75.擬人化
画像は以下のサイトから転載。
https://study.com/academy/lesson/anthropomorphic-personification-definition-examples.html
イブン・タイミーヤ
人間は擬人化をして対象を認識する動物です。車のフロント側は人の顔に見えますし、日本人は戦艦さえ擬人化します。

昨今のいわゆる擬人化ブームに違和感を持つ人、また興味のない人は、健全といえます。完全に仕組まれたものだからです。

テロ組織ISISを擬人化した「アイシスちゃん」などは、一線を越えています。
ですが日本人はやります。道徳がないので道徳的判断ができず、「その行為が自分に跳ね返ってくるかどうか」のみが行動の判断基準だからです。
ここでいう「擬人化」は学問的な用語で、Anthropomorphismの訳語です。
ということはつまり、なにかを擬人化することには賛否があったということです。問題になったからこそ「擬人化」という用語が定着したわけです。
なにを擬人化して問題になったかといえば、もちろんアッラーです。
イブン・タイミーヤ(一二六三年~)は、有名なシリアのイスラム法学者、哲学者です。ハンバル学派の法学者の一族に生まれ、若くして地位を得ました。
ハンバル学派はスンニ派の一派で、保守的、つまりまともな学派です。
一二九九年、イブン・タイミーヤは、同じスンニ派のハナフィー学派の学者から、「おまえの神についての議論は擬人化にあたる」として訴えられました。
またイブン・タイミーヤは、イスラム神秘主義者、スーフィーに論戦を挑み、一三〇五年ごろ、スーフィーの信仰の対象となっていた聖石をたたき割りました。
イブン・タイミーヤがスーフィーの「存在一性論」を攻撃すると、スーフィーたちはイブン・タイミーヤを神人同型論者として批判しました。
この神人同型論も、Anthropomorphismの訳語です。「神を擬人化する主義の人」という感じです。
存在一性論についてはすでに詳しくお伝えしました。
神人同型とは、ギリシャの神々を見れば一目瞭然です。手足があり顔があり、喜怒哀楽を表現します。弓を抱えて裸足で森を駆けまわるなどのコケティッシュなセックスアピールもします。

実際のところは、戦艦が「女の子になりたい」と思っていないのと同様、アッラーもいっさい人間に寄せていません。
それはともかく、イブン・タイミーヤについては、神秘主義者スーフィーを攻撃しながら他方では異端として訴えられるなど、言動が一貫していない感じです。
プリンストン大学図書館で、『Bad' al-culqa bi labs al-khirqa』と題されたハンバル学派の写本が見つかりました。スーフィーのキルカ(外套)の着用について書かれた本です。
写本をした人はユスフ・イブン・アブド・アル=ハディ(一五〇三年~)という人です。イブン・タイミーヤは写本の中で、有名なハンバル学派とともにスーフィーの系図に記載されています。
写本でまず登場する人は、アブドゥル=カディール・アル=ジラーニー(一〇七七年~)です。
この人は西洋オカルト秘密結社の憧れ、カーディリー教団の創始者で、のちにやってくるであろう宗教の復興者のためにシーク(指導者)のキルカを残しました。
そして三人あとにイブン・タイミーヤが出てきます。次は弟子のイブン・アル=カイーム(一二九二年~)です。
プリンストン大学図書館には、イブン・タイミーヤの著作の写本もあります。
その写本の中で、イブン・タイミーヤ自身の言葉が引用として残されています。
わたしはシーク、アブドゥル=カディール・アル=ジラーニーの祝福されたスーフィーのキルカを着ていた。
結局イブン・タイミーヤは神秘主義者だったわけです。悪い人と戦ったからといってイコールいい人にはならない、という好例です。

有名な旅行者で年代記作家のイブン・バットゥータ(一三〇四年~)は、著書でイブン・タイミーヤについて報告しています。

イブン・タイミーヤは、モスクで説教中、説教壇の段を一つ下り、「わたしがいま下りたように、神はこの世の空から下りてくる」といったそうです。
イスラムの法学者たちは、イブン・タイミーヤをムジャッシマーと非難しました。ムジャッシマーは「擬人化主義者」などという意味です。
神に足はありませんので、イブン・タイミーヤのように説教壇の段を一つ下りる、などということはしません。
足的なものはあります。神が人間に劣っているはずがないからです。
ただ「足がある」というのは、神を限定することにつながります。「足を使って階段を下りる」はダメです。「わたしがいま下りたように」は擬人化なのでさらにNGです。
神が笑ったとすると、神には人間のような顔があることになります。ですが神に顔はありません。
ですが顔的なものはあります。神が人間に劣っているはずがないからです。
細かいようですが、こういうことをどんどん許していくと、行き着く先はアイシスちゃんです。すなわちモラル(宗教)の崩壊です。

かつてはこのようなものは「キモい」と思われていました。いまではすっかり日本文化です。
ネジが緩んでいる
イブン・タイミーヤはなにかと極端で、自身も攻撃的な性格だったため、キャリアの大半を獄中で過ごしました。
それを英雄的と見るか、単に頭のおかしいやつと見るかは人それぞれです。
なので生前のイブン・タイミーヤに対する意見はさまざまでした。
イブン・タイミーヤの見解に対する反論で最も成功したのは、ダマスカスの裁判長タキー・アル=ディン・アル=スブキー(一二八四年~)です。
イブン・タイミーヤはアル=スブキーについて、「アル=スブキー以外にわたしに反論した法学者はいない」と少年マンガ的に認めています。
アル=スブキーのほうはもっと大人で、イブン・タイミーヤの美点を認める用意がありました。
個人的には、神がかれに授けた禁欲主義、信心深さ、宗教性、真理に対するかれの無私の支持、先達の道への固執、完全性の追求、現代でも過去の時代でも比類のないかれの模範の素晴らしさに対して、わたしの賞賛はさらに大きい。
イブン・バットゥータは、イブン・タイミーヤについて「ネジが緩んでいる」と断言しました。
その理由は、とにかく節操がなかったからです。
イブン・タイミーヤと対立したアル=サファディは、「かれは知性が欠落していた」といいました。
また、アル=ナバハニはこういっています。
かれはキリスト教徒、シーア派、論理主義者、そしてアシュアリー学派とスンニ派、ようするにムスリムであろうと非ムスリムであろうと、スンニ派であろうとそうでなかろうと、だれ一人惜しむことなく反論した。
アル=スブキーをはじめとする学者たちは、三世紀に渡ってイブン・タイミーヤの見解を精査しました。
そして十六世紀、イブン・ハジャル・アル=ハイタミーによってファトワー(イスラム法学に基づいて発令される勧告、布告、見解、裁断)が宣言されました。
イブン・タイミーヤは、アッラーが見捨てられたしもべであり、(人々に)誤った導きを与え、盲目にし、耳を塞ぎ、堕落させた者である。これはかれの立場の腐敗とかれの言説の虚偽性を暴露したイマームたちの宣言である。このことを追求したい者は、ムジュタヒドのイマーム、アブ・アル=ハサン(タキー・アル=ディン)アル・スブキー、その息子タキー・アル=ディン・スブキー、イマーム・アル=イズ・イブン・ジャマー、その他シャーフィー学派、マーリク学派、ハナフィー学派のシークの言葉を読まなければならない。かれは、アッラーが正義を持って扱われた、誤った導きの革新者であり、悪をもたらした無知者であると考えなければならない。アッラーは、かれのような道、教義、行為からわれわれをお守りくだされる。
三世紀もかけて異端かどうかを精査するという姿勢は、お気楽な現在の擬人化とは真逆な態度です。
そして擬人化は、実際に社会に悪影響を与えています。

昨今、トランスジェンダーのスポーツ選手が女子競技に参加し、なにかと問題を起こしています。
トランスジェンダー運動は、擬人化アニメブームと歩調を合わせています。「もはやなんでもあり」という思考停止状態をこしらえるためですが、そのアジェンダにはホムンクルス的なドロドロのオカルト思想が潜んでいます。
上の写真は男女平等のように見えないこともないのですが、トランスジェンダー運動についてはフェミニストすら引いているとのことです。

実際は、男は男で女は女です。イヌはイヌでネコはネコです。
カバラとマンダ教
イブン・タイミーヤの擬人化の起源は、神に対するオカルト的な「共感」に起因する可能性があります。
イブン・タイミーヤはサービア教徒の都市ハッラーンで生まれました。そして一二六八年、幼少期のイブン・タイミーヤは、モンゴル軍による征服のために逃亡を余儀なくされました。
サービア教徒は新プラトン主義者と接触し、その教義に影響を受けました。
サービア教徒の親戚のようなマンダ教徒たちは、当時よく知られた擬人化の教義を実践していました。
学者たちはカバラとマンダ教に共通性があると結論づけています。神について精巧に擬人化した文献たちがどちらにも存在しているからです。
メルカバ神秘主義の文献の一部、ミドラーシュのテキスト『シウール・コマ』は、以前お伝えしました。
『シウール・コマ』は、神の四肢や部位の寸法を記録した、最も大胆でイカレた書です。
ハナフィー学派の法学者で、オスマン帝国最後のシーク、アル=イスラムの補佐役だったアル=カウサリ(一八七九年~)は、イブン・タイミーヤが擬人化の教義を導き出した著作の中に、『キターブ・アル=スンナ』が含まれている、と主張しました。
キターブは「書物」という意味ですが、用例の大半は「唯一神アッラーの啓示に基づく経典」、啓典を意味します。
『キターブ・アル=スンナ』では、エゼキエル書とヨハネの黙示録にあるメルカバのケルビムを露骨にあらわしています。
かれは四人の天使に担がれた金の椅子にすわったかれ(アッラー)を見た。(天使の)一人は人の姿、一人は獅子の姿、一人は雄牛の姿、そして一人は鷲の姿で、緑の庭の中にいた。
『キターブ・アル=スンナ』は、ハンバル学派の基礎を築いたイブン・ハンバルのものと偽って書かれました。ここでもユダヤの存在がちらつきます。
イブン・タイミーヤは、さらに大胆に擬人化した秘密の教義も保持していました。この教義は親しい弟子たちとのみ共有していました。
同時代のアブ・ハイヤーンは、『ターフシール・アル・ナー・アル・マッド』(『遥かなる河の釈義』)でこう記しています。
わたしは、アフマド・イブン・タイミーヤの著書で読んだのだが、その書物はかれ自身の筆跡によるものであり、かれはそれを『キターブ・アル=アルシュ(玉座の書)』と名づけている。アッ=タージ・ムハンマド・イブン・アリー・イブン・アブド・アル=ハック・バリンバーリーは、イブン・タイミーヤの支持者のふりをしてかれを騙し、かれからそれを得ることができた。
イブン・タイミーヤにおけるスーフィズムに対する憎悪を受け継いだのは、ワッハーブ派です。
ワッハーブ派は、十八世紀にアラビア半島のナジュドで起こったイスラム教の改革運動による宗派です。
時代的にだいぶあとの話なのですが、ワッハーブ派はスンニ派を弱体化させるためにイギリスによって送り込まれたエージェントです。
当時のイギリスは「分断して統治せよ」の戦略で悪名高く、インドに『マヌ法典』なるものを押しつけ現在にも残るカースト制度を構築したのもイギリスでした。
なのでイブン・タイミーヤは、ハンバル学派の特徴とされたスーフィズムに対する攻撃の代表的な人物、改革の祖、のような位置づけで広く捉えられています。
平たくいえば小泉純一郎のような人です。「保守」とされる自民党に所属しながら日本をぶっ潰した、外国勢力のエージェントです。
そしてネクスト小泉純一郎は、必ず登場します。わかりやすいはずなので気づける人は気づけます。

スーフィズムは、以前お伝えしたアル=ハッラージュの処刑を頂点とする九世紀から、イスラム教の正統派と対立していました。
十一世紀、「ムハンマド以後に生まれた最高のイスラム教徒」とされたアル=ガザーリー(一〇五八年~)は、正統派イスラム教とスーフィズムの和解を提唱し、そこで論争の大部分は終結しました。
ハンバル学派が主導する論争は残っていたのですが、見てきたとおり、ハンバル学派はある種のスーフィズムの実践には反対していたものの、多くがスーフィズムの団体に所属していました。
この主張は、イブン・ラジャブ(一三三五年~)の『ハンバル学派列伝への補遺』で補強されています。
『ハンバル学派列伝への補遺』では、百人以上のハンバル学派がスーフィーとして言及されています。
一九七〇年代までは、ハンバル学派とスーフィズムは「単に対立し合っていた」という認識が主流でしたが、アメリカの東洋学の教授ジョージ・マクディスィー(一九二〇年~)は、一連の研究によって「そう単純なものではない」と示しました。
マクディスィーによると、ハンバル学派は哲学的スーフィズムを批判していた一方、伝承主義的、禁欲主義的な形でのスーフィズムは許容していたといいます。
フランスの東洋学者アンリ・ロースト(一九〇五年~)は、イブン・タイミーヤとスーフィズムの親和性について著書で記しています。
ローストは著書の中で、イブン・タイミーヤの著作の中にスーフィズムを非難するものを見つけようとするのは無駄だと書いています。
イブン・タイミーヤはアル=ジラーニーを「われわれのシーク(指導者)」と呼びました。
著書『al-Masala at-Tabriziya』で、イブン・タイミーヤはこのように記しています。
わたしは祝福されたスーフィーのキルカを着けていたが、かれ(ジラーニー)とわたしのあいだには二人の者(スーフィー、シーク)がいた。
ナスィールッディーン・トゥースィーの『Itfa hurqat al-hauba bi-ilbas khirqat at-tauba』と題された著作の中で、イブン・タイミーヤは複数のスーフィー教団に属していたことを認め、アル=ジラーニーの教団を最も偉大な教団として賞賛していると引用されています。
アル=ダハビー(一二七四年~)は、ハディースの批評家、専門家として広く知られていた人です。百科事典的な伝記を著し、コーランの正典に関する第一人者でもありました。
アル=ジラーニーの伝記『Bahjat Al-Asrar』には、アル=ジラーニーが行った数多くの奇跡の物語が記されています。
アル=ダハビーをはじめ、多くの人が『Bahjat Al-Asrar』について、軽薄な物語を含むと非難していましたが、イブン・タイミーヤは信憑性がある、と宣言していました。
スフラワルディー教団
イブン・タイミーヤは、アル=ジュナイド、アブドゥル=カーディル・アル=ジラーニー、シハーブッディーン・ヤフヤー・スフラワルディー(一一四五年~)などの著名人の著作に賞賛を示していました。
スフラワルディーの哲学は、東方照明学と呼ばれます。照明は英語のイルミネーションです。
日本でも有名なサラディン(サラーフッディーン)は、十字軍に対抗した最も有名なイスラム指導者の一人で、ファーティマ朝を倒してエジプトで権力を握った人物です。
一一九一年、スフラワルディーはサラディンの命令で処刑されました。正統派ではないというのが処刑の理由です。
そのためスフラワルディーは、シャイフ・アル=イシュラク(イルミネーションのマスター)、シャイフ・アル=マクトゥル(殺されたマスター)という尊称で呼ばれました。
スフラワルディーは自分を、ピュタゴラス、プラトンなどの叡智的系譜に連なるものと見なしていました。
真理への道の旅人たる者はすべてこの道における私の仲間であり、助力者である。哲学の師、叡智の導き手たるプラトンの歩みもまた同様であり、プラトンの先人たる諸賢者、たとえば哲学の父たるヘルメス(・トリスメギストス)もまた同じ道を歩んでいるのである。
またスフラワルディーは、イランにおける古代の叡智の系譜にも連なる者と自分を主張しました。
古代ペルシャ人の間には、真理の導き手であり、また真理によって正道に導かれた一群の人々がいた。これら古代の賢者たちは、マギと呼ばれる賢者たちではない。プラトンとその先人たちの精神的体験を証しとし、わたしがこの書『東方神智学』で再び生命を与えたのはまさしく彼らの崇高で、光り輝く叡智に他ならない。
スフラワルディーにとってのピュタゴラスやプラトンは、哲学を完成させ、照明に到達した人々の代表です。
そしてプラトンたちの先には、人間の領域からは見えない天界の階層に入り込んだ人たちが存在します。それらのマスターがクトゥブです。
スフラワルディーは、アブ・アル=ナジブ・アル=スフラワルディーの父方の甥です。アブ・アル=ナジブ・アル=スフラワルディーは「スフラワルディー教団」を創始し、甥御がそれを発展させました。
スフラワルディー教団は、アル・ジュナイド・バグダーディー、アル=ガザーリーを経て、預言者ムハンマドの義理の息子、第四代正統カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブにその精神的系譜を遡ります。
とくにバグダッドでは、スフラワルディー教団は同業組合や青年クラブの形成に重要な役割を果たしました。
組合、クラブといえば、ファンタジーロールプレイングゲームでおなじみのギルド、そしてフリーメーソンです。
ここまであえて言及しませんでしたが、イルミネーションといえばもちろんイルミナティです。

啓蒙思想は英語でエンライトニングといいます。カバラの重要な書『セフェル・ハ=バヒール』は「輝きの書」という意味です。
オカルトは稲妻も大好きです。

何度も繰り返しますが、西洋にオカルト思想を広めたのはアラブ人たちです。
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