冬至が元旦でいいんじゃね?
ここのところ、ずっと記事更新をできずにいました。今年、結婚をしてから、新しい生活リズムを掴んで、環境を整えるということに集中してたのが、その理由かもしれません。
ともあれ、時代は進んでおります。
この半年くらいの間に感じることは、急速なAIの進化でしょうか。最近の動画は、もう何が本当で何が偽物か、区別がつかなくなってきました。
2020年の米国大統領選の時、バイデン氏の手があり得ない重なり方をしていた動画があり、「これはフェイクだ!」という話がありました。あのときは、まだAI動画の恐ろしさに気づくことはありませんでした。「フェイク?そうかもね?」くらいな感覚でした。でもきっと、あれはAI動画だったのでしょう。
そして、今やド素人が、本物かどうかの区別が難しい動画を簡単に作れるようになりました。私でも、ものの数分で、こんな動画が作れる時代です。

プロが介入した短いものだったら、それを見分けることは相当に困難でしょう。そして、それはさらに急速な進化をし続けるのです。早晩、動画の真偽は区別できなくなるはずです。
一方で、SNS上での偽情報を取り締まる方向性なども示されています。
これも滑稽な話です。言わせる人に言わせたら、誰よりも偽情報を垂れ流しているのが、政府やメディアなわけですから、そんな彼らに事の真偽を決めさせてしまったら、それこそ、ネット上の情報の真偽判別は不可能ということになるでしょう。
しかし、そんな滑稽な話まで含めて、いろいろ考えていくと、早い話、ネットの上の情報なんて、何が本当か分からなくなる時代が、すぐそこまで来ているということです。即ち、外側に答えをみつけるのではなく、常に自分の内側に答えをみつけるようにしていく必要があるということです。
自分はどう生きたいのか?
実にシンプルな質問です。でも、人によっては、とても難しい質問なのかもしれません。
いや・・・でも、本当に難しく考える必要はないのです。答えは自分のなかにあります。外の情報、とくにこれから嘘か本当かも見分けがつかない情報に振り回されることほど、バカげたことはありません。
命が惜しいわけではありません。無駄に生きる、無駄に死ぬのが怖いだけです。せめて、まだ生きる意欲がある間は、「どうやって死ぬか?」、「どうやって生きるか?」と真剣に向き合っていくのがいいと思います。
どんな支配体制になるのか?トランプ氏が当選するか?関係ありません。
例えば、こうした私の記事も、皆さんにとっては外側の情報です。ですから、あくまで参考程度に留めていただく必要があります。
振り回されないでください。
これからの時代は、AIが書いた記事もたくさん出回ると思います。これも相当危険です。過去、大手のIT企業がやらかしたことを考えたら、そんなものをまともに信じて、自分の人生を賭けるなんて、バカバカしい限りです。
・・・と、「私の記事なんて参考程度にしておいてください」などと言っておいてなんですが、今日の本題です。
つい先日、冬至がありました。
今年の冬至点は、日本時間で12月22日の0時03分だったそうです。このことは、太陽と地球の位置関係として、太陽が最も地球の北半球を照らしにくい場所にきた瞬間、さらにその地球の北半球のなかでも、日本が太陽の真裏にあって、太陽から最も遠ざかった場所にあったということです。つまり、このことは、今年の冬至点で日本が「陰のなかの陰」の状態にあったともいえるわけです。
ちょっと凄そうじゃないです?
少し興味が出てきたので、この冬至を調べていくと、「本来、冬至が元旦だった」という人たちがいることも知りました。
冬至は、一年で最も日が短い日で、ここを境に徐々に日が長くなっていきます。しがたって、冬至を元旦として、新しい一年が始まるという考え方で暦を作ったら、とてもシンプルです。「太陽暦」という言葉も、とてもしっくりきます。しかし、現状は違うのです。
そこで、今の暦で、何故元旦が1月1日なのか、(参考までに)AIに聞いてみました。すると、こんな答えが返ってきました。
1. 政治的な都合:役人の任期が「1月」からだった
古代ローマの初期、カレンダーは**3月(春分に近い時期)**から始まっていました。今でも9月(September=7番目)、10月(October=8番目の「オクト」)と名前にその名残があるのはそのためです。
しかし、紀元前153年ごろ、ローマで反乱が起き、軍を指揮する新しい執政官(コンスル)を早急に任命する必要が出てきました。本来の3月まで待てなかったため、1月1日に就任式を前倒ししたのです。以来、1月1日が「役所の年度初め」として定着し、それがそのまま新年の始まりとなってしまいました。
2. カエサルの「月(新月)」へのこだわり
その後、ユリウス・カエサルが暦を大改革し「ユリウス暦」を作った際(紀元前45年)、彼は冬至を新年にしようと考えました。しかし、彼は当時の古い習慣だった**「新月(月が消える日)」**も重視したかったのです。
たまたまその年、冬至の数日後に新月が訪れたため、カエサルは**「冬至から数えて10日ほど経った、新月に近い日」**を1月1日と設定しました。
つまり… 冬至(天文学的な節目)を意識しつつも、当時の政治スケジュールと、月という古いリズムを優先してしまった結果、**「冬至から10日ちょっとズレた中途半端な日」**が元旦として固定されてしまったのです。
さらにAIは、こんなふうにも言っていました。
もし、科学的なシンプルさを追求して冬至を元旦にしていたら、カレンダーは以下のようになっていたはずです。
・1月1日: 冬至(一年の光が復活する日)
・4月1日ごろ: 春分
・7月1日ごろ: 夏至
・10月1日ごろ: 秋分
このように、季節の節目が常に「○月1日」付近に来るため、非常に覚えやすかったはずです。しかし、一度決まった社会のルールを変えるのは難しく、16世紀にローマ教皇グレゴリオ13世が暦を修正した際(グレゴリオ暦)も、日付のズレを直すだけで、「1月1日の位置」そのものを冬至へ動かすまでには至りませんでした。
ですよね???
この方が、絶対にシンプルだし、「太陽暦」と呼ぶにふさわしい暦になると思うのです。しかし、それが実際には10日近くもズレているわけです。
そう思うと、クリスマスにも疑問が出てきます。
クリスマスは、本来、キリストの誕生日ではなく、冬至という新しい命が芽吹くスタートの地点を「キリストの誕生日と定めて祝っている」という話があります。ただ、これにしても、ピッタリ冬至ではなく、少しズレています。
このズレは、16世紀の教会によってもたらされているようです。
カトリック教会は、復活祭の日取りの基準となる春分の日が再び3月21日に来るようにと、グレゴリオ暦を制定してそのずれを直しました。その結果、春分の日だけでなく、冬至の日の10日のずれも直りましたが、それは、ニケア公会議が春分の日を3月21日に固定した4世紀まで戻したということだったのです。その4世紀にユリウス暦は既に3日ほどずれており、実際の冬至は12月22日になっていましたが、冬至のお祭りのほうは12月25日に固定されて祝われていました。それで、冬至の祭を起源とするクリスマスと冬至の日とが3日ずれているのです。
「クリスマスとお正月」
2021年12月11日より引用
これを読むと、暦を直した際、クリスマスの日付を変更しなかったため、多くの人々が冬至の日に祈りを捧げるのではなく、敢えて別の日に祈りを捧げるように仕向けられてしまったともとれます。
考えすぎ???でもとにかく、冬至を軽視されるように、意図された何かがあっても、おかしくないとも思うのです。そして実際、元旦やクリスマスと比して、冬至は軽視されています。
試しに今回、私は「冬至=元旦」として、過ごしてみることにしました。すると今年は、とても余裕のある年末年始(私にとっては年始)を過ごさせてもらっています。
いつもだと、なんとなく年末の忙しい時期に、ワチャワチャとクリスマスがやってきて、バタバタしている間に大晦日で、年が明けてお正月になって、少しホッとしてたら、すぐ仕事が始まって、結局、ずっとバタバタしてたという過ごし方でした。
しかし今年は、とても落ち着いて、余裕をもって過ごさせてもらっています。
冬至の日は、家の中で元旦でした。前日の12月21日を、いつもより少しゆったり過ごして、冬至点の瞬間は、今年一年の抱負を胸にしなが、妻と二人で穏やかに「あけましておめでとう」を済ませました。
新年のお祝いを済ませてからのクリスマスは、そんなに忙しくはありません。せっかくのお祝いムードなので、ちょっと楽しく音楽などをかけながら食事を楽しみました。今日あたりからお餅などを食べ始めて、これから始まる世の中的な「お正月」を、のんびり長期休暇として過ごそうと思っています。
うん、冬至を元旦にして過ごすのって、結構よいですよ?
外側の環境に振り回されるのではなく、常に答えを内に探して、自分軸で生きるというのは、こういうことにも通じるように思います。
今年は間に合わなかったという方も、来年以降、是非是非、参考にしてみてください。
