明日から本気出す。資産形成の日を「趣味の箱」で埋めてしまった、不思議な朝の風景
玄関に置かれた、少し大きめの段ボール箱。
中身には心当たりしかありません。
先月、深夜の勢いで予約した、チタン製の軽量焚き火台。
将来の安心と、今日の楽しさ。
どちらも大事だと分かっているのに、なぜ私たちはいつもどちらかを裏切ってしまうのでしょうか。
本当は、今日はそんなものを愛でている場合ではないはずなんですが。
カレンダーをめくれば、4月3日。
語呂合わせで「しさん(43)」、つまり 資産形成を考える日と名付けられています。
新年度が始まって、今年こそは家計を整えよう。
そう決意したばかりの朝に、預金残高を「趣味の塊」に変えてしまう。
この、狙ったようなタイミングの悪さといったら。
それとは別に、この4月3日には、他にも名前があります。
それが「しゅみ(43)」、すなわち趣味の日。
同じ数字から生まれた二つの記念日が、カレンダーの上でお互いの足を引っ張り合うように並んでいるんです。
将来のために貯めるべきだ、という「資産」の論理。
今この瞬間の好奇心を満たしたい、という「趣味」の情動。
この矛盾が鉢合わせる朝に、私はチタンの輝きを前にして、なんともいえない不思議な心地になります。
1ミリも動かない「木馬」が、魂を遠くへ運んでしまう謎
そもそも、私たちが「趣味」と呼んでいるこの不思議な活動。
その語源を遡ると、少し面白いことに気づきます。
英語の「Hobby」の由来は、 ホビー・ホース(Hobby-horse) 、つまり子供がまたがって遊ぶ「木馬」だと言われています。
三日月型の板がついた、ゆらゆらと揺れるあの木馬です。
考えてみれば、あれほど効率の悪い乗り物はありません。
いくら必死にまたがって跳ねても、物理的な移動距離はゼロ。
でも、その木馬にまたがっている子供の頭の中では、間違いなく風が吹き、草原を駆け抜けています。
大人になった私たちが揃える道具も、本質的にはあの「木馬」と同じなのかもしれません。
物理的には1ミリも動いていないけれど、魂だけはどこか遠くへ運ばれている。
つまり、私たちが趣味に惹かれる理由はたった一つ。
「現実を書き換える力」を、手放したくないからなのかもしれません。
19世紀のイギリスを震撼させた、奇妙な「シダ」の熱狂
歴史を見渡すと、この「趣味の熱狂」が社会を飲み込んだ時期もあったようです。
19世紀のイギリスで起きた、 シダ狂い(Pteridomania) と呼ばれるブーム。
老若男女がこぞって森へ入り、珍しいシダを採集することに心血を注いだ時代です。
当時は「シダ専用のガラスケース」まで開発され、家の中に小さな森を作るのがステータスでした。
現代の私たちからすれば、「なぜシダにそこまで?」と首を傾げたくなります。
でも、当時の人々にとって、それは単なる植物のコレクションではありませんでした。
産業革命で急速に機械化・都市化していく世界の中で、自分だけの領土に「手つかずの自然」を取り戻そうとする、必死な抵抗だったのかもしれません。
日常の中に、自分だけの「野生」や「空白」を確保するための、ささやかな投資。
そう考えれば、趣味に散財してしまう自分を、少しだけ大目に見られるような気がしてくるから不思議です。
私たちが「ガラクタ」を欲しがる理由。人生を動かす二つのエネルギー
私たちは、なぜこうも合理的に動けないんでしょう。
銀行の通帳に刻まれる数字が「安心」という名の資産であることは、痛いほど分かっています。
でも、もっと物理的な現象として捉えてみてはどうでしょうか?
かつて理科の授業で習った、位置エネルギーと運動エネルギーの関係のように。
資産形成というのは、いわば「位置エネルギー」。
高い場所に水を貯めておくように、未来の「何か」に備えてポテンシャルを蓄えていく作業。
それ自体はとても静かで、安定していて、価値があります。
でも、水はずっと高いところに留まっているだけでは、何も起こしません。
どこかで蛇口をひねり、低い方へと流れ落ちることで初めて、タービンを回し、光を灯し、何かを動かす「運動エネルギー」に変わる。
趣味というのは、まさにその「運動」そのものだと思うんです。
お金という位置エネルギーを、今日を全力で面白がるためのエネルギーへと変換する。
キャンプ道具を車に積み、山へ向かう。
カメラのシャッターを切り、二度とない光を定着させる。
そうやってエネルギーが形を変える瞬間、私たちは確かな手応えを物理的な質感として受け取ります。
位置エネルギー(貯金)ばかりを積み上げても、人生という車は1ミリも前に進みません。
逆に運動(浪費)ばかりを優先すれば、すぐにガス欠を起こして立ち往生してしまう。
そう考えると、4月3日に「資産」と「趣味」の記念日が重なっているのは、ただの偶然以上の意味があるように思えてくるのです。
それは、人生という乗り物の 「重心」をどこに置くか を、年に一度だけ確認するための、不思議なチェックポイントのようなもの。
ポテンシャルを貯める自分と、それを炎に変えて燃やす自分。
二つの間で揺れながら、私たちは今日という日を渡っていくのかもしれません。
理想への投資と、目の前のシンクを片づける現実
届いたばかりの焚き火台を、ひとまずキッチンの床に置きました。
まだ新品の、指紋一つない薄い金属板。
これがいつか、煤にまみれて真っ白になる頃、私は今の自分よりどれくらいか「豊かな資産」を築けているんでしょうか。
もちろん、そんな高尚なことを考えていられるのも、ほんの数分だけ。
チタンの美しさに浸っていられるのも、ほんの一瞬。
ふと視線を落とせば、そこには出しっぱなしの上に角がよれた家計簿と、待ったなしの洗い物が不服そうに鎮座しています。
理想の資産を築くための第一歩は、どうやらシンクの中から始まるようです。
「明日からは、ちゃんと資産形成も頑張ります」
1ミリも進まない木馬に揺られながら、将来の安心を夢見るアンバランス。
そんな日々の積み重ねが、いつか人生という景色を彩っていくのかもしれません。
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