見出し画像

静かな扇風機から、宇宙人が消えた

5月も終わりに近づき、日中の光に少しずつ初夏の匂いが混じるようになってきました。

押入れの奥から、1年ぶりに扇風機を引っ張り出してくる季節です。

埃を軽く拭き取り、コンセントを差し込んでスイッチを押す。

ブォーという少し頼りない音とともに首を振り始めるその機械の前に、私はしゃがみ込みます。

そして、誰も見ていないのを確認して、ふと喉を震わせて声を出してみる。

「ワレワレハ、ウチュウジンダ」

大人になった今でも、このプラスチックの羽根を前にすると、妙な引力に抗えなくなってしまいます。

ですが、隣の部屋から「ママ何やってるの」という上の子の冷ややかな声が聞こえてきて、我に返ります。

慌てて立ち上がり、麦茶のグラスをテーブルに置く。

あのカタカタと震える不思議な声は、私たちの日常に確かに存在した、夏の始まりの合図でした。


消えゆく宇宙人ボイス

ところが、最近の家電量販店で売られている最新の扇風機の前で同じことをやっても、あのお馴染みの宇宙人の声にはなりにくいようです。

我が家にある、自然な風を売りにした「優しい風」の静音設計の扇風機に向かって同じように囁いてみても、ただ普通に自分の声が通り抜けていくだけです。

少し声を張ってみても、かすかに声が揺れる程度で、あの機械的に加工されたようなカタカタという響きには届きません。

宇宙人は、静かに私たちのリビングから姿を消しつつあるようです。

私たちが子供の頃に聞いていたあの声は、決して風の悪戯でも、自分の喉の震わせ方の問題でもありませんでした。

それは、かつての扇風機という不格好で、どこか憎めない機械が起こしていた、奇跡的な物理現象だったのです。


音を切り刻む羽根の仕業

この現象は、よく風が音を揺らしていると誤解されたり、ドップラー効果によるものだと説明されたりします。

しかし、音響物理学の視点で見ると、その正体はもっとシンプルで物理的なものでした。

それは、音波の物理的な遮断と通過の繰り返し、つまり振幅変調、あるいはチョッピング効果と呼ばれる現象です。

扇風機の羽根は、回ることで空気の通り道を塞いだり開けたりしています。

私たちが羽根に向かって声を出すと、声の波が羽根に当たって跳ね返る瞬間と、羽根の隙間をすり抜けて向こう側へ行く瞬間が、1秒間に何度も高速で繰り返されます。

この音量の強弱の急激な繰り返しを、人間の耳は音量変化ではなく、音そのものがカタカタと震えている機械的な音色として受け取ります。

この音の揺れの周期は、音響工学ではブレード通過周波数(Blade Passing Frequency)として扱われます。

例えば3枚羽根の扇風機が高速で回ると、声は1秒間に50回近くも切り刻まれる計算になります。この50ヘルツほどの絶妙な音の揺れが、人間の耳にカタカタとした機械声を効果的に知覚させていたのです。

つまり、かつての扇風機は、昭和の子供部屋に配られた「天然のアナログ・ボイスチェンジャー」だったのです。


優しい風と、失われたノイズ

では、なぜ今の扇風機では宇宙人の声が出なくなってしまったのでしょうか。

その答えは、テクノロジーが優しい風を追求した結果にありました。

昔の扇風機は、3枚か4枚の大きくて硬いプラスチックの羽根を、ACモーターで一定の速度で力強く回していました。

そのため、音波をシャープに切り刻むことができ、変調のメリハリがはっきりと出ていました。

しかし、現代の扇風機は違います。

より静かで、より自然のそよ風に近い滑らかな風を届けるために、羽根の枚数が7枚や9枚と細かく分割され、回転も微細にコントロールされています。

空気を細切れにするのではなく、押し出すように優しく送る。

その技術の進化によって、音を急激に切り刻む境界線は薄れ、宇宙人の声は出にくくなってしまったのです。

不快なノイズを消し去り、快適さを極めた結果、私たちはあの少し騒がしい宇宙人との対話の権利を失ってしまいました。


快適であることは、確かに素晴らしいことです。

エアコンと最新の扇風機の組み合わせは静かで心地よく、熱帯夜でも朝まで途切れることなく眠りを守ってくれます。

ですが、時々、あのうるさいモーターの音と、ぬるくて強い風のなかで、喉を震わせて遊んでいた夏休みが無性に恋しくなることがあります。風を浴びすぎて目が猛烈に乾燥し、部屋の隅の埃が舞い上がってくしゃみを連発した、あの少し不潔で騒がしかった日々です。

あの回る羽根に向かって叫んでいた私の声は、細切れにされた音波の切れ端となって、あの頃の夏の空気に溶けていったのでしょうか。

今ではエアコンの静かな運転音だけが満たすリビングで、コップに注いだ炭酸水を眺めます。

氷の隙間で小さな気泡がパチパチと音を立てては消えていく、そのかすかなノイズを耳で追いながら、私はふと考えてしまうのです。

不快なノイズを丁寧に間引いて手に入れたこの快適な暮らしのなかで、私たちは何か大切な、少し不格好な温もりまで静かに消し去ってしまったのではないか、と。

実家の物置の奥で眠っている、あのうるさくて青い扇風機。

今度帰省したときに、もう一度だけコンセントを差し込んでみようと思います。

あの少し融通の利かない、懐かしい宇宙人に、もう一度会うために。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

耳が扇風機の揺れを機械声と錯覚するように、ポケットのスマホが「震えた気がする」のも、脳の真面目すぎる仕様です。

風が音を切り刻むように、掃除機の排気が部屋の綿埃を舞い上げてしまうのもまた、暮らしの中に潜む皮肉な物理法則です。

いいなと思ったら応援しよう!

いたち|ふしぎを眺める時間 記事を読んで、何か少しでも心に残るものがあったなら嬉しいです。いただいた応援は、次の「ふしぎ」を探しに行く力になります。

この記事が参加している募集