見出し画像

メールでびっくりマークに迷うのはなぜ? 句点の「冷たさ」と心理学の不思議

メールを送信した直後、なぜか「送信済みフォルダ」を開いて、今出したばかりの自分の文章を読み返してしまう癖ないですか?

誰に頼まれたわけでもないのに、わざわざ自分の欠点を探しに行くような、あのなんとも言えない自虐的な数秒間。

さっきまで自分が書いていたものなのに、いざ送信ボックスの中で客観的に眺めてみると、なんだか他人の文章のように見えてくるのが不思議です。

そこで「あ、しまった」と気づく。

自分の打った「よろしくお願いいたします。」の最後にある、たった一つの句点(。)。

それが、パソコンの画面上でなんだか 「鉄格子の隙間」 か何かのように、すごく冷たく、拒絶するように見えてしまう瞬間があるんです。


送信ボタンの数ミリ前で、指がすくむ。

そんなメールを書き終えた最後、私の人差し指は、いつも決まって数秒間だけ、宙に浮きます。

「何卒よろしくお願い申し上げます。」

・・・この、「。」のまま送信していいものか。

なんだか、すごく突き放しているように見えないだろうか。

あるいは、私が今、眉間にしわを寄せて怒っていると誤解されないだろうか。

最近よく耳にする 「マルハラ(マルハラスメント)」 なんて言葉が、脳内でアラートを鳴らし始めます。

かといって、「よろしくお願い申し上げます!」と、びっくりマークを添えるのも、それはそれで躊躇われるのです。

「なんだか浮かれているな」と思われないか、あるいは「この人、語彙力がないのかな」と疑われないか。

結局、付けては消し、消しては「。」に戻し……。

最後は「。」にして、「ああ、私、やっぱり冷たかったかな」と薄い罪悪感を抱えたまま送信ボタンを押す。

そんな、どうでもいいような攻防を、私たちは一日に何度も、誰に評価されるわけでもない場所で繰り返しています。


文豪が、それを「矛(ホコ)」と呼んだ日。

でも、少しだけ安心する話を見つけました。

このびっくりマークという記号、日本にやってきたときはもっと「強そうな」名前だったようです。

明治期に、西洋からやってきた「!」という見たこともない記号に、当時の作家・山田美妙は、ある和名を授けました。

それが、 「矛(ホコ)」

戦国時代の武将が持っている、あの長い武器の形に似ていたから、という至極真っ当な理由です。

「言葉の語尾に矛を添える」だなんて、まるで文面で相手を突っついているようで、ちょっと怖くもあります。

けれど、さらにそのルーツを辿ると、全く違う景色が見えてきます。

もともと感嘆符(!)は、ラテン語で「喜び」を意味する間投詞の 「io」 が有力な説の一つなのだとか。

上が「I」、下が「o」。

つまり、喜びの声をわざわざ二階建てにして積み重ねた、なんとも微笑ましい形だったんです。

ちなみに、かつてのタイプライターには、この感嘆符のキーが独立して存在しなかった時代もあったのだとか。

その頃の人たちは、まず「。」を打ち、一文字分バックスペースで戻り、その真上に「’(アポストロフィ)」を重ねるという、なんとも手間のかかる工程を経て、ようやく一文字の「!」を錬成していたそうです。

わざわざ「。の上に何かを付け足す」という物理的な苦労。

もしかしたら、今の私たちがキーボードの前で迷っている数秒間も、その「簡単には出せなかった熱量」の名残のようなものかもしれません。

相手を突く「矛」ではなく、自分の内側に溢れた「喜び」を、手間暇かけてそっと置いておく。

そう思うと、あの垂直な棒と点も、少しだけ愛嬌があるように見えてきませんか。


「温かさ」という名の、小さなお守り。

「いや、それでもビジネスで使うのは……」と、慎重派の私がまだブレーキをかけようとします。

ところが、心理学の世界には、迷える私たちへの「公式な許可証」のような研究結果がありました。

ある実験によると、メールの文末に感嘆符を添えるだけで、受信者が感じる送信者の 「温かさ」 がわずかに高く評価される傾向があるそうです。

しかも、それによって送信者の「有能さ」の評価が下がることはなかった、という頼もしいおまけ付き。

つまり、「!」を使っても、仕事ができなそうに見えるわけではなく、単に「感じの良い人」としてのポイントだけが加算される。

まるで、後付けのオプションで 「優しさのトッピング」 をするような、なんともお得な話です。


喜びを、ひとさじだけ。

もちろん、何でもかんでも「!」を連発すればいいわけでもありません。

それはそれで、自分のジョークで自分だけが大笑いしているような、ちょっと寂しい空気感が漂ってしまう気もします。

でも、あの送信ボタンを押す直前の数秒間。

「矛(ホコ)」を構えるのではなく、昔から続く「喜び」を、アイスクリームのスクープのようにひとさじだけ、言葉の隅っこに添えてみる。

そう考えると、あのミリ単位の躊躇も、相手の体温を少しだけ想像した証拠なのかもしれません。

さて、返信を待たせている「新しい担当者さん」へのメール。

一度消した「!」を、もう一度だけ、書き直してみようと思います。


かつて「矛」と呼ばれたあの記号が、実は「喜び」の積み重ねから出来ていた。

その事実を知ったからといって、私たちが明日から急に「!」を連発できるようになるわけではありません。

相手の体温を想像して、ミリ単位で指を迷わせる。

言葉という正解のない海で、私たちは今日も記号一つに一喜一憂している。

そんな不自由で、人間味あふれる不思議を、いつか皆さんの送信済みフォルダの中からも、こっそり覗かせていただけたら嬉しいです。

...なんて格好いいことを言ってみましたが、実はさっきから、明日食べる朝食のことばかり考えています。

奮発して買った、あの厚切り食パンを焼くのが今から楽しみなのです。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

相槌を打つ、という言葉のルーツ。実は「矛」と同じように、かつての職人たちが熱い鉄を叩くリズムの中に、その答えは隠されていました。

びっくりマーク一つで相手との距離を測るように、服屋さんでの「声かけ」にも、私たちのパーソナルスペースを巡る静かな心理戦が隠されています。

いいなと思ったら応援しよう!

いたち|ふしぎを眺める時間 記事を読んで、何か少しでも心に残るものがあったなら嬉しいです。いただいた応援は、次の「ふしぎ」を探しに行く力になります。