“Tokyo”は手に入らなかった:到達したはずの東京が、いまだにパラレルワールドである理由【ひとりごと】
上京して、もうずいぶん経つ。故郷にいた年月より長くなった。知人友人ももはや地元より多い。
高円寺に住み、休日は古本屋や気の利いたショップを覗き、気になった飲み屋にふらっと入る。
ライブハウスも古着屋も徒歩圏内にあるし、望めば大抵の文化的なものには手が届く。
電車に乗れば、たとえ降りたことはなくても知っている地名ばかり。
特定の業界の有名人に偶然会うことだってある。
客観的に見れば、私は充分に「東京の人」なのだと思う。どうも、都民です。
それでも、妙な感覚(錯覚)が私を捕らえ続けて離さない。あれ、私が学生の頃からずっと憧れていた東京って、これだったっけ?
あの頃夢見ていた東京は、“Tokyo”という名のパラレルワールド。そんな錯覚。
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■ 私が憧れていたのは「場所」じゃなくて「物語」だった
地方にいた頃、東京はテレビの中にあった。
深夜アニメは呆れるほどいっぱい放送されていて、夕方には『エヴァンゲリオン』や『機動戦艦ナデシコ』が当たり前にやっている。
池袋にはGボーイズがいて、キングがカリスマとして君臨していて、西口の果物屋で知る人ぞ知るトラブルシューターが仕事している。
新宿では凄腕のスイーパーが「もっこり」しながら美女に飛びつき、伝説の龍が毎夜大立ち回り。
そこには現実の街並よりも「物語」があった。
アニメはともかくとして、池袋や新宿のくだりに関しては、そんな東京が現実に存在するはずはない。分かってはいる。それでも地方にいる私にとって、東京とは「そういうもの」だった。
地図の上にある都市ではなく、深夜ラジオや漫画やアニメや小説や映画やゲームや音楽が積み重なってできた、巨大なフィクションだった。
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■ 到達したのに、到達していない
つまり、私が住んでいるのは東京であって、私が求めていた “Tokyo” ではない。
実際に上京してみると、東京は案外ふつうの街だった。いや、巨大なのは間違いないが。
通勤電車は混むし、仕事はあるし、スーパーで特売品を探すし、傷つくし、地元と同じ声で笑う。
それなりに楽しく生活はしている。
文化的な生活、と言ってもいい。
たまに親父が故郷から上京してきて一緒に飲むのだが、そのたびにこう言われる。
「ちょっと歩けば、田舎にはない色々なものに巡り会える。羨ましい環境だな」
その通りなのだ。
もし今も故郷に住んでいたら、私だって同じことを思っただろう。
けれど、それでも。故郷で夢見ていた “Tokyo” は、まだどこか別の場所にある気がする。
私は東京に住んでいる。
だが、“Tokyo” にはまだ到達していない。
どこにあるんだ、Tokyo。
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■ 「未参加」のまま観測している
過去の記事でも書いたが、私は学生時代、ずっと「文化的社会への未参加」感を抱え生きてきた。
それに「サブカル飢餓感」と名を付けた。
地方でサブカルを追いかけていてもそうだった。
アメリカ中西部に留学していた頃も、半歩外側から期間限定の共同体を眺めていた。
その影響があるのか、東京に来た今になっても、私は東京の内部に住みながら、どこかで東京を「観測」している。
生活者でありながら、同時に見物人でもある。
参加しているのに、未参加。
高円寺生まれ高円寺育ちの人なんかと知り合うと、特にその感覚は強まる。そしてその違和感が、妙に居心地がよかったりする。
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■ 相対性理論は、ずっとその感覚を歌っていたように思う
最近、バンドの相対性理論を聴き返していて思う。やくしまるえつこがボーカルのやつ。
あのバンドは現実を歌っているようでいて、実は「観測された都市」を歌っているのではないか。
東京都心はパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルワールド
そこにあるのは生活ではなく、まさに記号としての “Tokyo”。恋愛ですら、どこか他人事のようにガラス越しに眺めているような。
距離がある。
でもその距離があるからこそ美しい。
そう考えると、私が相対性理論に惹かれる理由が少し分かる。私の中の東京もまた、生活の場である前に、ずっと「観測対象」だったからだ。
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■ “Tokyo”は手に入らなかった
あの頃の私が憧れていた “Tokyo” は、最初から存在しなかった。たぶん。いや、ほぼ確実に。
アニメ、漫画、音楽、ラジオ、雑誌、映画、ドラマ。脳内で勝手に合成して作り上げた平行世界。だから現実の東京と一致しないのは当然なのだ。
それでも私は、その幻想を嫌いになれない。
これは、地方出身者の都民には共通の感覚なのだろうか……今、とても気になっている。
現実の東京で暮らし、働き、遊び、飲み、食い、笑い、泣き、恋もしながら、私は未だにどこかで「未参加のTokyo」を追いかけている。
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