29.アレクサンドリア
画像は以下のサイトから転載。
https://members.ancient-origins.net/articles/pharos-lighthouse
前回はアレクサンドロス大王についてお伝えしました。
アレクサンドリア図書館
紀元前二六四年、ローマ帝国はカルタゴ人をシチリア島(イタリアのつま先にくっついている島)から追い出しました。
その結果、カルタゴの将軍ハンニバルの報復を招きます。
カルタゴは、何度もお伝えしていますが、フェニキア人がこしらえた、バアル崇拝で悪名高い植民都市です。ハンニバルは「バアルの恵み」などという意味があります。
ローマ軍は最終的にカルタゴを滅ぼし、新たに北アフリカ属州を形成します。
その後ギリシャ、マケドニア、小アジアを支配下に置き、ユリウス・カエサルが最高神祇官に選出された紀元前六三年、エルサレムを占領しました。
ユリウス・カエサルはエジプトを訪れ、クレオパトラと愛人関係になったあと、小アジア、北アフリカに遠征しました。
紀元前四四年、ローマに戻ったユリウス・カエサルは暗殺されました。オクタウィアヌス(アウグストゥス)とアントニウスは暗殺の共謀者を打ち負かしますが、アントニウスは妻を捨ててクレオパトラの元に向かいます。その後オクタウィアヌスはエジプトに宣戦布告して勝利し、アントニウスとクレオパトラは自害します。
このように、政治的(?)にはローマの時代なのですが、ヘレニズム時代の最大の都市は、エジプトのアレクサンドリアでした。

プトレマイオス一世は、有名なムセイオン(博物館)を設立し、世界各地から書を集め、ムゼイオンの一部であるアレクサンドリア図書館に収めました。
図書館には、ギリシャ人やエジプト人の著作物だけでなく、ユダヤ教、バビロニアの宗教、ゾロアスター教、遠くはインドからの写本も含まれていました。
アレクサンドリア図書館は、ミューズの祭司を長とするカルトの共同体として組織されました。ミューズとトラキア王の息子は魔術師オルフェウスです。
そうしておかしなことを考え、次第におかしなことを実践するようになります。
アレクサンドリア図書館で最も研究されたのは、やはり天文学です。
そしてシンクレティズムというだけあり、天文学は占星術と同義でした。占星術は、先にお伝えしたとおり、「科学でありたい宗教」です。科学的要素は山ほどあるのですが、現代のお医者さんと同じく、「信じる者は救われる」の世界です。
バビロンからはじまった占星術は、アレクサンドリアで何世紀にも渡って研究されました。
そしてアレクサンドリアの占星術が広まった結果、「占星術はアレクサンドリア(エジプト)で生まれた」と誤解されるようになりました。それだけ発展した都市だったということです。
加えて、古代エジプト自体も再評価がなされるようになりました。現在わたしたちが「再評価」と聞いて頭に浮かぶのは学問的な再評価ですが、そうではなく幻想的な再評価でした。
シケリアのディオドロス(紀元前一世紀)の書にはこうあります。
神々はエジプトで生まれたと伝えられている。また、星の動きを最初に観測したのはかれらであるとされている。
エジプト人の報告によれば、世界のはじまりにおいて、最初の人間はエジプトで創造された。
占星術の発祥の地は、バビロニアです。最初の人間もエジプト発ではありません。わたしたちが抱く古代エジプトのイメージはここから来ています。
神秘主義者
アレクサンドリア図書館には、神秘主義者たちがたむろしていました。
神秘主義者たちがなにをしていたのかというと、神学的に神との一体化を求めました。神というものを信じたうえで、理性的に理論的な考察を行います。
神と一体化するには、自分から神の領域に昇るか、神をこちらの世界に引きずり下ろすか、の二択になります。
その方法を理性的に考えたわけです。突き詰めると頭がどうなってしまうかは察しがつきます。
具体的な方法はともかく、神秘主義者たちは最終的に、神の幻影、真の神の現し身に直面します。そして現し身から、世界を操るための秘密、魔術を教わります。
なぜ真の神ではなく現し身なのかというと、見つめるのが人間だからです。カバラの第一のセフィーロート、ケテルのように、絶対神はそこにはいません。「神」といった時点でそれはもはや神ではなく、そういったギリギリの状況でなお、神の秘密を求めるのです。
神秘主義者たちは実際になにを行っていたのでしょうか。
魔術パピルス
魔術パピルスは、紀元後三世紀から四世紀ごろの作とされる、魔法のレシピ集です。

魔術パピルスには、恋愛、悪魔払い、呪いなどの魔術、儀式の方法、神々への賛歌などが記されています。
ヘレニズム時代とは時間的な隔たりがあるのですが、魔術パピルスは、アレクサンドリアのおかしな人たちがなにをしていたかを読み解くヒントになります。
フランツ・キュモンは著書にこう記しています。
ここで、アレクサンドリア時代と帝国の初期において、ユダヤ教が秘儀に及ぼした影響という難しい問題を取り上げよう。多くの学者が、異教の信仰がユダヤ人の信仰に及ぼした影響を明らかにしようと努めてきた。イスラエルの一神教がアレクサンドリアでどのようにヘレニズム化されたのか、また、ユダヤ教の宣伝が、モザイク律法(旧約聖書にある六一三の戒律)のすべての規定を守ることなく、唯一神を崇める信者をどのように惹きつけたのかが明らかにされてきた。……地中海には数多くのユダヤ人植民地が点在していた。これらの植民地は長いあいだ、熱心な布教精神に燃えていたため、かれらを取り囲んでいた異教徒にかれらの観念の一部を押しつけたにちがいなかった。異教に関するほとんど唯一の文献である呪術書からは、イスラエル神学と他民族の神学が混ざり合っていたことがよくわかる。そこには、イアオ(ヤハヴェ)、サバオト、あるいは天使の名前とエジプトやギリシャの神々の名前が並んでいることが頻繁に見られる。
魔術パピルスは、愛や富や健康など、ポジティブな目的でも使用されます。もちろん人を呪うためにも用いられます。
その方法として、魔術師は冥界の神々を呼び出します。
たとえば愛の引き寄せの魔術では、ヘカテを呼び出します。
魔術パピルス(PGMとも呼ばれます)によると、まずこのように準備をします。
エチオピア産のクミンと処女ヤギの脂肪を取り、供え物をまとめたあと、十三日と十四日に、土の香炉の上、高い家の屋上、炭火の上でセレーネに捧げる。
満月の日に屋外で儀式を行え、という指示です。ヘカテを呼び出すのになぜセレーネなのかというと、この場合セレーネは、ヘカテーの月のあらわれとして同定されているからです。太陽におけるホルス、ラー、オシリスと同じく、月もアルテミス、セレーネ、へカテの三つの顔を持っています。
次に、PGMから呪文を抜き出してみます。
来たれ、偉大なヘカテよ、ディオンヌの守護者よ/おお、ペルシャよ、Baubo Phronueよ、吹き矢の射者よ、征服されざるリディアンよ、飼いならされざる者よ、気高く種を蒔かれし者よ、松明を携えし者よ、誇り高き首を折る導き手よ、コレよ、聞け/破れぬ鋼鉄の門を分けた者よ。
おお、アルテミスよ、かつて大地から飛び出した守護者、強大な者、愛人、犬の先導者、全てを使いこなす者、十字路の女神、三つ頭、光をもたらす者、オーガスト/処女、わたしはおまえを子鹿殺しと呼ぶ、狡猾な者、地獄の者、そして多くの形成されし者よ。
来たれ、ヘカテよ、冥府の女神よ、その火を吐く幻影とともに、恐るべき道と過酷な/魔法をかけられし者よ。
ヘカテは「遠くへ矢を射る者」を意味するヘカトスの女性形ともいわれ、また松明(月光)などにも象徴されます。いろいろ叫んでいますが、結局同じヘカテに呼びかけているわけです。「ペルシャ」というのは、小アジアからギリシャに輸入された神だからです。
ルーツであるセミラミスを知ると、少しだけヤバさがわかります。本当にヘカテが来そうです。
魔術パピルスでよく呼び出される神は、ペルセポネ、セレーネ、アルテミス、ヘカテなどです。
アレクサンドリアはエジプトの都市なので、オシリスやイシスの影響を受けました。なのでヘルメス、アフロディーテ、さらにはユダヤ教の神イアオ(ヤハウェ)まで、次々と冥界入りさせられました。
先の呪文であったように、これだけでは収まりません。自然、時間、運命、万物、イオンなどの人ではないものも神々として擬人化され、冥界に送り込まれました。
さらにはユダヤ教のパトリアーク(族長、家長)たちや、デモクリトス、オスタネスといった神ではない人物まで冥界行きです。
いかにもヘレニズムといった感じですが、重要なのは、神々がことごとく二軍落ちしているところです。魔術師オスタネスとヘカテが同列にされています。
そしてこのように神々が天使や悪魔のレベルにまで次々に貶められていくと、逆説的に、真の神、唯一神というものが浮かび上がってきます。
唯一の一軍選手、キリスト教の「父」です。
紀元後二世紀のローマの風刺作家ルキアヌスは、『メニッポスまたは死霊の教え』で、魔術パピルスの折衷主義を解明するのに役立つ説明を提供しています。
『メニッポスまたは死霊の教え』は、メニッポスがバビロンから来たマギの助けによって冥界への降臨を成し遂げた、という話です。
わたしたちはミトロバルザネスを先頭に上陸し、穴を掘って羊を屠り、その血を撒き散らした。そのあいだ、魔術師は燃え盛る松明を手にし、もはや低いトーンで呟くことはなく、できる限り大声で叫び、精霊たちを呼び集めた。一人残らず、苛む者たち、怒れる者たちも。
「夜の女王ヘカテ、そして永遠のペルセポネイア」
これらの名前に、かれは外国語のような、音節の多い意味のない言葉をいくつも混ぜた。
紀元後二世紀の歴史家、アンミアヌス・マルケリヌスは、『歴史』のなかでアレクサンドリアのオカルト思想について報告しています。
まずここで、ほかのどの国よりもはるかにはやく、人々はさまざまな宗教の揺籃期を迎えた。ここではいまでも、秘伝の書物として伝えられている神聖な儀式の要素が大切に保存されている。
そして、わたしが述べた者たち以外にも、古代には多くの高名な人物がいたが、いまも同じ都市には多くの学問がある。さまざまな宗派の教師が盛んであり、幾何学的な科学によって多くの秘密の知識が説明されているからである。かれらのあいだで音楽が廃れているわけでも、調和が失われているわけでもない。また、少数ではあるが、世界の動きや星の観測がいまも培われており、学識ある算術家の数は相当なもので、かれらのほかにも占いに長けた者が大勢いる。
シビュラ
『シビュラの書』は、古代ローマで尊重されていた神託集です。ユピテル神殿に保管され、緊急事態が起きたときだけ参照されます。
シビュラは祠などに住んでいた女性のことで、狂乱状態や悪魔憑きの状態で予言を発しました。

合わせて、『シビュラの託宣』という書もあります。
現存する『シビュラの託宣』の中で最古のものの一部は、アレクサンドリアのユダヤ人によって書かれました。
ユダヤ百科事典にはこうあります。
ヘレニズム時代のユダヤ人、とくにアレクサンドリアのユダヤ人は、異邦人の衣服で着飾ることで、自分たちの言葉をその時代の精神に合致させた。そうすることによってのみ、かれらは聴衆を得ることができたからである。というのも、シビュラの予言はおもに異教徒を対象としたものであったが、その意図は、異教徒を改宗させることよりも、むしろ異教徒に罪を宣告し、かれらとの対比によってユダヤ教を美化することにあったからである。
さらに、デルフォイやオルフェウス、カッサンドラの神託、魔術パピルス、そしてとくに異教徒のシビュラの予言の手段として、詩という媒体が選ばれた。
これまでのところ、紀元前二世紀には、アレクサンドリアのユダヤ人たちによって、かなりの規模のシビュラ詩が最初に出版され、帝政末期までこの種の詩が出版されつづけたという証拠がある。ローマ帝国で頻繁に起こった騒乱は、ユダヤ教に深い影響を与え、未来への希望を新たにする新しいビジョンのための豊富な材料を提供した。
古代の思想家は、シビュラを単数形で言及していました。
プラトンは一人のシビュラのことを語っていました。ですがシビュラは次第に増えつづけ、最終的には九人になりました。ペルシャのシビュラ、リビアのシビュラなどです。
最も有名なシビュラは、デルポイのシビュラとクマエのシビュラです。
最初にカルデア人、いやペルシャ人(シビュラ)がいた。彼女は最も祝福されたノアの家系で、マケドニアのアレクサンダーの功績を予言したといわれている。
そしてヘブライのシビュラなるものも出てきました。どこかピンと来ず、ミスマッチ感があります。
地理学者のパウサニアス(紀元後一一五年ごろ~)は、ヘブライのシビュラについて記しています。
デモ(クマエのシビュラの名前)よりもあとに、パレスチナのヘブライ人のあいだに、神託を授ける女性が生まれ、サッベと名づけられた。サッベの父はベロッソスで、母はエリマンテであったという。しかし、ある者は彼女をバビロニアのシビュラと呼び、またある者はエジプト人と呼んだ。
紀元後十世紀の東ローマ帝国の『スーダ辞典』では、『シビュラの託宣』の著者として、ヘブライのシビュラを挙げています。
システナ礼拝堂にはなぜかシビュラが描かれています。上の画像がそうです。
エリュトライのシビュラは救世主の到来を予言したと信じられ、聖アウグスティヌスが見せられた詩には「イエス・キリスト、神の子、救済者」と書かれていました。
『シビュラの書』は古代ローマで尊重されていた神託集です。
そして『シビュラの託宣』は、偽物でした。これがヘレニズムです。
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