AIを恐れる西洋、受け入れる日本:ターミネーターと攻殻機動隊、そして宗教が示す決定的な違い【インスパイアされたひとりごと】
#0. 相互フォロワーの方の某記事に感銘を受け、少し考えてみた
1ヶ月以上前に読んだ、Romancecar様の記事。
「ロボットが仕事を奪うという世界の議論と、日本で起きていることのズレ」
「なぜ日本は西洋ほどAIを恐れないのか」
そんなテーマを扱った内容で、特に印象的かつ分かりやすかったのが、
●ターミネーターのスカイネット=脅威
●鉄腕アトム=友達
という対比。
なるほど、確かに本質を突いている。
AIが「人類を支配する敵」として描かれやすい西洋。「便利な仲間」「共存相手」として描かれやすい日本。同じ「人間に近い像の技術」を見ても、ここまでイメージが違うのかと。
元記事にもコメントを残させていただいたが、かなり面白かったので、自分なりに考えを広げてみたいと思った、そんなひとりごと。
【※元記事はこちら】
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#1. 西洋は「技術への警鐘」を描き続けてきた
考えてみると、西洋SFの王道は一貫している。
チャールズ・チャップリンの『モダン・タイムス』では、人間が機械の歯車になる。
『フランケンシュタイン』では、人間が生み出した人外存在が制御不能になる。
『ターミネーター』シリーズでは、AIが人類を文字通り滅ぼそうとする。
つまり西洋のフィクションにおける技術観には、「人間が作ったものに、人間が支配される恐怖」が流れている。
これは単なるエンタメ的演出ではなく、近代以降の西洋における「根源的な恐怖」なのだと思う。
かつて産業革命が起こった西洋社会は、
●労働が機械へ置き換わる
●事実上、人間が工場の部品となる
●機械と労働時間に振り回され、文化的な生活がままならなくなる
(※イギリスに「メシがマズい国」というイメージが付いてしまった根本原因でもある)
●技術が社会を暴走させる
という経験を、歴史的な現実として味わってきた。だからAIやロボットに対しても「便利」より先に「脅威」が来る。あえて例を言えば、ラッダイト運動などにその片鱗を見てとれるだろう。
「人間の手に余る」機械への潜在・顕在両面の恐怖は、かの社会で深く根付いた感覚なのだ。もちろん地域差や個人差はあるとはいえ。
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#2. 日本は「技術を哲学化」してきた
一方で日本作品を見ると、空気がかなり異なる。
『鉄腕アトム』や『ドラえもん』はもちろん、『攻殻機動隊』ですらそうだ。最近話題のゲームだと『PRAGMATA』なんて好例中の好例。
面白いのが、『攻殻機動隊』は決して楽観的な作品ではないのに、それでもAIや機械そのものを「悪」としては描いていない点。
むしろあの作品の問いは、「機械化しても人間性は喪われないのか」 「境界が曖昧になった時、自我はどこへ行くのか」といった方面へ向かう。
日本作品は手に余る技術を「敵」にするより「哲学」にしてしまう。西洋が警鐘を鳴らすなら、日本は思索を始める。実に興味深い違いだ。
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#3. たぶん日本は「主体」が曖昧でも耐えられる
なぜこんな違いが出るのか。
もちろん単純化は危険だが、やはり宗教に基づく世界観の差は大きい気がする。
西洋、特に一神教圏には
神 > 人間 > その他
という比較的明確なヒエラルキーがある。その価値観において、人間は神の代行者として「世界を支配する主体」であり続けるべき存在。
だからAIや機械によって主体性が揺らぐことは、単なる不便ではなく、存在論的恐怖となる。
事実、産業革命でその主体性はガタガタに揺らいだし、現代においてもつい先日、ローマ法王がAIについて懸念を表明したばかりだ(まああれは「AIの戦争利用」という文脈も大きいが)。
一方、日本はかなり境界が曖昧。
八百万の神。付喪神。万物に霊が宿る世界。日本は昔から「人間ではないものにも人格が宿る」前提で文化が回っている。
だからロボットも「異物」ではなく「キャラ」へ回収されやすい。アトムもドラえもんもタチコマもディアナも、完全にその系譜である。
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#4. 日本は「異物をキャラ化する」:拙作『かわいい論』シリーズとの接続
先述した傾向は、マガジンにもまとめている拙作『かわいい論』シリーズの内容とも接続する。
西洋では異物は脅威になりやすい。だから排除する、制御する、あるいは戦う。だが日本は異物をキャラ化する。妖怪ですらマスコット化する国。
ゆるキャラ、VTuber、擬人化。日本は「怖いもの」を無毒化し、「関係持続可能な存在」へ変換するのが異常に上手い。
そんな文化においては、AIですら「恐怖対象」ではなく「関係を築く相手」として見られやすい。
「AIと恋愛関係を育む」というナラティブも、西洋に比べればまだ日本では受け入れられやすいだろう。決して一般的ではないにせよ。
したがって、これは技術観というよりも、文化的な「癖」と呼んだほうがいいだろう。
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#5. 西洋は「人の主体を守る」物語を作る
ここで、少し乱暴にまとめてみる。
西洋は「人の主体を守るため」に物語を作る。
だから技術は、時に敵になる。
それこそ『ターミネーター』は露骨に「人類が主体でなくなる恐怖」の物語だ。
一方、日本は「関係を維持するため」に物語を作る。だから技術は、共存前提で語られやすい。
『攻殻機動隊』は「人間か機械か」を断定するより、境界の曖昧さそのものを受け入れている。
うん、決定的な違いに見える。
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#6. AIを恐れるか、哲学にするか
もちろん、現実におけるAI問題がもっと複雑なことは重々承知している。
人間が仕事を奪われる可能性は常に孕むし、(主に使い手側による)倫理問題も山ほどある。技術がさらに進んだ先、人間の欲望が今後どう転ぶかなど、誰にも正確な予測はできない。
ただ、それでも。同じAIを見ても、「人類を脅かすもの」として見る文化と、「共存しながら考える対象」として見る文化がある。
その違いは未来予測の差ではなく、「前提としている世界観」の違いなのだと思う。
技術を恐れるか。技術を「哲学」にするか。案外、その分岐点はかなり昔から、各々の「文化脳」の中に埋め込まれていたのかもしれない。
そして、私はやっぱり「哲学」にしていきたい、とも考えるのだ。
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