注文の流儀 | ショートショート
赤提灯の下で、暖簾が小さく揺れていた。
店の奥ではサラリーマンの集団が笑っている。グラスのぶつかる音。油の匂い。焼き台の前を店員が忙しなく行き来し、そのたびに煙が流れてくる。
探偵はジョッキを持ったまま、黙ってメニューを見ていた。
カウンターの端。
壁には短冊。
黄ばんだ紙に黒い文字。
隣の客が注文した揚げ物が届く。
衣の弾ける音。
レモンを絞る匂い。
探偵は視線を落とした。
さっき食べた一皿の感触が、まだ口に残っている。
最初に歯が当たった瞬間の、あの張った皮。
プリッ、と軽く跳ね返る。
その直後に熱が来る。
塩加減が絶妙だった。
強すぎない。
だが弱くもない。
酒を呼ぶ塩だ。
そして噛むたびに、肉汁がゆっくり広がる。
脂ではない。
もっと柔らかい甘み。
ちゃんと肉の味がする甘さ。
探偵はジョッキを置いた。
メニューを見る。
まだ頼んでいないものが並んでいる。
串焼き。
煮込み。
炙り。
この店のことだ。どれもきっと美味い。
だが――。
探偵は目を閉じた。
居酒屋には二種類の人間がいる。
美味かったものを繰り返す人間。
それと、新しい一皿を探し続ける人間。
厨房から笑い声が聞こえる。
ガラス戸が開き、夜風が一瞬だけ煙を散らした。
隣の客が追加で頼んでいる。
探偵は、わずかに眉を動かした。
愚かな選択かもしれない。
二度目は一度目を超えないことがある。
最初の衝撃。
空腹の影響。
酒の入り具合。
あの一皿は、もう戻らないかもしれない。
しかし逆に、別の料理を頼み、
「あれをもう一回頼めば良かった」
という後悔だけが残る夜もある。
探偵はゆっくり息を吐いた。
壁のメニューを見る。
それから、空いた皿を見る。
店員が横を通る。
探偵は一度だけ咳払いした。
「注文、いいかな」
「はい、どーぞ」
探偵は一瞬だけメニューを見直し、
小さめの声で言った。
「……"タコさんウインナ踊り食い"を一つ」
🐙
メニュー名のインパクトだけて、一本書けました。
楽しんでいただけたなら、もう一ついかが?
