闇 508(インカジレディ編)
闇 508(インカジレディ編)

2026/03/25 wed
※この作品は、因果律に業を混ぜた小説です
前回の章

二千二十年十一月十八日、水曜日先勝。
今宵の酒は旨い酒。
久しぶりに川越の実家に泊まり、起きるとクレアモールをブラブラ歩く。
明日の夜から仕事開始か。
のんびりするのもあと一日ちょっと。
パラッツォに寄りシンフォギア2をやる。
当たって出るも、結局飲まれて負け。
本当に俺は何もする事がない男だよな。
始さんの伊勢屋、櫻井さんの櫻井商店、ヤスのカガヤカフェ。
そしてコーヒーを飲み終わると、加賀屋へ顔を出し近況を話す。
これからは忙しくなるといいな。
コートを羽織ったまま新宿へ戻った。
そしてパブロフの犬のようにラッキーホステル近くになると、また行ってしまう喫茶店『ラ・ムー』。
ベルの音はしないけど、何故俺はここへ引き寄せられるのか?

おそらくそれは、そこにハンバーグがあるから。
仕事が決まったというだけで、ここまで陽気な気分になれるとは。
その突破口となった山下には感謝をしないといけない。
いや、散々あれだけ面倒見たのだ。
このぐらい役に立って当然だろう。
甘やかすと絶対に図に乗り出すのは、目に見えて分かる。
とりあえずレディに決まった事だけは伝えておくか。
ラッキーホステルへ戻ると、アイパッドを取り出して漫画の続きを描き始めた。
こうも一つの出来事で向上心まで変わるなんて、俺は本当にチョロい。
前回の電話機の虐待シーンは終わったので、次は小学校一年生の頃の記憶を元に絵で再現していこう。
一旦目を閉じ、幼少期の忌々しい思い出を蘇らせる。
十回という漢字。
これを『じっかい』と呼ぶ人をこれまで四十九年間生きてきて、聞いた事がない。
当時の僕はテストでこの問いが出た時に『じゅっかい』と答え、バツをつけられた記憶。
担任の浅井先生へ必死に抗議した。
しかし先生は言う。
「岩上君、いい? 先生は授業で『じっかい』と正しい日本語を教えました。だから『じゅっかい』と書いたあなたの答えを間違えにしました」
「で、でも…、誰も十回を『じっかい』なんて読んでいる人はいません。先生お願い、丸に直して!」
「直せません! 理由はさっき説明したでしょ」
先生の理屈は分かる。
でも百点じゃないと、帰ってママにぶたれる可能性が……。
八つの塾へ強制的に通わせられ、テストは常に満点が当たり前。
本当に間違いならしょうがない。
でも、僕の答えは間違っていない。
しつこく先生にお願いすると、聞き入れてくれずに途方に暮れた。
学校から家までたった五分程度の距離が、とても長く感じる。
帰ったらどうしよう?
ママにこのテストの点を見られたら……。
浅井先生の顔をイメージして絵を描く。
あれ、ちょっと似ているかも。

次は母親とのシーンか……。
女性キャラ描くの苦手なんだよな。
また続きは今度でいいか。
小説と違って、漫画は本当に大変だ。
同じ描写でも文字であれこれ書くのと、絵で表現するのは大きな違いがあり過ぎる。
頭の中で先々の構想までは出来上がっているだけに、絵のスキルが追い付かないのが悔しかった。
神経を使い過ぎたのか早い時間で眠くなる。
それでも夜の九時になっていたのか。
二十四時間後には仕事。
起きて時間調整しないと……。
そんな事を思いながらも気付けば深い眠りに入った。
二千二十年十一月十九日、木曜日友引。
目覚めると昼過ぎ。
随分眠ったものだ。
これじゃ二度寝ができないぞ。
とりあえず食事に出るか。
昼飯に寿楽へ行き、焼売と春巻定食を注文。

帰ると昨日の漫画の続きを描き始める。
漫画十四頁が完成するも、かなりの手抜きに見えてしまう。

母親を描くのがなあ……。
お袋が亡くなったと聞き、何年になる?
命日も知らなければ、墓も知らない。
処女作『新宿クレッシェンド』で虐待シーンをそのまま使い、全国書店に並べたのに、それでもまだ足りていないのか?
今度は漫画でお袋の当時の実態を表現しようとしている。
死者に鞭打つような真似を……。
母親として未熟であり失格だったお袋。
しかしそんな俺もその子供として卑しく未だ未熟。
一体漫画など描いて、俺は何をしたのだろう。
まあ自分でやりたくて始めた事だ。
何も強制ではない。
小説も途中頓挫、漫画も同じ道を辿るのかね、俺は。
気分が乗らなければやめておくのも賢明か。
ネオジオをプレイしていても、まるで面白くない。
こっち用にパソコンを一台買っておいて本当に良かったと思う。
気付けば夕方。
刻々と仕事の時間が近付いてくる。
夕食も本日二度目の寿楽。

ソース焼きそばを注文。
徒歩数分でこういう店があるのは本当に有難いものだ。
川越の実家の近隣を思い出す。
まず隣りにトンカツひろむがあって、昔は定食屋だった。
そしてその隣りに横関さん家の食堂。
横関さんといえば、先日弟の徹也からの連絡で知ったのが亡くなってしまったという事。
子供の頃、俺ら三兄弟を川に連れて行ってくれ、網釣りをした記憶。
そして全日本プロレスへ行こうとした時言われた台詞。
「智一郎! そんな道楽をしてんじゃない。おまえは岩上家を継ぎ、この広小路商店街の会長になる器なんだぞ。そんなもの辞めて今すぐ家に入れ!」
昔ながらの頑固一徹で、面倒見のいい人だった。
年を取り、痴呆症が進み深夜徘徊するようになった時は正直迷惑だったが、お袋が出て行った幼少期、愛情を持って接してくれた近所の大人の一人。
俺は両手を合わせ、静かに黙祷を捧げる。
家にも入らず、全日本プロレスも駄目で、何の結果も出せなくてすみません、横関さん……。
昭和時代の懐かしい香りがした感じ。
令和となった今、無機質で味気ない街並みになってしまったものだ。
ひろむも無ければ、横関さん家の食堂も無い。
その先にあった食堂『きねや』も、喫茶店『ポケットマネー』も無い。
隣りにあった幼馴染の安達すみれの父親が営んでいたラーメン屋『幸楽』は火事で全焼してしまった。
先輩の吉岡さんから連絡が入る。
「智一郎! 今、安達ん家が火事! 凄え火事! 屋根がすっ飛んだみたい。金子修の家や隣りの鞄屋のおじちゃんとこも水浸しらしい。うちから、炎が見えた。おそらく全焼じゃないの? 安達の家は誰も住んで無かったみたいだけど。おまえ、同級生いたろ?」
あいつの家が火事?
安達すみれ……。
俺の幼馴染の実家だった。
とりあえず彼女は西川越に家を買い、離れて住んでいるはず。
以前自意識過剰からか、被害妄想からか、俺に対し「私と付き合っているって、方々に言い触らさないでくれる?」と意味不明な電話をしてきてから、一切の連絡を絶ってきた。
異性的な感情一つ抱いた事も無い幼馴染みを疎ましく感じたのだ。
しかしあいつ、実家が火事だと知っているのか?
もう連絡する事は無いと決めていたが、緊急事態である。
そう思った俺は、数年ぶりに連絡をしてみた。
案の定彼女は実家が火事だったのを知らなかったようだ。
お袋さんは夕方六時頃で店を終え、帰っていたようなので無事を確認。
すっかり付き合いも無くなったが、幼少の頃から知っている近所の家が火事で全焼など気分のいい出来事ではない。
困った事あったら連絡してきなよと電話を切る。
あれは初期横浜時代。
あの辺りから身辺で、きな臭い変な流れに巻き込まれ多様な気がする。
「……」
考えてみれば、生まれた時から存在していたものは、実家のクリーニング屋と目の前の三井病院だけになってしまった。
そして長男という立場などお構いなしに、俺はこうして大久保に住み、今日からまた歌舞伎町で裏稼業を始めようとしている。
年を取り知っている人間がどんどん亡くなっていく現実。
それでも店を守り、土地を残し家族はバトンタッチしていく。
ほとんど川越にいない俺は、一体何者なのだろうか?
たまに帰ると笑顔で接してもらえるのは、おじいちゃんの顔が亡くなっても未だ利いているだけだから?
本当に俺は小さい人間だ。
せめて新たな職場では自我を出さず、新しい一歩を踏み出そう。
いい頃合いの時間が来る。
インカジ『レディ』遅番初出勤。
夜の九時から朝の九時までで、いいんだよな。
今からちょうど六年前、俺はインカジ『新宿クレッシェンド』にいた。
だが多額の金を失い、捨てられ〇〇会ヤクザ直営ゲーム屋に働いた。
責任だけを被せられ、そこでも地獄を見た。
新宿から逃れるようにして、二度目の横浜の生活が始まった。
しかし矢田部のインカジではかつてない屈辱を味わう。
登島さんの厚意でイワカミ工業を設立したが、青野のせいで一瞬で崩壊した。
〇〇〇〇組若頭三田のインカジ『ハッピー』では、肉体の極限まで働き数々の裏切りを受けた。
そして二俣川の戸田、旭総建工業では危うく死を選ぶ一歩手前まで行った……。
川越に戻った俺は、再び新宿へ来て酒井さんのゲーム屋『ラッキーハウス』へ約四年在籍。
ぬくぬくと平和ボケした時間を送っていたが、酒井さんの逮捕と共に気持ち悪い店に変わってしまった。
いや、そうじゃない。
始めから気持ち悪い店だったのだ。
そんな俺は、また懲りずに歌舞伎町へ向かっている。
しかも目的地が、インカジ新宿クレッシェンド跡地だなんて、何という因縁なのだろうか。
今度こそ真面目に色々積み上げよう。
来年五十歳。
おそらく最後のチャンスになるのだから。
花道通りから平和通りへ差し掛かる。
この通りは昔から過疎化しているが、それでも以前よりは店も若干増えたのか。
階段を一歩ずつ上がりながら、まるで懐かしい感覚にならず二階へ向かう。
看板も何も出ていないインカジ。
漆黒色の入口だけは昔と変わっていない。
かつて文学と裏稼業の融合だと、馬鹿げた勘違いをしてすべてを失った場所。
もしこれが神様の悪戯だとすれば、少しやり過ぎなのではないか。
ドアの横にあるインターホンを押す。
少しして「はい」という短い返事だけが聞こえた。
「今日からお世話になります岩上と申します」
「少々お待ち下さい」
内鍵の開く音が聞こえ、中へ通される。

一瞬別の空間に迷い込んだのかと錯覚するほど、店内の内装は変わっていた。

クレッシェンド時代なら、この入口を開けた右手の壁側にあったキャッシャー室。
今では奥へ行く通路になっている。
随分改造したものだ。
一体どれだけの金額を掛けて、ここまで変えたのだろう?
面接をした小西が出てくるが、フェイスマスクにマスクとコロナ対策なのか、もの凄い重装備をしているように見えた。
ひょっとして俺、ヤバい店で働くのか?
「あのー…、それは?」
「ああ、店内だとフェイスマスクにマスクを着用するようなんだよ。岩上さんの分も、ちゃんと用意してあるから安心して」
「はあ……」
頭からキャップを被り、透明のシートをつけたフェイスガード。
それにマスクも装着して働くようなのか……。
ソファーでは早番の従業員なのか、細身の背の高い男と目の細い男が私服を持ち着替え始める。
何もこんなホールの中で着替えなくてもと思いながら挨拶をした。
「今日から働く岩上です。よろしくお願いします」
「半崎です。自分もまだ入って一ヶ月ぐらいなので」
「倉敷です。よろしくお願いします」
誰も自分を知らない空間。
新たな生活が始まろうとしている。
レディはシステムがしっかりした店で、専用のベストまで着るようだった。
準備中、女性店員の後ろ姿がトイレに入っていくのが見える。
この店は女性も雇っているのか。
裏稼業に異性が働くのをほとんど見た事ない俺は、ちょっとしたカルチャーショックを受ける。
名義社長小西を筆頭に早番スタッフが帰ると、遅番メンバーへの自己紹介が始まった。
インカムを渡され、装着する。
こんなものまで用意してあるのかと、驚いた。
湯浅という二十代後半の若者風の青年。
茶色の髪の毛はパーマを掛けているのか、ボケッとしながらも優しそうな笑顔を見せている。
先に入ったから先輩だというオーラがまったくなく、年上の俺に対し穏やかな口調の敬語で挨拶をしてくれたので、第一印象はとてもいい。
気さくで明るいタイプに見える。
これまで裏稼業で見た事がないタイプだった。
遅番にもいた女性スタッフの松江。
先ほどの早番の子と比べると、幾分年は取っているようだ。
淡々としたイメージで、口数も少ない。
湯浅がこっそり俺と同じ年と教えてくれ、少しだけ驚く。
最後の一人は片屋敷といい、見た目で同世代ぐらいかなと思った。
年は四十半ばなのか、結構髪の毛も剥げ掛かっている。
背が小さく酔っ払いのように鼻の先が妙に赤い。
体系も豆タンクを思わせるようなあんこ型。
小型相撲力士をさらに縮めたような姿は滑稽に見える。
初対面の俺に対し、凄い気を使っているように感じた。
湯浅がこっそり片屋敷は自分の二つ上と教えてくれ、実年齢が三十一歳だと知った事がこの日一番驚いた事だった。
何となく働きやすそうな職場だな。
面倒臭そうな従業員が誰もいない。
平穏無事を願う俺にとって、それは非情に有難い事だ。
店内の間取りは新宿クレッシェンドと変わらない。
だが、スタッフはキャッシャー室に折り畳み椅子を並べ、二畳もない手狭な空間で待機をするらしい。
この場所でドリンクを作ったり、洗い物をしたり、そしてINとOUTをするパソコンまで置いてあるので、本当に窮屈に感じる。
キャッシャー室のドアの上には大型モニタが設置され、各卓番の映像が個別に映っていた。
本来は八時間三交代制だったが、このコロナ渦などで人員が減り、十二時間の二交代制で凌いでいるようだった。
三交代制といえば、俺が横浜のインカジ『ハッピー』時代に採用しようとして、ヤクザだらけの従業員の為、失敗に終わったシフト。
これまでの店を振り返ると、三交代制でちゃんと機能していたのは摘発されたゲーム屋『フィールド』ぐらい。
あれは歌舞伎町浄化作戦が始まるよりも前。
俺が小説を書き出す前だから、二千三年。
もう十七年も昔の事なのか。
ピアノ発表会をして、パソコンをまだちゃんとやり出す前だったあの頃。
何だか楽しい時代だったなあ……。
フィールドの時は各番二名ずつの計六名の従業員スタイルだった。
だがここでは早番四名に遅番四名…、インカジの場合常にキャッシャーをやる人間がどうしても必要になる為、最低各番三人ずつは必須だろう。
「従業員は自分を合わせ、全部で八名なんですか?」
「いえ、遅番と早番が一人ずつ休みなんですよ。早番にいる我妻さんは、よく休みがちなんですよね。パチンコの結果次第で、隙あらば休もうとしますから」
湯浅が笑いながら教えてくれる。
早番が小西に半崎、倉敷、茶髪ロングヘアーの女性スタッフ、そして我妻。
「遅番はもう一人いるんですね」
「はい、今日は店長というか、責任者の斉木さんがお休みなんですが、明日になれば出勤しますから」
必然的にこれまでどんな店で働いてきたのかと質問責めに合う。
俺は小説や格闘技の事を隠そうとしたが、片屋敷が興味津々に色々聞いてきた。
「え、何故自分が総合格闘技や小説をしたのを知っているんですか?」
「だって斉木さんが昨日岩上さんの履歴書見て、凄い面白がっていて、小西さんに絶対採用しましょうと興奮していたんですよ。岩上さんの履歴書って、かなり特殊じゃないですか。それで何だこの人って、昨日は店内でその話で持ち切りだったんですよ」
「……」
「岩上さん、ユーチューブに色々な映像アップしてますよね? 早番も結構何だこの人って見ていましたよ」
「……」
小説にしても、ピアノにしても、総合格闘技にしても全部嘘ではなく本当に通ってきた道。
だが、ここまで好意的に目の前で言われると、少し恥じらいが出てしまう。
酒井さんのゲーム屋『ラッキーハウス』当初のあの冷めた対応を思い出す。
あのオカマは木下という名前なのか。
ドアを開けると先ほどのメガネ坊主頭が入ってくる。
俺の方向を向き、しばらくジッと眺めていた。
彼もここの従業員なのだろう。
「今日からお世話になります、岩上と申します」
「橋本です、よろしく」
短い挨拶を交わすと橋本はカウンター奥へ入り、着替え始めた。
もう一人のオカマにだけちゃんと挨拶していなかったな。
「岩上です。よろしくお願いします」
頭を下げるとオカマはジッと俺の顔を見ただけで黙ったままホールへ歩いて行く。
え、俺、今挨拶したよね?
何だ、あのオカマ?
何故故に無視をしているの?
木下の後ろ姿をポカンと眺めていると、橋本が近付き「彼は少し変わっているから気にしないで」とだけ声を掛けてきた。
「あ、はあ……」
何なんだ、あのオカマ野郎?
変わっているとかそういうレベルじゃないぞ?
「岩上さん、ワイシャツとネクタイは?」
「あ、コートとスーツを脱げばそのままワイシャツにネクタイをしています」
「了解です。うん…、ズボンも黒だし…、その格好で問題ないです。仕事する時は黒いズボンにワイシャツネクタイ。これが基本スタイルになるので」
「了解しました」
「コートやスーツはあそこの箱の中にぶら下げるスペースあるの出掛けて下さい」
「はい」
店長の香川と橋本が引継ぎの話をしている間、オカマの木下は俺を手でどけて「どいて」と短く言って着替えだす。
「……」
いちいちやる事が癪に障る奴だな……。
いやいや初日だし、カリカリするなよ。
気にするな。
「……」
何だかここでは上手くやっていけそうだな……。
特に温かく出迎えてくれた湯浅と片屋敷に、俺は心の中で感謝をした。
これまでの経歴を立ててくれながら、とにかく色々な事を聞いてくる。
バレているので変に隠してもしょうがない。
俺は聞かれた事に対し、正直に答えるようにした。
「前って従業員は、もっといたんですか? 三交代制をしていた時って」
「ええ、色々いましたよ。このコロナや、情報入った寒閉めで辞めた人もいるんですけどね」
「寒閉め? えーと、それは?」
「上にケツから情報色々入るんですよ。それで前もって警戒して店をあの時って一ヶ月ぐらいでしたっけ、片屋敷さん」
「そうですね、一ヶ月ぐらいでしたね」
「それで辞めた人もいるし、社長の小西さんと揉めて辞めた大山って人もいるんですよ」
「大山?」
まさか大山って、俺がラッキーハウスへ入れた大山じゃないよな?
でもあいつの話だと、インカジで働いていたけど嫌になって辞めたと言っていたな……。
大山の情報を詳しく聞いてみると、思った通りあの大山で間違いなかった。
何という因果なのだろう。
湯浅は興味津々に、俺と大山が知り合いなのを聞いてくる。
彼は大山と共に働いていた時は、とても仲良く仕事ができたようで、プライベートでの付き合いも多かったと楽しそうに話す。
あいつと知り合ったのは歌舞伎町浄化作戦前。
俺が巣鴨警察に捕まる少し手前。
二千四年の頃の歌舞伎町の話をすると「僕なんて、その頃だとまだ小学生ですよ」と湯浅は無邪気に笑った。
「もっと大山さんの昔の話ないんですか? あの人、本当に面白い人だったんで」
あの馬鹿のエピソードだと、風俗の『ガールズコレクション』の時が秀一。
「凄い笑えるけど、とても長い話になりますよ?」
「是非聞きたいですよ」
「これはいかにあの馬鹿が本当に脳みそ無いなという昔の話です」
「え、大山さん、そんな馬鹿だったんですか」
「ええ、おっぱいは綺麗でしたなんて、意味不明な事言うほど……」
「え、何ですか、それ? 聞きたいですよ!」
「まあ、そこまで言うなら……」
当時を思い出しながらゆっくり口を開く。
「失礼します……」
入口を見ると、地味な女が立っていた。
「あ、あのですね…。ここ、風俗店の受付なんですよ」
俺がそう応えると、地味な女は一礼して入ってくる。
「今日から出勤する予定の田中麻子です」
あ、そういえば當真が新人入ると言ってたっけな。
とりあえず座らさせ、履歴書をもらう。
事情を聞くと、彼女はコスプレヤーとかいう漫画やゲームのキャラクターの格好をするものをやっているようだ。
「結構稼げるの?」
「いえ…、ほとんど趣味なだけなので、自作でコスチュームも作らなきゃいけないし、お金がほとんど無くなってしまって……」
また変なの寄越してきやがったな、あの馬鹿め。
まあ風俗嬢の頭数は多いほうがいいだろう。
「とりあえず源氏名…、まあ本名でもいいけど、それを決めようか」
「私…、ゆきながいいです!」
ゆきな…、いや、すでにOLのゆきがいる。
名前が被るのは好ましくないだろう。
「えーとね、申し訳ないんだけど、うちにはゆきって子がいるのね。源氏名なら、別の名前にしてもらえないかな?」
その瞬間田中麻子の表情が一変した。
「そんな! 私、コスプレしてる時の名前がゆきななんです! だからこの名前は譲れません!」
何だ、この女……。
おまえの事情なんざ知らねえよと言ってやりたかった。
しかしこういう変な子ですら、店の手駒として使うのが俺の仕事。
さて…、名前問題どうするか?
「あ、新人の子?」
そこへ馬鹿の代名詞當真が店に来る。
俺はゆきながいいと名乗る問題を簡単に伝えた。
「どーもー、私が店長の當真です! ゆきなちゃんね、うん、いいんじゃないの、それで」
いきなり何を抜かしてんだ、この馬鹿……。
「ありがとうございます! 私、風俗初体験で、この名前じゃなかったらどうしようかなって悩んでいたんですよ」
おいおい、ゆきと思い切り名前が被るだけじゃねえかよ……。
「じゃ、ゆきなちゃん。待機場所は伝えてあったよね? そこ行っててもらえる」
妙に浮き浮きしながら、ゆきなは出て行った。
俺はゆきな問題で、當真へ問い詰める。
「すでにゆきが居るのに、ゆきななんて名前被らせて、どうすんですか!」
「しょうがないよ。本人のモチベーション下がっちゃ意味無いからねー。それより早速彼女にサクラつけといてよ」
「何でいきなりサクラを……」
待てよ、確かゆきなは風俗未経験と言っていた。
俺の知り合いつけて、その辺本当の客につけて大丈夫なのかの確認は必要か。
「ゆきなちゃんへのご祝儀代わりだよ、ご祝儀」
馬鹿の當真は店を出ていく。
何がご祝儀だ、馬鹿が……。
俺は早速山下へ連絡して、誰かサクラで来れるよう頼む。
「この時間この間の大山になるんですよね…。岩上さん、あと一時間後とかにできませんか? そしたら俺が行けるんですが……」
「ふざけんな! 何で金にもならないサクラの都合なんて、こっちが聞かなきゃならねんだ! とっとと大山を店に呼べよ」
本当に歌舞伎町の人間は馬鹿ばかりだ。
ワールドワンのゲーム屋時代からそうだったが、山下も中々の馬鹿である。
十年近くこの街にいて、あまりの馬鹿さ加減で俺が意図的に暴力を振るったのは、山下だけなのだ。
いや、違うな……。
新規伝票を書きまくり架空の新規客を増やし金を抜いてクビになった中田。
あのクズがパンチパーマ掛けて偉そうに歌舞伎町歩いているの見掛けた時も、確かに殴った。
正確には蹴っ飛ばしたか。
「岩上さん、毎度どうも」
大山が嬉しそうな表情で入ってくる。
「あ、大山ちゃん。今回つけるの風俗未経験なんだよ。だからさ、常連ぶった客のふりして、レンタルルームの入り方とか、プレイの手ほどきとか、さり気なく教えてやってほしいんだよね。それとその子に客をつけて本当に大丈夫なのか。それをお願いね」
「は、初めてですか! 分かりました!」
風俗初物という事に過敏に反応する大山。
ゆきなを呼び出し、大山は浮き浮きしながら出て行った。
客が来て会計して女の子呼べば、店番の仕事なんてほとんどする事がない。
小説『とれいん』の続きを書き始める。
執筆にいまいち気が乗らなくても、少しずつでも書き進めないとな。
あ、そういえばゆきなの写真撮るの忘れていた。
大山が戻ってきて少ししたら、写真でも撮っておくか。
まあスタイルも特に良くなく、あの地味な感じだと、写真で宣伝したところで客の指名もらえらの難しいだろうけどな……。
「どうも、岩上さん。お世話様でした」
大山が戻って来る。
「じゃそろそろ店へ戻る時間なので……」
「おい、ちょっと待てよ!」
「え、何ですか?」
「新人のゆきなの事、何も聞いてねえぞ。大丈夫なのかよ、客つけても」
しばらく腕を組んで大山は考えていたが、ようやく口を開く。
「お…、おっぱいは綺麗でした」
「そんなの聞いてねえって! 客をつけても問題ないのかって聞いたんだ」
「うーん、結構地味な子じゃないですか…。フレッシュさはあるんですけど、指名とか今後もらえるかと言うと……」
「違う! 新規に客をつけても大丈夫かって事! おっぱいが綺麗とか、指名を今後取れるかなんて聞いてねえだろ」
「も…、問題ないかと思います……」
それだけ言うと、大山はそそくさと帰った。
山下の後輩だけあって、結構あいつもヤバい奴かもしれないな……。
店の電話が鳴り、ぴゅあらばから二人組と一人、総勢三名入れるかの連絡が来る。
ミミ、杏子、そしてさっきのゆきな。
問題ないな、俺はよろしくお願いした。
最初に二人組が来店し、ミミ、杏子をつける。
一人の客が店に来たので、実際につけられるのはゆきなのみだが、声を掛けてみた。
「お客さん、非常に運がいいところに来ましたね!」
「えっ、運がいい?」
「はい…、他の子たちは今さっきついてしまったんですが、今ですね…、風俗未経験の子が入ったばかりなんですよ」
「え、どの子ですか?」
客は興奮気味に並べてある写真を見た。
「それがですね、お客さん。本当にさっき入ったばかりで、まだ写真とかの準備すらできていないんですね」
「え…、か、顔とかは?」
「顔はブスではないのですが、地味です」
「じ、地味……」
「ただですね、その子にとって、お客さんが本当に初めてのお客さんになります。風俗嬢初めてなんて、処々を奪うようなもんじゃないですか!」
かなり大袈裟に捲し立てる。
「しょ…、処々……」
「そうですよ! 今このタイミングでしかありえない事なんです。別の子にしてもいいですが、彼女の処女性を実感できるのは、ほんとに今だけなんです!」
「し…、指名しちゃおうかな……」
「ありがとうございます! ゆきなにとって、お客さんが最初の男ですよ!」
「さ、最初の男……」
「それではすぐ呼びますので、そちらへ腰掛けてお待ち下さいませ」
大丈夫、嘘は言っていない。
地味なのも正直に言っているし、風俗初も本当だ。
店まで来たゆきなの姿を見て、客は一瞬固まっていたが、やがて達観したかのように陽気に街へ消えていく。
ミミと杏子が帰ってくる。
すでに今日三人目ずつついているので、二人共機嫌がいい。
「ね、岩上さん、面倒見いいから、早番来て良かったでしょ?」
「岩上さん信じて早番で働いて良かったですよー」
上機嫌の杏子。
何でこんな子が風俗を選ぶのか不自然である。
「今度時間できたら飲みに行きましょうねー」
二人はニコニコしながら店を出る。
少しして先ほどゆきなへつけた客が、ガールズコレクションへやって来た。
普通客は女の子とのプレイが終わると、さっさと帰るもの。
顔つきは青褪めている。
ひょっとしてクレームを入れに来たのか?
「お兄さん…、ちょっとあの子酷過ぎますよ!」
やっぱりゆきなの件でのクレームか……。
「酷いと言いますと…、何かありましたでしょうか?」
「彼氏いるからキスはできないとか…、口じゃちょっと嫌なんで手でいいかとか……」
「……」
確かにそれは酷い。
客の言い分ももっともだ。
「お客様…、今からすぐに当店ナンバーワンの子をお付けします。もちろん料金はいりません。無料で遊んで行って下さい」
フォローで迅速に行動する。
無料にしたのは、こんなクレームを入れに来るような接客をしたゆきなの分は給料カット、その分を杏子につけてればいいと判断した為だ。
「いやー、お兄さん…。私、こんな神対応を風俗でされた事ないです! ただですね、そのナンバーワンつけるの、明日じゃ駄目ですか?」
「明日ですと、その子もお休みなんです。お店の都合なんですが、一日毎の〆になります。なので明日以降になりますと、無料でサービスというのが難しくなります」
適当な言い訳を捲し立て、客のクレームの逃げ道を無くす。
「いえ、自分が悪いと言うか…、だらしないと言うか……」
「…と言いますと?」
「口は嫌で手でいいですかって、それでいっちゃった自分も情けないんですけど…。まあそういった都合もあって、明日以降がいいかななんて……」
何だ、こいつ…、しっかりいくだけいっといて文句言ってるのか……。
「お客様…、大変申し上げましたが、その件に関しましては先程説明した通り、今日中でお願い致します」
「わ、分かりました……。では、遊ばせていただきます……」
少しだけ意地悪な気分だったので、虐めてやる。
それにしても大山の奴め…、何が客つけて大丈夫なんだ?
あとで呼び付けて怒鳴りつけてやる。
ここまで話すと、レディ遅番スタッフは大笑い。
「明日斉木さんに、この話聞かせたいですよ」
「斉木さん? 斉藤さんではなく」
「ええ、斉木さんです」
「斉藤さんだったら、俺と大山共通の知り合いいたんですけどね」
俺はセブンスターに火をつけながら、斉藤弘一を思い出す。
もうあれから三年も経ったのかよ……。
式場の外へ出てセブンスターへ火をつけた。
ジョーカーのオーナーは火葬式に来た人間たちと親しそうに話をしていたが、俺の顔を見ると不思議そうな表情で近付いて来る。
「えーと…、失礼ですが、お会いするのは初めてですよね?」
「ええ、そうだと思います」
「ん-…、失礼ですが、斉藤とは古くからのお知り合いの方なんでしょうか?」
俺はポケットからセブンスターのボックスを取り出す。
ニヤリと笑いながら静かに言った。
「古くからではないと思います。大倉や山下、そして大山や中口は随分昔から知っていますけどね」
「はあ……」
セブンスターの箱をゆっくり掲げた。
「付き合い自体は三年程度です。でも…、同じセブンスターを愛した盟友でした」
俺はそれだけ言うと軽く会釈をし、式場をあとにした。
斉藤さん…、俺は心機一転また頑張りますからね……。
「ちょっと斉藤さんって人は知らないですけど、大山さんとも仲良かった人なんですね」
「ええ、俺より一つ上で、癌で三年前に亡くなってしまいました」
「四十代で癌だと、進行早いみたいですからね」
「まあ分かったところで、何もできなかったのが悔しいですよね……」
レディ初日で、まさか大山や斉藤弘一の話になるとはな。
そしてニ十歳も年下の湯浅と、まるで以前から知り合いだったかのように仲良く話せる職場。
これならもっと早くから働いていれば良かった。
「そういえばこの箱って、前は『セカンドフロアー』でしたよね?」
「え、何で岩上さん、そんな事まで知ってんですか?」
「もう二千十四年…、今から六年前ですが、このレディの箱で俺がインカジをやっていたんですよ」
「マジですか?」
「裏切り裏切りの連続で、すぐ崩壊しましたけどね。それでこの道の先にあるうな鐵あるじゃないですか。あそこの向かいのヤクザ直営のゲーム屋で、働き出した頃、大村さんグループが後に入りセカンドフロアーになったのを知ったんです」
「歴史を感じますねー」
「そこが摘発されたのは聞きましたが、そのあとレディになったんですね」
「いえ、ちょっと違うんですよ。セカンドフロアーのあと、一回裏スロになって、それからまたこのレディになったんです。僕と片屋敷さんは裏スロの時一緒に入ったんですよね。だからセカンドフロアー時代は知らないんですよ」
自分の中ではまだ最近の話題に感じていたが、彼らからすると最新になるのか。
俺も年を取る訳だよな……。
片屋敷の説明でビックリしたのがレディの扱うサイト数。
マイクロやクルーズといった定番のサイト以外に、タイシャン、ビックウェーブ、タイガー、レッドブルといった珍しいサイトまで各種揃えている事。
各サイトによってクレジットは違ってくるので、これはキャッシャーをやる人間は大変だなと感じる。
店の電話が鳴り、松江が「キャッチ松岡さん、新規一名」と口を開く。
「岩上さん、湯浅君と一緒に入口行って、新規客の受け方だけ見といて下さい」
「了解しました」
ドアを開けてまたしても驚いたのが、以前から知り合いのキャッチ松岡だった。
向こうも俺の顔を見て驚いている。
「え、何で岩上さんがここに?」
「ここで一からまた働くようになりました」
「やっぱり岩上さんはこの場所に縁があるんですねー」
「ええ、今日初めて働いてつくづく因果関係を思い知りました」
どうやら俺は、このレディでうまくやっていけそうだな。
それが仕事初日を終えた感想だった。
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