闇 23(ワールドワン&新天地編)
闇 23(ワールドワン&新天地編)
2024/08/26 mon
2025/08/28 thu
前回の章
いくら遊んでも無くならない金。
毎日十万も二十万も、給料以外別途に金が入ってくるのだ。
まるで有限の打ち出の小づちを手に入れたような感覚。
だが、こんな狂喜乱舞な日々もあと数日で終わる。
「この店が、歌舞伎町で一番忙しいゲーム屋なんじゃないの」
一時は客からそんな風に言われた一番街通りのワールドワン。
あれだけ順調だったワールドワンも、中川の側近を気取る顔も名前も知らないにわかの出現で、一気に閑古鳥が鳴いた。
これまでのシステムをすべて排除し、OUT率のいい設定にすれば、店はより盛り上がる。
自信満々にそう言い切ったその男のアイデア。
ゲーム屋の現場も知らないくせに理想だけを押し付けるなんて、机上の空論に過ぎない。
愚策中の愚策を強引に発動された店は、これまで長年の信用など一気に崩壊し、呆れられてしまう。
俺の好きにしていいから、もう一度店を流行らせてほしい。
一時は二万円あった日払いも半分にさせられたが、佐々木さんに頼まれ俺は必死に店をまた復活させた。
だがその裏側にあったものは、この店もあと三ヶ月で閉まってしまうという現実。
オーナーである中川が上手く利用され騙され、気付けば多額の十数億の借金を作っていた裏側を聞き、佐々木さんとの抜きが始まる。
こうなるまでには上層部での不穏なやり取りがあったらしい。
焼け石に水なのに、目先の金欲しさで佐々木さんら番頭たちから五百万ずつの徴収命令。
それを断った湯沢はクビになったと言う。
でもそれは、彼が自分で辞めただけなのだろうと感じる。
五百万円。
俺ら従業員が一年間真面目に働いても届かない金額。
同じ額を以前俺に言ってきたチャンプの久保田。
シャブに手を出しトザンの銭に手を出してチャンプをクビになった久保田から突然連絡が入る。
聞いただけの話だが、林と同じ〇〇連合のヤクザへ入ったものの、現在組の金を持って逃走しているはずだ。
「久保田さん! 今どうしているんですか?」
「た、助けて……」
彼の言う助けるとは何か?
碌でもない事に引きずり込まれるのは明白だった。
「何でシャブなんかやったんですか……」
「だって…、しょうがないじゃん……」
「いくら必要なんです?」
「五百……」
さすがに無理だ。
今の俺の持金の額じゃ足りない。
一万、二万なら気楽にあげられた。
いや、昔からの付き合いだ。
十万くらいならあげても良かった。
しかし絶対に返ってこない金五百万なんて無理だった。
それにそこまでの金は持っていない。
俺は丁重に断る。
「ごめんね、岩上君……」
それだけ言って久保田は電話を切った。
通話を終えてから、何とも言えない虚無感に包まれる。
だって無理だろ、どう足掻いたってさ。
自分で勝手にシャブに手を出して、金持ってとんずらしたのだ。
自業自得だろう?
あれから久保田はヤクザに捕まり、警官へ向かって拳銃をぶっ放した。
チャンプの有路や腹から聞いた情報。
ニュースで取り上げられたと聞いた。
これまで自身の人生の中で極度なシャブ中が、何をしたか思い出してみろ。
身近なところではゲーム屋チャンプの久保田。
ニュースにもなったあの事件。
首都高でわざと事故を起こした久保田は、駆け付けた警官の拳銃を奪い発砲した。
一発目が空砲だったから殺人にはならなかったものの、警察官への殺人未遂。
俺はあの時が久保田とは最後の電話だったので、特別な関わりはない。
彼が言った五百万円という金が本当に必要かどうかは分からないが、一人の人間の人生を狂わせるには充分過ぎる金額なのだろう。
湯沢は金を出さずに去った。
人のいい佐々木さんは、その金額を差し出してしまった。
たったそれだけの違い。
その後、もう金が返ってこないと自覚したからこそ、ワールドワンで俺と組み、売上を誤魔化して抜き、少しでも金を取り戻そうとしたのだ。
当然抜きに対する抵抗感はあった。
だが佐々木さんの背景を聞いた俺は、天秤に掛け協力を選ぶ。
これまで色々とお世話になってきた。
俺は抜いた金、すべて佐々木さんが取るべきだと伝える。
しかし佐々木さんは意地でも折半でないと納得しない。
抜いた分の半額が、俺に入ってくる現実。
最初の頃こそ罪悪感を覚えたものの、気付けば俺も金という魔力に犯されつつあった。
単なる棚から牡丹餅な状況。
しかし金は人を簡単に狂わせる。
地元川越から新宿まで電車で約一時間。
一日の半分は仕事で費やす日々。
しかし一日十万も二十万も入ってくれば、あっという間に一週間で百万円近い金額を手にする事となる。
土日になれば競馬で五十万使おうが、ミサキのキャバクラでオーブンからラストまで飲んでいようが、それでも金は無くならなかった。
今までこんな金額をもらった事がない男が、手にして完全に狂う。
馬鹿に権力を与えては取り返しがつかないのと同じだ。
碌な金の使い方しかできない俺。
罪悪感から従業員たちには、食事やら酒やら仕事明けに何度もご馳走した。
唯一身のある使い方ができたとしたら、『くっきぃず』でピアノを習った事ぐらいだろう。
それでもプロを目指すとかでなく、元々は春美へ捧げるというものから始まっただけの趣味の領域に過ぎない。
まともな社会人生活を送れず、仕事を転々とした。
プロレスでも結果を出せず中途半端。
ホテルでは俺の居場所など無かった。
総合格闘技でも不完全燃焼で今じゃリタイアしている。
絵も気に入った女へプレゼントする為だけに描いたもの。
唯一新宿歌舞伎町だけなのだ。
何年もこうして居続けられた場所は……。
しかしそれさえも、もう少しで終わる。
歯痒いのが、客や共に働く従業員たちへワールドワンが閉まるのを言えない事。
佐々木さんとの抜きをやる前の約束で、閉店する事実だけは黙っているよう約束した。
何をやっているんだろうな、俺は……。
全日本プロレスの…、ジャンボ鶴田師匠の名前を汚さないよう生きてきたつもりが、何だこの現状は?
三沢光晴さんたちは大人数を連れてプロレスリング・ノアを立ち上げ、多くのファンたちから支持されている。
何故あの時総合格闘技でなく、ノアへ行こうと思わなかったのだろう?

いや…、こんな中途半端な男があそこへ行ったとして、何の役に立つ?
残された少ない日々を仕事して、帰ったらピアノを弾く事で、現実逃避するしかなかった。
歌舞伎町で初めて一緒に働いた元ベガの高橋ひろしは、相棒の中口と共に毎日ワールドワンへ来ては多額の金を落としていく。
オーブン当初からの常連客である大倉さんも同様だ。
箝口令が引かれたのも、前もって伝えたせいで、客が来なくなったり、従業員が辞めるのを防止したりする為だった。
初戦俺が抱いた罪悪感など、青臭い正義感を気取っただけのまるで意味の無いものだ。
意味がまったく成さない事を知りつつ、金だけは受け取っている。
いつからこんな卑劣になったのだろう。
魂というものがあるなら、どんどん薄汚れている。
様々な葛藤を抱えつつも俺の日常はまったく変わらない。
ラスト三日になって、佐々木さんから客や従業員たちへ伝えて構わないと言われる。
「えー、こんな面白い台が無くなっちゃうんですか!」
高橋や中口はとても残念そうだった。
初期の頃から来ていた常連の村上は「俺の連れで谷口っていたでしょ? 彼が初めてこの店来た時、店長の事見て俺にいい店があるって言ってきたんだよ。それもあって今日までここ贔屓に来てたんだ」と言ってくれる。
何気ないところで、少しは何かしらの役に立てていたのかと、救われた気持ちになれた。
最大で十一店舗まで拡張した我がワンオン系列。
残りの店は西武新宿駅近くのチャンプのみとなった。
歌舞伎町内で百店舗以上はあったゲーム屋も、もう数える程度。
オーナーの失敗もあったが、どちらにせよ時代の流れで自然淘汰されていく。
一円、十円と表記してある看板は、次々と裏ビデオ屋に変わる。
これも時代の移り変わりなのか。
どちらにせよ、いよいよ明日でワールドワンも最後の営業だ。
時間は誰にでも平等であり、無情に流れていく。
ワールドワンの最終日がとうとう訪れる。
三日前に告知したので、客数もまばら。
しかしおじいちゃんの大倉さんだけは、いつもと変わらぬマイペースな感じでゲームを黙々と打っている。
俺は席まで行き、片膝を付きながら深々と頭を下げた。
「プレイ中失礼致します。大倉さん…、長い期間当店へご遊戯へ来て下さり色々とありがとうございました……」
「フォフォフォ…、こちらこそ長い間楽しませてもらったよ」
いつも忙しかったので、ここまでゆっくり大倉さんと話した事はなかった。
競馬では一千万以上の配当がついた馬券を見せてくれ、本当に驚いた事もある。
一ヶ月ほど見えない時期があったので、具合でも悪くしたのか聞くとラスベガスへ行っていたと笑顔で話すハッスルおじいちゃん。
毎年一月二日の朝になると、帯付き百万の束を五つポケットに入れ「勝負らー」と張り切って競輪場へ向かう。
走馬灯のように色々な思い出が、鮮明に蘇ってくる。
「店長…、君はこれからどうするつもりだね?」
俺の目を見ながら真剣な眼差しで話す大倉さん。
「え…、次の仕事って事ですか?」
「うん、もし決まってないようなら……」
こんな俺を何かしらの形で拾い上げてくれるのだろうか?
常に温和でいくら負けようがまったく変わらない。
どれだけこの人の存在で、店は救われてきただろう。
それなのにまだ俺に対し何か面倒を見ようと言うのか……。
正直大倉さんに甘えたかった。
俺はこの先何一つ考えていないのだ。
ただのプー太郎になるか、大倉さんの下につくか……。
どちらがいいかなんて明白である。
「……」
散々世話になりながら、俺はまだ何かを欲しがるのか?
男として違うだろ?
これ以上甘えちゃ駄目だろ!
一瞬目を閉じて考えた。
「仕事仕事で来たので、しばらくゆっくりしようと思っています」
「……」
大倉さんは黙ったまま俺の目を見ていた。
「そうか…、じゃあまたいつか競馬場で会おう!」
これが事実上、大倉さんとの別れになる。
二十数年経った今でも、大倉さんとは一度も会えていない。
せめてあの時、連絡先くらい交換しておけば……。
何故あの時、変に格好をつけた?
今でもタラレバを考える。
俺はこの大倉さんという人柄が大好きだったのだろう。
最後の営業では二十万の金を抜いた。
番頭の佐々木さんは「岩上君今までありがとう」と、すべてを俺に渡してくる。
オーナーの中川に貸した五百万だって、全部回収した訳ではない。
俺はこの三ヶ月間でいくら金をもらった?
平均月で百五十万?
いや、日で平均約十万だと計算すると、月で三百…、でも俺は結構休んで遊んだから二十日前後の出勤で二百だとして、約六百万?
佐々木さんも充分元は取り戻せたのか。
「最後なんで佐々木さん、全部取って下さいよ」
「いいや、そういう訳にはいかへん。キッチリ最後も折半や」
相変わらず頑として受け取らない。
日当を出すから店の掃除をあと一日、二日手伝ってくれと言われたが、従業員たちでやりたい者が多数いたので、俺はこれでお役御免になる。
中途半端に金だけはあった。
しかし今後の身の振り方など何一つビジョンが無い。
しばらくゆっくり過ごそう。
それからまた考えればいい。
三十二歳無職。
今の俺の肩書き。
月に何百万以上もらっていた環境が、自分を狂わせていた。
働く気力はまるで湧かない。
部屋でパソコンを使って昔のゲームをやり、飽きると寝た。
夜になればスイートキャデラックで酒を飲み、たまにミサキを連れて色々な店へ行く。
最終的に家の隣にあるトンカツひろむで飲んで帰る。
自衛隊時代の同期の富田から連絡があった。
十数年ぶりに再会したものの、あまりのだらしなさ…、いや、当たり前のように金をタカる神経に反吐が出て付き合いを辞めていた男。
「最近連絡まったく無くて、冷てえじゃねえかよ」
コイツ、キャバクラであんな派手な遊び方して俺に金を出させようとしといて、まだ懲りていないのか?
「何で冷たくなったのか考えた事あるのか?」
「俺よー、女房と離婚してさー」
「はあ? 離婚?」
確かにあんな夫婦状態じゃ、いつ別れてもおかしくなかった。
初対面の客である俺の前で、旦那の頭を何度も枕で叩く女房なんて、碌なものじゃない。
「それでよー、今所沢に住んでてさ、新しい女と」
「新しい女?」
富田なんぞ体型は太っているし、だらしない顔つきだ。
何故こんな男に女ができて、俺はいつまで経っても一人なんだ?
「ああ、まあ不細工だけどな。それで岩上に一度紹介しとこうと思って
さ。明日の夕方くらい所沢まで来ない?」
「いや、遠慮しとく」
「何だよ、冷てえじゃん。せっかく女を紹介しとこうと思ったんだよ」
確かにどんな女とくっついたのか興味はあった。
仕事も辞め、時間だけはあるので会う約束をする。
昼間に起きて川越の街をブラブラした。
パソコンショップに入り、パソコン関連の雑誌を買うと、オマケにCDがついている。
中を見てみるとインストール型のパソコンゲームだった。
何だ、こりゃ…、すげぇ面白い!
タイトルはエイジオブミソロジー。
ジャンルはリアルタイムストラテジーと謳っているが、マウスで操作する新感覚なゲームだった。
ギリシャ、エジプト、北欧神話の神を選択し、町の人を操作して文明を進化させていく。
豚を刈って食料に。
木を切って資源へ。
金鉱を掘って金を集め。
兵隊や神話ユニットを作り出し、相手方へ侵略を行う。
ヤバいくらい面白い。
夕方、富田との約束なんて知るかと感じ、中止にしようと思ったくらいだ。
しかしあくまでも体験版なので途中までしかプレイできない。
俺は仕方なくこのゲームを探しに行った。
川越のパソコンショップを数軒回るも見つかない。
時間も夕方になったので、ゲームを探しに行きがてら、富田のいる所沢へ向かった。
駅に着き、プロペ通りを歩く。
「おーい、岩上ー」
中間地点くらいの位置で、富田が女と立っている。
不細工と言っていたが、お世辞抜きで本当に酷い。
例えるとエリンギに細い目がついているような顔立ち。
「とりあえず腹減ってるから飯行こうぜ」
この男が金をそう持っている事などあり得ない。
変に高そうな店や、酒を出す店すらやめておいたほうが賢明だろう。
通りを見回し、地味な定食屋へ入る。
彼女との馴れ初めを詳しく富田は熱弁していたが、俺にはどうでも良かった。
苦楽を共にした自衛隊の同期でも、たった一度の事ですべてを失う事もあるのだ。
正直、今の富田の生活など、俺にはどうでもよかった。
早くご飯食べて、ミソロジーを探しに行かないと……。
「富田、悪いんだけどさ。俺は所沢に欲しいものがあって来たんだよ。そろそろ出ないか?」
結構前になるが、富田にはキャバクラで一度豪遊させ奢った事がある。
今回も誘ってきたのは向こうだし、ここの飯代くらいはご馳走してくれるのだろう。
そう思っていたが、会計時いつまで経っても財布すら出そうとしない。
「岩上、悪いんだけどよー。うちら金持ってないんだわー」
「……」
エリンギに似た不細工な彼女も、彼の横で黙って俺の顔をジッとみたまま。
こんな女が一万人いても、ミサキの爪の垢の価値もないぞ?
一体このカップルは何なんだ?
無職になった今の俺に、まだ金を払わせるつもりだったのか?
セブンスターに火をつけて、黙ってタバコを吸う。
それでもただ横で突っ立って俺を見ているだけ。
「……」
最初から俺の金目当てで飯を食いたかった訳ね……。
無言のまま三千円をレジに置き、店を出ようとした。
「おい、どこ行くんだよ?」
「もう富田! オマエは二度と俺に関わるな!」
それだけ言うと、スタスタ勝手に歩き出す。
ここまで乞食になり、俺にわざわざ所沢まで来させ彼女の分まで飯代をタカろうとした富田。
呆れ過ぎて話をする気すら起きなかった。
唯一の救いは所沢で、エイジオブミソロジーのソフトを購入する事ができたくらいだろう。
数ヶ月毎日のようにエイジオブミソロジーへのめり込む俺。
あまりにも外へ出ないので、ミサキからしつこく誘いがあって、強引に連れ出されるような生活。
「ねえ、これから私のマンション寄ってく?」
「もういいよ。帰ってゲームをやりたい」
「もー! まだ三十代なのに、そんな事ばかりじゃ駄目でしょ!」
ワールドワンの崩壊は、自身の心の中の欠落と直結していた。
何の気力も湧かない。
このままミサキの部屋へ行けば、俺は間違いなく彼女を押し倒して抱いてしまうだろう。
妹代わりに可愛がり、面倒を見てきた俺。
それがこんな形で関係を壊していいのか?
「……」
無職という目に見えないプレッシャーが邪魔してか、ミサキとは常にプラトニックなままだった。
夜になると、毎日のように家の隣りにあるトンカツひろむで、管を撒きながら先輩の岡部さんと時間を共有する。
「智一郎、おまえ毎日プラプラしているけど、仕事どうすんだ?」
「うーん…、もうちょっとゆっくりしますよ。まだ金はあるんで」
「まあ店が閉店したんじゃしょうがないけど、何かしら働いといたほうがいいぞ」
「分かってはいるんですけどね……」
酷く堕落したものだ。
それでも中途半端に金だけはあったので、生活に困っていない点が余計に自身の駄目さ加減に拍車を掛ける。
一時はマッサージチェアーを買って、モニターを天井につけ、寝たままミソロジーをやれたら最高だと考えていたほどだ。
廃人真っしぐら。
持っていた貯蓄も、気付けば百万を切る始末。
さすがにこのままではいけないと感じた。
俺が泳ぎやすい水は新宿歌舞伎町。
とりあえずまた行ってみるか、あの街へ……。
ワールドワンの系列店のチャンプ。
ここも責任者の有路の話だと数ヶ月で閉まるらしい。
ゲーム屋でなく、他のものを欲する時代になったのだろう。
今の俺に何の仕事ができる?
何の宛ても無い。
まだ生き残っているゲーム屋の面接でも行ってみようか……。
歌舞伎町内の一番街通り、セントラル通り、さくら通り、東通りとボーっとしながら歩く。
腹が減ったのでコマ劇場内にあるフライキッチン峰へ寄る。
揚げ物系の多い洋食屋である峰は、ご飯と味噌汁はお代わり自由で、よく従業員を連れてきた店だ。
「お、お久しぶりです。いらっしゃいー」
メンチカツとハンバーグの混合定食を注文。
それに上お新香を追加。
これで値段は千円以下。
非常にリーズナブルな店である。
昔はいつも気難しい顔をしながら、両手を腰に当ててデーンと立っているおばあちゃん店員がいた。
「歌舞伎町で私の顔を知らない人はいないよ!」が口癖で、常に客がご飯のお椀が空になるのをジッと見つめている。
ワールドワンの元従業員だった小山が入りたての頃、彼は金が無かったのでよく峰へ連れて行った。
小山のご飯が無くなった瞬間、「お代わりだね」と手を伸ばすおばあちゃん。
眺めていると、まるで漫画に出てくるのような盛り方をしている。
慌てて小山が「お、おばあさんその辺で……」と制止しようとすると「若いんだからもっと食べなさい!」と十五センチくらい盛ったご飯を渡してきた。
「せっかく盛ってくれたんだから残しちゃ駄目だぞ」
苦しそうに腹を押さえながらヨタヨタ歩く小山。
数年前の出来事が、まだ昨日のように感じる。
そういえば彼と付き合っていた11チャンネルの風俗嬢だった緑ちゃん、元気でやっているのかな?
フライキッチン峰で会計を済ませ、コマ劇場を出ると、セントラル通りからすぐ左へ曲がる。
宛もなくさくら通りの方向へ進む。
「岩上さん!」
背後から声を掛けられ、振り向く。
「あれ…、中口さんじゃないですか!」
俺が歌舞伎町で初めて働いた店ベガ。
当時そこの店長だった高橋ひろしがワールドワンへ一緒に連れてきた相棒の中口だった。
「ワールドワン閉まっちゃって残念ですよ。あんな過激な台、どこも無いですからね」
「オーナーがポシャってしまい、本当にすみませんでした」
「いえいえ、上が潰れたんじゃ、しょうがないですよ」
「中口さんて、そういえばお仕事何をやってるんですか?」
「自分ここすよ」
中口は風俗の11チャンネル向かいにある地下へ降りる入口を指さした。
「ビデオ屋ですか?」
「ええ、ただ自分の場合、新作入ってくるの早いので、同業にそれを撒いてって感じで、客に売っている訳じゃないんですけどね」
裏ビデオ屋。
客で入った事ないので詳しくはないが、裏ビデオテープ何本で一万円とかそういう商売だったよな?
「ところで岩上さん、今何をやってるんです?」
中口なら顔も広そうだし、人柄もいい。
「実はあれからまだ何もやっていないんですよ。中口さん、何か仕事を紹介できたりとかできますか?」
正直に言ってみた。
「え、それならちょうど人欲しがってるところあるんで紹介しますよ」
「是非よろしくお願いします」
俺は中口のあとをついていった。
数ヶ月ブラブラして過ごし、そろそろ働こうかと歌舞伎町へ宛てもなく来た。
系列最後に残った店チャンプで世間話をし、よく通った飯屋へ行った帰りに偶然会った中口。
このような何でもない一連の流れに沿って行けば、何かしらまた生まれるかもしれない。
これまでを振り返ると、お袋と親父を離婚させたいが為に一番早く就職を決めたかっただけで自衛隊を選び、辞めて探偵をしたり、変な広告代理店で働いたりと無駄な時間を使ってきた。
全日本プロレスへ行くと決めてからだな、本気で頑張りだしたのは……。
そこすらもモノにならず、ホテル業界へ。
新潟、浅草と来て歌舞伎町。
七、八年はこの街で生きてきた。
せっかく金を貯められたチャンスを俺は何も考えず、競馬や酒でほとんど無くす。
自分の馬鹿さ加減が嫌になる。
「岩上さん、着きましたよ。このビルの地下なんですよ」
第二平沢ビルと書かれた古い雑居ビルの前で、中口が声を掛けてきた。

真ん中に階段があり、その両脇に店舗が二つ。
看板も無いし外からは何も見えないので、何の商売か分からない。
ただ一階の階段降りる前に『ビデオ メロン』と書かれた看板が置いてある。
ひょっとして裏ビデオ屋で俺は働く事になるのか?
紹介してくれと頼んだのは自分なので、黙って中口のあとをついて階段を降りた。

降りて右手の店舗。
入口は開きっ放しで、店内にはビデオから撮ったのかあちこちにエロ写真が貼ってある。
「どうも、北中さん」
中口が挨拶をすると、テーブルの奥でふんぞり返っていた五十代くらいのメガネを掛けた男がこちらを見た。
ん? どこかで会った事あるような……。
思い出した。
ワールドワンへ行く前のゲーム屋『プロ』の時、客でよく来ていた人だ。
「ん? オマエ、確か西武新宿のところのゲーム屋にいたよな?」
北中も俺の顔を見て、思い出したようだ。
中口は知り合い同士なら話は早いと、自分の店へ戻る。
「北中さん、自分、裏ビデオはまったくやった事が無いんですが……」
「ああ、こっちはおいおいでいいだよ。この上のゲーム屋で一人欠員が出たから、そっち入ってほしいだよ」
語尾に、だよを付ける不思議な口癖。
少し気になったが、どこかの方言か何かなのだろう。
「上にゲーム屋なんてありましたっけ?」
「一階は二つともゲーム屋だよ」
ゲーム屋なら俺も経験が活かせ、すぐ役に立てられる。
裏ビデオ屋は、生理的に受けつけないものがあった。
それにしても汚い店だ。
掃除などまったくした事がないんじゃないのかと思うほど。
「ここ来るまで何をしてたんだよ?」
「一番街通りにあるワールドワンというゲーム屋で、店長をしていました」
「ああ、あそこは赤ポーカー置いてないから、行かなかっただよ」
「あ、だから北中さんって、プロへよく来ていたんですね」
「あの店も潰れてしまったから、歌舞伎町もいいゲーム屋が無くなっただよ」
俺があの店を抜けてワールドワンへ行ってからたった数ヶ月で、プロは潰れた。
暴君状態だった店長の横道。
あまりの傍若無人さが当時の俺と衝突。
プロを去る際、俺は佐々木さんへ何度も伝えた。
「このままじゃ、あの店誰も続かなくなりますよ」
それでも佐々木さんの答えは、俺はワールドワンを流行らせる事を考えればいいからだった。
結果、あの緩い警察の時代にも拘らず、プロは一週間で横道のいる遅番の時間帯に四回も刑事の警告が来たほど。
「この店が歌舞伎町で、一番百十番通報多いんだよ、この野郎! 次来たら、おまえら全員パクるからな!」
そう怒鳴りながら来たと聞く。
そしてプロは潰れてしまったのだ。
あの揉める性格だった横道は、プロを失ってから何軒のゲーム屋で一から働いたのだろう。
しかしどこも勤まらず、ワールドワン後期に佐々木さんを頼り使ってくれないか聞いてきた。
「……」
一度プロの時に、叙々苑でご馳走してくれた事もあったのにな。
俺も結局自分の事しか考えていない。
過去揉めた横道を俺は結果的に見捨てた。
あのワンオン系列では長年働いた分、様々な因果が生まれている。
そんな俺も今、また一からこうして新たな店で働こうとしているのだ。
天に唾するというが、因果応報で結局自分のした行いは、いずれ自身へ降り注ぐ。
もう店長でも何でもない俺は、現時点でただの無職の男に過ぎない。
「そういえば上のゲーム屋って、何の機種が置いてあるんですか?」
「まあいい。今から上に一緒に行くだよ」
北中は腰が悪いのか、椅子から立つ際溜めが必要なようで、左足を少し引き摺りながら歩いている。
一階右側の店舗のインターホンを押すと、しばらくしてからドアがゆっくり開いた。
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