闇 33(裏ビデオ屋の懲りない客の面々編)
闇 33(裏ビデオ屋の懲りない客の面々編)
2024/09/30 mon
前回の章
ある程度自分でパソコンを使いこなせるようになった俺。
週末に決まって行われた坊主さんとのレッスンは、その成長ぶりを見て「あとは自分で応用を利かせて頑張れ」と終了する。
特に予定もなく、川越の街をあてもなく歩く。
小学時代の同級生滝川兼一の母親である加賀屋のおばさんに、自分で印刷した『新宿クレッシェンド』をプレゼントし、隣りのスガ人形を継いでいる先輩の須賀栄治さんにもあげた。
もう四年ぐらい前になるが、栄治さんには四歳の可愛い男の子がいて、当時幸せそうだった。
でも、子供が病気で亡くなってしまい、当たり前の話であるが栄治さんや奥さんはずっと表情が暗かった。
何とか元気付けたい。
そう思って、自分のピアノ発表会にも誘ったし、処女作の新宿クレッシェンドをプレゼントした。
「こんな大男が市民会館でピアノ発表会に出るなんて、笑っちゃいますよね」
ユーモアを利かせたつもりでも、栄治さんの奥さんに笑顔はない。
四年前のあの時からずっと心を閉ざしたままなのだろう。
気丈にも栄治さんは、自分の文章の中の誤字、脱字や表現のおかしなところへ付箋を貼り、丁寧に訂正部分を書いてくれた。
その行為はとても嬉しく感じたが、元気付けたいのにこれじゃ逆に俺が元気付けられてる。
裏ビデオ屋メロンで働き出して数ヶ月間。
守銭奴、金の亡者といった表現が適切な、北中の人間性は当初フィールドの山本が話していた事が嫌というほ理解できた。
あの男の下にいるのはとてもストレスが溜まる。
そして野地との人間関係は良くなったにせよ、あの臭くて不潔な倉庫へ行くのはやっぱり嫌だった。
いつの間にか俺は栄治さんに愚痴をこぼし、いつか北中を懲らしめてやると憎悪を込めて話していた。
すると栄治さんは自分の後頭部を触ってきて、口を開く。
「大丈夫、智ちゃんはそういうの出来るような人間じゃないから」
「え、何でですか?」
「悪い奴っていうのは、頭の後ろがでっぱっているんだよ」
その時、人の後頭部のでっぱり具合が気になる主人公で小説を書いたら面白いんじゃないか。
簡単に思いついた設定を話すと、奥さんは少しだけ笑ってくれた。
もしその作品が完成したら、栄治さんや奥さんも、もっと笑ってくれるかもしれない。
処女作の『新宿クレッシェンド』を完成させてから、一週間も経たない二千四年二月十日。
俺はまた続編を書き出そうと決意する。
またあの文字だけしか浮かんでいない空間へ潜るのは、ある程度覚悟が必要。
それでも一つの作品を書き終えたあの達成感は、十分過ぎるほどの報酬だ。
そう考えると、裏ビデオ屋メロンも、嫌な事ばかりではない。
基本的に暇な仕事なので、パソコンはやり放題。
北中は嘲笑していたが、キーボードを店に持ち込んで仕事中ピアノを弾いているのも自由。
給料面でいえば月に三十万半ばではあるが、普通に生活していれば問題のない稼ぎではある。
俺はクレッシェンドの続編を『でっぱり』と名付け、執筆を開始した。
一気呵成に書き進めると、次は月の光の演奏。
どちらにせよ『くっきぃず』のピアノ発表会が迫るこの時期に、家と職場の両方で月の光を弾けるのはありがたい。
月に数回程度来る常連客が、小説を打つ俺に声を掛けてきた。
見た目は少し剥げかかった四十半ばの男。
中肉中背というよりは体格がガッチリめであり、牛乳瓶のようなメガネを掛けている。
天然パーマなのか短髪は大仏のような感じに見えた。
細く釣り上がった目。
そんな彼は裏ビデオを買うというよりも、俺と色々な話がしたかったようだ。
それでもいつも五千円程度の金をおとし、ちゃんとビデオを買っていく良識も持ち合わせている。
悪い人ではないので、俺も普通に会話へ付き合った。
話をしていて感じたのが、真面目で不器用な人なのだろう。
サラリーマンをしながら、新宿駅東口近くにあるボディービルへ通っているらしい。
俺の身体を見て、いつも何か過去にしていたんじゃないですかと聞いてくるので、全日本プロレスや総合格闘技の話をした。
すると彼は興奮し、自分の通うボディービルのジムへ一緒に行きませんかとしつこく誘って来る始末。
丁重に断りを入れるが、それでも彼は定期的にメロンへ顔を出してくれた。
裏ビデオを買う金が無い時は、その辺の屋台で売っている鶏の丸焼きをお土産で買ってきたり、何かしらの差し入れをしてくれる。
いつもそんな気を使わないでと伝えるも、彼なりの気持ちなのだろう。
ゲーム屋とはまた違った客との交流。
これはこれで面白い。
俺は客用に買い置きの缶コーヒーの段ボールをテーブルの上に置き、会話が弾んだ客の前で何度か打突を披露した。
何故俺が何の技術も練習もしていないのに、畑違いの総合格闘技の試合へ臆する事なくあの時出られたのか?
それはこの打突を編み出していたからだ。
真剣勝負という謳い文句の総合格闘技。
それならばこの技を解禁してもいいよなという絶対的な自信があったからこそ、命を亡くしても主催者側に責任を追及しないという誓約書へサインして試合に出る覚悟があったのだ。
当時の試合の様子を聞きたがるので、俺は三年前のあの試合を思い出しながら語る。
試合が始まる。
シュート二位という触れ込みの小池はいきなりタックルをしてきた。
俺はステップバックし勢い止め、上から覆い被さる。
横腹に一発パンチを浴びせた。
相手の胴へ両腕を回し、パワーボムで持ち上げようにも必死で亀になる相手。
俺はジリジリ身体をずらし、ジャーマンスープレックスで投げてやろうと思ったが、足のフックがズレて瞬間宙に舞う。
またパワーボムを狙うも相手は亀の状態で必死にガードをしたいるだけ。
この状態なら上から肘か膝を落とせば終わる。
だがそれじゃつまらない。
俺は体勢を解き、相手を自由にした。
すぐさま掛かってくるので両脚を首に巻き付け、三角絞めを極める。
それも解き、立ち上がった。
一発くらい殴らせてやろう。
プロレスは相手にも見せ場を作らないといけない。
妙な余裕があった。
殴られ、これからという時にレフリーが間に入り相手の腕を上げる。
「何だ、そりゃ?」
ダウンもグラつきもしていない。
不可解な裁定に俺はマウスピースを取り叩きつける。
今でも俺は負けていないという自負があった。
そして俺は強い…、そんな自惚れもある。
あの試合のあと、坊主さんが「智が九十九パーセント勝っていた試合なのになあ」と言った台詞は未だハッキリ覚えていた。
彼の言うように、俺自身何のダメージも受けていないのだ。
あの時情けなど掛けず、全力で戦っていれば良かったのである。
不完全燃焼のまま俺は三十代になり、未だ根底には格闘の火種が燻っていた。
当時の様子を語る俺に対し、ワクワクしながら話を聞く客。

そんな時俺は決まって段ボールへ打突をお見舞いしてみせた。

缶コーヒーが中にぎっしり詰まった段ボール。
それを気にせず鍛えぬいた親指で突く。
「うぉ!」
打突を、間近で見た客は絶対に驚いて大声をあげた。
何故なら突いた逆側の段ボールから、衝撃で缶コーヒーが勢いよく飛び出すのである。
中身の入った缶をそのまま親指で突くのだから、当然俺にも被害はあった。
大抵親指の爪は割れ、中に血が滲み黒くなってしまう。
それを見た客は「大丈夫ですか、指が…」と言うが、威力を見せたくてやったのだ。
俺にとって後悔など何もなかった。
よくよく考えてみたら、新宿歌舞伎町の地下一階にある寂れた裏ビデオ屋で働く男が、パソコンで小説を執筆したり、キーボードでザナルカンドや月の光を演奏し、仲良くなると打突まで披露しているのだ。
エロスを求めてこの店へ来たはずの客が、風変わりな俺を見て気に入られる図式。
この空間にいる人間は、どこか滑稽で自分を含めみんな歪んでいる。
ここ最近メロンへよく来る男。
泉と名乗るこれまた四十代前半の男の客からも、俺は妙に懐かれた。
きっかけはどんな裏DVDがいいかというきっかけであるが、俺も色々下調べをして彼の望む好みの作品を教える。
それが嬉しかったのか、買った作品のチョイスが良かったのかは分からない。
それ以来頻繁にメロンへやって来るようになった。
ゲーム屋時代も結局な客から慕われたが、裏ビデオ業界でも種類は違えど好かれる人には好かれるようだ。
「岩上さん、中山美穂の裏ビデオの噂って聞いた事ないですか?」
中学、高校生時代、大人気だったアイドルの中山美穂。
確かに裏ビデオがあるという噂は聞いた事がある。
若い頃…、いつそれを耳にしたんだっけ?
そうだ!
同級生の篠崎もいたインチキ教材売りの仕事の時だ。
斉藤という太った上司がいて、したり顔で「中山美穂の裏は実際に存在するんだよ!」と昼休み力説していたのを思い出す。
俺自身その実物を見た事も無いし、中山美穂は元々そんな好みでは無かったので別段興味は薄かった。
但し今この業界にいるので、それが本物なら凄いニュースになる事は間違いない。
個人的な好みを言えばグラビアで活躍している市川由衣のがあれば、五万円くらいでも買ってしまうのだろうが……。
「あの中山美穂の裏ビデオ…、実在したんですよ」
「え? 本当ですか?」
身を乗り出す俺。
泉は話を続ける。
「見た事あるんですか?」
「見たも何も俺ね、昔その作品に男優で出ていたんですよ」
「えーっ!」
さすがにこの話には驚く。
中山美穂の裏は本当に実在した……。
「あ、そんなに喜ばないで下さいよ」
「だってそんなのあったら……」
「いえいえ、続きを聞いて下さいって」
「はあ……」
彼の話によると、もちろん中山美穂本人の裏ビデオなんて無い。
彼女が大ブームだった頃、そっくりさんを出演させて裏ビデオの撮影をするという体だったが、連れてきた女優は中山美穂にまるで似ていなかったらしい。
その時の出演男優が自分だと、泉は言う。
そこで撮影はしたものの、すぐに別人だと分かってしまう為、マスターテープを何度もダビングを繰り返し画質を悪くさせ、中山美穂の裏ビデオと銘打って世に出したようだ。
「えー…、何だ……」
「だからそんな期待しないで下さいって、最初に言ったじゃないですか」
「でも偽物だけど、その子は可愛かったんですよね? 一応そっくりさんという名目だったんだから」
「それがですね…、似てもないし、凄いブスだったんですよ」
「……」
泉自身、そのがまったく可愛くなく立ちも悪かったらしい。
射精で出す精液は卵の白味と何を混ぜて作った疑似のものをスポイトに入れて、ピュピュっと出すという裏話まで教えてくれた。
それにしても中山美穂って俺の一つ年上だったよな?
彼女がブームなんて、二十歳前後だろ?
俺が成人したかどうかぐらい?
業界裏話をこのように話してくれた泉。
彼に懐かれているのだけは理解できた。
小説を書きながら集中していると、世間話をしてくる客たち。
俺は仕事中なので、一旦執筆を中断する。
内心早く帰ってくれないかなと思うが、そう邪険にもできない。
俺が常連客と仲良く話していると北中が階段を降りてメロンへ入ってきた。
この馬鹿は偉そうにカバンから札束を取り出し、ノートパソコンの上へ放り投げてくる。
パッと見、百万円の束を五つ。
「岩上、数えろ」
「はあ……」
客がいる時に必ずやるお決まりのパフォーマンス。
ケチなくせに金持ちアピールだけは凄い。
「社長、金持ってんですねー」
そう言われるのが好きで、毎度同じ行動をする。
本当にうんざりしてきた。
俺にしてみたら、五百万の札束を無駄に数えるだけ。
小銭持ちなのは分かったからいい加減にしろよと言いたい。
一度「北中さん、こんな大金この街で持ち歩いちゃ物騒ですよ」と助言するも「俺がどれだけヤクザに顔利くか知ってるだろ?」と虚勢を張る始末。
馬鹿につける薬はなかった。
確かにそこそこの金は持っているのは分かるが、趣味の悪い成金丸出しなので羨ましくも何とも思わない。
そもそも野路が元々持っていた金を奪っただけの男。
常に何かしらの自慢をする北中。
面倒なのでモニターを眺めながら、はいはいと適当な相槌を打つ。

気分良く話す馬鹿を横目でチェックしつつ、俺は右から左に話を流し、フォトショップを起動する。
右腿の側面にマウスを当てながら北中の顔を描いてみた。
俺が自分の似顔絵を描いているなんて夢にも思わず、いかに金を持っているか、昔は喧嘩が強かったと話が止まらない。
俺はチラッと見ては、マウスを少しずつ動かす。
そんな事を何も気付かず自慢話に夢中な守銭奴。
滑稽な男だと思いながら、笑いを堪えた。
上のゲーム屋フィールドの従業員が〆用紙を持ってくると、INとOUT差をチェックしてメロンを出ていく。
また金をガジリに行くのかよ……。
奥さんになった中国人のシンシンは、たまに地下のメロンに降りてきて「パパ、本当にケチね」と愚痴をこぼす。
食事のほとんどがラーメンとライスのみで、シンシンが餃子も頼みたいと言ったところでまったく聞き入れてくれないようだ。
そんなどうでもいい愚痴を俺に抜かすなと言いたい。
それを承知で籍を入れたのは自分だろと思うが、さすがに腹の中で呟く程度。
そんな日常を送りながら、俺は『でっぱり』を二月二十四日…、十四日間で完成させた。
新宿クレッシェンドより四日も早い物語の完成。
プリントアウトして本にしたら、近い内、栄治さんへプレゼントしないとね。
フィールドのオーナーである金子も、北中のいない時間帯を見計らって顔を出す。
最初は世間話だけだったが、次第にパソコンの事を聞いてくるようになった。
「岩上さん、パソコン詳しいですよね? ちょっと画像修正のやり方を教えてほしくて」
目的はパソコンを使ったやり方だが、話をしている内に北中の愚痴に行き着く。
自分が気付いていないと思って好き勝手やっているがと不満を漏らすが、それなら俺にでなく北中本人に言えばいいものを……。
そういえばフィールドの店長小泉の貯金の件は、どうなったのだろうか。
気にはなるが、無関係の俺が関わったところで藪蛇だ。
変に俺から口を出して面倒な事に巻き込まれるのは嫌なので、触れずに置いておいた。
たまに顔を出すヤクザも、二言目には北中の愚痴。
みんなそれぞれあの守銭奴に、何かしらの不満を抱いている。
客がいない時俺がピアノを弾いていると、音色に釣られて不思議そうな表情で降りてくる者もいた。
「ここってビデオ屋ですよね?」
店内を見回しながら恐る恐る聞いてくる客。
俺は発表会が近い事、そして弾く曲がドビュッシーの月の光である事を説明した。
本当はザナルカンドを弾きたかったが、ピアノ発表会ではクラシックが定番。
しかも先生にも頑張って月の光を弾くと宣言してしまったのだ。
今さら後には引けない。
「いやー、お兄さんのお話は本当に面白い」
五十代半ばのサラリーマン風の男は、俺の話を興味津々に聞いている。
「まさかね、こんなって言っちゃ申し訳ないですが、こんな裏ビデオ屋で岩上さんみたいな人がいるなんて思いもしませんでしたよ」
確かにこんな俺に対し、興味を持ってくれる客はたまにいた。
褒められて悪い気はしない。
自然と弾む会話。
「良かったら、連絡先交換しませんか?」
パソコンでフォトショップを扱うようになって、俺は小説の表紙や絵だけでなく、自身の名刺などもデザインしていた。
何回か坊主さんにやり方を来たが、答えはいつも「自分で好きなようにいじって慣れるしかないよ」と素っ気ないものだ。
前回北中の似顔絵を描けたのが、怪我の功名になった。
フィールドの従業員たちへ見せると「うわー、すげえ北中さんに似てるわ」と大笑い。
それ以来、とにかくフォトショップをいじり続け、色々なものをデザインできるようになっていた。
俺の格闘技現役時代と、ピアノを演奏している時の写真をモチーフに作った個人用名刺。
これまで飲み屋の女にあげる活用法くらいしかなかった。
裏ビデオ屋に来た客と、連絡先の交換か……。
しかし悪い人では無さそうなので、仲良くなった客とは名刺交換をするようにした。
「ふむふむ……」
男はしばらく俺の名刺を穴が開くくらい眺めている。
「あの…、何かありました?」
「いえ、私…、実は姓名判断を生業にしているんですね」
「はあ……」
「岩上さんのお名前見て、職業上ついつい気になってしまうんです」
姓名判断鑑定士ってやつか?
俺も占いやこういう類いのものは嫌いではなかった。
「気になった事言ってもいいですか?」
「是非ともお願いします」

「まずですね…、苗字の岩上で十一画。名前の智一郎が二十二画。合わせると三十三画…。これ、特殊格という本当に考えられて作った名前ですよ」
この名前に今でこそ納得しているが、幼い頃は本当に嫌で仕方がなかった。
岩上智一郎は読み方で十文字。
鬼ごっこやかくれんぼをする際、三十秒数えてからとかいう時に「岩上智一郎、岩上智一郎、岩上智一郎」と三回復唱し、喧嘩になった事もあった。
そのような経緯から、幼少期どうしても自分の名前に親しみが持てなかったのだ。
「名前から見ると、岩上さんはこれまでバラバラな事を色々してきたんじゃないですか?」
俺は自衛隊から始まった社会人生活から、全日本プロレス、浅草ビューホテルなど経歴を簡単に話した。
「失礼ですが、今お年は?」
「三十二歳です」
俺が答えると姓名判断士は満面の笑みを浮かべながら「いやー、岩上さん…。三十三歳になった時、これまでの経験も活かせる凄い出来事が起きますよ」と言われる。
そんな事を言われたら、俺も過度な期待をしてしまう。
三十二歳になったぱかりだから、あと一年後。
その時俺に何かが起きるのか……。
店番をしながら小説の見直しをしていると、一人の客が声を掛けてきた。
「大変申し訳ありません。あの…、熟女ものもっとありませんか?」
四十代後半の物腰柔らかそうなメガネを掛けた中肉中背の男。
ジャンル的に熟女ものは、そこまで需要のあるジャンルではない。
「こちらにあるものが、一通りの熟女ものになりますね」
「いや、あのですね…。こう三、四十代ではなくもっと年上のものは……」
データ化して調べてみたものの、この客に沿うDVDはそこまで置いてなかった。
「それ以上の年齢になると、求めるお客さんが少なくなるので、あまり見掛けないんですよね」
「うーん…、やっぱりそうですよね」
肩をガッカリ落とす客。
しかし俺が真摯的な対応が気に入ったのか、メロンには定期的に来てくれた。
何度かやり取りしている内に、連絡先の交換までするような仲になる。
驚いたのが、この西山という客は歯医者の先生である事。
三鷹で開業しているらしく、趣味が合うと喜んでくれた。
俺のは趣味でなく、ただ仕事だからやっているだけ。
しかしわざわざ言うのも野暮なのでやめておく。
この人との付き合いは、裏ビデオ屋を辞めても続いた。
久しぶりに妹代わりに可愛がっているミサキの店へ行く。
今俺が裏ビデオ屋をやっている事は、当然恥ずかしくて言えていない。
従って北中に関する愚痴さえ言えない状況だった。
彼女には絶対裏ビデオ屋で働いているという実態を知られたくない。
家に戻ってはDVDのプロテクトを外して同じものを作る作業をする。
これはある程度準備さえ整えれば、あとはパソコンが勝手にやってくれた。
俺は待っている時間、月の光を弾いて過ごし、店に置いてある作品のコピーをどんどん作っていく。
一日一万二千円程度の給料では、パソコン用品を買うとすぐ無くなってしまう。
だから人気のある作品をいくつか作り、知り合いで欲しがる人間たちへ売って日々を乗り切るような生活になっていた。
家の隣のトンカツひろむでは、そこでずっと働いている先輩の岡部さんが義理で買ってくれる。
顔の広い岡部さんは他の知り合いたちにも声を掛けてくれ、いい小遣い稼ぎになった。
この時期、ひろむのおばさんと岡部さんの仲はあまりいいものでなくなっていた。
お互いに誤解が誤解を生み、間に俺が入っても軌道修正は難しい。
そんな状況下の中、岡部さんは十年以上働いたトンカツひろむを辞め、自分で店を出す事になる。
その為、岡部さんには時間が産まれ、俺が休みの時は一緒に飲みに行く機会が増えた。
知り合いから頼まれたからという名目で、偽中山美穂裏ビデオ男優の泉は直々メロンへ顔を出す。
俺より十歳くらい年上なのに、妙に懐く犬のように思えた。
この頃裏ビデオ業界で、芸能人の加藤あい温泉盗撮というDVDご話題を独占する。
当然泉はこの作品が手に入らないか聞いてきた。
サンプル映像などはインターネット上に転がっていたので、実在するのだろう。
俺はメロンを紹介してくれた中口の店に行き、聞いてみる事にする。
裏ビデオの新作がいち早く届く彼の店。
「加藤あいっすよねー? うちもまだ入ってこないんですよ」
俺だけでなく周りからも聞かれているのだろう。
中口は半ばうんざりした感じで答える。
「まあ岩上さんなら、入った時点ですぐ言いますよ」
「よろしくお願いします」
せっかちな泉からは毎日のように電話が入った。
「入荷次第、泉さんにはすぐ連絡しますよ」
そう言っても泉は落ち着かないのか、メロンに来たり電話したりとしつこい。
面倒な人だなと思い始めた頃、中口から連絡が入る。
「俺見ましたけど、あれ多分本物ですね」
「では買いに行ってもいいですか?」
「構わないんですが、いつものように千円じゃ無理なんですよ。業者からこれは特別なものだから仕入れ値七千円は譲れないって言うんです」
中口はDVDの新作が入ると一枚千円で俺には卸してくれていた。
その七倍の価格でも、需要があるので俺はお願いする。
泉だけでなく他の客からも散々聞かれたDVD。
一枚三千円くらいで売れば、元などすぐ取れる。
二日後加藤あいのDVDを入手した俺は、同じものを複数枚作った。
ピアノ発表会まで一週間。
俺は一通り習った月の光を家に帰るとひたすら練習した。
ゆっくり深呼吸をして心を落ち着かせる。
キーボードの電源を入れ、ザナルカンド、月の光の途中までを弾く。
何度も繰り返し弾き続けたザナルカンドは完璧だった。
発表会で弾く月の光は、数回ミスをしてしまう。
ピアノって本当に正直だ。
誠心誠意向き合わないと、綺麗な音色を奏でてくれない。
当日まで練習あるのみ。
その時、携帯が鳴った。
見るとメールが一件届いている。
「……!」
自分の目を疑い、何度もゴシゴシとこする。
あの春美からのメールだった。
『まだずっとピアノを頑張っていたんですね。ピアノ発表会、よろしければ私、見に行きたいと思っています。 品川春美』
彼女が俺の演奏を観に来てくれる?
嘘だろ……。
何度も頬をつねってみた。
痛い。
夢でもない。
短い文章の中に凝縮された彼女の気持ち。
俺は意識が飛びそうなぐらい嬉しかった。
冷静に考えてみる。
今度の発表会、俺は月の光で出場する。
春美へ捧げる曲ではない。
できればザナルカンドを弾きたかった。
しかしクラシックを一生懸命教えてくれる先生に対して、俺の私情で発表曲を変えるなんて今さらできやしない。
大舞台でザナルカンドを春美へ捧げられたら、どんなに素敵な事だろう。
彼女はどんな顔をするだろうか。
こうなったら発表会までの僅かな期間を俺はピアノにすべて集中しよう……。
そうじゃないと、月の光は完成しない。
春美へメールを打った。
今の自分の素直な正直な気持ちだった。
『ありがとう。本当にありがとう。心から嬉しい。君が見に来てくれるって聞いて、涙が出そうになった。でもその日、俺は月の光を弾く。君に捧げる曲ではない。君には本当に捧げたい曲があるんだ。発表会が終わったら、俺と一緒に時間を過ごしてほしい。そこで初めて君にピアノを捧げたい。ずっとせつなかった。ずっと寂しかった。だから俺と一緒に時間を共有してほしい。何度も言わせてもらう。春美、君が俺は大好きだ。発表会まで連絡はいらない。当日、会場で待っているよ……。 岩上智一郎』
余計な事まで書いたかな。
でも本当の気持ちだった。
春美にもその覚悟がほしかった。
俺は格好をつけたかっただけなのか。
よく分からない。
あ、小説の事も付け足そうかな?
いや、無駄に長くなる。
やめておこう。
俺は『新宿クレッシェンド』が完成した事はまだ黙っておく事にした。
もうこれ以上、失うものは何もない。
自分自身へのけじめだったのかもしれない。
俺は『くっきぃず』へ、ピアノを習いに行った。
部屋でも月の光をとことん弾き続けた。
それしか方法がなかった。
起きている時間の間、飯、トイレ、風呂以外の時間は、出来る限りピアノを弾いた。
自分でも聴き飽きるぐらい月の光に没頭した。
長い曲だった。
時間にして四分半ほどの曲。
楽譜の読めない俺は、ひたすら暗記をするしか方法がなかった。
指に染み込ませ、目で覚え、耳で音を確認する。
三十歳を過ぎてからピアノを始め、すでにフラれている女を追い駆け続ける裏稼業の男。
世間的に見たら、阿呆なんじゃないかと思われるだろう。
どう思われてもいいさ。
俺は月の光が弾きたい。
魂を削って……。
よくこの表現が使われるが俺は今、魂を削っているのだろうか。
分からない。
魂って何だ?
それを削るって何だ?
すべてを捧げるという事なのか……。
視界にはピアノの鍵盤しか映らない。
月の光を弾く俺の行為。
自分でも異常だと感じていた。
でももう遅い。
とまらない。
俺はピアノにどっぷり浸かっている。
生活をするのに必要な事以外、俺はピアノを弾いた。
一つ一つの音を丁寧に、そして想いを込めて弾く。
ピアノは俺の想いを音として表現してくれる。
睡眠時間さえ削った。
風呂も滅多に入らなくなった。
湯船に浸かる時間があったらピアノを弾きたかった。
飯も空腹感さえ満たしてくれればそれでいい。
弾きながら意識を失うようしてその場に倒れる日々。
すべてのベクトルを指先に……。
最近、俺のピアノの音は狂気を帯びている。
自分でそれが分かった。
月の光が弾きたい。
今の俺にはそれだけだった……。
春美からの返事は、まだない。
上にあるゲーム屋フィールドの事実上のオーナーである金子。
珍しく早い時間帯に彼がメロンへ顔を出す。
俺がいるのを確認すると、妙に笑顔で近づいてくる。
「岩上さん、実はお願いが……」
「どうしたんです?」
何故か金子はパソコンを持参していた。
先日の小泉の話が頭の中をよぎる。
「岩上さんってDVDをパソコン使って、そのままコピーしたりする事できるじゃないですか」
「ええ、それが?」
「その技術を私に教えてほしいんです」
彼はパソコンの事で、俺に教えを乞いに来た訳である。
「別に構いませんが」
俺は小泉の話を聞いていないふりをして接する事にした。
「ちょっと最近不景気でして、ネットオークションで私の持っているジッポのコレクションをちょっとずつ売っていたんです」
「ジッポ? ジッポってあのライターのですか?」
「ええ、そうです。千九百三十三年…。この年にジッポーは初めて販売されだしました。その数は約千五百個とも言われています。私、実はこの内の一つを持っています」
妙に気取りながら話す金子。
しかし彼は、小泉の名義料を使い込んでいる……。
「さすがにそれを売りに出す訳にはいきませんが、そこそこ値打ちのあるジッポも以前コレクションしていましてね」
「はい」
「それがネットで、七万とか十二万とかで売れたりするんですよ」
「へえ、そういうもんなんですね」
マニアからしてみれば、いくら出しても欲しい物があるだろう。
「でも、売りに出すジッポもそろそろ底を尽き始めましてね。そこで岩上さんのパソコンの技術を少しでも習いたいなと思いまして……」
要するに金がなくなったという訳か……。
「そうそう、岩上さん。お腹減ってませんか? 鰻食べましょうよ。私、おいしいところ知っているんです。ちょっと電話借りますね」
金子は半ば強引に鰻屋のうな鐵へ出前を頼み、鰻ダブルを二人前と注文していた。
鰻が届くまでの間、俺はDVDを焼く仕組みを詳しく教える。
それと同時にその為に必要なアプリケーションソフトも金子のパソコンへインストールしてあげた。
「これでやり方、分かりましたか?」
「ええ、分かりました。もし自分でやってみて駄目な時は、また連絡します。あ、鰻来ましたよ。食べて下さい。美味いんですよ、このダブルが」
金子はそう言いながら、出前持ちに一万円札を渡し、お釣りで二千円をもらう。
え、今この人…、八千円を払ったっていう事?
どこでもうな重の相場は、だいたい千八百円程度。
一人前四千円もするのを頼んだのか?
フタを開けると特上のうなぎが縦に通常の二倍入っていた。
確かに豪華なうな重である。
でもさ…、こんな風に振る舞うお金あるならさ…、小泉の金遣いこむなよ……。
「岩上さん、さあ温かい内にどうぞ!」
「い、いただきます……」
確かに高額な値段だけあって非常に美味い。
鰻が縦に四つ入っているなんてさ…、俺なら普通のうな重二人前のほうが良かったよ……。
いまいち喉の通りが悪かった。
当たり前だよ。
俺は何故好物なはずの鰻を食べているのに食欲が湧かないのか、その原因をすぐ分かるから。
一応お礼は言っておいた。
しかしね…、本当にあのさあである。
そんな金あるなら小泉に名義料払ってやれよ!
まあ他人事に、そこまで首を突っ込むつもりはない。
そんな俺にとってデメリットしかない事に首を出して、何もいい事なんてないからね。
これは近い内ひと波乱ありそうだ。
帰り際の金子の後ろ姿を見ながらそう感じた。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
