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桜の下で、なぜ私たちは未来を予約してしまうのか

近所のスーパーの入り口に、小さな桜の盆栽が置かれていました。

まだ蕾が固くて、ピンク色というよりは茶色い塊に見えるけれど、それを見る人たちの顔が心なしか緩んでいる。

私もその一人で、カゴの重さを一瞬忘れて、じっと眺めてしまいました。

なぜ私たちは、桜を見ると少しだけ「未来がうまくいく気」になってしまうのでしょうか。

あの薄ピンクの花の周りには、いつも不思議な熱気があります。

単に綺麗だから、というだけでは説明がつかないくらいの熱量が、色とりどりのシートを広げた人々の群れには宿っている気がしてなりません。

実は、そのルーツを辿ってみると、少し意外な姿が見えてきました。

昔の人にとって、お花見は単なる「行楽」ではなく、もっと切実な「シミュレーション」だったみたいなんです。


桜は「神様の待合室」だった

そもそも「サクラ」という言葉。
実は「サ」と「クラ」に分けられるそうです。

「サ」は、春になると山から降りてくる田んぼの神様(稲の精霊)のこと。

「クラ」は、神様が座る場所、つまり「神座(かみくら)」を意味します。

つまり桜の木は、田植えを控えた神様が「さて、今年もやるか」と腰を下ろす、いわば 神様専用の待合室 のような場所だったわけですね。

昔の農家の方々は、桜が咲くのを見て「あ、神様が降りてきた。そろそろ準備をしなきゃ」と、カレンダー代わりにしていたそうです。

そう思うと、あの薄ピンクの花びらが、ただの植物というよりは「神様がそこにいるよ」というサインのようにも見えてきます。


満開を「稲穂」に見立てる、全力のフライング

さらに面白いのが、花見の「宴会」の意味です。

これを、専門的な言葉では 「予祝(よしゅく)」 と呼ぶそうです。

予祝とは、平たく言えば「願いが叶う前に、先に祝っちゃう」こと。

秋に稲がたっぷり実るのを、春の段階で「わーい、今年も豊作だ!」と思い込んで、先にお祝いのパーティーを開いてしまう。

そうすることで、現実の方を「お祝いのムード」に力技で引き寄せようとしたわけですね。

満開の桜の花びらの一枚一枚を、秋に実るお米(稲穂)に見立てて、
「見てください、あんなに実ってますよ!」
と、まだ見ぬ収穫を仲間と喜び合う。

これって例えるなら、 「金曜の定時前、まだ仕事は山積みだけど『今週も乗り切った!』と自分に言い聞かせて、帰り道のコンビニでいつもより高いアイスを買うのを決めてしまう」 ようなものです。

傍から見るとかなりのフライングですが、そうやって「喜びのエネルギー」を先に爆発させておくことが、最高の結果を生むと信じられていた……。

なんだか、ものすごくポジティブで、強引な生命力を感じませんか?


花より団子、の裏にある「粋な欠席」

また、お花見といえば「三色団子」ですよね。

ピンク、白、緑のあの並び、実はそれぞれ「桜(春)」「雪(冬)」「新緑(夏)」を表現しているそうです。

......お気づきでしょうか?

そう、なぜか「秋」だけが仲間外れにされています。

なんでも、「秋がない」を「(食べ)飽きない」とかけて、これでもかと縁起を担いでいたのだとか。

どこまでも前向きというか、もはや執念すら感じるダジャレ精神です。

そんな「縁起」をこれでもかと詰め込んだお団子を頬張りながら、神様の座る木の下で宴会を開く。

お花見って実は、当時の人たちが総力を挙げて取り組んでいた「最強のパワースポット作り」 だったのかもしれません。


消えない「予約」の続き

現代の私たちが、仕事帰りにコンビニでビールと唐揚げを買って、夜桜の下で「最高だね」と笑い合っているあの時間。

形はすっかり変わってしまったけれど、あれもきっと、深いところでは「予祝」の続きなんじゃないかな、と思うことがあります。

明日のプレゼンが上手くいくように。

来月こそは、もう少し心穏やかに過ごせるように。

言葉には出さないけれど、私たちは桜を見上げながら、自分でも気づかないうちに「楽しい未来の予約」 を入れているのかもしれません。


そんなことを考えながら歩いていたら、スーパーで買ったはずのレジ袋が腕に食い込んで、少し痛くなってきました。

神様の待合室の話も素敵だけれど、今の私にとっての現実は、この後すぐに夕飯を作らなきゃいけないという、ごく普通で、思うようにいかない日常だったりします。

明日もまた、満員電車に揺られる日々。

それでも、帰り道にふと桜を見上げるとき。

「あ、今はパーティの予行演習中だったな」

……なんて足取りを軽くしたつもりが、思い切り段差でつまづきました。

神様を待つとか言う前に、まずは自分の足元が見えているか。そこから予行演習が必要なようです。

あなたは今年、どんな未来を予約しますか?


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

桜が咲くのを見て「春の訪れ」を信じるように。春分の日に立つ卵を巡る、古い習慣と精妙な物理のふしぎ。

桜が「神様の待合室」として機能したように。大自然の神様を呼び寄せるため、緑の「アンテナ」を掲げた古の人々の知恵。

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