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玄関で魔法が解ける理由。セールで買った「理想の自分」が、ただの布に変わる不思議

レジで手渡された紙袋の、ずっしりとした重み。

中に入っているのは、さっきまで店内の棚で「50%OFF」という赤いお札を背負っていた、春先には少し厚手なニットです。

指先が覚えている、あのふんわりと柔らかい、けれどどこか罪悪感を伴う温もり。

なぜ私たちは、この『お得』という名の重力に抗えず、予定になかった荷物を右手にぶら下げて帰路についてしまうんでしょうか。


年度末のバタバタで少し疲れていたせいか、昨日の仕事帰りは、私の脳の「防御力」が著しく下がっていたようです。

春物の爽やかなブラウスを探していたはずなのに、私の目に飛び込んできたのは、棚の隅でひっそり、しかし力強く主張する「50%OFF」の文字でした。

そこにあったのは、今から着るには少し厚手すぎる、けれどやけに手触りのいいニット。

定価のタグには、私が普段なら少し躊躇してしまうような、強気な数字が並んでいました。

「いや、もうすぐ4月だし」
「似たような色、クローゼットに眠ってるよね?」

脳内の冷静な自分が小声でブレーキを踏むのですが、指先がふんわりとした生地に触れた瞬間、別の自分が「でも半額だよ?」「今このチャンスを逃すと、1万5千円の利益をドブに捨てることになるんだよ?」と、凄腕のセールスマンばりの熱量でプレゼンを始めてしまいました。


モノではなく、「取引に勝った」という全能感

面白いことに、こういう時、私たちは「そのニットが本当に必要か」なんてことは、もはや二の次になっています。

視界を占領しているのは、ニットの快適な着心地やデザインではなく、定価とセール価格のあいだに横たわる 圧倒的な落差 だけ。

ノーベル賞経済学者のリチャード・セイラーなんて大層な名前の人が言うには、この心理を 「取引効用(Transaction Utility)」 と呼ぶそうです。

簡単に言うと、モノそのものの価値(獲得効用)とは別に、「本来の価格より安く買えた!」という取引そのものの勝利感から得られる、強い快感のこと。

定価という言葉には、「元々はそれだけの価値があったんですよ」という、ある種の証明のような響きがあります。

私たちは、その証明を半額で「論破」したような全能感を買っているのかもしれません。

自分の「買い物上手さ」を称えるための、一時のトロフィーのようなものでしょうか。


私たちの家計簿を狂わせる「相対性」の罠

ある有名な実験があります。

3,500円のラジオを1,000円安くするために20分歩く人は多いのに、65,000円のテレビを1,000円安くするために20分歩く人は、ほとんどいないのだとか。

同じ「1,000円の節約」という事実は変わらないのに、元の値段が大きいと、なぜかそのお得感が薄まって、面倒くささが勝ってしまう・・・・・私たちの脳の家計簿は、実はかなり適当にできているようです。

あの時、私がニットを握りしめてレジに向かったのは、冷え込む夜に備えるためではありませんでした。

ただ 「定価という揺るぎない基準」 を自分なりに攻略して、勝利の旗を掲げたかっただけなのでしょう。

いわば、かつてマンモスを追っていた狩猟時代の本能が、現代では「50%OFF」という赤いシールを仕留めることにすり替わっている。

レジでカードを切る瞬間は、獲物を仕留めたハンターの気分だったのかもしれません。


「未来の自分」なら使いこなせるという言い訳

そしてもう一つ、セール会場には甘い「罠」が仕掛けられています。

それは、私たちが「今の自分」ではなく 「理想の未来の自分」 のために買い物をしてしまうことです。

「今はちょっと派手だけど、冬休みの旅行中なら着るはず」
「今は自炊が苦手だけど、この半額の高級フライパンがあれば料理好きになるはず」

脳は、その商品を手に入れた後の自分を、驚くほど鮮やかに、そして都合よくシミュレーションしてしまいます。

心理学の世界では、これを 「未来の自分への過信」 と呼んだりしますが、乱暴に言ってしまえば、私たちはモノを買っている感覚で、「なりたい自分への入場券」 を買っているようなもの。

その瞬間だけは、50%OFFのタグが「今のままのあなたでいいんですよ」と、なりたかった自分へのショートカットを許してくれているように思えてしまうのです。


魔法は玄関で解ける

しかし、家に帰って紙袋からニットを取り出した瞬間のあの冷めた感覚、みなさんも身に覚えがありませんか?

鏡の前で合わせてみても、やっぱりどこか「これからの季節には重いかな」という現実が漂っていて、そっとクローゼットの奥に、まるで見なかったかのように仕舞い込むあの動作。

あんなに店頭では宝物のように見えていたのに、家の玄関をまたいだ瞬間に「魔法」が解けて、ただの「未着用の布」に早変わりしてしまう。

自分がどれだけ脳に躍らされているのか、こうして言葉にしてみると、少しだけ自分が滑稽に思えてきます。


「お得」を追いかけた結果、一番無駄な出費をしてしまうという皮肉な現実。

あのニットがクローゼットから日の目を見るのは、おそらく半年以上先のこと。

カレンダーが何周かして、また寒さを感じ始める頃に、「あ、こんなのあったっけ」と新鮮な驚きをもって再会するのでしょう。

でも、あの瞬間の「やったぜ!」というドーパミンのおかげで、昨日の仕事の疲れがほんの一瞬だけ吹き飛んだのも、また否定できない事実です。

明日の朝、また「着る服が本当に1枚もない」とクローゼットの前で絶望する自分が目に見えますが。とりあえず、今は暖かいお茶でも淹れて、賢者モードでこのままフテ寝してしまおうと思います。

明日の私、ごめんね。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

衝動買いの熱が冷めたら、歴史の不思議へ。大仏の優しい微笑みの裏側にあった、凄惨な「猛毒の霧」の記憶。

魅力的な赤いシールに踊らされたあとは。偽物の甘い香りに誘われて、ただ都合よく利用されてしまう虫たちの不条理。

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