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新緑の香りは、なぜ気持ちいいのか。その理由は少し物騒でした

連休の合間、少しだけ空が高い昼下がりに公園を歩いていると、不意にあの「青い匂い」がやってくることがあります。

新緑の、むせるような香りとでも言うのでしょうか。

私たちはそれを嗅ぐと、誰に教わったわけでもなく「あぁ、空気がおいしい」なんて言って、胸いっぱいに吸い込みたくなってしまいます。

ですが、もし森の植物たちに言葉があったなら、彼らは私たちのそんな呑気な姿を見て、きっと驚きと困惑を隠せないでしょう。

「何をそんなに喜んでいるんだい。今、ここは思いきり戦場だよ」と。


あの香りの正体は、100年前の「物騒な名前」だった?

そもそも、私たちが「あぁ、癒やされる」と感じるあの森の香りの正体。

あまり聞きなれないフィトンチッドという言葉には、意外なほど物騒な響きが隠されています。

この言葉が名付けられたのは1930年。

ソ連の細菌学者が、植物が微生物を殺す不思議な力を発見し、 植物(Phyto)が殺す(Cide) という意味で命名しました。

そう、あのおいしそうな空気の正体は、もともとは誰かを殺すための成分だったのです。

その主要な成分である テルペン という揮発性物質。

植物にとってそれは、動けない自分の身を守るための「化学兵器」であり、外敵を遠ざけるための絶叫に近いもの。

癒やしてあげよう、なんていう甘い考えは、草木の設計図には1ミリも書き込まれていないというのです。


5月の森は、目に見えない「化学兵器」が飛び交う最前線

特に、5月のこの新緑の季節。

なぜこれほどまでに香りが強く、私たちの鼻を刺激するのでしょうか。

理由はとても切実です。

5月に吹く新しい芽、柔らかい若葉は、害虫や細菌にとってはこの上なく栄養豊富で、美味しいごちそうです。

無防備な赤ちゃんのような自分の葉を、食べ尽くされて枯らされるわけにはいかない。

そこで植物たちは、この時期に全力で テルペン を放出し、目に見えないバリアを張ります。

さらに面白いのは、自分が食べられそうになると「隣の人、気をつけて!」と別の物質を飛ばして周囲に警告すること。

私たちが「新緑の爽やかさ」として浴びているのは、植物たちが次の一年を生き残るために必死に繰り広げている、化学反応の最前線だったわけです。


植物の「叫び声」を、子守唄として聴く私たちの脳

ここで一つ、不思議な疑問が湧いてきます。

植物が「あっちへ行け!」と叫び、殺菌成分を撒き散らしている現場なのに、なぜ私たちはそれをおいしいと感じ、リラックスしてしまうんでしょうか。

そもそも、人間にとっては実際にリラックス効果があるとの説もあるようですが、なぜ脳は、植物が振りかざす「武器」をわざわざ「癒やし」として受け取る道を選んだのか。

これこそが、私たちの脳が長い時間をかけて獲得した 幸せな勘違い だと言われています。

太古の昔から自然の中で暮らしてきた人間にとって、植物が必死に戦い、元気に育っている場所は、水も食料もあり、自分たちにとっても安全な場所でした。

その結果、植物が発する自衛の匂いを嗅ぐと、脳が「よし、ここは生きるのに適した環境だ。リラックスしていいぞ」と副交感神経を優位にするように進化したのです。

植物の「自衛」を、勝手に「歓迎」と受け取ってしまう。

それは例えるなら、緊迫した交渉が行われている会議室に勝手に入り込み、「エアコンの効きが最高だね」と鼻歌を歌いながら居眠りを始めるようなもの。

私たちは、そんな無神経なまでに逞しい能天気さを、進化の過程で手に入れてきたのです。

人間の脳というのは、どこまでも自分に都合が良く、そして愛敬のある仕様を抱えているようです。


散歩から帰り、玄関のドアを開ける。

さっきまでの鮮烈な青い匂いは消え、代わりに漂ってきたのは昨日の残りのカレーを温め直した匂いと、脱ぎっぱなしにされた子供の靴から漏れる砂の気配でした。

植物たちの命がけのドラマから戻ってきた私は、現実の生活という、もっと複雑で思い通りにいかない匂いの世界に引き戻されます。

深呼吸のついでに吸い込んでしまったかもしれない、植物たちの命がけの匂い。

それが私の体の中で少しでもリラックス効果に変換されたのなら、そのお礼として明日は早起きをして、いまが育ち盛りのパキラにいつもより多めに水をあげようと思います。

...なんて言いながら、明日の朝にはそんな殊勝な決意も忘れて、ゴミ袋の口をギリギリまで詰めすぎて、結び目が指に食い込み、「あ痛っ」と独り言を漏らすような、そんな情けない朝を過ごしている気がします。

でも、それでいいのかもしれません。植物たちが生き残るために必死に「自衛のための成分」を撒くように、私もまた、この生活を回すためにゴミ袋と格闘している。

殺気立った武器の香りを「癒やし」と読み違えて、深呼吸してまた歩き出す。

私たちのそんな無神経なまでの逞しさこそが、5月の光を一番輝かせている。

そう思うと、なんだかすべてが愉快で不思議です。


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