首元まで伸びてくる。
「っ!!」
スープラを一瞬で真っ二つにした伸縮自在の手刀は、周囲の木をまとめてなぎ倒し、20メートルは距離を取っていたカナンのプロテクターを一薙ぎで砕く。
対戦車砲の直撃を喰らっても平気なように設計されている強化FRT素材のプロテクターは、バターが切り刻まれるようにとろけ割れた。
タモタンの手刀は、体内の高温とも相まってその手は高熱ブレードのようになっている。
カナンはスープラが両断されたのを見、間一髪で攻撃を見切ってダメージを最小で収めたのだった。
しかしプロテクターが半壊するととたんに逃亡の障害になる。
「カナン!キャストオフ!」
「もうやってる!」
カナンの高い声が響く。
カナンが装着しているアクチュエータースーツは、一か所のロックを外すと瞬時に弾けるように外れるようになっている。装着するのは半日がかりだが、脱ぐのは一瞬だ。これは隊員の生命維持を優先する設計だ。カナンはキャストオフの衝撃とダメージで足元がおぼつかない。
すぐさまバドがその体を抱きかかえる。
「バド、カナンを連れて撤退しろ」
「井上、あんたは?」
「スープラを回収する――」
「なっ……?!」
バドが何かを言おうとしたが、井上の行動は早く、バドの言葉は届かない。
スープラの胴体はこの山の急斜面を転がり、20メートルは下まで落ちている。井上はためらいなく、その急斜面を下る。
タモタンは弾幕が止むと、体のあちこちを掻くような仕草を見せている。今の所積極的に追ってくるような素振りは見せない。
だが、その目は、闇の向こうの井上の方をじっと見据えている。
井上はその視線を背中で感じながら、急斜面を縦走しスープラの胴体を探した。
◆生か死か、生か
いかに不死人間といえ、体が両断されて生きているかは分からなかった。それでも井上は思った。
「(スープラは、まだ死んじゃいない……。目の前で頭を撃って死を「実演」してくれたのが良かったのかもしれないな……感覚的にだが分かる。スープラはまだ、死んでない)」
井上はスープラの胴体が転がっていった斜面を計算し、場所を割り出す。
タモタンとはもう50メートルほどは距離が離れたはずだ。だが、井上はタモタンの運動性能を考えると、このくらいの距離は一瞬で間を詰めてくると考えていた。
事実、井上の背後から、カサ、カサ、とタモタンは追ってきている。
タモタンは、まだ自分の体を使いこなしていないのだろう。
足と手が一緒に出て、体を大きく揺らしながら、それでも大股で井上と距離を詰めてやってきている。
周囲の木々をなぎ倒しながら、タモタンは突進してくる。
このままでは追いつかれる――。
井上は不意に思いつき、足を止め振り向くと、プロテクターに内蔵されている強化ペプチダーゼの噴霧口を、タモタンに向かって噴射した。
「(せめて……煙幕がわりだっ!)」
10メートル先にまで、ピンク色の煙――地球外物質の分解を促進する酵素が噴射される。
闇の中からタモタンが姿を現すが、タモタンはその霧となったペプチターゼを浴びると、また全身をかきむしるような動きを見せる。
その隙に、井上は倒れているスープラを発見した。
顔面からきれいに二つになった体は、その傷口からいくつもの筋組織がほとばしり、お互いを引っ張るようにして再生をし続けている。
井上はその二つの体を纏めて抱きかかえる。
タモタンがそれに気づき、のびる手刀を井上に振りかざす。
手刀は井上の右肩に深く食い込む、が、井上はその攻撃が来ることを予期していた。
手を肩に食い込ませたまま、井上は振り向いてペプチターゼをその手刀にゼロ距離噴霧する。
素早い触手攻撃を封じるには、これしかないと井上は決断した。
タモタンは、
「おおぉぉぉおおあああああああ!」
と、咆哮を上げ、井上の肩からその手を抜き、大地に転がった。井上の判断は正解だった。
しかし、井上もダメージが大きい。
人間を瞬時に真っ二つにするほどの攻撃力を、防具越しとはいえ直接受けたのだ。肩に感覚がない。わりと深めに傷を負った。血の流れている感覚がある。
だが、そんな事に構ってはいられない。
ペプチターゼの効果はあくまで一時的なものだろう。井上はスープラを背負うとすぐさま逃亡する。
そしてプロテクターの通信を通じて残りの二人にも命令を下す
「バド、合流の必要はない、このまま2方向に別れて潜伏する。作戦を討伐から隊員の生存に切り替える。カナンを連れて、とにかく逃げろ」
「……了解」
通信の向こうから、バドが悔しがっている様が感じ取れた。
しかし、現状では仕方がないと井上は考えている。こちらの装備がほとんど効果を上げられない以上、これ以上の戦闘は無意味だ。
また、もう一度集合するのも、危機を増やすだけで何の得にもならない。
◆涙
「待って……」
井上の背中で、声がする。スープラの体は、外観はすでに元通りに戻っている。だが体はまだ思うようには動かない。
「待てない。あの場に留まれば君は死に、俺も死ぬ」
「私は、NDG。ネバーダイガールズ……私は死なない」
「心臓と脳と第二脳を同時に破壊されれば死ぬと聞いている。その様子だと、第二脳をやられたんじゃないの?」
「それは」
「俺が判断するに、タモタンが本気を出してれば、あの場にいた全員は一瞬で細切れだ。あんただって例外じゃない、と、俺はそう判断した」
「……」
スープラは、泣いていた。
NDGの年齢は、井上らを遥かにしのぐという。
最も古いNDGは400歳を超えていると言うが、スープラは一体何歳なのだろう。
少なくとも、悔しくて泣く、という情緒を持ちあわせているという事は、井上達とそう歳も、あるいは感覚も離れていないのかもしれない。
「大丈夫?」
井上は尋ねるが、答えは返ってこない。
井上は無言で、スープラを安全に休ませる場所を探している。
◆不死の怪物なんかじゃない
暗い山道を、素足で駆ける。
その足裏からは血も出ていて泥だらけだが、痛みをそれほど感じていない。
「あいつは、人間だった――」
ユビナガは、絶対的な不死の怪物ではない。怪我をすれば血を流す、人間。痛みに動揺し、獲物から注意がそれてしまう人間なのだ。
ナイフで与えたダメージで、ユビナガはしばらく積極的には動かない。そう察したあさみ。
ユビナガの監視の視線を感じない今は、逃げて集落の方面に向かうチャンスであった。
しかし――
「私がもしこのまま逃げても、カホとさっちんたちが危ない――それに、夜の森に慣れてるあいつから、逃げ切れるとは思えない……」
そう思ったあさみは再び、森下のテントへ向かっていた。
あさみの頭の中には、先ほど森下の隠れ家で見た大量の違法罠が浮かんでいた。
◆殺すために、わたしは……
森下のテントの奥で、無数の違法罠を見つめるあさみ。
決意して、使えそうな罠やワイヤー、工具を、森下のテントにあるズタ袋に詰め込んでいく――
「罠を張る――あいつを殺すための――」
あさみはそう決意した。
◆Silent Chase
罠を張るために適切な場所を探しているあさみ。
「森の中じゃ、罠にかかる確率は低い……どんなに誘導しても、突破されちゃう。ここしかないという場所……」
あさみは重い荷物を背負いながら、森の中をギラギラした目つきで彷徨う。
そんなあさみの姿を、ユビナガは嗅覚でとらえていた。
フンフンと鼻を利かせ、気配を消してあさみの姿を捉えるユビナガ。
あさみは、何か大きな荷物を持っているが、ユビナガは気にしない。ゆっくり、のっそり、あさみに気がつかれないよう、後をつけている……
◆サンクトペテルブルグ地下12000m
ヤエル49本部。サンクトペテルブルグ地下12000m。
ルネサンス絵画そのもののような石造りの巨大礼拝所。
照明の類はないが、地上から太陽の光を集光させ、地下空間全体をうっすらと照らしている。
その中央に、テーブル代わりの正方形の台が置かれている。それを、「人ならざる」存在が三体、囲んでいる。
身体は2メートル。それぞれ折り目のついた白のフード付きの外套をかぶり、いずれも強靭かつ、均整の取れた美しいプロポーションをしている肉体を持っている。
三者はそれぞれウギ、チハギ、ホークという名を持っていたが、三者を区別できる特徴は特にない。
三者は部屋の中央の台に置かれた、ボウリングの球ほどの大きさの丸い石を中心に、深刻な顔をして話し合っていた。
(※この三者は、人類よりも前にこの星にたどりついた知的生命体の、最初のクローン人間のうちの三体。ヤエル49の「本体」である。中央にある石が、このヤエルを作った知的生命体が精神を宿している石である。三者はこの石から神託を受けて行動している)
「13番目の子……スープラたっての希望で、白ウサギは人の手により殲滅するはずが、失敗に終わったようだ」
「スープラは心が優しすぎた」
「スープラは命を尊ぶ」
「しかし、わずか100年ほどしか生きていない若さゆえか、その心がより多くの災厄を招こうとしているとは」
(※全員ラテン語で会話)
口を最低限しか動かさない発声法であり、会話するときも表情が三人とも変わらない。
声は石づくりの空間に反響して、こだましている。
「あと、2時間もすれば、位相断面の環にヤツが接触しよう。」
「その前に、『プロメテウスの火※』を使わざるを得ない」
(※純粋水爆の事である。)
「その時を早めるべきか。白ウサギがそれより早く、環に接することもある」
「……?」
三者は、中央の石に注目する。石が、わずかに振動している。
三人は表情を変えないまま、その石に顔を近づける。
「――『終わりを、待つな』」
三者は声を合わせる。
「――『抗え』」
三者は顔を見合わせる。
(※この三人は中央の石から発するメッセージを受け取り、告げる役割を持っている。)
◆抗う者たち
抗う井上の顔。
スープラの顔。
そして、あさみの顔……。
◆ザリ、ザリ、ザリ……
ユビナガとあさみとの距離が迫ってきた。
しかしまだあさみは近接されている事に、気づきもしていない。
ユビナガは今にも襲い掛からんと構えている。口からはヨダレが絶えまなく出ている。
さきほどあさみに傷つけられた個所を手でさすりながら、あさみの足音に合わせて、自分の追跡も合わせる。
足音が、ザリ、ザリ、ザリ……と土を踏みしめていく。
だが、何かおかしい。ユビナガは試しに止まってみる。あさみの足音は少しづつ遠くなる。しかし、ザリ、ザリ……という音は、逆にこちらに近づいてくる。
ユビナガは後ろを振り向く。
ユビナガの後ろの空間――落葉樹で覆われ、月光の光すら届かない闇の向こうに、白いものがゆっくりと近づいてくるのに気が付いた。
それは、巨大な、白い熊だった。

それこそ、さきほど、ユビナガが殺した子熊の親。森下が「山のヌシ」と呼んでいた、決して人前には姿を現さない熊が、そこにいた。
「フーッ……」
そしてその熊――ヌシは、ユビナガが我が子を殺したのを知っている。
自分に復讐しに来た、という事を悟ったユビナガ……。ゆっくりと熊に向かって、ナタを握り直した……。
