見出し画像

やめたいのにやめられない——スマホという抗えない引力の正体

一日の騒がしさが落ち着いて、部屋片付けが一段落したある夜のこと。

なんとなくスマホを手に取り、光る画面をなぞっていたら、一瞬だけ画面が真っ暗になる瞬間があったんです。

動画と動画の合間や、アプリが切り替わるほんの数秒のこと。

暗転したガラスの表面には、無防備な自分の顔と……そして、驚くほどベタベタと残された無数の指紋が映し出されます。

光の角度によっては、つい数分前に自分がなぞった「軌跡」が、不気味なほどはっきりと浮き上がって見えたりもして。

思わず「あっ」と声を上げそうになりながら、慌てて袖でガラスを拭うけれど、またすぐに、私の指は同じ場所をなぞり始めてしまう。

まるで、自分の中に住み着いた「見えない何者か」が、勝手に指を動かして獲物を探しているかのような、不思議で、少しだけ心細い感覚。

そんな夜、ありませんか。


自分の意志を離れて、親指が踊りだす。

画面の上で、親指がリズミカルに上下する。

特に何かを探しているわけでもなく、ただコンテンツが下から上へと流れていくのを、ぼんやりと眺めている時間。

「あと1本だけ動画を見たら」
「あと1画面分、スクロールしたら」

そう自分に言い聞かせているはずなのに、指は勝手に、次の獲物を求めて動き出す。

まるで、自分とは別の生き物が親指に宿ってしまったかのような、不思議で、少しだけ心細い感覚。

そこには、私たちの「意志の弱さ」だけでは片付けられない、もっと根の深い 「システムの巧妙さ」 が隠れているようです。


奪われた「休息の駅」と、スロットマシンの罠

かつての私たちは、もう少しだけ「立ち止まる」のが上手だったような気がします。

雑誌を読めば最終ページがやってきて、初期のウェブサイトには「次へ」というボタンがありましたよね。

心理学では、これを 「停止の手がかり(Stopping Cues)」 と呼ぶのだそう。

「ここまで読んだから、一旦おしまい」と、脳が休憩を決めるための大事な目印。

これがあるから、私たちは安心して本を閉じたり、画面から目を離せたりしていたんですね。

けれど、無限スクロールという発明は、その「休息の駅」を鮮やかに消し去ってしまったみたいなんです。

さらに追い打ちをかけるのが、スロットマシンと同じ理論に基づいているという 「間欠強化」 という仕組み。

いつ、どんな心震える投稿が出てくるか分からない。

「次は当たりかもしれない」という不確実な期待が、脳内のドーパミンをしつこく、でもあざやかに刺激し続ける。

この機能を生み出したエイザ・ラスキン氏も、後に「人の注意を強く引きつけすぎる設計だった」 と、その影響の大きさについて懸念を語っています。

生みの親にそこまで言わせてしまうほど、私たちの脳は「終わりがないこと」に、驚くほど弱い生き物みたいです。


底なしのスープ皿に、私たちは何を求めているのか

この感覚を何かに例えるなら、 「底なしのスープ皿」 でしょうか。

かつてコーネル大学で行われた有名な実験があるのですが、客に内緒で「底からスープが自動で補充される皿」で食事をしてもらったところ、普通の皿で食べた人より 1.7倍(約73%増し) も多く飲んでしまったのだとか。

しかも厄介なことに、たくさん飲んだ自覚も、満腹感も、普通の皿の人と変わらなかったといいます。

私たちは「自分の胃袋」ではなく、「皿の底(終わり)」を見て満腹を判断しているんですね。

現代の私たちは、そんな底の見えない食卓に、毎晩のように座らされているのかもしれません。

最近では、スマホを物理的に閉じ込める「タイマー付きのボックス」なんてものも、ひそかな注目を集めているみたいですね。

「そこまでしないと止まれないのか.........」と自分に呆れそうになりますが、そんな外部の力を借りたくなるくらい、私たちの心は、デジタルの波にのまれやすい性質を持っているのかもしれません。

それもまた、現代を生きる私たちの、あるがままの姿なのだなと思ったりします。


せめて、汚れた画面を丁寧に拭き清めるくらいの抵抗はしたい。

そう思いながら、キュッキュとガラスを磨いて。

よし、きれいになった。

そして「底なしのスープ皿」の実験を思い出しながら、気づけばポテトチップスの袋も、終わりが近づいてきました。

画面の中の情報も、袋の中の塩気も、きっと脳が求めているのは「中身」ではなく、ただ「区切り」という安心感そのものなのでしょう。

……さて、そろそろ本当に、今日という日に「区切り」をつけなきゃ。

いや、あともう一口だけ。この「底なしのスープ」を味わっていても、いいでしょうか。

これもまた、スマホの 不思議 な引力に負けた夜に、自分へつく小さな嘘かもしれません。


▼ もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

脳が「終わり」や「不在」をうまく処理できなくなってしまう感覚、もしかしたらこの現象にも似ているかもしれません。

自分の意志で動かしているつもりが、実は「設計」に操られているのかもしれない。エレベーターのボタンに隠された、奇妙な「制御の錯覚」のお話です。

いいなと思ったら応援しよう!

いたち|ふしぎを眺める時間 記事を読んで、何か少しでも心に残るものがあったなら嬉しいです。いただいた応援は、次の「ふしぎ」を探しに行く力になります。